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王佐の才  作者: 堀井俊貴
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第30話 戦場傷――第三次伊勢征伐(1)

 永禄12年(1569)8月の京――緑に輝く東山の山並みに、覆いかぶさるような入道雲が立ち昇ったある日。

 木下勢が新たな本陣としている将軍御所に近い稲荷社の本殿へ、岐阜から軍令書が届けられた。


「伊勢へ大討ち込みじゃ!」


 諸将を前に、藤吉朗が飛び上がるようにして叫んだ。


 行き先は南伊勢――伊勢の国司である北畠氏を攻め滅ぼす戦である。


「わしらにも出陣のお声掛かりか!?」


 傍らに居た小一郎が思わず尋ねると、


「言わずもがなじゃわ!」


 早くも顔に血を昇らせた藤吉朗が怒鳴るように言った。


「一益のヤツの手伝い戦っちゅうのは癪じゃが、此度の戦こそ、我が武名を世に顕わす千載の機じゃ! こりゃぬかれんぞ! 皆も、手に唾して働いてくれい!」


 年明けに起こった「六条合戦」で手柄を挙げ損ね、それ以来合戦から遠ざかっていた藤吉朗である。久々の武功のチャンスに勇躍した。


 織田家の中でそれなりの地位にまで登ったとはいえ、藤吉朗にとっての変わらぬ泣き所は、過去にこれといった武功がない、ということに尽きた。

 これまで信長のために寝食を忘れて懸命に働き、美濃攻略戦の功をはじめ数々の功績を挙げてきた藤吉朗ではあるが、その仕事は調略や交渉事などといった才覚の分野がもっぱらで、槍を振るって戦場で活躍したという経験は皆無に等しい。当然ながら「武の人」という印象は哀しいばかりに薄く、信長にゴマを擂って立身した小知恵の武将といったイメージが家中でも未だに根強いものがあった。

 出自の悪さや教養のなさを気にする藤吉朗ではなかったが、この種の陰口だけは心底からこたえていたようで、この半年、戦がないか、働き場がないかとジリジリするように待ち望んでいたのである。


(ここらでなんとしても武功を挙げねば・・・・!)


 と、藤吉朗は想いを決している。

 このまま京の行政官としてのイメージばかりが大きくなれば、藤吉朗の武将としての印象はますます薄れ、やがては戦場で大きな役割を与えてもらえなくなってしまうであろう。しかし、逆にここで目を見張るほど武功を挙げさえすれば、そのことで家中の印象は一変し、文武両道の武将として藤吉朗の評価は180度変わったものになるに違いない。


「此度は、我が勢の半分を引き連れてわしが自ら出向く。小一郎、京の守りは、お前に任せるぞ」


 鼻息も荒く、藤吉朗は言った。


(わしゃまた留守番か・・・)


 小一郎は不満であった。決して戦が好きであるわけではないが、主君である藤吉朗が武運を拓くと意気込む戦である。自分だけが京でのうのうとしているのにはやはり抵抗がある。

 しかし、藤吉朗の代理が務まる者と言えば、これは小一郎以外にない。藤吉朗の第一の臣としてその顔は京の著名人や貴人の間でも売れ始めているし、京の治安業務を統括しているのも事実上は小一郎なのである。


「解った。こっちの心配はいらんで、心置きのう働いてきてくれ」


 小一郎は自分の役割を藤吉朗の黒子であると思い定めているから、でしゃばることも自己を主張することもしなかった。


「半兵衛殿にも、京に残ってもらうとしよう。小一郎だけでは、どうにも心もとないでな。堺を押さえてある以上、敵がいきなりこの京まで迫るようなことはないとは思うが、京が手薄と知れればいかなる不測の事態が出来しゅったいせんとも限らん。万一のときの兵の寡少は、半兵衛殿の知略で補ってくだされ」


 京は、必ずしも安全であるわけではない。「六条合戦」以来、三好三人衆は静かにしてはいるが、信長が伊勢で戦を始めたと知ればいかなる動きがあるかも解らないし、京の守備と将軍 義昭の守護は織田家にとっての最重要課題であることに変わりはないから、京の守りを疎かにすることは断じてできないのである。

