第2話 稲葉山城乗っ取り事件(1)
平成7年に愛知県小牧市で行われた小牧中学校用地の発掘調査で、小牧山の南麓に城下町が存在していたことが実証された。
これこそが、この時期――永禄6年から7年ごろ(1563〜1564)――に作られていた織田家の新しい本拠である。
小牧山というのは、広々とした地勢が続く濃尾平野の東部にこんもりと盛り上がった独立峰で、標高はわずか86m。尾張の中心に位置する清洲から見て、地理的には12kmほど北になる。
信長が本拠を移す前の小牧山の周辺というのは、狼や狐が住むような手付かずの原野であった。小牧山の山頂に本丸御殿が完成し、信長がそこに腰を据えたのがわずか半年前である。休むことなく普請は続けられているが、二の丸、三の丸をはじめとする五段構えの郭輪は造成工事の途中で石垣さえ積まれておらず、二重に穿たれた堀だけが辛うじてこの城の防御力を高めているものの、完成にはほど遠い状態であった。
小牧山の南斜面に大手道が通され、北側に搦手道が作られている。山麓から見上げると、大手道に添うように織田家の重臣たちの屋敷が建ち並んでいるのが解る。序列によって屋敷地が割り振られているから、山頂に近いほど屋敷の規模が大きくなってゆく。
中腹に拓かれた広場は、馬場である。信長の馬好きというのは女性が貴金属を愛するよりも甚だしかったようで、本丸御殿の建設と平行して真っ先にこの馬場が作られた。その周辺には――天然のモノを植え替えたのであろう――見事な桜の並木があり、薄紅色の蕾を膨らませている。
侍たちが住んでいたであろう武家屋敷群は、堀と土塁で囲まれ、そのものが防御陣地として機能するよう設計されている。小牧山のすぐ麓にあり、これを過ぎると足軽や雑兵たちが暮らす長屋が建ち並び、さらに無数の商工業者たちが居住していたであろう地域に入ってゆく。首都移転の好景気に沸くこの辺りというのは、凄まじいほどの活気で溢れ、ひっきりなしにノミと槌の音が響き、往来は人と馬と車でごった返し、縁日のような喧騒に包まれていた。
その喧騒の中を、一人の青年がキビキビとよどみなく歩いてゆく。
なかなか福相な男で、目と耳が大きく、眉に力があり、頬も豊かである。口元が引き締まっているのは律儀で実直そうな感じを受けるし、陽によく焼けた顔はいかにも健全そうに見える。
歳は、まだ若い。今年で25歳である。
中肉にして中背。着ている物は粗末だが、不潔な感じがないのは洗濯がきちんとなされているからだろう。塗りの剥げた大小を帯に差し込んでいるところを見ると武士ではあるらしいのだが、刀の腰の納まりがいかにも不恰好で、見る者が見れば武家の育ちでないことは一目で知れる。
この男、名を木下小一郎という。
この青年が、現代において、いったいどれほどの知名度を持っているのか、筆者は知らない。非常に有名であるようにも思えるのだが、この人に直接関係する資料がほとんど残っておらず、詳細な研究もあまりなされていないという意味では、それほど知られていない人物という言い方もできるかもしれない。
その晩年の官位は、従二位 権大納言。大和(奈良県)郡山城を本拠としたことから、人はこの男を「大和大納言」と呼ぶことになる。大和、和泉(大阪府の一部)、紀伊(和歌山県)で総計110万石を越える領地を持っていたと言われているが、80万石だったという説もあり、正確にはよく解らない。
その頃の名を豊臣秀長と言い、あの豊臣秀吉の弟だと付け加えれば、読者もお解りになるかもしれない。
が、30年も先の話は、ここではどうでも良い。
小一郎にとっての目下の感心は、
(あの稲葉山城が落ちたというのは、本当か・・・?)
