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王佐の才  作者: 堀井俊貴
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第20話 利休茶話(3)

 山上宗二の話では、小一郎らが米問屋 摂津屋を訪ねたとき、ちょうど主人は千宗易という者とこの宗二を客にして茶を喫していたのだという。


「千宗易殿と申しますのは、私と同様、泉州 堺の商人あきんどでございまして、茶の道においては上方でも三指に入る『名人』でございます。私は10年ほど前からこの宗易殿に師事し、茶を学ばせていただいております」


 宗二は少しだけ誇らしげに言った。


「山上殿も堺の商人でありましたか。して、お二人は堺では何を商うておられるのですか?」


 堺といえば、噂で聞く天下第一の大商業都市である。日本の富の何割かがそこには集まり、日本国内はもとより、唐、天竺、果ては南蛮にまで商いの道が通じているという。そこの商人だと言われれば、小一郎としても興味がないではない。


「私の方は、屋号を薩摩屋と申しまして、主に九州や四国の産物を扱っております。お師さん――宗易殿は、主に瀬戸内で獲れた魚やその干物を商っておられ、自ら魚屋ととやとお名乗りになったりもしておりますが、千家の稼業といえば魚よりもむしろ納屋貸し(倉庫業+貿易業)でございましょう」


「堺で納屋貸し・・・といえば、大層な分限(金持ち)なのでしょうねぇ」


 半兵衛が言った。

 この当時、富商といえば、貿易業がまず第一なのである。


「はい。宗易殿は西国に多くの納屋(倉庫)を持ち、堺では会合衆えごうしゅうに名を連ねるほどの力ある商人でございます」


「会合衆・・・?」


 小一郎は聞いたことがなかったのだが、すかさず半兵衛が解説してくれた。


「堺は、世の争いごとから局外中立を守り、どの大名にも治められることのない町です。ですから、町の分限者の中から何人か代表を決め、その代表の合議によって町の仕置き(政治)をしておるらしいのですね。その代表というのが、会合衆とか納屋衆とか言うのだそうです」


「左様でございます」


 宗二が話を引き取った。


「堺には大小合わせれば星の数ほどの商人がおりますが、中でもとりわけ財力、才覚、衆望などに優れた商人が、会合衆、納屋衆に名を連ねることで世話役になり、それぞれ話し合いにて町の仕置きをする決まりになっておるのでございます」


 現代で喩えるなら、さしずめ市会議員のようなものであろう。


「堺の会合衆といえば、世のちっぽけな大名小名よりよほど大きな富を持つと言われておるのですよ。それほどの富がなければ、とても異国との交易などはできはしませんからね」


 半兵衛が言うと、宗二は少しバツが悪そうに笑ったが、否定もしなかった。


「その会合衆、納屋衆というのは、何人くらいおるものなのですか?」


「昔はそれぞれ十人ほどであったと聞いておりますが、一代、二代で富を成したような成り上がりの者が近年では増えて参りまして――会合衆、納屋衆というのは、株さえ買えば誰でもなれるという建前になっておるのでございます――ですから、徐々に増えておりまして、今では合わせると五十人ほどにもなりましょうか・・・」


(大名のような富を持つ者だけで、五十人・・・!)


 商人というのは、貨幣経済が発達し始めたこの百年ばかりの間に台頭してきた新しい階級なのだが、自ら土地を所有して米を作る百姓や武士などの階級からは一等低く見られるというのが一般的な世間の認識であった。しかし、小一郎は――その兄である藤吉朗にも言えることだが――商業経済が非常に発達している先進地域の尾張生まれであり、また生粋の武士であるわけでもなかったから、商人を蔑視するような気分はまったく持っていなかった。

 小一郎にすれば、「大名のような富を持つ商人」と言われればごく素直に感心し、見下すどころか尊敬にも似た感情を抱いてしまうのである。


(堺ちゅう町は、どんだけ力を持っておるじゃ・・・)


