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王佐の才  作者: 堀井俊貴
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第18話 利休茶話(1)

 京の冬は寒い。

 京は四方を山に囲まれた典型的な盆地で、夏は風があまり吹かず、鍋底のように太陽に照り付けられて気温がぐんぐんと上がるが、逆に冬は比叡山から吹き下ろす「比叡おろし」が吹きすさび、手足の先が凍るほどに底冷えする。


「尾張に比べりゃぁ岐阜も寒かったですが、この京の寒さというのは格別に身にこたえますなぁ・・・」


 両手を擦り合わせながら小一郎が言った。


「えぇ・・・おかげでなかなか・・・・・・」


 傍らを歩く半兵衛は、そこで少し咳き込み、


「・・・・風邪が治りません」


 と言って苦笑した。

 綿のたっぷり入った小袖の上からゆったりとした胴服を羽織り、いかにも暖かそうな格好をしている半兵衛ではあるが、いつもは静脈が浮き上がって見えるほどに白い肌は熱のためかいくぶん上気し、反対に唇は真っ青で赤味をまったく失ってしまっている。性格的にも能力的にも欠点を見つけることが難しいほどによくできた男だが、年に数回は必ず風邪をひく腺病質なこの体質だけは欠点と言うべきかもしれない。


 天を見上げると、雪でも落ちてきそうな厚い雲が空を覆い尽くし、陽の光をまったく遮ってしまっている。昼も近いというのに、気温がほとんど上がってこないのはこのためだろう。しかし、京者たちにとってはこの寒さも常態なのか、辻々を行き交う人の数は岐阜をしのぐほどである。


「他行(外出)なぞはせず、まだ横になられていた方が良いのではありませんか?」


 下手にこじらせてもらっても困るから、安静にしていて欲しいと思うのだが、


「いえ。今日ばかりはどうしても同道させてもらいます」


 と、半兵衛は意に介した様子もない。


 いま、小一郎たちは、京の油小路を北へと辿りながら下京の市街地へと入って行こうとしている。

 木下組が京に長期駐屯するのに必要な糧食や物資を買い付けるためであった。


 この頃――永禄11年ごろの京は、上京下京合わせて120を越える町組がひしめき合い、上は天皇、公卿、将軍から、下は河原などに野宿する乞食、異色なところでは異国の宣教師などといった者たちまで、ありとあらゆる職種の20万を越える人間たちが暮らしていた。応仁以来の戦乱で焼けた町並みには往時の落ちつきや典雅さは失われ、碁盤の目に整えられたいたはずの市街地はいびつな瓢箪形にゆがみはしたが、「かまえ」と呼ばれる堀と土塀で外界を遮断し、町の入り口にはそれぞれ櫓門を配した乱世向きの城壁都市として見事に復興がなされていた。

 上京にはまず天皇がおわす御所があり、その近辺に公卿や武家の屋敷が建ち並び、政治的な機能の集中がなされている。それに対して下京は経済の中心として機能していたらしく、あらゆる商工業者が住まう庶民の町として見事なほどに住み分けがなされていた。上京と下京は室町通りという一本の回廊によって結ばれているのだが、それぞれ独立した「構」によって囲われており、2つの都市として見ることもできるかもしれない。ちなみに小一郎らが宿営しているのは下京 堀川通り六条の辺りで、これは下京の外壁からさらに南東にあり、厳密に言えば洛外なのだが、「構」の外の地域にも多くの寺社や町屋が建ち並んでいるから、どこまでを「京の街」として線を引くかはなかなか判断が難しい。


「それにしても、あの兄者が京奉行とは・・・えらい時勢になったもんですなぁ」


 多少の皮肉を込めて小一郎が言った。

 変転といえばそれまでだが、あの藤吉朗が、いまやこの京の奉行である。

 もっとも、京都奉行といっても藤吉朗は警察権を委任されただけのいわば下っ端で、その上には行政官として文吏派の村井貞勝、武井夕庵、さらに武将としては丹羽長秀、佐久間信盛といった家老クラスがちゃんと座っているからさほど大きな権限があるわけでもないのだが、少なくとも京の治安維持の責任者になったということだけは間違いがない。フリーターだった兄がわずか15年で警視総監になってしまった、といえば、肉親である小一郎のこのあたりの気分が多少感じられるかもしれない。


