第19話 利休茶話(2)
「・・・・客?」
善左衛門は重そうな目蓋をわずかに開き、薄く開かれたにじり口を見た。
「へぇ・・・是非にも旦那様にお会いしたいとのことでございまして・・・」
扉の向こうで、手代が実に申しわけなさそうにそう言った。
明り取りの窓から薄明かりが斜めに差し込む4畳半の狭い部屋である。書院風の小座敷で、部屋の中央には炉が切られ、天井から伸びている自在鈎に釜が掛かっているから、一見して茶室と解る。湯の沸きたつ音が、しゅんしゅんと静かに空気を震わせていた。
掛け物には――いずれ名のある禅僧の筆致であろう――達磨図と「諸悪莫作 衆善奉行(もろもろの悪を為すことなかれ もろもろの善を奉行せよ)」の文字。床には淡い赤の山茶花が一枝、青磁の細首の花入れに活けられており、違い棚には香炉や茶壷などの茶器が整然と並べられている。
その部屋に、善左衛門を含めて3人の男が端座していた。
「ここにおる間は、どなたが参られても取り次いではならぬと固く申しつけておりますんですが・・・。お恥ずかしい・・・、どうにも躾が行き届きませぬようで・・・」
亭主の座にいる善左衛門は、二人の客に詫びた。
正客は、頬のこけた痩せ型の四十男で、一見すると僧のような墨染めの十徳を纏い、宗匠頭巾をかぶって静かに座っている。その隣に――正客の男の付き人か何かであろう――濃紺の胴服を纏った青年が、やはりスラリと背筋を伸ばして座っていた。
正客の男は軽く目礼し、そのことで善左衛門に対する返事に代えたようであった。
「・・・して、どなたや?」
善左衛門は手代に尋ねた。従順な番頭が言いつけを破ってまで手代をここに寄越したところを見ると、あるいは特別な訪問客であるのかもしれない。
「お武家さまでございます。織田さまのご家中で木下藤吉朗さまのご家来、木下小一郎さまと竹中重治さまとお名乗りにならはりました」
「木下はんに竹中はん・・・・はて、覚えまへんなぁ・・・・」
善左衛門は首を捻った。
「織田家の木下藤吉朗はんといえば・・・、先ごろこの京洛のお奉行さんにならはったお人でしたな」
正客の男が口を開いた。上方の人間特有のゆったりとした口調で、錆びた低い声である。
「へぇ。確かそのようなお人どすなぁ・・・」
「足軽奉公から、わずか数年で今のご身分にまで出世をなされたお方とか・・・」
「さすがに魚屋はんや。なんでもようご存知で・・・」
善左衛門は務めて表情を柔和にして言った。
「物知りのついでに、お教え願いたいんどすけど、木下小一郎はんと竹重治はんいうのは、どないなご仁ですやろか?」
上目遣いで善左衛門を見た正客の男は、口元に笑みを浮かべ、摂津屋はんなら先刻ご承知のことと思いますけどなぁ、と、ゆったり前置きして続けた。
「小一郎はんいうたら、木下藤吉朗はんの実の弟はんですな。で、織田家で竹中重治はんといえば・・・ほれ、何年か前の、あの『稲葉山城 乗っ取り』の――」
「おぉ、あの高名な、美濃の竹中半兵衛・・・! 『むかし楠、いま半兵衛』の、あの竹中はんどすか。あぁ・・・これはえらいことや・・・」
本邦の知略の士といえば、『太平記』の英雄――南北朝時代の南朝方の忠臣にして伝説的な戦術家である――楠正成が上方ではなんといっても人気があるのだが、難攻不落と謳われた稲葉山城を鮮やかに奪い取った半兵衛の知略は、かの大楠公にも匹敵するということで、京のあたりではそのように喧伝されていたらしい。竹中半兵衛の雷名は、京の路地裏で遊ぶ子供にさえも届いていたのである。
「ご用件は、まぁ、商いのことでしょうなぁ・・・」
善左衛門は、この京でも指折りの米問屋 摂津屋の主である。武士が米屋に足を運ぶ以上、米を買うとか、売るとかいった用件であろう。
「浮世を忘れたこのお茶室で、商いの話をせなならんのも、物憂いことでございますけど・・・」
と言ったのは、もちろん客への手前であって、善左衛門の本音ではない。
「しかしながら、せっかく訊ねて来なさったもんを、無下に追い返しては角が立ちますやろ」
正客の男が言った。
