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王佐の才  作者: 堀井俊貴
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第35話 金ヶ崎の退き口(2)

「そういやぁ半兵衛殿は、斉藤家に居られた昔から、殿戦しんがりいくさの名人であられましたなぁ!」


 兵を率いて金ヶ崎城へと向かいつつ、藤吉朗はことさら陽気に言った。


「名人などと言われるようなものではありませんよ」


 馬上、傍らをゆく半兵衛は微笑したまま否定したが、


「いやいや、まだ我らが稲葉山城を攻め落とせなんだ昔、我らと槍を合わせた斉藤勢には、攻めるときには先手(先鋒)、退くときには殿に、必ず半兵衛殿の“九枚笹”の旗が翻っておりましわ。わしらは何度も何度も痛い目にあわされましたからのぉ。おとぼけになられても通りませぬわい」


 藤吉朗は笑いながら半兵衛の武勇を大声で宣伝する。それを周囲に聞かせることで、兵たちに少しでもこの退却戦に対する希望と安心感を与えようというのであろう。


 いま、藤吉朗がもっとも怖れているのは、敵の朝倉・浅井の軍兵ではなく、味方の士気の疎漏であり、足軽たちの逃散であった。

 銭で雇われただけの織田家の足軽たちは、勝ち戦のときこそ頼りになるが、いったん戦況が不利と見るや蜘蛛の子を散らすように逃げ散ってしまうという悪癖を持っている。この兵の逃亡こそが藤吉朗にとって最大の懸念であり、同時に恐怖でもあった。己を守るべき兵に逃げられてしまったのでは、生還は絶対に不可能になる。

 だからこそ藤吉朗は、この期に及んでも普段とまったく変わらぬ陽気さを演じ続けていたし、ポジティブな話題を大声で話すことで沈みがちになる兵たちの雰囲気をなんとか引きずり上げようと躍起になっていた。

 人の気が沈んでしまえば、戦などできたものではないのである。


「実はわしは、殿を任せられるは初めてのことでござってな」


 藤吉朗はおどけたように言う。


「わしの采配で戦をするのでは不安に思う者も多かったでござろうが、殿戦の比類ない名人であられる半兵衛殿が軍師となって采配を振ってくだされば、わしも大船に乗ったような心地で戦ができますわい。ぜひぜひ、お得意の神算鬼謀でもって、朝倉や浅井の奴輩やつばらをけちょんけちょんに退治てやってくだされ」


 もちろん藤吉朗も、本気でこんな楽観をしているわけではない。しかし、それで兵の士気が多少でも上がるなら、利用できるものは何でもとことん利用しようというのが藤吉朗のやり方であった。

 半兵衛も、そこは心得ている。

 普段なら自分を持ち上げるような物言いを嫌がるのだが、今はあえて藤吉朗の言動を封じようとはせず、ただ静かに微笑しているのみであった。


 そうこうしている間に、木下勢は粛々と金ヶ崎城への入城を終えた。


「わしは主立つ者たちと共に大手門の前におる。先に退いてゆく諸将に顔を見せておかねばならんでな。小一郎、ぬしは半兵衛殿と諮って、戦の支度をしといてくれ。食い物と酒は朝倉勢が残してったモンがなんぼでもあるはずやで、惜しまんと皆に好きなだけ飲み食いさせてやれよ」


 藤吉朗が言った。


「心得た」


 首肯する小一郎を横目に、半兵衛が、


「防ぎの方策については、小一郎殿と共にいろいろと知恵を絞ってみます。木下殿は、これから退却してゆく諸将の軍勢から、織田家の旗をできるだけ多く借り受けていただけませんか?」


 と願い出た。


「なるほど・・・・。我らの人数を、何倍にも多く見せようというわけですな」


 藤吉朗はすぐさま意図を察し、左右の者に大声でその旨を命じた。


 敦賀からの撤退が決まり、織田家の兵たちは続々と引き上げを始めている。彼らは皆、金ヶ崎城の鼻先を通って南へと下り、敦賀平野を西に横切って若狭を目指して落ち延びてゆくのである。


「この藤吉朗が後をお引き受けする! 安堵してお退きあれ!」


 大手門の門前に陣取った藤吉朗は、次々と通過してゆく武将たちに陽気な声を掛けた。どうせやるなら、この困難極まる退却戦を引き受けた自分の勇気と功績を、できるだけ多くの人々に知ってもらわねば損というものである。


