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王佐の才  作者: 堀井俊貴
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第21話 利休茶話(4)

 茶室の中の話を、あるいは聞いていたのかもしれない。


 小一郎らの話が一段落し、座にしばしの沈黙が訪れたとき、上座の横手に設けられているごく普通の入り口――茶道口という――の戸が静かに開き、主人と思しき年配の男がそこに現れた。


「本日はお運びをいただきまして、誠にありがとうございます。あるじの善左衛門と申します。木下さまと竹中さまにおかれましては、お初にお目に掛かります」


 両手をついて土下座にも近いような辞儀をした。


「こちらこそ、突然お邪魔をいたしまして・・・」


 ごく自然な感情として年長者を敬う気持ちが強い小一郎は、自分の倍は生きているであろう初老の男のその辞儀の丁重さにすっかり恐縮してしまった。


「お運びいただいたご用向きはご用向きとしてあらはりましょうし、ご多忙のこととは思いますのですが、もしお手持ちのお暇が許しますなら、お膳をご用意いたしましたので、まずはそちらを召し上がっていただきたく思うております。よろしおすか?」


 茶になるものとばかり思っていた小一郎は驚いた。

 どうも、食事が先であるらしい。


「お呼ばれさせていただきましょう」


 半兵衛が絶妙のタイミングで機先を制して言ってくれたので、小一郎はそれ以上まごつかずに済んだ。


「わしらのことは、お気になさらなくとも結構でございます。遠慮なくいただかせてもらいます」


「では・・・」


 善左衛門が一礼すると、その背後から人数分の膳をもった下男が現れ、それぞれの座の前に膳を据えて去った。

 見事な朱塗りの折敷に大ぶりの飯椀、汁椀が乗り、向付けには蛸の酢の物と山菜、野菜の煮付けなどが置かれ、さらに酒器がついている。


「まずは、一献・・・・」


 善左衛門が酒次をもって進み出てきたので、小一郎はあわてて盃を取った。


「痛み入ります」


 返事をしながら、小一郎の気分は重い。


(京はしきたりに煩い土地柄という話じゃが・・・わしゃ飯の食い方の作法なんぞは知らんぞ・・・)


 室町風の作法において、食事の仕方というのは、箸をつける順番から椀の持ち方に到るまで非常に煩瑣な決まりがあるらしいのだが、百姓育ちの小一郎がそんなものを知っているわけがない。こういうところを1つとっても、武家としての正規の教育を受けてないことへの劣等感が、どうしても小一郎にはある。


(わしが恥をかく分にはええが、わしの恥が兄者の恥になり、ひいては織田家の恥にならんとも限らんではないか・・・)


 そう考えると、人一倍責任感の強い小一郎が心休まるはずもない。


(こんなことなら、飯の食い方まで半兵衛殿に教わっておきゃぁよかったわ)


 とは思うが、後の祭りである。

 そんな小一郎の気持ちを見透かしたように、


「お気楽に――楽しまれればよろしいのです」


 半兵衛が静かに言ってくれた。


「茶室の中では、地位や身分はいらぬものと先ほど山上殿も申されておりました。小一郎殿は、ただ小一郎殿であればよい。飾ることもへつらうことも媚びることも、ご無用になされよ」


「左様でございますとも。どうかお気をくつろげになってくだはりませ」


 善左衛門も柔和な笑顔でそれに和した。

 ここまで言ってもらって、ようやく小一郎も腹が据わった。


「精進料理とは申せぬようになってしまいますが、お客さまがお武家さまということもございまして、汁の実は特別に鶴を使ってみました。お口に合いますとよろしいんですけど・・・」


 木地の丸盆の飯器おひつから、善左衛門が手づから飯をよそいながら言った。


「ご馳走になります」


 汁、飯、向付けと、小一郎は思い通りに箸をつけ、バリバリと大胆に咀嚼し、嚥下した。

 その味は、これまで食べたどんな料理よりも薄かった。汁にせよ向付けにせよ、わずかな出汁(ダシ)の風味と塩味があるだけで、味などほとんどついていないのである。これは素材の味を楽しむという京の食文化がそうさせているのだが、小一郎は尾張生まれの尾張育ち――いわゆる豆味噌の文化圏で生きてきたわけで、料理の味といえばくどいほどに濃いのが当たり前だったから、そのギャップには少々驚かされ、