善左衛門はその顔色を注視していたのだが、男の顔は能面の様に無表情で、不愉快に思っているのかどうなのか、その内面を窺い知ることは少しもできなかった。
「どうでしょう摂津屋はん、この際ですから、そのお客はんを、このお茶席にお招きしては・・・。昨日今日上方に参られたような茶数寄をよう知らんお人から見れば、お武家さまをお待たせしてまで茶を喫しておったというのでは、先方は面白う思われんでしょうし、そうでのうてもお武家さまには気ぃの短いお方が多うございますやろ。お怒りにならはっては、肝心のご商売の差し障りにならんとも限りまへんよってに・・・」
「はぁ・・・。正客の魚屋はんにそう言うていただけるのどしたら、こちらに否やはあらしまへんが、それでよろしおすか? なんや申しわけないことどすなぁ」
「商人は商いが第一。なんの遠慮もいらしまへん。それに、これも何かの縁や。私もそのお二方とは、ぜひともお会いしてみたい」
男はその鋭すぎる眼光を隠すように目を細め、薄く笑ってみせた。
「ほな、ここからは、私が茶頭(茶を点てる役)をやらせてもらいます。宗二はん、あんたはすまんけど、席を外して半東(亭主の補佐役)をやってもらえますか。この四畳半に5人では、ちいと狭いよってになぁ。ご亭主のお手伝いと、お客はんの介添えをお願いします。お客はんは茶のことはなんにもご存知ないかもしれまへんよってに、万事よろしゅうに。私はその間に釜の水を足して、炭を直しておきますわ」
魚屋と呼ばれたこの男は、泉州 堺の魚問屋の主人であり、納屋貸し業(倉庫業)をも営むなかなかの富商で、同時に善左衛門の茶の道の師匠でもあった。
名を、千 宗易という。
後に利休と号し、茶聖と崇められる男である。
「では、お師さんの言われた通りに・・・」
宗二と呼ばれた青年は深く一礼すると、わずかな衣擦れの音だけを残してにじり口を抜けていった。
摂津屋という米問屋を探し当てた小一郎たちは、手代に案内されるままに店の板塀に沿って裏手にまわり、くぐり戸を抜けて敷地へと入った。
「はぁ〜、なにやら異界に迷いこんだような気分ですなぁ」
と小一郎が思わずこぼしたのは、大路に面した立派な大店のすぐ裏手で――下京の市街地のど真ん中で――野趣溢れる樹木が深々と生い茂っていたからである。
路地には飛び石が埋められ、左右の常緑樹がアーチのように枝を伸ばしている。10mほど先には、茅葺の屋根がついた外腰掛が見える。混雑する表通りの雑踏が嘘のような静寂が、その世界にはあった。
「木下さまと竹中さまは、あちらの腰掛にてしばしお待ちくださりませ。すぐに案内の者が参ると思います。お供の方々は、こちらの別室にてご休息くださいますように」
連れていた4人の供侍たちは、手代に案内されて左手の母屋の方へと消えた。
残された小一郎と半兵衛は、言われた通りに外腰掛まで進み、そこで腰を下ろした。
腰掛には円座が敷かれており、脇には煙草盆までが置かれていて、なにやら至れり尽くせりである。
「市中の山居――と、言うらしいですよ」
庭を眺めて佇んでいた半兵衛が言った。
「市中の、山居・・・?」
「有徳人(裕福な者)が、都会に居ながらにして、田舎の侘び住まいをする――もちろん見立てなのですが――京や堺あたりでは、茶数寄の流行と共にこのようなものが大層もてはやされているのだそうです」
「分限者(金持ち)が、わざわざ貧乏人の暮らしを真似るのですか?」
「まぁ、そうです。・・・・おかしな話ですね」
半兵衛は笑った。
「しかし、それでも気は静まり、心は落ち着く・・・」
「確かに・・・。同じ京の中におりますのに、ここの空気は澄んでおって、表を歩いておった先ほどまでとはまるで違うように感じてしまいます。たとえば――寺社の境内などに踏み込んだときのような――なにやら清浄な心持ちにさせられるのですから、不思議なものでございますなぁ」
「そのような心持ちに、いつでも浸れるようにしようというのが、この舞台のしつらえのキモのなのでしょう」
半兵衛は瞑目し、
やま里は 物のわびしきことこそあれ 世のうきよりは すみよかりけり
と詠じた。
