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王佐の才  作者: 堀井俊貴
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第3話 稲葉山城乗っ取り事件(2)

「美濃の西の端っこに岩手村(現 岐阜県垂井町)ちゅうところがあってな。竹中半兵衛っちゅう男は、そこの菩提山って山に城を構える小名(小領主)じゃ。竹中重元が一子。歳は、お前より5つばかり下のはずじゃぞ」


 兄である藤吉朗は、信長が美濃攻めに本腰を入れだした数年前から、誰に命じられたわけでもないのに美濃 斉藤家の情報を躍起になって集めている。自然、今の織田家で藤吉朗ほどの美濃通はおらず、ひょっとすると美濃の地侍たちよりも斉藤家の内情に明るかったかもしれない。


「『西美濃三人衆』っちゅうのは、お前も知っておろうが?」


「詳しゅうは知らんが、そういう連中がおるっちゅうことだけは聞いたことがある」


 小一郎は正直に答えた。


 4年前まで田んぼの中を這いずり回っていた小一郎は、まだまだ武家社会というものがよく解っていない。小一郎がかろうじて知っているのは尾張の織田家だけなのだが、その織田家がこの時代の大名の常識からかけ離れた存在であるから、一般的な武家社会というものを知る機会がないのである。


 織田家は、信長という天才によって、他の大名から見ればありえないほどの近代化を遂げている。近代化というのは、この場合、中央集権化と言い換えても良い。信長という絶対君主があり、尾張の小領主たちはことごとくその家来という風になってしまっている。

 しかし、中世以来の大名家というのはそうではない。

 中世から続く大名家というのは、守護に任命された人間が国主として中央からその国に赴任し、もともとその国に住んでいた在地領主たちの盟主になる、という形で出来上がっている。国主は神聖なものとして格別な尊崇を受けはするが軍事的な実力をもっているわけではなく、あくまでも在地領主たちの上に乗ることによって存在しているのである。その意味で、中世的な国主というのは在地領主たちにとっての絶対君主ではなく、在地領主たちというのも主家から半ば独立した存在ということになる。

 美濃は、もともと伝統ある守護大名である土岐家の領国であった。その後、美濃を乗っ取った斉藤道三によって凄まじく近代化されたのだが、それでも中央集権体制が確立されつつある織田家から見ればその体制はよほど中世の臭いが残っていて、国中の村々に豪族、国人、地侍などと呼ばれる村落貴族がそれぞれ城砦を構えて半独立状態で割拠していた。それら村落貴族たちにとって斉藤家というのは主家というよりは自分たちの盟主といった存在で、盟主に過ぎぬ以上、それに対する忠節などよりも自家がこの乱世をいかに生き残ってゆくかということの方がよほどに大切だったわけである。


 竹中半兵衛を生んだ美濃の西部というのは、美濃でもとりわけ独立心の強い小領主たちが住まう地域であった。中でも強大な力を持っているのが、安藤氏、氏家氏、稲葉氏という豪族三氏であり、彼らは「西美濃三人衆」と総称されていた。


 藤吉朗はそこらあたりの事情を解りやすく小一郎に説明した上で、


「わしの調べたところでは、竹中氏は、この『三人衆』のいずれとも婚姻関係を持っておった。つまり、西美濃じゃぁそれなりの力があるっちゅうこっちゃな」


 と、したり顔で言った。

 小一郎は、素直に関心した。


(よくもまぁ、ここまで・・・)