「そこは、乱世のことですからね・・・。けれど此度の木下殿の抜擢は、岐阜さまらしい、深く周到なお考えの末のことだと思いますよ」


 半兵衛が応えた。


「京はとかく先例やしきたりにうるさい土地柄ですし、都人は本音の上に建前を幾重にも築いてなかなか腹を表に出しません。こういう場所では、武にかたよったお人では『野卑』と蔑みを受けますし、文にかたよったお人では『惰弱』と舐められてしまいます。そこへゆくと木下殿は、硬軟自在――武に振れすぎず、文に流れず、厳しさも甘さもほどよう持ち合わせておられる。加えてあの陽気さと機転、さらには誰もが思わず頬をゆるめてしまうような愛嬌――京奉行は確かに難しいお役目ですが、木下殿以上の適任者はちょっとおらぬでしょう」


「それは兄者を褒めすぎでござりまするよ」


 小一郎が笑うと、半兵衛もつられて笑った。


「将軍になられた義昭さまなぞは、明智光秀殿を京奉行にするよう信長さまに懇請されておったとか漏れ聞きました。室町典礼に明るく、幕府に顔が利き、また義昭さまの昵懇を得ているという明智殿こそ適任ではないかと思ったりも致しまするが・・・」


 例の明智 十兵衛 光秀は、この上洛戦の直前に、義昭からの推挙という形で織田家に籍を置く身分になっていた。信長はすぐさま5千石の禄を光秀に与えたというから、藤吉朗を一足飛びで飛び越えていきなり織田家の重臣に加わったと言っても言い過ぎではない。


「確かに十兵衛殿ならば京奉行のお役目をそつなくこなしはしましょうが、かの仁は織田家ではまだ新参。またお立場が、少々将軍家に近すぎましょう」


 京都奉行は織田家と将軍家とのパイプであることはもちろんだが、京での織田家の顔であり、威厳の象徴でもある。将軍家の威ではなく、織田家の威を天下に示すためには、昨日今日の新参者ではなく、織田家譜代の家臣をもってそれに充てるべきであろう。藤吉朗は織田家譜代でこそないが、信長自身が泥の中から拾い上げ、抜擢に抜擢を繰り返して今の地位まで引き上げた股肱であるから、へたな譜代家臣よりも信長との結びつきはよっぽど深い。


「まぁ、いずれにせよ、京者たちをつけ上がらせず、また怖れさせすぎぬような細やかな配慮が、木下殿ならばできると、岐阜さまはお考えなされたのですよ。木下殿にすれば、これでまた出世の階段を1つ登った、ということになりますね」


 無役だった藤吉朗にとっては確かに栄転には違いないわけで、木下組の誰にとっても喜ばしいことなのだろうが、小一郎にすれば頭痛の種が増えただけと言えないこともない。


 小一郎が頭を痛めているのは、藤吉朗の揮下に入っている人間たちをどうやって食わせていくか、というこの一点に尽きた。


 この時期、藤吉朗は、信長から預けられた寄騎(与力)を含めて約2千の軍兵を率い、その小者や中間、雑夫の類を含めると3千人近い人間を扶養する責任があるのだが、3千人の人間というのは、10日の間に実に3百俵以上の米を食う。当然、味噌や塩、副食なども必要になるから、食費だけで考えてもその出費たるや莫大な額になるのである。

 織田家の軍政として、戦陣における糧食の半分は織田家がもってくれることになってはいる。しかし、今回のように岐阜から遠く離れた遠隔地に駐屯するような場合、岐阜からわざわざ米を運んでいてはコストが掛かりすぎるから、その分の銭を支給するということになるのであろう。つまり、糧食や必要物資は、まったく地縁のない京の近辺で確保するより他ないのである。ことに食料は自給するわけにもいかないから、安定的に供給できる態勢を作っておくことが絶対の急務だった。


 小一郎の用向きを知ると、半兵衛は是非とも小一郎に同行したいと珍しく積極的に主張した。


「京の台所事情に興味があるのですよ」


 と、半兵衛は言う。


「たとえば、京者たちが、何処でとれた米を食うているのか――何処で獲れた魚を食うているのか――そういうことが知りたいのです」


 京で幾万の民が生活するためには、京者たちが消費するに十分な食料や燃料が安定的に供給されているはずだが、京のような人口の多い消費型の都市ではそれらすべてを近隣だけで自給することができるわけがないから、当然どこかから買い付けて運び込んでいるはずである。たとえば米なら、それがどこから運ばれてくるのか、誰がどのルートで運んでいるのか、どのようなシステムで流通しているのか、どの程度の相場で取引されているのか――そういったことを、知っておきたいのだという。


