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王佐の才  作者: 堀井俊貴
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第17話 信長上洛(2)

 信長は、秩序感覚が異常なまでに鋭敏な性質たちで、彼が統治する国では非常に厳正な法が行われていたというのは先にも触れた。


 信長自身は決まり事や慣習に縛られることを極度に嫌う男であり、嫌うあまりにそれをことごとく否定し、自分の合理性に任せてまったく新しいものに作り変えてしまうようなところがあって、だからこそそれを理解できない周囲から若い頃は“うつけ”と蔑まれるほどであったのだが、この同じ信長が織田家の大将になるや自分の部下たちには実直さと勤勉さと律儀さとを求め、同時に粛然とした遵法精神をも求めた。

 信長にとって、何が嫌いといって部下の不正、腐敗、怠惰、傲慢ほど嫌いなものはない。そういう者を目にした場合は、門地や派閥に関係なく峻烈といえるほどの厳格さで必ず罰を与えたから、織田家では軍兵どころか領民までもが風紀の乱れや歪みには敏感で、罪を犯すことを極度に怖れるような気分を持つまでになっている。

 もっとも、信長が科する刑罰が常識から見てとりわけ重すぎるというようなことはなかったから、その点で信長が悪王であったというわけではないのだが――


 ともあれ、時代は、力で簡単に道理が引っ込んでしまう戦国乱世である。

 人々はむしろ、信長の秩序感覚の厳格さに信服し、その規律が正しく行われていることを喜び、信長が創り出す新しい秩序を、乱世の無秩序よりは遥かに素晴らしいものとして享受していた。


 これらはすべて理想主義者でありかつ完璧主義者でもある信長の性格に根ざしたもので、信長にとってみればとりわけ意識して何かをしたというようなことではなく、呼吸をするようなごく自然な感覚から発したものであったのだろうが、絶対王政の臭いが強い織田家のこの家風と、規律に従順な兵たちの行儀の良さが、結果として占領した京の治安維持と近畿地方の支配に重大な影響を与えるようになるということまでは、さしもの信長も想像していなかったであろう。



 信長は、京を占拠するや揮下の軍兵に一切の乱暴狼藉、略奪略取を禁じた。

 織田家に仕える者たちは信長の命令には極めて従順だったから、この厳命は雑兵の端々にまで徹底された。織田勢は、なにかといえば増長しがちな占領軍でありなら非常に厳正な軍紀を保ち続け、京の庶民に無用な迷惑を掛けるようなことがほとんどなかった。

 このことが、占領した京の人心の安定に大いに役に立った。


 というのも、京に住む人々は、織田家などという耳慣れない新興勢力の知識はほとんど持ってなかったし、その大将である信長がどういう男かということもまったく知らなかったから、この新しい京の支配者に対して極度の怖れを抱いていたのである。


 一般的に言ってこの時代に京に住む人々の多くは、美濃の「不破の関」以東は「未開の東国」だと思っていて、そのような近畿から遠く離れた大田舎に住んでいるのは教養も礼も持たない野卑な蛮族たちであるというようないびつな印象を持っていた。

 もっとも、それも当然と言えば当然で、武力だけを持った蛮族たちというのは、京に攻め上ってくるたびに必ず町を焼き、目に付く限りの銭や物品や食料をつかみ取りにし、女を犯し、子供をさらい、その武力にものを言わせて好き放題に振舞ってきたから、京者たちの印象が極めて悪かったのである。古くは源平の昔――木曾義仲に率いられた越後や信濃の武者たちがそれであり、ほんの百年前の応仁の戦乱では、そういうならず者たちが諸国から群がるように集まって悪逆の限りを尽くしたから、京の市街はまったく灰燼に帰し、何の罪もない市井の人々が塗炭の苦しみを味わわされた。

 近年の三好、松永らの徒による京の覇権争いなどにしてもそうなのだが、京を奪い合う大名たちの都合で迷惑を被るのは、常に力ない庶民たちだった。そこに暮らす人々にとってみれば、権力者の交代などはとりわけ珍しいことではなく、ただ自分たちの生命と財産を脅かされるかもしれぬということだけが関心事であり、重大事だったのである。


 ところが、京に住む誰にとっても意外であったのは、あれほどの強勢を誇った三好、松永の軍勢を一瞬にして追い散らし、悪鬼のごとき強さを示した織田家の軍兵たちが、非常に厳粛な規律を保ち、誰一人として無法を働くような者がなかったことであった。



 ここで少し余談。

 織田家の兵について話をしておきたい。


 織田家の軍政の特徴は、武士を農業から切り離した専業兵にしていることである。


 この中世という時代には、江戸期のように武士と農民の間に明確な境がない。

 そもそも武士とは、成り立ちから言って「武力をもった大地主」というのがその本質であり、百姓の大なるものに過ぎないのである。彼らは普段は故郷の田畑を耕しながら暮らし、いざ戦となれば錆びた槍を抱え、旗頭の召集に従って城に駆け集まるのだが、遠方の者は城に出てくるのにも相当の時間が掛かるわけで、兵力を集中するだけで数日を費やしてしまうというようなことも珍しくなかった。