 同様に、それほどの商人が集う堺という町の経済力に驚嘆する想いであった。


「ところで、この攝津屋のご主人のことについても少し教えていただいた方がよろしいのではないですか?」


 半兵衛が言ったので、ようやく小一郎は今日ここまで出かけて来た意味を思い出していた。京に長期滞在することになるであろう木下勢のために、継続的に米を供給する道筋を付けるというのがこの訪問のそもそもの目的であり、茶のことも堺のことも、言うなれば事のついでに過ぎなかったのである。


「そうでした、そうでした。これはまったく、えりゃぁ大事なことを失念しておりました」


 小一郎は苦笑し、


「ご亭主であられる摂津屋さんちゅうのは、どのようなお人でござりまするので?」


 と、あらためて宗二に尋ねた。

 宗二は少し考えて、こう答えた。


「摂津屋はんは、三代続いたこの京洛でも指折りの米問屋でございまして、主に摂津や播磨あたりでとれる米を扱っておられるやに聞いております。ご主人の善左衛門殿は、歳の頃はたしか六十に近いご高齢であられるはずですが、実に矍鑠かくしゃくとしていらっしゃいまして、茶数寄にもお志が深く、私どもとも長くお付き合いをさせていただいております。律儀で物堅いお人でございますから、ご商売の相手としても、まず安心して頂いてよろしいかと・・・」


(・・・・?)


 話している宗二の声の後ろで、なにやら水でも撒いているような音が聞こえた。距離的にはごく近く――小一郎らが腰掛けている外腰掛のすぐ裏あたりである。

 小一郎がそちらに視線を飛ばすと、それに気付いた宗二が、


「ご亭主の善左衛門殿が、露地に水を打っておられるのでございましょう。お客さまを気持ち良くお迎えするための支度のひとつでございます」


 と説明してくれた。


「お二方のご訪問が不意のことでございましたので、ご亭主は大変ご苦労をなさっておいでのご様子でございました。お席に入りましたら、どうか慰労の言葉を一言、お掛けになってくださりませ」


 宗二に咎めるような口吻はなく、どちらかと言えば面白がっているような風情である。


 四方山話をしばらく続けるうちに、やがて左手奥の露地の岐路あたりに恰幅の良い年配の男が現れ、こちらに向けて深く辞儀をし、無言のまま再び奥へと消えた。

 それを見た宗二は、


「大変お待たせを致しました。どうやら支度が整うたようでございます。お茶席にご案内致します」


 と言って、二人を導くように飛び石が埋まっている狭い露地をゆるゆると歩きだした。

 小一郎と半兵衛は、宗二についてゆったりと歩を進めてゆく。

 草深い狭い露地を抜けて案内されたのは、四阿(あずまや)と呼ぶのが相応しい小さな小屋であった。桧皮葺の屋根に砂の塗り壁。窓よりかなり低い位置に雨戸のような引き戸がついている。

 宗二はその引き戸を開け、


「これは、にじり口と申します。お履物をお脱ぎになって、ここよりお入りくださいますように・・・」


 と二人にうながした。


「背を屈め、四つんばいにならねば入れぬようになっておるのですか・・・」


 その狭すぎる入り口を見た半兵衛は、わずかに眉根を寄せた。

 考えてみれば、四つんばいになって這うなどというのは武士にとってはよほどみっともない格好であろうし、衆目の中でそんな姿を晒したという経験もおそらく半兵衛にはなかったのだろう。多少の抵抗を感じるのは当然であったかもしれない。


 それと察した宗二が、にじり口を指して言った。


「お茶室には、どのようなお人であっても、裸の心でお入りになっていただけますように、わざわざこのような造作にするのだと、師が申しておりました」


「裸の心――ですか?」


 小一郎には、その意味するところが解らなかった。


「お茶室には、私どものような商人や市井の者も入りますが、お武家さまもお入りになりますし、有難いお坊さまもお入りになれば、(かしこ)きお公卿さまがお入りになることもございます。しかし、ご存知かとは思いますが、お茶室の中というのは浮世とは違いまして、人には『亭主』と『客』ということしかございません。世のしがらみを離れたところにあるのが、お茶室というものなのでございます。ですから、頭を低くし、身を屈め、このにじり口をくぐっていただくことで、お客さまには纏っておる浮世のご身分を、衣を脱ぐように脱いでいただくのでございます。浮世の衣を脱ぎ捨てて、裸の心になってお茶室にお入りいただいてはじめて、まことの主客の交歓ができると申せましょうし、そこにこそ茶の心の真髄があるのだと、私どもは考えるのでございます」