「『古今集』の昔から、世の憂きことどもから逃れるためには、人里離れた山奥に閑居するものと相場が決まっております。しかしながら、かの西行法師が『世の中を 捨てて捨てえぬ心地して 都離れぬ 我が身なりけり』と嘆いております通り、都人がなかなか都を捨てられぬのも事実。何不自由なく暮らしておる有徳人ともなれば、それはなおさらのことでしょう。だからこそ、山里に自らが行くのではなく、山里の方を都の中にもってくるという逆の考えが生まれたのかもしれませんね」
「はぁ・・・・、なるほど・・・」
小一郎は眉根を寄せた。
半兵衛の解説の通りなら、都の金持ちどもはなんと傲慢なのだろうと、かすかに不愉快ですらあった。
世捨て人――自由人というのは、断腸の想いをして世のしがらみを断ち切り、そのことで執着を捨てた境地――自由自在の心――を得る。都の武士であった西行は、人を斬り、すがりつく家族を蹴倒すように捨て、断ちがたいしがらみを断ち切って法外の客となることで千載に名を残すほどの歌の境地を得たのであろう。それなのに、何を捨てることもなく――都会に居ながらにして――その気分だけを真似ようというのでは、なんだか西行を馬鹿にしているようにさえ思える。
小一郎が舌足らずな言葉でそのように言うと、
「小一郎殿は、真面目なご気性ですね」
と言って、半兵衛は微笑した。
「たしかに、気分だけを真似、そこで満足しておるならば、ただの愚物。論ずるに値しないと思います。ですが例えば――」
半兵衛は足元の小石を2つ取り上げ、腰掛の自分と小一郎の間に置いた。
「ここに二人の禅僧が、背を向けて座禅しておるとしましょう。一方は徳の高い禅匠、一方は昨日出家したばかりのにわか坊主です。さて小一郎殿、どちらが徳の高い禅匠かお解りになりますか?」
「は? ・・・座っておる後姿だけで比べるのですか? それでは・・・私にはとても見分けがつかんです」
「そうでしょうね。どちらの坊主も、同じ姿、同じ格好で、同じように座っている。禅僧の修行とは、そういうものです。大衆一如――みなが同じ清規(決まり)に従い、同じ時間に寝起きし、同じように作務(お勤め)をし、心をひとつにして暮らす。けれど、そこには修行の成る僧がおり、成らぬ僧もおる――」
「・・・・解りません」
「道元禅師(曹洞宗の開祖 永平道元)の言葉を借りれば、それらしくすることは大切だ、ということですよ。それらしく真似、それらしく振舞い、その中で、それぞれが己の内面を弛まず磨き続けておれば、やがてより高い境地に到ることもある。むろん到らぬ者もありましょうが、そうなるように精進を重ねることが、修行というものです」
「市中の山居が、修行ですか」
金持ちの道楽のように感じていた小一郎は、多少驚いた。
「茶は、そもそもが禅宗から生まれたものです。禅とは切っても切れないほどに繋がりが深い。茶の心というのは、言わずとも禅の心と通ずるものだと私は思っています。だから茶とは、突き詰めれば、人の心を磨く道のようなものでなければならぬと私は解釈しているのですね。そういう志を持たない茶は、それこそただの道楽――分限者が贅を誇るだけの悪趣味な遊びということになる」
むろん、遊びとして楽しんでおるだけの者も多いのでしょうが――と、半兵衛は続けた。
「まぁ、つまるところ、実際に山里に侘び暮らすのも、こうして山里の暮らしを都の中でするのも、人の裡においては、その本質は同じということです。気分を真似ておるうちは遊びに過ぎませんが、この二つを同じことだと思い至ることが一種の『悟り』であり、それができる者を禅宗では『覚者』と呼び、茶数寄では『名人』と呼ぶのではないでしょうか。それはそうと――」
半兵衛は拾った小石を元に戻し、
「案内の者を待たせてしまっておるようですね」
と言った。
小一郎が視線を上げると――半兵衛の背後の太い椎の木の木陰に――いつの間にか青年が立っている。
一見した感じでは半兵衛と同年代のようだから、年齢は24、5といったところだろう。目鼻立ちのはっきりしたなかなかの美男子で、力強い眉、よく張った顎などは町人姿より鎧兜でも着せたほうが似合いそうである。目に力があり、そこだけを見るといかにも癇が強そうなのだが、それでいて全体として見るとどこかとぼけたような雰囲気をまとっていて、その微妙なアンバランスさが、危うさにも似た印象をかすかに抱かせる。