(京風とは、このようなものか・・・)


 と、へんに感心したりした。


 善左衛門と宗易は、商売人であるだけに座持ちに抜かりがなく、当たり障りない話題を上手に繋いで小一郎らを飽きさせなかった。食事をあらかた片付け、酒を2杯、3杯と重ね、食後の菓子が出される頃になると、小一郎も気持ちに多少の余裕が持てるようになり、座の雰囲気も随分と和んだものになってきた。


「さて、では、このあたりでしばらくお時間を頂戴しまして、座を改めとうございます」


 キリも良しと見たのであろう、善左衛門が言った。

 が、当然だが、小一郎にはどうすればいいのかが解らない。


「茶を点てる支度をさせていただきますよってに、しばしのご猶予をいただきたいのでございます」


 善左衛門が言い終わらぬうちに、にじり口の戸が静かに開き、山上宗二が顔をのぞかせた。


「木下さま、竹中さま、一度お外の方にお出ましくださいますように」


 そう言われれば、言葉に従うしかない。


(茶を一杯飲むだけやというのに、えらい面倒な手順がいるもんや・・・)


 そういうものかと思いながら、小一郎は半兵衛に続いてにじり口を抜けた。


 真冬の外の空気は凛として清々しいが、茶室の中の暖かさに慣れた身体には少々寒すぎるようであった。

 山上宗二の案内で先ほどの外腰掛まで戻ると、たっぷりと炭が入った大きな火鉢が席にそれぞれ用意されており、それで暖を取れるようにしてあった。ちゃんと考えてくれているらしい。


「茶を一杯飲むのにも、えらい手間が掛かるもんですなぁ・・・」


 とりあえず席に腰を落ち着け、一息ついた小一郎の口から、思わず本音がポロリとこぼれた。茶室という一種の「異界」から元の世界に戻ってきたという開放感と安堵感がそうさせたのかもしれない。


「何もかもが初めて尽くしですから、これはこれで面白くはありますね」


 何事にも好奇心の強い半兵衛は、初体験、新発見の連続に上機嫌なようである。顔色も心なしか良くなっているように思える。


「お膳の方は、ご満足いただけましたか?」


 宗二が客の反応を計るように聞いた。


「堪能させていただきました。京風の味付けというのは、尾張あたりの田舎料理とはえらい違うもんですなぁ。それに、酒。酒の違いにも驚かされました。都人というのは、美味い酒を飲んでおられるもんじゃ」


 小一郎にとって酒といえばもっぱら乳白色の濁酒どぶろく――酢のような風味のドロっとした気の抜けた酒――だったのだが、先ほど出されたのは無色透明の清酒で、そのことにも小一郎は小さな衝撃を受けていた。京や堺の富商ともなると、田舎侍とは飲む酒までがまったく違うのである。


「それにつけても、堺や京の大商人ちゅうのは、大層なものだとつくづく思い知らされました。この乱世に、千金の銭を惜しげもなくはたいて茶器を購うっちゅうのは、わしなぞには思いも及びませんで。どうも住む世界からして違うようですなぁ」


 小一郎が苦笑すると、


「我らは同じ千金の銭を叩いて刀槍や馬、鉄砲なぞを購い、それを殺し合いに使う――どちらの業がより深いかは、難しいところです」


 露地の茂みを眺めていた半兵衛が静かに言った。

 含みのある言葉だが、そのことについては小一郎は深く考える気になれなかった。そこにこだわってしまえば、職業軍人である侍などという稼業は一日もやっていられなくなる。


「信長さまの天下布武が成り、この乱世が静まれば、わしらでも茶を楽しむようなゆとりが持てるようになるのかもしれませぬが、茶道具があのように高値こうじきでは、やはり無理でしょうかなぁ」