「はぁ・・・また変ったところに目をつけられましたなぁ」


 呆れたように小一郎が言うと、


「戦において兵の食を確保するのは、もっとも重要なことですよ。木下勢を切り盛りしておる小一郎殿ならば、兵糧の大切さはお解りでしょう?」


 と、半兵衛は悪戯っぽい笑みを見せた。


「・・・なるほど。京に入ってくる米を知るということは、五畿内はおろか近国の米の事情を知ることになるわけですな。それが、いざというときに役に立つと・・・」


「それだけではありません。米を運ぶ馬借や車借(現代でいう流通業者)は諸国の産物や事情、人物や噂話に通じておりますから、それらを束ねる商人たちは、多くの話を聞き知っておりましょう。ことに京は海のない国でありながら、古くから琵琶湖の水運で敦賀つるがとの交わりが深く、そこから北陸や山陰の国々と繋がりを持ち、伊勢の安濃津(津市)で東海に繋がり、尾張、三河、駿河――さらには箱根より東の国々まで往来がある。また淀川の流れが泉州 堺に直通し、そこから瀬戸内や九州の国々はもちろん、唐、天竺、果ては南蛮にまで商いの道が拓けておるやに聞きます。陸の道しか知らぬ我らより、京者たちは遥かに広い世を生きているのですね。そして、その広大な世をしたたかに泳ぎ回って利を稼ぎ出し、金穀を山と積み上げていくつも蔵を建てるほどにまでなったのが、京や堺に棲む豪商富商といった連中です」


大商人おおあきゅうどですか・・・」


「海千山千――妖怪のような者たちですよ」


 半兵衛の眼光が、一瞬鋭くなった。

 海に千年、山に千年んだ蛇は、龍になるという。応仁以来戦乱の続くこの近畿で、巧みに利の臭いを嗅ぎわけ、したたかに身を処して丸々と肥え太った商人たちというのは、世の表裏を知り尽くし、老獪さと狡猾さを備えた魑魅ちみ魍魎もうりょうのようなものであろう。

 妖怪と言われて、一瞬、一つ目小僧や唐傘お化けのようなものを思い描いた小一郎は、自分の想像力のつたなさに苦笑した。


「今後、織田家の戦は京を中心としたものになるでしょう。戦になれば、兵は米を食い散らかし、矢弾を湯水の如くに使いますから、我らが戦を続ける以上、好むと好まざるとに関わらず豪商富商との関わりは増えてゆかざるを得ません。今のうちから『木下藤吉朗』の名と小一郎殿の顔を売っておいても、おそらく無駄にはならないでしょう」


 半兵衛の視線というのは、小一郎が見ているよりも視界が常に広く、しかも遠くまで見通しているらしい。

 こうして、二人は連れ立って歩くことになったのだった。


「それにしても、京は瓦の屋根が多うござりまするなぁ・・・」


 大都会だと思っていた岐阜の町でさえ、屋根といえば板葺きか こけら葺き が普通で、瓦で葺いた屋根などは市街ではあまりお目に掛かれないのだが、この京の町ではどちらを向いても普通に目にすることができる。それも、ほとんどが小一郎でさえ名を聞いたことがあるような由緒正しい寺院の屋根で、京の寺社の多さが視覚的にありありと実感できた。


 ちなみに、小一郎と半兵衛が連れ立って歩いているこのときから20年ほど前の京の姿を描いたと推定される『(上杉本)洛中洛外図』を眺めると、京を代表する高名著名な寺社だけで実に百を超える建築物が描かれている。それらの末寺や末社、無名の寺社を含めると、当時の京の寺社の数はおそらく数百にも登ったであろう。


「京の風景といえば、応仁の戦乱で燃えた相国寺の七重大塔と、東寺の五重塔がなんといっても有名ですが、その五重塔も、5年前の落雷で燃え落ちたと聞きます。残っておれば――」


 半兵衛は南西の空を指差し、


「あのあたりに高楼が遠望できたはずなのですがね」


 と、少し残念そうに言った。


「半兵衛殿は、京の様子にもお詳しいのですなぁ。以前にも来られたことがござりまするので?」


 半兵衛は浪人時代に近江で暮らしていたこともあるくらいだから、あるいは目と鼻の先の京まで足を伸ばしたこともあるかもしれないと思ったのだが、


「いえいえ。上洛したのは此度が初めてです」


 半兵衛はあっさり否定した。


「都は、多くの古典の舞台になった場所ですから、そういったものを読んだり、人の話を聞いたりしているうちに、頭の中に大まかな地図ができたのですね。応仁の戦乱や、先年の法華衆の騒乱(『天文法華の乱』のこと)などで京の姿は大きく変ったと聞きますからあまりあてにはできませんが、それでも法華宗以外の寺社の位置はさほど変っていないようですしね」