「・・・面白いものの考え方をするものですねぇ」


 半兵衛が思案気に口をひらいた。


「つまるところ――織田家の臣 竹中重治としてではなく、ただの半兵衛として茶室に入れ、と――こう申されておるのですね?」


「左様でございます。ひとたびこのにじり口をくぐりましたならば、お武家さまもお公卿さまもございませんし、商人も百姓も同じと思し召されませ。一個の人間――ただそれだけにございます。お入りになるのに、躊躇われますか?」


 宗二が聞いたとき、すでに半兵衛の表情からは不快そうな陰は消えていた。


「いえいえ。小一郎殿、お邪魔させていただきましょう」


 もとより小一郎に異存はない。

 二人は身を屈め、膝を折って狭いにじり口を抜けた。


 小屋の外観からの想像通り、内部はごく狭い。青畳の香りも清々しい4畳半の小座敷で、部屋の中央には炉が切られ、自在鍵で釣られた釜から湯が沸き立つ音がかすかに聞こえている。床の間があるから、向かって右奥の席が上座ということになるのだろう。

 小一郎らの正面の席に、黒い陰のような男が端座していた。墨染めの十徳に同色の頭巾をかぶった痩せた四十男である。瞑目して座っていたのだが、入って来た二人の気配を察したのか、両手を腿に置いたまま深く深く頭を下げた。


「お初にお目に掛かります。魚屋ととやの宗易と申します。本日は、ご縁がありまして、亭主に代わって茶頭を務めさせていただきます」


 目を薄く開いた男の眼光が妙に鋭くて、小一郎は少したじろいだ。

 炉を挟んで自分の対面の席を指した男は、


「どうぞそちらにお座りくださいますように。じき亭主が挨拶にみえると思いますので、それまでお楽になさってくださいませ」


 とうながした。


「今日は寒さが身にこたえましたが、このお茶室は暖かくて、生き返った心地が致しますなぁ」


 適当な場繋ぎの言葉を吐きながら、正座をすべきか胡坐あぐらで座るべきか、小一郎は迷った。男が正座をしている以上、こちらもそうすべきかと思ったのである。

 すると半兵衛が、小一郎の隣で何の迷いもなくどっかりと胡坐をかいた。


「左様ですな。茶室がこれほど暖かいというのは存じませなんだ。私も岐阜に戻りましたら、さっそく屋敷に茶室を設け、冬はそこに篭るとしましょう」


「それは名案ですなぁ」


 半兵衛の助け船に笑顔で謝し、小一郎は胡坐で席についた。


「このような狭い部屋で湯を沸かしておりますから、冬は大層過ごしやすいものでございます。けれど、夏は大変――」


 男は皺深い笑みを作った。


「先ほど山上殿に伺うたところでは、宗易殿は、堺の会合衆を務めていらっしゃるそうですなぁ」


「へぇ・・・及ばずながら末席に名を置かせていただいております」


「堺でもこのようなお茶室を、お屋敷の中に持っておられるのでしょうなぁ」


「このお茶室ほど立派なものではございませんが、拙宅にも『不審庵ふしんあん』と名づけましたる四阿(あずまや)がございます」


「それも、やはり『市中の山居』と申すものなので?」


 小一郎は――兄の藤吉朗ほどではないにせよ――座持ちが上手く、何より聞き上手な男であった。適当な話題を探しては相手に自然に話を振り、どんな話題でも興味深そうに全身で耳を傾けるようなところがあるから、小一郎を前にする人間はついつい口が滑らかになってゆく。