「京の南郊にある宇治というところが茶の産地であると小耳に挟んだことがありますが、茶の葉の値段は、同じ重さの黄金こがねほどもするのだそうです。道具の値段を考えずとも、我らにとっては贅沢すぎる遊びということになりますね」


 小一郎の感覚では、そんな余分な銭があれば一粒でも多くの米を買い込み、いざというときのために備えておきたいと思う。こういうしみったれた人間にとっては、茶というのは一生縁がないものなのかもしれないが、少なくとも数万石の大名ほどの資金力がなければ、とても茶会などは開けたものではないというのが実感であった。そういうことを考えるにつけ、京や堺の豪商富商が持つ経済力の凄まじさをあらためて思い知らされる。


「『天下布武』と申しますのは――」


 小一郎の言葉に反応するように、宗二が口を挟んだ。


「聞いたところでは、織田さまが印章に用いておられる印文とか・・・。これはやはり、織田さまが天下を取る、という意味でございますのでしょうか?」


「あぁ・・・」


 肯定しようとした小一郎を、半兵衛が眼で制した。


「それは、男子の気概と申すべきものでありましょう」


「ははぁ・・・なるほど、気概・・・」


「左様。現実にはこの京に天子さまあり、また武家の棟梁である公方(将軍)さまがあり、岐阜さまがそれらの権を奪い取ってしまうというようなことができようはずもない。しかし、武門に生を受けた者というのは、誰しもが大なり小なり天下取りの夢を持ち合わせておるものでしてな。なかでも岐阜さまは、四海を覆うほどの気宇の持ち主であられますから、その印文も、おのずと雄々しきものになったのでしょう」


 半兵衛は静かな微笑を湛えて言った。


「ひるがえって言えば、それほどの気炎を持つ男でなくば、衰えた幕権を建て直し、この乱世を取り鎮めるというような難事は、とても手に合わぬということです」


 半兵衛の言葉を聴いて、小一郎は自分の迂闊さに気付いていた。

 信長が天下を取るということは、室町幕府を滅ぼし、足利将軍家を没落させることにも繋がってしまうのである。信長がそこまでの野心を抱いているかどうかは解らないが、どちらにせよ将軍のお膝元であるこの京で軽々に口にすべきことではないだろう。


「なるほど・・・確かに海内を呑み尽くすほどの気概がなければ、この戦国乱世を鎮めることなどできようはずもありませんな。そう思えば、『天下布武』というのは、私のような商人が耳にしても心がざわつくほどの稀にみる見事な印文であるように思えます。いや、織田さまというのは、実に頼もしい大将であられますなぁ」


 納得したのかどうなのか、山上宗二はもっともらしく何度も頷いた。



 四半刻(30分)ほどが経った。

 銅鑼の音の合図があり、山上宗二に先導されて再び茶室に戻ったとき、小一郎は妙な違和感を感じた。先ほど食事をした部屋とは、印象が微妙に違ったからである。

 床の間に掛かっていた掛け軸がなくなっており、花入れには先ほどまでなかった山茶花が一枝生けられている。部屋に漂っていた香りも少し違うように思えるし、なにより部屋全体の光量がぜんぜん違う。さっきより遥かに明るいのである。


 当然それに気付いたのであろう、半兵衛が言った。


「部屋がずいぶんと明るくなりましたな」


「障子窓の外のすだれをはずしましたので。それだけのことでも、気分がいくらか違うものでございましてな」


 上座に座す善左衛門が柔和な笑顔で応えた。


 やがて、小一郎らと対面する席で、宗易が静かに茶を点て始めた。

 静寂の世界に、湯の沸く音と茶筅が茶碗を擦る音だけが、静かに静かに流れてゆく。

 小一郎も半兵衛も、しわぶきひとつせずその所作を見守った。


濃茶こいちゃでございます」


 宗易から茶碗を受け取った善左衛門が、それを小一郎の前に静かに差し出した。


「いただきます」


 茶の飲み方については、四方山話のついでに山上宗二に簡単に教えてもらっている。両手で茶碗をささげるように持った小一郎は、細やかに泡立った濃い緑の液体をゆっくりと一口だけ口に含んだ。