 と思うほど、兄は美濃を知り尽くしている。


「では、竹中半兵衛っちゅう男は、謀反をして稲葉山を攻め取ったわけか?」


「阿呆を抜かせ。あの稲葉山城が、力攻めで落ちるわきゃぁないじゃろ」


 藤吉朗が膝を叩いて笑うと、何が可笑しいのか周りの男たちもどっと笑った。

 小一郎は、困惑せざるを得ない。


「・・・なんじゃぁ、それでは、どうやって城を落としたっちゅうんじゃ?」


「そこが、半兵衛殿の偉いところよ」


 藤吉朗は、逢った事もないその男を敬称を付けて呼び、


「実はわしも、そこのところが解らず、この数日は頭を抱えておったのよ。じゃが、ここにおる皆が美濃の話を持って来てくれたお陰で、その謎が解けた」


 と続けた。


「・・・とは?」


「謀略よ」


「謀略?」


「内側から、稲葉山城を乗っ取ったっちゅうことよ。でなくば、戦もなく一夜であの城が落ちるわきゃぁないわい」


 藤吉朗は、後に「古今無双の城攻めの名人」とまで称された男である。さすがに鋭い目を持っていた。


 それまでほとんど無名であった竹中半兵衛の名が、歴史上に忽然と現れるのが、この「稲葉山城 乗っ取り事件」である。

 通説では、このとき半兵衛は、稲葉山城に出仕していた弟の病気見舞いと称してわずか17人の家臣を引き連れて城に乗り込んだらしい。極秘に持ち込んだ武具で武装し、夜陰に紛れて蜂起するや城内の主立つ守将を惨殺し、国主である斉藤竜興を追放。同時に「西美濃三人衆」の軍勢を城内に引き入れ、一夜にして稲葉山城を乗っ取ってしまったのである。


 無論、小一郎も藤吉朗も、半兵衛がどのような手段でそれを成し遂げたのかまでは想像もつかない。しかし、半兵衛がやった事がいかに困難であるかということは、ただちに理解できた。喩えるなら、信長が住む小牧山に乗り込んで信長を追い出し、城を占拠するようなものなのである。戦時でないときの城の守備兵がどれほど過少であったにせよ、生半可な覚悟でできることではなく、それをやってしまえる度胸と実行力というのは尋常ではない。


「凄まじいじゃろ?」


 藤吉朗は、その「偉業」を手放して褒めちぎっている。


「なぜじゃ・・・?」


 小一郎は、当然の疑問を口にした。


「なぜ半兵衛ちゅう人は、そんな大それたことをやっちまったんじゃ?」


「そりゃお前・・・・・」


 と、言いかけた藤吉朗は、ふと我に返ったように口を噤んだ。


 なぜ――?

 その疑問は、この場にいる誰もが解けはしなかった。



 美濃の主城である稲葉山城が、すでに落ちているという状況は、近隣の諸国に巨大な影響を与えた。

 とりわけ反応が早かったのが、他ならぬ信長である。

 信長は、稲葉山城陥落の情報が確かなものだと確信すると、すぐさま半兵衛へと使者を送った。

 稲葉山城を売れ、というのである。


「稲葉山城を明け渡してくれるなら、2郡10万石を与え、貴殿を織田家の重臣として迎えよう」


 使者をして、信長は説いた。

 しかし、半兵衛は応じない。


「主家の城を他国に売るなど、そんな恥知らずなことができようはずがない」


 けんもほろろに使者を追い返してしまった。

 信長は、この半兵衛の対応を外交交渉の駆け引きであると思ったらしい。何度も使いを送り、ついには、


「稲葉山城を明け渡してくれれば、美濃半国を与える」


 という条件まで出して半兵衛を誘った。


「上総介殿(信長)は、なにやらお考え違いをなされておるようですな」


 使者に対し、半兵衛は苦笑した。


「そもそも私が稲葉山城を奪ったのは、斉藤竜興殿の日ごろの行いに反省を促すためであって、欲による行動ではないのです。上総介殿は美濃半国で城を譲れと言われるが、それが喩え日本半国であったとしても、私の気持ちは変るものではありません。稲葉山城は、近々のうちに持ち主に返すつもりです」


「『譲らぬというなら、攻め潰す』と、上総介殿は申されておりましたぞ」


 と使者が脅すと、


「攻め寄せて参ると申されるなら、ご随意になされるが良い。この半兵衛、弓矢にてお相手つかまつりましょう」


 臆する風もなく、昂然と言い切ったという。


 当然だが、この半兵衛の言動は、たちまち織田家中に知れ渡った。



(竹中半兵衛っちゅうのは、いったいどんな男や・・・)


 話を伝え聞いた小一郎は、唖然とした。

 時代は、下克上の気運が最高潮に達している戦国乱世の真っ只中である。天下がことごとく乱れ、骨肉相食むような戦乱に明け暮れるこのご時世に、「主君を諌めるために城を奪う」という発想自体が、そもそもあり得ないではないか。


(損得の勘定が、それではまるで合わんぞ・・・)


 半兵衛は、たとえ城を返したとしても、斉藤家に居続けることはできないであろう。主君 斉藤竜興の武士としての面目をこれ以上ないほどに傷つけたのだから、竜興は半兵衛を生かしておかないであろうし、半兵衛の一族郎党が無事で済むとも思われない。理由をどうつけようが、半兵衛のやった主城の乗っ取りというのは純然とした謀反なのである。