 まして、今回の伊勢征伐は、藤吉朗はもちろん、京畿の最高司令官である佐久間信盛の参戦までが決まっている。京に残る高官といえば文吏派の村井貞勝のみ、という状態であり、一軍を指図したことさえない小一郎だけでは、藤吉朗としてもとても安心できない。


 そういう藤吉朗の気持ちは解っていながらも、小一郎は反論した。


「いやいや、そりゃいかん。半兵衛殿は、兄者について行ってもらわねば」


 半兵衛の知略と軍略は戦場でこそ光るものであり、武功を渇望する藤吉朗にとってそれがどれほど有用であるか解らない。京が危険にさらされる可能性は普通に考えればごく低いわけで、ここはやはり伊勢へ連れて行って役に立ってもらうべきであろう。


「ええんじゃ。此度は、このわしの采配に任せよ」


 藤吉朗はいつもの調子で屈託なく笑った。


 藤吉朗にとって、今度の第三次伊勢征伐は、もはや勝つか負けるか、というような戦ではない。信長の性格を考えれば、すでに伊勢での下ごしらえは十分に済んでいると見るべきで、出陣する以上、勝つことが九分九厘間違いのない状態にまでなっているに違いない。あとはこの戦のどこに活躍の場を見出すか、というだけの問題で、武功を挙げられるかどうかはどんな部署を割り振られるか、という点に懸かっている。つまり、軍議の席ででしゃばって、どれだけ自分を売り込めるかが鍵になるわけで、これこそまさに藤吉朗の得意分野なのである。半兵衛の出る幕などは、そこにはないのだ。

 まして、藤吉朗の傍らに半兵衛が居れば、この戦で木下勢がどれほど苛烈に戦ってもそれは藤吉朗の活躍とは見られず、半兵衛の軍略があったればこそ良い働きができたのだ、などと家中に受け取られぬとも限らない。藤吉朗にすれば、己の武名を上げるための戦に半兵衛が居てもらっては、この場合はありがた迷惑なのである。


(一度は己の手で武功を挙げて見せねば、誰もわしを認めようとせん)


 ということが藤吉朗には痛いほど解っており、今度の伊勢征伐はその格好の機会と言えるであろう。


 小一郎には、そこまでの藤吉朗の心中は見抜けない。なおも半兵衛を同道するよう言い募ったが、藤吉朗は頑として己の説を曲げなかった。


「半兵衛殿、小一郎の仕事を援けてやってくだされ」


「承知しました」


 半兵衛は常と変わらぬ穏やかな表情のまま、素直に藤吉朗の言いつけに従った。


 藤吉朗は軍勢をすぐさま編成すると、翌日には将軍 義昭や幕府の面々に挨拶を済ませ、京を発った。


「木下殿のお気持ちは解らぬでもないですが、少し気負いが過ぎるようですね。無理をなさらねば良いのですが・・・」


 出立を見送るときの半兵衛の言葉が、妙に小一郎の心に引っかかった。



 藤吉朗が予期していた通り、このときの信長には、伊勢攻略に十分な勝算があった。


 信長は、昨年の第二次伊勢征伐以来、滝川一益に命じて北畠氏の重臣に対する調略を続けていたのだが、この8月、ついに木造こつくり城(久居市)の木造一族を寝返らせることに成功していたのである。

 木造氏というのは、遠く南北朝時代からこの地に根を張る北畠氏とは同族の名門で、宗家の北畠氏とは仲が悪いものの北畠家では家老クラスの重臣であった。これほどの大物を寝返らせたのだから、ちょうど美濃攻略時における西美濃三人衆の寝返りにも似た状況であったと言える。


 北畠氏としては、裏切った木造氏を放置するわけにはいかない。当主の北畠具教きたばたけとものり自ら8千の兵を率いて木造城へ攻め寄せた。これに対し、伊勢の織田勢は木造城に兵力を集中し、敵を防ぎつつ信長に援軍を要請する。