ということであった。
小一郎は、ここ3年の間、織田家の足軽組頭である兄に従って毎年のように美濃へ出陣し、稲葉山を目指して進んだが、美濃勢の攻撃によって常に蹴散らされ、転がるように逃げ帰っていた。一昨年は稲葉山を囲むところまでいったものの、その天険のためにどうにも攻めることができず、攻めあぐむうちに美濃勢の援軍が現れて後ろ巻き(逆包囲)を受け、無残なほどの敗走を経験してもいた。
あの精強な美濃侍たちが守る天下の稲葉山城が、「いつの間にか落ちていた」と言われても、とても信じられたものではない。
(兄者なら、詳しいことをなんぞ知っておるに違いない)
と、小一郎は思った。
尾張中村の百姓であった小一郎を武家渡世に引きずり込んだ兄というのは、今は木下藤吉朗と名乗っている。やがて羽柴秀吉と名を変え、さらに豊臣秀吉となって史上で初めて日本国を武力で完全統一し、天下を統べることになる人物なのだが、この頃はわずか40貫の知行取りであったというから、武士といっても低い身分で、武将などと呼べるような分限ではなく、せいぜい数十人の雑兵を束ねる足軽組頭であったに過ぎない。
しかし、織田家に小者(雑用係)として仕え、信長の草履取りになってからわずか7、8年で馬に乗れるほどの身分になったわけだから、いかに家風が自由で闊達な織田家とはいってもその出世のスピードは尋常ではない。
藤吉朗はいまや、織田家の侍が住む地域に百坪の土地をもらって屋敷を構え、17歳の妻と共に暮らしているのである。
小一郎は、その藤吉朗の屋敷へと向かっているところであった。
左手に鍛冶町を見ながら真っ直ぐな大路を進んでゆくと、やがて武家屋敷が並ぶ台地が見えてくる。空堀に渡された板橋を渡り、2mほどの土塁の間を抜けると、そこからが武士の居住地である。どの建物も新築されたばかりで、うこぎの垣根で仕切られた区画に茅葺きの母屋と馬屋、納屋、長屋などが見える。空はどこまでも青く高く、ひばりの声がかしましく響いていた。
ここまで来れば、藤吉朗の屋敷はもう遠くない。
辻を二度ほど曲がると、前田又左衛門邸(後の前田利家)の奥に目的の建物が見えてきた。
「あ、小一郎殿、いらっしゃりませ」
小一郎が粗末な長屋門をくぐろうとしたとき、母屋の横手から声が掛かった。
見ると、少女がいる。庭の物干しで、洗濯物を干していたらしい。
「あぁ、こりゃぁ義姉上。良いお天気でござりまするな」
「はい。本当に」
少女は朗らかに笑っている。白い顔に浮く笑顔が、輝くようであった。
藤吉朗の妻 寧々(ねね)である。
寧々に逢うたびに、小一郎は未だに少しドギマギしてしまう。
まずその器量が良い。美しい――と見惚れてしまうほどの絶世の美女ではないが、整った顔立ちはまずまず美人の範疇に入るであろう。しかし、何よりも彼女の魅力を引き立たせているのは、その笑顔と飾らない人柄であった。寧々は、ころころと実によく笑う。その笑顔には周りの人間をも微笑させずにおかぬような華があり、しかも頭の回転が早く機智に溢れているから話をしていて面白い。寧々がそこにいるだけで、座の雰囲気がなんとなく華やいだものになってしまうのは、彼女が生まれ持った魅力によるものであろう。
寧々は、織田家の弓組頭である浅野又右衛門という男の養女であった。弓足軽の頭というのはさほどの重職でもないが、又右衛門は織田家で“三指に入る精兵(弓の名手)”と言われたほどの武士であったし、その養女である寧々は、4年前まで田んぼの中を這いずり回っていた小一郎などから見れば「姫御寮人さま」と呼ばねばならない相手であり、雲の上の女性であった。
が、どうしたわけか、兄はこの寧々を射止めてしまった。しかも、この時代では極めて珍しいことだが、恋愛結婚であったらしい。
(兄者は、良い嫁御をもろうたものじゃ・・・)
つい、そんなことを思ってしまう。