 途端に、濃厚で芳醇な茶の風味が口中に広がる。


(あぁ・・・こりゃ美味い・・・)


 小一郎は素直に思った。

 まろやかで清々しい苦味の中に、ほのかな甘みがある。湯の温度も熱すぎず、ぬるくもなく、舌に実に心地良い。繊細で、清雅で、上品な味わいである。


「結構でございます」


 宗二に教えられた通りの口上を言い、軽く頭を下げた小一郎は、指で茶碗のふちを拭い、そのまま半兵衛の前に置いた。

 半兵衛はそれを受け取り、茶碗に残った茶を口に含み、ゆっくりと嚥下した。


「・・・茶というのは、実に美味しいものですねぇ」


 手の中で茶碗を弄びながら、半兵衛は素朴に感想を口にした。


「お気に召されましたか。されば、もう一服お点ていたしましょう」


 宗易が再び茶碗を受け取り、また茶を点て始める。


「茶と申せば、大和(奈良県)の松永弾正殿が高名ですな」


 ふと思い出した、という風情で半兵衛が言った。


 松永弾正というのは、信長が上洛するまで、三好三人衆と京を奪い合っていた弾正少弼だんじょうしょうひつ松永久秀のことである。従四位下 弾正少弼は唐名を霜台そうだいと言い、上方の人々からはそのようにも尊称されている。


 松永久秀は、13代将軍 足利義輝を殺し、奈良東大寺の大仏殿を焼いたことでも有名な戦国に名だたる大悪党で、元は素性も知れないような下賎の身から這い上がって三好家に右筆(秘書)として仕え、その才腕を認められて瞬く間に累進した。三好家の当主であった三好長慶に取り入ると、同僚朋輩を失脚させ、あるいは謀殺し、主君の親族を仲たがいさせるなど権謀術策の限りを尽くして権力争いを勝ち抜き、ついには家老にまで登り詰め、一時は京都守護として天下に勢威を誇るまでになったが、やがて三好三人衆から憎まれてこれと衝突し、大和を奪って独立の戦国大名になったといういわく付きの男である。織田軍が上洛するやいち早くこれに寝返り、その帰順を許した信長によって大和一国を安堵され、今は織田系列の大名として信貴山城に住んでいる。

 この久秀は、その悪名とは別に文化人としても名が高く、ことに茶の道においては名人級の腕前であるともっぱらの評判だった。織田家で言えば新参の外様大名に過ぎないのだが、前歴が前歴であるだけに非常な有名人で、その噂や逸話は小一郎の耳にまで聞こえているほどなのである。


「聞くところによれば、松永殿は岐阜さま上洛の折り、秘蔵の“つくも茄子なす”とか申す茶道具を差し出すことで本領を安堵されたとか・・・」


 と、半兵衛が言った通りのことをこの松永久秀はやり、信長の機嫌を取って危うく命を助けられたのだった。


「あぁ・・・“つくも茄子”。はいはい、そのように伺っておりますなぁ」


 宗易が柄杓で茶釜の湯をすくいながら言った。


「私のような無粋な田舎者には、その“つくも茄子”の価値がいまひとつ解らぬのですが、やはりそれほどの名物なのですか?」


「それはもう、天下の大名物と呼ぶべき品でありましょうなぁ」


 宗易は手を止めぬまま、



 百年モモトセに 一とせ足らぬ九十九髪ツクモガミ 我を恋ふらし オモカゲにみゆ



 と、歌を詠んだ。


「『伊勢物語』ですね・・・」


 小一郎が一字半句も知らぬ書物の名を、半兵衛はすらすらと口にする。


「はい。その“つくも茄子”、三代将軍 足利義満さまがご秘蔵といわれのある唐物茶入れございましてなぁ。実は、先ほどお話に出ました村田珠光はんが、一時手元に置いておったそうでございますわ」