「ご苦労に存ずる」


 と、諸将はいちいち藤吉朗の傍まで来て会釈し、ある者はその労をねぎらい、ある者はその勇気と忠義を賞賛した。

 なかでも長く懇意にしている丹羽長秀などは、


「こんなところで死んではならんぞ。必ず生きて帰れ」


 と藤吉朗の肩を掴んで激しく揺さぶり、当の藤吉朗はもちろん、その光景を見たすべての者たちの胸を熱くさせたりしたし、藤吉朗とはあまり仲が良くない柴田勝家までがわざわざやって来て、


「藤吉、武運を祈っておるぞ」


 とその手を握ったりした。


 敦賀に残る木下勢は、せいぜい3千である。

 敵の朝倉・浅井の軍勢は、合わせれば4万に近い。

 人数の差は、実に十倍以上――いかなる戦上手であろうと、普通に戦えば絶対に勝ち目はない。城に篭って抵抗するにせよ、退却戦を展開するにせよ、木下勢の大半は討たれるであろうし、生きて帰れる者は2割か3割か――いずれにしても、この猿の顔を見るのはこの時が最期になるであろうと誰しもが思っていた。

 その意味で、織田家のために人柱になることを進んで買って出てくれた藤吉朗に感謝せぬ者はなかったし、誰もがこの男に同情し、同時に見直すような想いを持っていた。彼らが藤吉朗の頼みを快く引き受け、持っている旗を百棹、二百棹と置いていってくれたことは言うまでもなく、それどころか退却戦の援けにと、手持ちの鉄砲を十挺、二十挺と貸し与えてくれたり、戦闘力のある武者を五騎、十騎と残していってくれる者さえあった。


 織田家中で嫌われ者であった藤吉朗の評判は、この金ヶ崎でまったく一変してしまったと言っていい。




 城外の喧騒をよそに、城内の第二の木戸(二の丸)内の兵糧蔵のきざはしに腰を据えた半兵衛は、そこを指揮所にし、まずは城の各所に雑兵を配って守備につかせると、城の破損箇所を修理させると共に城内の備品や兵糧などのチェックをさせ、さらに矢弾などの物資の分配や飯の炊き出しといった細々した指図を実にテキパキとし始めた。

 半兵衛の言をそのまま容れ、小一郎はほとんど手足のようにそれに従った。


「まずは、敵情を知ることから始めましょう」


 敦賀周辺の絵地図を睨んだ半兵衛は、気はしの利く武者を数人呼び集めた。


 朝倉勢が越前から敦賀へ来るには、金ヶ崎の北東の木の芽峠を通らねばならない。また浅井勢が北近江から敦賀へ来るには、敦賀平野の南にある愛発関あらちのせきを通ってくることになる。この2箇所に物見を配っておけば、敵軍の襲来が間違いなく解る。


「敵の軍勢を遠目に見たらその場ですぐさま狼煙を上げ、まっすぐに引き返して来てください。敵のおおまかな位置と、金ヶ崎に来るまでのおよその時間が解ればそれで十分ですので。くれぐれも、お命をお大事に」


 半兵衛はそんなことを言いながら騎馬武者たちを送り出した。

 急がねば急がねばと気ばかり焦っていた小一郎だったが、半兵衛の常と変わらぬ平静ぶりとその細やかな気遣いを見て、逆にずいぶん気分が落ち着いたりした。


「この城の守りにとって、かなめは、あの手筒山です」


 戦の指図をひとしきり終え、人々が持ち場持ち場でそれぞれに仕事を始めると、半兵衛は金ヶ崎から峰続きの手筒山を仰ぐようにしながらそんなことを言った。


「もしあの山に敵が登れば、眼下のこの城はたなごころを指すように敵から丸見えになってしまう。そうなれば、我らは勝ち目はおろか、退却することさえできなくなってしまうでしょう」