 今度の大規模な伊勢征伐は、こうして発動されることになったのである。


 信長が率いた軍勢は、尾張、岐阜、南近江の兵約3万。これに徳川家の援軍と伊勢の織田勢力が加わったから、その総数は4万5千ほどにまで膨れ上がった。

 対する北畠勢は、重臣木造氏に叛かれたため、8千ほどの兵力をかき集めるのが精一杯であった。

 この兵力差を考えれば、信長が楽勝を予想したのも当然であったろう。


 8月20日に岐阜を出陣した信長は、その日のうちに桑名まで至り、さらに軍を南下させて23日に木造こつくりに着陣した。

 織田方の頑強な抵抗に苦戦し、信長の援軍が迫っていることを知った北畠具教は、木造城攻略をあきらめて兵を引き、大河内城(松阪市)に立て篭もって守戦の態勢を整えた。


 大河内城は、小高い丘陵の先端に築かれた平山城で、東に坂内川、北に矢津川がそれぞれ流れて堀の役目を果たし、丘陵の南と西は急峻な崖という天然の要害である。本丸に二の丸、西の丸というくるわを持ち、西の丸と本丸の間には「まむし谷」と呼ばれる深い谷までが横たわっており、要所に配された空堀と土塁、木柵なども厳重で、防御要塞としてはかなり堅い。


 さらに、大河内城のすぐ北には前線基地とも言うべき阿坂城がある。

 阿坂城は、峻険な枡形山の山頂部に築かれた南北に2つの郭を持つ堅固な山城で、南北に300m、東西に150mあまりの城域を持っている。麓から山頂までの標高差が200m以上もあり、狭くて急な山道を登らねばならない寄せ手は非常に攻めにくい上、空堀、土塁、木柵などで道が塞ぎ止められている。この城の左右にはさらに2つの出城(枳城、高城)までがあって、北畠氏の重臣 大宮氏の一族約1千が篭って守っていた。


 木造では、雨に降り込められた。

 信長は、しばし木造に留まって雨が去るのを待ちつつ軍勢に休息を与えた。

 この間、木造城の大広間に諸将を集めて軍議を開いた。


 信長の腹は、すでに決まっている。阿坂城を圧倒的な兵力で突き崩し、伊勢に散らばる他の小城には目もくれず、北畠具教が篭る大河内城を直撃してやるつもりなのである。

 しかし、いかに信長が独断専行の男でも、諸将の腹の中のものは吐き出させてやらねば不平が溜まるということはちゃんと心得ているから、どんな合戦のときでも軍議は必ず開き、諸将の意見を聞く姿勢だけは取っていた。


「誰ぞ、言え」


 とだけ、信長は言う。

 意見のある者は自由に述べてみよ、ということだが、信長の言葉というのは常にこうで、省略に省略が重ねられて極端に短い。


 席上、真っ先に発言したのは藤吉朗であった。


「そもそも此度の伊勢討ち入りは――!」


 と持ち前の大声で弁じ始めたから、並み居る諸将は露骨にイヤな顔をした。


(あの猿ずれが、何を偉そうに・・・!)


 という腹立ちが、織田家に古くから仕える諸将にはある。

 新参の美濃衆、伊勢衆、近江衆らにはこの機微は解らなかっただろうが、10年も織田家に仕えた者なら、誰もがこの猿顔の小男の履歴を知り抜いている。藤吉朗はそもそも武士ですらなく、信長の草履を取る下郎に過ぎなかった男であり、信長の酔狂で武将にまで引き立てられ、才覚仕事で多少の働きをしたとはいえ、戦場では己の手で敵の首1つさえ挙げたことがないのである。