 村田珠光しゅこう――先刻の宗易の説明によれば、「侘び茶」を創始したという人物である。


「ほぉ・・・そりゃまた奇遇ですなぁ・・・」


 話の意外な展開に、小一郎は驚いた。


「珠光はんがその茶入れを手に入れましたとき、値が九十九貫やったんやそうでございます。そこで、『百貫に 一貫足りぬ』と、先ほどの九十九髪の歌を掛けまして、“つくも茄子”とお名づけにならはったんやとか・・・。その後、“つくも茄子”は人から人へと渡ってゆき、それにつれてどんどんと値もつり上がって、ついには千貫、ニ千貫というところまで上がっていったんやそうでございます。霜台さま(松永久秀)は堺でそれをお手に入れはりましたから、京や堺の茶人なら、誰でもこのあたりの事情は聞き知っておりますわ。そうですなぁ、ご亭主?」


 宗易が同意を求めるように見ると、


「はいはい。よく存じております」


 と、善左衛門は柔和な笑みのままに頷いた。

 尾張や美濃あたりの田舎とは違い、文化が華やいでいるこの上方では、こういう芸能を通じた人脈が実に豊かであるらしい。


「霜台さまは、その“つくも茄子”の茶入れの他にも“平蜘蛛”と申す茶釜をご秘蔵になっておられましてなぁ。こちらも天下の大名物、これらはもはや、値の付けようもございません。霜台さまにすれば、幾ら積まれても人手に譲る気はなかったですやろからなぁ。もっとも、お命には代えられまへんよってに、織田さまにご献上とあいなったわけでございますけれど・・・」


 茶を点て終えた宗易は茶碗を善左衛門に託し、再び小一郎の前に茶碗が巡ってきた。

 務めてゆっくりと茶を喫しながら、小一郎の心は穏やかではない。


「宗易殿は、松永殿とはお知り合いで?」


 たまらず聞いてしまった。


「はい。霜台さまは、わての師である武野紹鴎じょうおうはんに茶を学ばれておったお人でありますから、私とはいわば相弟子というような間柄でございまして、かれこれ二十年ほどはお付き合いをさせていただいております。こちらのご亭主も、外におる宗二はんも、茶を供にさせていただいたことがございますし、私などは、一昨々年でしたか――多聞山城にお招きを受け、“つくも茄子”、“平蜘蛛”共に、拝見する眼福にもあずからせていただきました。そういうご縁でございますから、霜台さまが織田さまにお許しを頂き、お命を永らえたと聞きましたときには、我がことのように胸を撫で下ろしたもんでございます」


(はぁぁ・・・・)


 松永久秀と宗易の繋がりがあまりに深いので小一郎は驚いたが、考えてみれば、京や堺の豪商富商であれば、近畿を支配していた有力者に繋がりをもっているのはむしろ当たり前であったかもしれない。商売上の権益を守るためにも、商売を有利に運ぶためにも、それらの有力者の庇護を受けるのがもっとも手っ取り早いからである。その意味では、茶という文化の流行は、商人と武家とを結び付けるには格好であったに違いない。


「なるほど・・・面白いですな」


 半兵衛は小一郎から回された茶碗を手に取り、


「では、松永殿と同様に、三好家の方々ともご懇意に?」


 と、問いを重ねた。


「はい。先々代の三好長慶ながよしさまが数寄心の深いお方であったこともありまして、三好家の方々はどなたも茶をよくなさいます。先年、お亡くなりにならはりました三好実休さま(義賢。三好家の当主)はもちろん、ご兄弟の笑岩しょうがんさま(康長)、釣閑ちょうかんさま(政康)などはみなお上手でございましてなぁ。堺では何度か茶席を供にさせていただきました」


「三好勢は岐阜さまの勢いに驚き、ひとまず四国へと落ちたと聞いておりますが、その武威はいささかも衰えたわけではございませぬでしょう。またぞろ京へと攻め寄せて参りましょうが、この畿内が戦火に逢うのは、ご商売の上からも、お二人にとっては心安からぬことでありましょうな」