「声をお掛けすべきでしたが、大変おもしろいお話の途中でございましたので、つい聞き入ってしまいました」
青年は深く辞儀をし、
「山上宗二と申します。本日、半東を――お二人の介添えを務めさせていただきます。竹中さまは、茶数寄に大変深い見識をお持ちのようでございますから、介添えなどは不要かもしれませんが、よろしくお願いいたします」
と続けた。
「見識などと、とんでもない。私は茶碗の持ち方ひとつ知らぬ無作法者ですよ。ありがたくお世話になります」
半兵衛は泰然としたものである。
それに比べると小一郎は、なんとも情けない顔で、
「上方で流行っておる茶は、なにやら難しい作法や決まりがあるちゅう話ですな。わしは百姓が野良で飲むような湯茶しか知らぬ田舎者でござりまするゆえ、どうかよしなにお導きくだされ」
と頭を下げた。
「そのように畏まられることはございません。お気楽に、ご亭主のお振る舞いをお受けくださればよろしいのです。ご亭主におもてなしの心があり、お客さまに感謝の心があれば、それにて立派に『一座の建立』と相成ります。茶は、茶を点てる者のみでは為し得ません。素晴らしき『座』とは、ご亭主とお客さまが心をひとつにして共に創り出すものなのでございます」
宗二と名乗った青年は、二人の目の前まで歩み寄り、まずはそちらのつくばいにてお手とお口をお清めになってくださりませ、と促した。
言われるままに二人が杉の柄杓で水をすくい、手を清めていると、
「先ほど竹中さまのお話、大変おもしろく拝聴させていただいておりましたのですが、ひとつだけ、心に引っ掛かっておることがございます。お客さまに対してご無礼を承知で、言わせていただいてもよろしゅうございましょうか?」
と言葉を継いだ。
「どうぞ、お気兼ねなく・・・」
半兵衛はさして気にした様子もなく、懐紙で手を拭きながら話を促した。
「先ほど竹中さまは、ひとつだけ間違ったことをおっしゃいました」
「ほぉ。私は何を間違えましたか?」
「茶数寄の『名人』についてでございます。竹中さまは、『山里の侘び暮らし』と『市中の山居』を同じことと喝破する者を茶数寄の『名人』と申されました」
「一言一句その通りではありませんが、確かにそのような意味のことは言いましたね」
「しかし、私どものような茶に携わる者のうちでは、『名人』と称されるほどの者は、4つの条件を満たしておらねばなりません。その4つの条件とは、まず茶の湯の上手であること。さらに道具の目利きであること。茶の道に深い覚悟を持つこと。そして、唐物の名物を所持しておることでございます。この4つのいずれが欠けておっても、私どもはその者を『名人』とは呼びません。ですから、先ほど竹中さまが言われたような者は、『名人』ではなく、『侘数寄』と申すべき者なのでございます」
「あぁ・・・、そうなのですか。それは、知らぬこととはいえ、ご無礼をしましたね。覚えておくことにします」
半兵衛は、ごく素直に謝った。
武士に――しかも天下の竹中半兵衛に――議論を吹っかけるという行為に、多少身構えるところがあったのだろう、半兵衛があまりにもあっさり引き下がったので、青年は逆に面食らったようであった。
「・・・・・あ、いえ、手前の方こそ、失礼を申し上げました。手前はまだ未熟者ではございますが、茶の道を志し、いずれは名人と呼ばれるほどの者になりたいと念願しておる者でございますれば、この道のことに対してだけは融通が利かず、つい要らざる差し出口を挟んでしまいました。どうかお気を悪くされませぬよう」
半兵衛は、妙に弁解がましく謝る青年を好ましそうに微笑で眺め、
「御辺にとっては、茶こそが譲れぬ部分なのですから、譲らぬ覚悟で、そのままに進まれるがよろしかろうと存じます」
と言った。
青年はハッと顔を上げ、
「ご教示、ありがたく肝に銘じましてございます・・・!」
再び深く深く頭を垂れた。