「左様でございます。・・・もっとも、近頃は、『市中の山居』という言葉自体がずいぶんと安売りされておるようでございましてなぁ。猫も杓子も――茶を知らん者どころか、堺に居ります異国の者さえもがその言葉を使っておるほどでございまして、今さら有難いモノでも珍しいモノでもあらしまへんのですわ。まぁ、山里の侘び暮らしこそが侘び茶の理想――と、茶を志す者の多くは考えておるようでございますし、流行り(すた)りに文句を言うても詮無いことではございますけど――」


 男はどこか人事のような口ぶりで言った。

 茶の世界の現状に、何かしら腹に一家言あるのであろう。

 しかし、突っ込んだ深い話ができるような小一郎ではもちろんないから、とっさに話の方向を捻じ曲げた。


「先ほど山上殿に教えていただいたのですが、宗易殿は上方でも三指に入る茶の『名人』でいらしゃるとか。『名人』ともなると、唐物の名物といわれるような茶器をお持ちになっていらっしゃるそうですが、そういったモノは、いったいどれほどの値の付くものなのですか?」


 我ながら下世話だとは思ったが、まだしもこの手の経済的な話の方が親しみやすいし、ついてもいけるであろう。それに、茶がどれほど銭の掛かるものなのか、というのは、興味がないでもない。


 突然の小一郎の質問にも、男はさして動じない。


「そういったモノは、相場などあってないようなものでございましてなぁ。良いモノは天井知らずの値がつくものでございますし、いずれ千金万石が当たり前という世界でございますから・・・」


 眉一つ動かさずに応えた。


「せ、千金万石が、当たり前ですか・・・!」


 千金万石といえば、銭なら千貫、米なら万石という意味である。

 ちなみに一万石の米というのは米俵2万5千俵(1500t)に相当し、1俵(60kg)=1万2千円として現在の貨幣に単純に直すと3億円ほどの価値ということになり、このときの小一郎の年収(約400石)の25倍に当たる。


(たかが茶碗、たかが花瓶に・・・万石ってか・・・!)


 正直なところ、少々肝を潰した。

 これが、どうやら堺の富商の実力であるらしい。


「一度お聴きしてみたいと思っておったのですが――」


 それまで黙って二人のやり取りに聞き入っていた半兵衛が、不意に割って入ってきた。


「茶を志す多くの者にとって、山里の侘び暮らしこそが侘び茶の理想――と、先ほど宗易殿は申されましたが、そもそも千金万石という高値こうじきな茶器を抱えた暮らしを『侘び』とは普通は申しますまい。侘び茶では、そういったものを理想とされるのですか?」


「これは鋭い――良いところを突かれますなぁ」


 男はどこか楽しげに笑った。


 半兵衛に指摘され、小一郎ははじめて気がついた。

 目玉が飛び出るほどの高額な茶道具をもったまま「侘び暮らし」をするというのは、そもそもが矛盾なのである。宗二は確か「名人」の条件の1つとして「名物茶器を所持していなければならない」という一項を挙げたのだが、言われてみればどうもそのあたりがすっきりしない。別に道具などに関係なく「名人」は「名人」であるように思えるし、山里の侘び暮らしに名物茶器が必要であるとも思えない。


「侘び茶と申しますのは――別に『無一物の茶』、『貧しい茶』という意味ではあらしまへんのですけど、どうも素人さんにはこのあたりのことが解りにくいようですなぁ」


 小一郎の思案を見透かしたように、男はゆったりと言った。


「そもそも『侘び茶』と申しますのは、たかだかこの五十年ほどの間に生まれた新しき茶の形でございましてなぁ。それより昔は、茶といえばもっぱら『唐物からもの数寄すき』――唐物名物をいくつも並べたそれは豪華な殿中茶湯が中心でございました。けれど、どれほど立派なお食事でも3度も続けば食べ飽きますように、あれも美しい、これも美しい、右を見ても左を見ても皆美しいという中に囲まれておれば、かえってモノの美しさというものは解らんようになるもんでございます」