 半兵衛がわざわざ松永久秀の話題などを持ち出したのは、実はこのあたりのことを聞くことが目的であったのかもしれないと、小一郎は今さらながらに思った。


「左様でございますなぁ・・・」


 どこか楽しげに応える宗易に比して、善左衛門は深刻そうに眉根を寄せた。


「私どもにとりましても、それが何よりの心配事なのでございますよ。公方さまが京にお戻りにならはったのは、これは実に祝着なことではございますのですけど、三好家と将軍家が手切れとなってからというもの、心の休まる間もございません。私などにとりましては、先年までは三好さまとご商売をさせていただいておったわけでございますし・・・・」


「あぁ・・・それでは、織田家の者に米を売るのは、何かと不都合ですか?」


 腹芸の通じない小一郎が素朴に先回りすると、


「いやいや、とんでもない。商いは商いでございます。米の方はもちろん、喜んで売らさせていただきますが――」


 老人は慌てた。


「ご心配をなさらずとも、岐阜さまがおわします限り、三好家の旗がこの京に立つことは二度と再びありはしませんでしょう。善左衛門殿にすれば、三好家にはご懇意になさっておる方も多いのでしょうし、お心の咎めるところもありはしましょうが、ここで織田家に合力をなさったとしても、三好家に義理を欠いたことにはなりますまい」


 半兵衛が言うと、善左衛門は少しばかり顔を赤らめて言葉を失った。

 宗易にせよ善左衛門にせよ、ようするにただの商売人なのである。大名家に忠義を尽くすような立場ではないから、世の武権を誰が握ろうが、商売の障りにさえならなければ知ったことではないのであろう。そういうことが解っていながら、わざわざ「心が咎める」などと綺麗な言葉で飾ってやっているのは半兵衛の優しさと言うべきなのだろうが、そこに少しばかりの皮肉の臭いを小一郎は感じていた。


「話のついでに、ここでそのご商売の話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」


 小一郎が切り出した。

 ここでの雑談は雑談として得るものはたくさんあるのだが、とりあえず本題の米の供給の道筋だけはつけておかねばならないし、その話をするにはちょうど良い按配になってきたように思える。


「あぁ・・・これは失礼を致しました。ご用件をお伺いせねばいけませんでしたのに、ついうっかり長々と無駄話をしてしまいまして・・・」


 善左衛門は恐縮して話を聞く姿勢を取った。

 小一郎が出した条件は、さしあたって千俵、その後は1月に2千俵ずつの米を、期限を設けずに購入し続けたいということと、その代金を年2回の年季払いで支払いたいということであった。


「月に2千俵でございますか」


 善左衛門は拍子抜けしたとでも言うように、


「かしこまりました。その本國寺のそばの寺の方に直接収めればよろしいのでございますな?」


 と実に簡単に請合ってくれた。

 善左衛門が提示した米の値段は、岐阜で買うことを考えれば随分と高かったが、京の相場から見れば至極妥当な値段で、小一郎はとりあえず安堵した。また「年季払い」とはいわば信用取引で、今回のような場合は「現金買い」を条件にされるだろうと小一郎は覚悟していたのだが、その点についても善左衛門は、初対面の小一郎に対してまったく難色を示さなかった。


(京の豪商ともなると、さすがに肝が太いわ・・・)


 内心で呟くと同時に、


(こりゃ、この攝津屋さんに、借りを作ってしもうたなぁ・・・)


 と、小一郎は思ったりしたが、


「織田さまとは、長くお付き合いをさせていただきたいと思っておりますので、何分にも、よろしくお願い申し上げます。また、織田さまのご家中で、他に米をご入用の方があらはりましたら、お気楽に声をお掛けくださいますよう、ご仲介のお骨折りをくだされれば幸甚に存じます」


 深く頭を下げる老人は、さすがに抜け目がなさそうであった。





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