 その下郎上がりの男が、いっぱしの武将面をして軍議の席で真っ先に発言しているというだけで十分不愉快なのに、あろうことか、


「是非ともそれがしに、此度の先陣をお申し付けくだされ!」


 などと言い出したから、伊勢方面の軍団長である滝川一益や譜代家老の柴田勝家などは見開いた目から血を噴き出さんばかりに激怒した。


「伊勢の先陣なら、このわしが承るが筋と言うもの!」


 と滝川一益が叫び、


「ご当家の先例に従えば、このあたりの伊勢衆に先手(先鋒)を勤めさせるが常道じゃ。藤吉朗、うろたえたか!」


 と柴田勝家が怒鳴った。


「いやさ!」


 当然ながら、その程度のことでは藤吉朗は引き下がらない。


「此度の戦は、敵の大将が篭る大河内の城こそが要でござる。阿坂の城なぞは大事の前の些事。この些事に、お歴々がそのように血相を変えては戦の大事を失いますぞ。阿坂の城なぞはこの藤吉朗が一息に攻め潰してみせましょうほどに、お歴々は余力を残し、大河内攻めにこそ死力を振るわれれば如何でござろうか?」


 と、正論を巧みに織り交ぜて諸将を沈黙させた。

 藤吉朗にすれば、信長の戦略癖が解っている。美濃攻めにせよ南近江攻めにせよ、信長は常に大軍勢をもって直接敵の本城を攻めることを好み、付近の端城には目もくれない。幹さえ枯らせば、枝葉は勝手に枯れるということをよく知っているのである。まして拙速なまでに速さを尊ぶ信長の性格を考えれば1秒でも早く大河内城に攻めかかりたいと思っているに違いなく、そういうことを藤吉朗が解っていると信長にアピールできさえすれば、信長の鶴の一声によって事態が決まるはずだと見ていた。


 案の定、


「猿、よう言うた!」


 と、信長は言ってくれた。

 が、そこから先は藤吉朗の思惑から多少外れていたかもしれない。


「それほどの広言を吐いたからには、一息に攻め落とせぬときはその素っ首打ち落とすぞ!」


 と、信長までが怒気を発してしまったのである。

 これには、さしもの藤吉朗も背筋が凍りついた。

 しかし、表情だけはいつもの陽気な笑みを浮かべ、


「お聞き入れくださり、有難き幸せにござりまする! されば、ご当家の慣例に従いまして伊勢の者どもを率き連れ、ただちにまかりまする!」


 本来、滝川一益に付属するはずの伊勢衆を寄騎としてもらい受けることを勝手に宣言し、そそくさと軍議の席から出てしまった。

 藤吉朗はその足で、風のように木造城を出陣している。


(こりゃ窮地とちゃうぞ! 好機じゃ!)


 疾駆する馬につかまりながら、藤吉朗は何度も心中で叫んだであろう。


(ここで武功を挙げてこそ、わしのその先があるっちゅうもんじゃ。それもできんほどの男なら、いっそこの戦で死ね!)


 この時代の多くの武士たちと同様、藤吉朗も「運」というものの信奉者であった。己が背負っている運が小さければ、どれほど膂力や才覚に優れていようとも、どれだけ懸命に働いても、ついには没落してゆかざるを得ないというのが、この乱世の冷徹な掟なのである。


(武運――!)


 藤吉朗は、己のそれを信じている。

 ひとたびそれを疑えば、運の方から逃げていってしまうということをさえ、この苦労人は本能的に知り抜いているのだった。



 25日の夜、藤吉朗は、枡形山の麓で軍勢を集結させた。

 木下勢1千に伊勢の中南部地方の諸将の軍勢が7千余。総勢8千ほどにもなる堂々たる大軍勢である。これほどの大軍の大将になったという経験は、藤吉朗は過去にない。

 翌26日の日の出を待って、城に攻め懸ける手はずを整えた。


 先日来の雨は、この夜から小降りになり、空が白む頃には上がってしまっていた。


(見よ、わしにはやはり運があるわ!)