 男はそこで瞑目し、よく錆びた声で抑揚をつけて歌を詠んだ。



 見わたせば 花も紅葉もなかりけり 浦のとま屋の秋の夕暮れ



「・・・『新古今』の“三夕さんせき”――定家(藤原定家)ですね」


 半兵衛が即答した。


「別に高価なモノを並べずとも、枯淡なもののなかにも昔から人に愛されて来た『美』はございます。私の師であった武野紹鴎たけの じょうおうと申します方などは、この定家の歌を『侘び茶の心』と説いておられました。『侘び』と申しますのは、突き詰めれば、このような『枯淡の美』を感じ味わうことでございましょう。ですから『侘び茶』と申せば、茶の中で『枯淡の美』を見出す作業ということに相成るわけでございます」


「なるほど・・・」


 半兵衛は深く頷いた。


「たとえば・・・私の師の師――『侘び茶』をお始めになられた方と申し上げた方がよろしいかもしれませんが――村田珠光むらた しゅこうと申される方は、このあたりのことを『藁屋に名馬の繋ぎたるが良し』などと言うておられたと聞いております」


 今にも倒れそうな傾いた藁葺きの掘っ立て小屋に、千金の名馬が無造作に繋がれているという風景を指しているらしい。なるほど景色としてはコントラストが面白いし、その「藁屋」に住んでいる男は極貧の生活をしながら千金の名馬を養っていることになるわけで、その男の生き様そのものが、味わい深いものであるようにも思える。


「なるほどぉ。山里の侘び暮らしの中に千金の名物があるという風景も、その『藁屋に名馬の繋ぎたる』ようなものであると申されるわけですな。それが、『侘び茶』の真髄であると・・・」


 小一郎が得心したように言うと、


「それが、『村田珠光の茶』ということでございますなぁ。珠光に『珠光の茶』があり、紹鴎に『紹鴎の茶』があったように、この宗易にも『宗易の茶』がございます」


 それをたしなめるように男が応えた。

 そう簡単に解られては困るとでも言いたげである。


「禅匠に禅風があるように、『名人』と呼ばれるほどの茶人には、それぞれの茶風があると申されておるのですよ。『侘び茶』と一言で申しても、同じではないと。『侘び茶の理想』などというものを問うた私の方が、間違っておったようです」


 半兵衛は、どうやらもう解っているらしい。


「何を美しいと感じるか――どこに『美』を見出すか――これは、人それぞれ。茶人はただ、己の感じる『美』をいかにして他人に味わっていただくか、ということに心血を注ぐもんでございます。ですから、茶の手前――美しい作法も大事でございますし、名物を見て、確かにそれが美しいと感じる眼もまた大事。眼を肥えさせるためには、多くの名物に実際に触れ、深く親しみ、その名物が持つ『美』を己のものとしてしまうことがやはり必要になって参ります」


「名物の『美』を、己のものに・・・?」


「お話が少しばかり難しゅうなって参りましたかなぁ」


 男は鈍く笑った。


「名物名物とたいそうに申しますが、たとえ千金の名物でも、己の感じる『美』を表現するための道具の1つに過ぎんということでございます。たとえばその花器――」


 男は墨染めの十徳の袖をふわりと翻し、床の間に飾られている青磁の花入れを指した。


「あの花入れが万石の値のするものであったとして――」


 今度は何も持ってない右手を前にかざした。


「ここに、わてが竹を削って作ったタダ同然の花入れがあったとする」


 男は静かな表情のまま淡々と言葉を並べてゆく。


「たとえばこのお茶室で、今から私が亭主となって茶会を開くとして、私の表現したい『美』にとってあの青磁の花入れよりこの竹の花入れが必要であると私が感じたなら、あの青磁の花入れには1文の価値もないということでございます。その名物が幾らのモンかとか、そういったことは関係ないんですなぁ。名物の『美』を己のもんにするというのは、言葉で解りやすく言えばそういうことになるんでございましょうか。少し違うようにも思えますけれど・・・」