 何度か述べたが、手筒山城は、金ヶ崎城がある半島から南東に向けて峰続きに伸びた手筒山の山頂部に築かれている。両城の位置関係を考えれば半兵衛の言はもっともで、金ヶ崎城に篭る木下勢とすれば、頭上の手筒山城を敵に押さえられてしまってはどうにもならない。金ヶ崎城の守将であった朝倉恒景も、手筒山城が陥落してしまっていたからこそ事態を諦め、降伏開城に応じたのである。


 半兵衛は手筒山の重要性を説き、


「この城と手筒山城とに織田家の旗を多数並べ、かがりを大いに焚き、さも大軍勢が篭っていると思わせるようにせねばなりません。手筒山に織田の大軍があると思えば、敵も後背を衝かれることを怖れ、この城を攻めにくくもなるでしょうしね」


 と続けた。


「そういう仕事ならば、小六殿に任せればうってつけですな」


 蜂須賀小六が率いる川並衆は、元が野武士の類である。この種の偽装工作などは、正規の武士よりむしろ彼らの領分であろう。


「敦賀からの一気一勢の退却――岐阜さまのこの一手は味方の我々でさえ驚いたくらいですから、朝倉殿や浅井殿はおそらく予想だにしておりますまい。織田勢は公称10万、実数にしても5万近い大軍ですから、我らが敵を怖れる以上に、敵は我らを怖れておるはず・・・」


 で、あればこそ――と、半兵衛は繰り返し言う。


「我らの小勢を敵に悟られぬようにするが何より重要なのです」


「なるほど。織田の大軍勢がこぞって手筒山城と金ヶ崎城に篭り、朝倉・浅井と渾身の決戦をするというように敵が思えば、おいそれと攻めかかっては来れぬというわけですな」


 半兵衛は微笑し、頷いた。


「それによって敵が迷い、たとえ一刻(2時間)でも軍議に費やしてくれれば儲けものです。その一刻で、我らは2里(8km)先を駆けられる」


 その言葉を聞いて、小一郎は安堵した。半兵衛としても、城を枕に討ち死にするまで戦うというような気はサラサラないらしい。


「無駄になるかもしれませんが、この際ですから、打てる手はすべて打っておきましょう。小一郎殿、死罪を待つ咎人が、陣中に何人かおりましたな?」


 この北陸征伐中に軍令違反を犯して死罪と決まり、忙しさに紛れてまだ刑が執行されていない足軽のことである。確かに、そんな者が何人かはいたはずだ。


「私が手紙ふみを書きますので、その者たちを飛脚として使わせてください。『手紙を無事届けて帰ってくれば、罪は不問にする』とでも言えば、喜んで遣いの役を受けましょう」


「いや、しかし、届けるも何も、そのまま逃げてしまうだけでしょう。飛脚の用を為せるとは思えませんが・・・」


 そもそも死罪を得ている者たちである。命が助かったのを幸い、そのまま逃散して二度と帰って来ないに違いない。

 しかし、


「それはそれで良いのです」


 半兵衛はあっさりと言った。


「できれば間者として浅井・朝倉の軍兵に捕らえられ、その手紙が敵の手に渡ってくれれば――という筋書きですから」


 小一郎は驚いた。


(半兵衛殿も、ずいぶんと人が悪い――)


 間者や諜者は、捕まれば当然斬られる。それを期待して飛脚に出すというのも凄まじいが、しかし、そもそもが死罪の罪人であるわけだから、逃げおおせるチャンスをもらえるだけでも儲けものと言うべきかもしれない。


「そうですねぇ・・・たとえば――近江の坂本あたりに、『穴太衆あのうしゅう』という石垣積みに熟練した者どもが住み着いております。彼らの元に、『金ヶ崎城と手筒山城の修築に手を貸せ』と命じる手紙を出します。同様に、朝倉殿に対しては、越後の上杉輝虎殿に宛てて此度の戦勝を報告すると共に朝倉殿の背後を脅かすよう依頼する内容の手紙を出し、そこに『向後は敦賀に腰を据えて朝倉を討つつもりである』という風なことを付言しておく、というのはどうでしょう。それらの手紙が運良く敵の手に落ちれば、『織田は敦賀で決戦する腹かもしれぬ』というような誤解を敵に与えることができるかもしれません」