 藤吉朗は思ったであろう。

 雨さえ上がれば、城攻めにとってもっとも有用な兵器である鉄砲が自由に運用できるのである。


 阿坂城には、大宮含忍斎という入道武将が率いる大宮党が1千ほど篭っている。

 藤吉朗は、正攻法を取った。

 豊富な軍勢を四方に配ってあらゆる攻め口から同時に山へ駆け上らせ、人海戦術で相手を圧倒してしまおうというのである。正面から攻める以上、損害も覚悟せねばならないが、時間の限られた合戦なのである。一息に攻め潰すことができねば、信長によって藤吉朗自身の首が刎ねられてしまう。


 そういう意味合いから言えば、この戦は、敵を殲滅することが目的ではなかった。城さえ取れれば、極端に言えば敵の首などは1つも挙げられなくても構わないのである。藤吉朗は、特に城の囲みの搦め手側の一角だけは、意識的に開けておいた。逃げたい者は、そこからどんどんと逃げてくれれば良い。


「掛かれや!」


 朝日が昇ると同時に、藤吉朗は徒歩立ちになり、槍と采配を両手に握り締め、懸命に急勾配の山道を駆けた。


 このときの藤吉朗の覚悟と意気込みがいかに凄まじかったかというのは、大将である藤吉朗自身が最前線に立ち、山頂の敵城の塀際まで寄せに寄せ、敵の矢によって負傷してしまったことでも解るであろう。肩口の鎧の隙間に深々と矢が突き刺さり、藤吉朗はそのあまりの痛さに思わず転げまわるほどであった。

 これは、藤吉朗――豊臣秀吉の人生において、最初で最後の戦場傷であったと伝えられている。

 とはいえ、もちろん命に関わるほどの怪我であったわけではない。部下に担がれて無理やり後送された藤吉朗だったが、傷口に油薬を塗りこんで止血を施すと、すぐさま戦線に復帰し、苛烈に城を攻め続けた。


 寄騎の伊勢衆の戦意は決して高くはなかったが、大手門攻めに配された木下勢の奮戦振りは藤吉朗の気迫が乗り移ったかのように凄まじく、阿坂城は結局、1日で落ちる。

 織田勢の勢いと数に抗しきれないと見た大宮含忍斎は、藤吉朗が開けておいた搦め手の道から退散し、夜陰に紛れて大河内城へと逃れて行ったのだった。



「猿、ようした!」


 藤吉朗から報告を受け、全軍を引き連れて阿坂城まで進んできた信長は、先日の怒気を忘れたかのように藤吉朗を機嫌良く褒めてくれ、たまたま傍にあった蜜柑を3つほど掴み、投げ与えてくれた。

 これは、別に蜜柑が褒美というわけではなく、後日の加増を約束された、という程度の意味がある。


「有難き幸せ! これしきの働きで、もったいないことでござりまする!」


 藤吉朗は満面の笑みでそれを頂戴したが、内心はさほど喜んでいるわけでもなかった。


 藤吉朗を暗澹たる気分にさせていたのは、木下勢の損耗の甚大さだった。もっとも苛烈な大手門攻めを受け持った木下勢は、手負い、人死に数知れず、といった状態で、敵より遥かに凄まじい被害を受けていたのである。


 古来、城攻めは守備側の10倍の兵力が必要と言われ、鉄砲が普及してきた昨今においてもやはり4、5倍の兵力は必要だとされている。城攻めに損耗はつきもので、これは当然のことなのだが、それにしても敵が意気盛んな状態で力攻めを掛けたときの被害の凄まじさを実感するのは、藤吉朗にとってもこれが初めての経験であった。

 たとえば、木下勢が先頭に立って戦った稲葉山城攻めのときなどは、斉藤龍興に対する不信感のため守備側の斉藤勢にほとんど戦意がなく、士気が非常に低かった。それでも大きな被害を受けたのだが、今回はその比ではない。


(一度はええが、こんな無理な戦を続けておっては、そのうち誰もわしについて来んようになる・・・)


 ということを、底冷えするような気分で藤吉朗は思った。

 織田家において門閥家でない下郎上がりの藤吉朗とすれば、人望のみをその身上とせねばなんともならないのだが、藤吉朗の下については命がいくつあっても足りないなどという認識が家中で広がってしまえば、藤吉朗の寄騎や家来になりたいという者もいなくなるに違いなく、なおさら優秀な人材が集まりにくくなってしまうであろう。


(城攻めには、工夫が要る・・・。力攻めなどは下の下策じゃ・・・)


 ということを、肩口の矢傷の痛みをもって実感として学んだ場所こそが、この阿坂城であったに違いない。





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