「はぁ・・・大したものですなぁ」


 小一郎は素直に感心した。


「それでは、米場がどの辺りにあるかもご存知で?」


 米場というのは、現在で言うところの米の卸売市場のことである。近隣の国々から買い集められた余剰米がこの米場に集積され、競りによって値段が決められ、馬借や車借といった流通業者のネットワークによって近国に運ばれている。京ほどの大都市になるとすでにそういう役割の施設が存在していて、たとえば魚棚(魚の卸売り市場)などは上京下京にそれぞれあり、瀬戸内海で獲れ、淀川を使って運ばれた鰯や鱈、蛸やスルメ、海藻や貝などの海産物が大量に集められ、近畿地方の消費者の元に届けられる仕組みになっている。

 京に縁故も地縁もない小一郎としては、さしあたって米場に足を運んでみようと思っていたわけである。


「いやぁ、それはさすがに存じません」


 半兵衛は首を振り、


「しかし、我らが上洛して以来、京の諸式はことごとく品薄になり、値が高騰していると聞きますから、米場で大量の米を買い付けるのは難しいかもしれませんよ」


 と言った。


 今回の上洛戦で信長が引き連れてきた軍兵は、援軍の諸軍勢を含めて実に5万――非戦闘員を含めると7、8万はいたであろう――である。信長の指示によってこれらの遠征軍は十分な糧食を帯同してきており、京の近辺で糧食を買い占めたり百姓の収穫を略奪したりということをしなかったのだが、摂津侵攻戦などで京に入ってくる物資の流通が一時的に滞り、さらに戦乱に備えた京者たちが慌てて食料品や生活物資を買い込んだりしたから、結果としてあらゆる物が品不足を起こし、値が暴騰してしまっていた。

 ちなみに、急激なインフレというのは社会不安に直結するから、信長はすぐさま手を打った。関所の撤廃と楽市楽座制の導入を、五畿内に触れ出したのである。関所から巨大な収入を得ていた在地豪族や座のシステムによって商工業品の専売権を握っていた有力寺社にとっては信じられないような悪政であったろうが、市井の人々にとってみれば非常にありがたい政策で、やがて物流が活性化するに従ってあらゆる物の値段がぐんぐんと下がり出し、京者たちの生活が格段に楽になった。このことによって、京における信長の人気が不動のものとなるのである。

 しかし、それはもちろん後の話で、織田軍上洛直後のこの時期に物資が品薄になっていたことは間違いがないから、半兵衛の言っていることはもっともだった。


「いっそ有力な米商人に直接話をつける方が早いかもしれません。収穫からまだ三月かそこらですから、蔵には米が山積みになっておりましょう。あとは、有力寺社に合力を申し入れて兵糧を分けてもらうという手もありますが――これは、あまりお薦めできませんね」


「と、申しますと?」


「岐阜さまが、京の寺社を今後どう扱ってゆこうとしているのか、まだはっきりしておらぬからです。それらの寺社に勝手に借りを作っては、木下殿が岐阜さまのご機嫌を損うことにもなりかねませんし・・・」


「あぁ・・・・」


 そこまで聞いて、小一郎は納得した。


 この時代、宗教勢力というのは、一面で「国」と呼べるような存在である、ということは以前も触れた。寺社ごとに領地を持ち、その領地の税収権、裁判権、警察権を持ち、大名たちに対しては「守護不入」という独立権さえ保障された独立勢力なのである。

 たとえばこのときから30年ほど前に京で起こった「天文法華の乱」では、洛中の21ヵ寺の法華寺院が2万ともいわれる信徒を動員して比叡山延暦寺を中心とする勢力と争い、京のほぼ7割が焼失するほどの大乱を巻き起こしている。本編とは関わりがないので細かい説明は省くが、法華宗一宗派で京で2万の兵を養えるだけの財力を持っていた、ということを知れば、当時の宗教勢力の実力のほどが窺えるであろう。


 信長は、基本的にこの時期までは宗教勢力に対する大規模な弾圧は行ってはいない。しかし、寺社が矢銭(軍用金)の供出に応じないときや織田家に敵対した場合は容赦なくこれを排撃しており、たとえば伊勢侵攻のときなども寺社仏閣の多くを躊躇なく焼いている。

 いずれにせよ、京の宗教勢力を今後どう扱ってゆくかは信長の腹ひとつであり、小一郎あたりがどうこうできる問題ではないのである。独断でそれらの勢力に借りを作ってしまうのは、やはり得策とは言えないであろう。


「ならば、やはり、米屋に伝手を求めるしかありませんなぁ。・・・しかし、わしは京に知り合いなどありませんから・・・これは難儀なことじゃ・・・」


 小一郎は泣きそうな声を出した。


商人(あきゅうど)のことは、商人に聞くのが一番早いでしょう。まぁ、そう考えずとも、行けばなんとかなるものですよ」


 何か成算でもあるのか、半兵衛の足取りは常と変らずに軽い。





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