 現代で言うところの「戦時情報操作」である。

 敵に偽情報をリークするわけだが、密書を持った間者を捕らえた側としては、その間者が持っている密書そのものが偽情報だとはなかなか疑いにくい。

 一枚手の込んだ謀略と言うべきであろう。


「先ほども申しましたが、それでたとえ一刻でも時が稼げれば儲けものです。やれることはすべてやっておいて損はありませんよ」


 半兵衛は、常と変わらぬ微笑のままで言った。


(智者と悪人は紙一重じゃとかつて兄者は言うておったが、まさしくその通りじゃな。敵に回せば怖ろしいが、味方と思えばこれほど頼もしい人もおらんわ)


 半兵衛の知恵に感心しつつも、何やら空恐ろしささえ感じてしまう小一郎であった。




 やがて、元亀元年(1570)4月27日の陽が暮れた。


 先鋒として木の芽峠まで先発していた徳川家康と明智光秀の部隊は、日本海に陽が沈みこむ頃に金ヶ崎に至り、藤吉朗に慇懃に挨拶を済ませると、若狭を指して整然と退却していった。敦賀にある織田勢といえば、もはや木下勢3千を残すのみである。


 藤吉朗は主立つ者を第二の木戸(二の丸)の櫓門前に集め、夕餉をとりながらの最後の軍議を開いた。


「こうして見ると、実に豪勢なかがりじゃな」


 床机に腰を据えた藤吉朗は、両手の握り飯を交互に頬張り、米粒を口から飛ばしながら言った。


「あれなら、まことに万を越す大軍が篭っとるように見えるわ」


 眼前の手筒山は多数の篝火で濃紺の闇の中にその輪郭を浮かび上がらせている。逆に手筒山の上からこの金ヶ崎城を眺めれば、無数の篝火によって城中が燃えているように見えたであろう。


「このような小手先の策略で、敵をうまうまと欺けるモンか?」


 前野将右衛門が竹筒の酒をあおりながら聞いた。


「明日には露見するでしょうが、まぁ、今夜いっぱい騙せれば御の字ですよ」


 半兵衛は行儀よく湯漬けを食べながら応えた。


「それより、手筒山に配った者たちのことですが――あの者たちは、場合によっては置き捨てにせねばならなくなりますが、そのときの逃げる算段はできておりますか?」


 手筒山城には、川並衆から百名ほどを割いて篭らせている。大軍の偽兵を作るには、どうしてもその程度は必要だったのだ。


「そのことなら心配はいらん。いざとなれば具足を捨てて琵琶湖の『渡り衆』の中に潜り込めと命じておいたでな」


 蜂須賀小六が請合った。

 琵琶湖は『万葉集』の昔から「八十湊」と言われるほどに湖上貿易が盛んで、近畿と北陸・山陰の諸国を繋ぐ大動脈として無数の丸子船が行き交っている。各湊に暮らす「渡り衆」は湖北を支配する浅井氏からは半ば独立した存在で、織田と浅井が手切れとなった今は去就に迷っているに違いないが、強大な織田家にあからさまに敵対するような無謀な連中ではないから、同じ「渡り衆」である川並衆の者を悪くは扱わないであろう。


「して半兵衛殿、向後、我らはどうすりゃええとお考えですかな?」


 半兵衛が箸を置くのを待って、藤吉朗が尋ねた。


「その前に――少々気になっていることがあるのですが・・・」


 竹筒の水で口を湿らせた半兵衛は、地面に広げた絵図を扇子で差した。


「この木の芽峠とこちらの愛発関にそれぞれ物見を出し、敵の動きを探っておりましたところ、朝倉殿の動きはまずまず予測のうちであったのですが、浅井殿の出足が、何やら不自然なほどに鈍いのです」


 最新の物見の報告でも、未だに浅井の軍勢は姿をあらわしてはいないという。


「我らにとっては朗報じゃが・・・、確かに言われてみれば、最初から我らを敦賀で挟み討ちにするつもりであったにしては、お粗末じゃな・・・」


 藤吉朗は首を捻った。

 実際、織田勢はすでに敦賀から退却を終えてしまっているのである。信長の決断が凄まじく早かったということはあるにせよ、浅井の動きの中途半端さは否めない。


「これは憶測に過ぎませんが、此度の浅井殿の離反、あるいは朝倉殿と示し合わせたものではなかったのやもしれませんね」


 半兵衛は――それが癖なのだが――扇子の開け閉めを繰り返しながら言った。


 これは後に解ったことだが、このとき浅井長政は、織田家に反旗を翻すことについて、最後の最後まで頑強に反対したらしい。

 若い長政にとって、信長の越前征伐は、蒙昧頑迷な実父・久政と英明果断な義兄・信長との板挟みであったと言ってよく、このときほど苦悩したこともかつてなかったであろう。しかし、苦悩しながらも、長政は「動かない」ということをもって自らの意思表示としたらしい形跡がある。