 身の危険を賭け、謀反をした以上、後戻りはできない。こうなれば自分と城をいかに高く売るかというのを考えるのが人として当然であり、であればこそ、命を賭ける価値もあるというものであろう。


(救いがたい阿呆か、よほどの変わり者であるらしい・・・)


 小一郎とすれば、そう思わざるを得ない。



 半兵衛は、半年ほど稲葉山城を占拠し続けた。

 大名として寺社の所領を安堵したり、城下町の行政を行ったりしているから、事実上の完全占拠であり、この間、美濃の国主であったという言い方をしても差し支えないであろう。そういう行政をこなしながら、半兵衛は信長との交渉の情報を世間にばら撒き、国主である斉藤竜興を慌てさせた。

 斉藤竜興とすれば、敵の信長に稲葉山城を売られてはかなわない。半兵衛に対して下手に出、どうにか稲葉山城を返してくれるよう泣きついた。


 こうなれば、半兵衛の思う壺である。


 半兵衛は、竹中家の家督を弟に譲って半兵衛自身が美濃を去ることを条件に、すべてを水に流し、竹中一族や「乗っ取り事件」に関与した「西美濃三人衆」を含むすべての関係者に一切報復をしないという約束を竜興との間に取り付け、その約束を美濃の国中の有力武将たちにも承知させ、城を引き取ってくれるよう懇請すると、城内を掃き清め、家財宝物には指一本触れないままに城を捨て、夜陰に紛れて何処ともなく姿を消してしまったのである。


 竹中半兵衛という男は、こうして鮮やかに歴史の表舞台から消えた。



「竹中半兵衛っちゅうのは、奇妙なお人じゃのぉ。なにゆえ城を返してしもうたのじゃろう?」


 その風聞が小牧まで伝わってきたとき、小一郎は兄に尋ねてみた。


「他に道はありゃせんわさ」


 藤吉朗は、さも当然と言わんばかりの表情で答えた。


「考えてもみよ、小一郎。お前なら、主家の城を奪ってそれを敵に売るような男を、家来に抱えたとして、信用できるか?」


「それは・・・・・」


 できない、と小一郎は思った。そのような腹黒い男を家来に持っては、いつ何時自分が寝首を掻かれるか知れたものではない。


「竹中半兵衛っちゅう仁は、怖ろしいほど頭の切れるお人じゃぞ」


 藤吉朗は辺りを憚るように小声になって続けた。


「信長さまは、欲深い男を何よりも嫌いなさる。もし半兵衛殿が信長さまの誘いに乗り、稲葉山城を売っておれば、信長さまは城を受け取った後、必ず半兵衛殿を殺したであろう」


 半兵衛殿は、そこまで見抜いておったに違いない、と藤吉朗は断言した。


「半兵衛殿にすりゃぁ、城を捨てて退散するが、まず一番賢い選択っちゅうことになるわさ」


「じゃが、それでは・・・・」


 そもそも何のために城を奪ったのか解らないではないか――

 小一郎が言うと、藤吉朗は小一郎がまったく思いもかけなかったことを言い始めた。


「美濃 斉藤家は、遠からず滅ぶ」


 藤吉朗はそう言い切った。


「もともと斉藤竜興という主君には人望がない。そこにもってきて半兵衛殿が稲葉山城を奪い、それに『西美濃三人衆』が手を貸した。美濃の西では小名たちがすでに斉藤家の支配を脱したようになっておるし、信長さまは今回のことで動揺しておる東美濃を攻めるおつもりでおらっしゃる。半兵衛殿の城取りは、結果として斉藤家の滅びを早めたわけじゃな」


「・・・・つまり?」


「半兵衛殿は、斉藤家に見切りをつけたのであろう。沈む船に乗っておるほど愚かなことはないちゅうこっちゃ。もちろん、城を奪ったのは、斉藤竜興殿の素行を諌めたかったっちゅうのも本心ではあるじゃろう」


 しかし、と藤吉朗は唇を舐め、


「やはり、斉藤家を見捨てた、ちゅうのが一番の理由じゃとわしは思う。斉藤家を去るにあたり、半兵衛殿はきっと、自分の智謀と力とを、世間に対して見せつけておきたかったのよ」


 藤吉朗のこの解釈は、小一郎がまったく考えも及ばぬものであった。


(・・・半兵衛も半兵衛なら、兄者も兄者じゃ・・・・)


 小一郎は、兄の人間というものに対する理解の深さに呆然とした。





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