「あぁ・・・なるほど・・・」


 名物が持つの世俗的な価値にとらわれず、その名物の「美」のみを自由自在に扱える心の境地を得た者こそが「名人」であり、そういう境地を得るためにこそ名物茶器を所持していることが必要であり、また、そういう境地を得た者であればこそ、名物茶器を所持していることに意味と価値があるのだと言いたいのであろう。

 所持者がただの蒐集者コレクターでは、意味がないのである。

 なぜなら、千金の名物があるというその事実だけでは、その名物には世俗的な――これは幾らする高価な茶器である、というような――価値しかない。しかし、その名物を「名人」が道具として使いこなし、「茶」という空間の中で生かすことができれば、そこには「全体の中の美」、「調和の中の美」といった名物の「個」の属性とはまったく違った価値が発生してくるからである。


「『名人』ともなれば、名物の(あたい)なぞは関係ないですか・・・」


「左様でございますなぁ。道具に振り回されて『己の茶』が成らんようでは、話になりまへんよってに・・・」


 小一郎は、目の前の人物が紛れもない「名人」であるということを再認識させられた。


「もう1つ言だけわせていただくなら――『名人』ともなれば、道具をどう生かすか、というだけではいけまへんわなぁ。これはいずれの芸能でも同じこととは思いますが、たとえば茶なら、『茶という型』の中で己自身をいかに生かすか、ということが成ってはじめて『名人』と申せるのではあらしまへんやろか」


「・・・はぁ」


 小一郎は不安げに眉根を寄せた。もうほとんどパンク寸前になっているのだが、今回は男の言うことが抽象的に過ぎて、今までに輪をかけて解りにくい。

 脂汗を流している小一郎を見かねたのであろう、半兵衛が親切にも助け舟を出してくれた。


「たとえば――幸若舞などでお考えになれば解り良いかもしれませんね。同じ面を被り、同じ衣装をつけて同じ演目を演じたとしても、役者が違えばまったく違った舞いになりますでしょう? 岐阜さま(信長)と小一郎殿が同じ舞いの技巧を持っておったとして、同じ『敦盛』を舞ったとしても、それを見る者はお二人の舞いの違いに必ず気がつきます。技巧が同じであるのにそこに現れ出る違いとは、演じておる者それぞれの『人』の違いと申すほかない」


「わしは歌舞音曲の類はからきしでござりまするよ・・・」


 小一郎は思わず苦笑したが、その解りやすい喩えに心底感謝していた。


 まったく同じ動作をしていても、そこには個人個人が持っている内面的なものがにじみ出る、ということであろう。むしろ、そこに現れてくる違いこそが、好悪や善し悪し、属性や階級などの表面的な部分を超越した本当の意味での人の「個性」――この時代に「個性」などという言葉はなかったが――なのである。


 これを茶に置き換えて考えれば、どんな道具を使おうが、どんな舞台装置の中で点てようが、茶は、その点てる茶人が持つ「個性」によって最後は決まってくるということになるのであろう。

 千金の名物をただの道具として扱い、様々な道具や舞台装置が持つ『美』を己の美意識に沿った形で自在に織り上げ、組み木細工のように組み上げ、「茶」という空間を「己の個性」という筆でもって様々に描き上げ、客に伝えることができる者こそが真の「名人」だと、この黒衣の男は言っているのである。


 小一郎の思考はここまで論理的ではなかったが、感覚的な部分で少しだけ思い至ったような気がしていた。


「ようは、最後は『人』、ということになりますか」


 その小一郎を横目で見ながら、半兵衛が確認するように聞いた。


「はい」


 男は楽しげに頷いた。


「なるほど」


 半兵衛も妙にすっきりした顔をしている。

 なんだか一人置いてけぼりにされたような小一郎ではあったが、それでも内心は悪い気分でもなかった。


「いずれの道においても、『名人』と呼ばれるほどの方のお話というのは、なかなか趣きの深いものでございますなぁ」


 心から言った。



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