 これに業を煮やした隠居の久政と一部の重臣たちは、長政の意向を無視して勝手に信長に「同盟破棄」を通牒し、ついには兵まで出して「浅井離反」の既成事実を作ろうとしたらしい。にわかには信じられないような独断だが、その証拠に、この翌日になってようやく敦賀に姿をあらわした浅井勢はわずか2千ほどの小勢で、しかもそこに当主である長政の姿はなかったのである。

 長政の煩悶をよそに、実父と重臣たちの実力行使によって、事態は取り返しのつかないところまで進んでしまったと言っていい。


 長政は自分の見通しの甘さを激しく悔恨したであろうが、後の祭りであった。信長に敵対したという事実はすでに繕いようがなく、長政は、ここに至ってようやく対織田戦に向けて腹をくくり、徹底抗戦を決意することになるのである。


 とはいえ、そんな事情はこの場にいる者たちが知りようはずもない。


「・・・まぁ、解らんもんは考えてもしゃぁないわ。いずれにせよ、浅井が来れば我らは退路を断たれちまうんじゃから、その前に逃げる算段をせにゃならん」


 藤吉朗は顎をしゃくり、半兵衛に話の続きを促した。


「物見の話では、朝倉勢は3万余――まぁ、実数はもう少し少ないと思うのですが――これはすでに木の芽峠から見えるところまで迫っておると聞きました。夜行軍ということを考えても、先手はあと2刻(4時間)ほどでこの金ヶ崎まで出張って参りましょう」


「2刻ほど・・・・」


 小一郎は呟いた。何やら死への秒読みでもされている気分である。


「敵も、すでに岐阜さまの退却の報は掴んでおりましょうが、それも虚実がつきかねず、半信半疑のはず。実際にこの金ヶ崎とあの手筒山の姿を遠望すれば、やはり万余の軍勢が篭っているように見えますから、必ず迷いが生じ、夜のうちに総攻めを始めるという風には参りますまい。しかし、我らが数を偽った偽兵かもしれぬという疑念も捨てきれぬでしょうから、手を出さぬというわけにもいかぬはず・・・・」


「・・・すると、どうなりますかな?」


「結局は、先手の2、3千が大物見(威力偵察隊)となってこの金ヶ崎に夜討ちを掛け、それによって我らの兵の多寡を見定め、その後の方策を立てようとするでしょう」


 半兵衛の予測は、言われてみると実に理に適っている。


「この先手を、完膚なきまでに叩きます」


 半兵衛は事も無げに言った。


「さすれば、『やはり織田勢は兵も多く、意気も盛んである』と敵は思い、夜の城攻めの不利もあり、夜が明けるまでは手出しができぬようになりましょう。その隙に、我らは城を捨てて退散する、というのは如何でありましょうかな」


「よし、それでいこう」


 藤吉朗はほとんど間髪入れずに言った。


「して、陣立ては?」


 半兵衛は、これにも即答する。


「木下殿に、2千ほどの兵を率いて頂いて、これを埋兵まいへいにします」


 埋兵というのは伏兵という意味で、山野に隠し潜ませた軍勢のことを言う。


「残る数百で、この城を守るというのは如何でしょう?」


「なるほど。敵が寄せて来たら、わしが敵の腹背を衝き、城衆と挟み撃ちにするわけじゃな」


 察しが良い藤吉朗は大いに頷いた。


「ならば、城に残すは木下家の者のみとし、これを全軍の殿しんがりにしよう。大将は――小一郎、われがやれ」


 この指名は、小一郎も当然覚悟できていた。藤吉朗が身勝手で引き受けた殿である。藤吉朗の肉親である小一郎以外に、この役の適任はない。


「承知!」


 小一郎は、声が震えてしまわぬよう、威勢良く大声で応えた。





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