小一郎は、百姓をしていた頃に一度嫁をもらっているのだが、その妻女を流行り病で亡くしてからは一人身で通している。特に考えがあってそうしているわけではないのだが、たまたま兄に引っ張られて武士になってしまい、それからは兄の仕事の手伝いが日々忙しく、また武家社会で新参の小一郎などに嫁を世話してくれるような知己もなく、なんとなくそのままに過ごしてしまっているだけのことである。
いずれにせよ、小一郎にとって、この寧々という兄嫁はあまりにも眩しい存在であった。
「そうそう。兄者はおられまするかな?」
ふと我に返った小一郎は、本題を切り出した。
「つい先ほど、お客さまを何人か連れてお帰りになられたところです。今からお茶を淹れますから、小一郎殿もお上がりになってくださりませな」
茶などと言っても、垣根に使っている うこぎ で淹れる代用品である。この頃、まだ茶は高価なものだから、小一郎らの分限ではおいそれと飲めるものではない。
「それは有難い。では、お邪魔いたしまする」
小一郎は軽く頭を下げ、母屋の玄関に入ると、式台の端に腰を下ろして足を清めながら、
「兄者! 小一郎じゃ! 上がるぞぉ!」
と大声で呼びかけた。
小一郎は地声が大きいが、柔らかくて丸い声音だから聞いても不快感はない。
「おぉ、小一郎か! ちょうど良えわ。早う上がって来やぁ!」
天井を抜いてしまうような凄まじい大声が、屋敷の奥から響いてきた。
薄暗い廊下を渡り、小一郎が奥まった座敷に入ってゆくと、小柄な兄と数人の男たちが談笑しているところであった。
一見すると、不思議な集団である。男たちの身なりは不統一で、浪人風の者、農夫のような格好をしている者はまだ良い方で、行商人の姿をしている者もあれば僧形の者もあり、どう見ても修験者や傀儡子――土地に定住しないような遊行人――といった格好の者まで混じっている。
兄の屋敷には、こういう男たちが常に何人かはたむろしていて、酷い者になると居候を決め込んだのか長屋の一角に腰を据えてしまっている。最初は小一郎も不審で仕方がなかったのだが、どうやら兄は、こういう連中と繋がりを持つことによって諸国の情報を集めているらしい。
座敷は、板敷きである。
薄べりを尻に当て、男たちは車座になって座っている。
小一郎はごく自然に、その車座に加わってあぐらをかいた。
「小一郎、ぬしゃぁ、ええところに来たぞ」
と騒がしいのが、兄の藤吉朗である。
奇相――いやもう、奇相としか言いようがない。古記録によれば、この男の顔は、『猿かと思えば人、人かと思えば猿』というほどのモノなのである。笑うと顔中が皺だらけになってなんともいえぬ愛嬌があり、一度見れば、まず忘れない面相と言っていい。弟の小一郎と印象がまったく似ていないのは、父親が違うからであろう。
「今、美濃の話をしておったところやで」
と、藤吉朗は続けた。
兄も、今まさに天下を騒がしている稲葉山城の情報集めに必死であるらしい。
「わしが聞きたかったのもその事じゃ。あの稲葉山城が落ちてもうたっちゅうのは、まことのことかね?」
「おうおう、まこともまこと。太守の斉藤竜興は、すでに城を捨ててどこぞに落ち延びたと言うわ」
「いったい、誰があの稲葉山を落としたっちゅうんじゃ。近江の浅井か?」
近江(滋賀県)北半国を治める浅井氏は、美濃 斉藤氏と仲が悪い。斉藤家の当面の敵と言えば織田と浅井しかいないから、小一郎がそう考えたのも無理はない。
「いやいや、そうやない。大名とちゃうんじゃ」
と、兄はもったいをつけ、
「竹中 半兵衛 重治」
嬉しそうにその男の名前を挙げた。
「驚け小一郎。竹中半兵衛というたった一人の男が、あの稲葉山城を一夜にして奪い取ったのよ」
天下にこれほどの痛快事はない、とでも言わんばかりの兄の喜色ぶりである。
小一郎は、ただ仰天するほかない。