 ところが兵農分離が行われている織田家では、武士は常に城下町に暮らし、いつでも戦に出られるよう待機している建前になっている。半士半農というあり方は認められず、故郷で暮らすことも許されず、常に兵士として信長の膝元に居られる者だけが武士なのである。このため織田家の軍勢は、信長が「出陣!」と一声叫べば2時間後には集結を終えた軍勢が駆け出すというほどに軍事行動が軽快かつ迅速であり、さらに田植えや稲刈りなどの農繁期であっても関係なく年中最大限に兵を動員でき、またどれだけ戦い続けても経済的な生産力にほとんど影響が出ないという他家にはない特色がある。


 しかし、この兵農分離は、利点ばかりがあったわけでもない。


 一般的に言って、軍兵は農兵が強い。

 農民兵というのは、豪族たちが子飼いにしている家の子、郎党や、各農村の名主の下に寄り親-寄り子の関係によって組織された百姓たちの小隊を束ねるようにして出来上がっているのだが、これらの人員は戦が終わればまた同じコミュニティーに戻って共同生活をしなければならないという関係上、たとえば戦場でどれほど怖ろしくても卑怯な行動や臆病な振る舞いをすることができない。そんなことをすれば、その噂は同じ地域の住む者たちの口によって故郷の村中に広まり、その者が恥をかくばかりか家族や親類が村八分のような懲罰を受けることにもなるからである。このため農兵たちは勝手に逃げたりすることができにくく、仲間と共に戦っているという団結心も強いから、ひとたび劣勢になっても非常に粘り強く、崩れにくいという特徴がある。


 これに比べ織田家の兵は、そのほとんどが銭で雇われただけの傭兵である。

 この時代、足軽稼ぎで飯を食っているというのは、自作農になることができず、手に職をつけることもできず、食い詰めて故郷を捨てた農家の次男坊や三男坊といった輩がそのほとんどで、ようするに世間の枠から外れてしまった無頼漢やならず者、浮浪人や流れ者といった連中なのだが、そういう男たちは当然ながら地縁がなく、まとわりつくしがらみも薄く、織田家に対する愛着や上司に対する忠誠心などといったものもほとんど持ち合わせていなかった。

 彼ら傭兵と織田家との関係というのは、突き詰めれば金銭で結ばれただけの「雇用契約」なのである。

 そんな薄っぺらい主従関係が自分たちの命よりも重いと思う者はまずいないから、雇われ足軽たちは戦場においても自軍が劣勢になれば真っ先に逃げた。織田家を退転したところで、また別の大名家で足軽稼ぎをすれば良いだけのことだから、彼らにとっては痛痒もないのである。


 つまり、織田家の雑兵たちというのは、平素は素行が悪い上にいざ合戦となれば命を惜しんで粘りがまったくなく、兵の質としては極めて悪かった。


 こういう田舎者たちの集団が、占領軍という増長しがちな立場で千年の王城の土を踏み、その煌びやかで華やかな文化の匂いが酒の香のように甘く漂う中で、極めて厳粛な軍紀を保つことができたというこの一事をみても、信長というカリスマの威令がいかに行き届いていたかが解るであろう。


 信長は、この劣弱な兵を率いて四方の敵と戦い続け、ついには日本の過半を征服し、天下を取る寸前まで登りつめた。

 このことは、大いに評価されて良い。



 ともあれ、信長の軍勢の軍紀の厳粛さと秩序感覚の見事さは、うち続く戦乱に苦しめられ続けていた京の人々の心に鮮烈に印象されることになった。


(織田さまというのは鬼のように怖ろしき方かと思うたが、存外にお優しい・・・)


 そういう感想を、誰しもが持ったわけである。

 このことが信長に対する好意と信頼感になり、織田家の非常な人気へと繋がっていった。


 織田軍上洛の噂を聞いた京者の中には家財道具などを持ち出して田舎に疎開するような者までいたのだが、信長の占領政策が穏健だったためか京はさしたる混乱もなく数日で平穏を取り戻し、人々はそれまでと変らぬ日常生活を送ることができるようになっていた。



「いやぁ、それにしても、信長さまのご評判は凄まじいものぞ」


 ある夜、宿舎に帰ってきた藤吉朗が興奮気にまくし立てた。


「清水寺のご本陣は、門前市をなすほどの賑わいぶりじゃ。京はおろか、奈良や堺からも続々と人が詰め掛けておってのぉ。公卿、門跡、高僧、神主なんぞは言うにおよばず、富商、医者、連歌師、果ては職人大工の類まで群れ集まって連日行列を作っておるわ。もったいなくも信長さまがそれらの者たちにすべて面晤(会って話をすること)を許し、上々のご機嫌で応接なされておるものじゃから、京での信長さまの人気はうなぎ昇りぞ」


 ほんの数年前まで田舎の新興大名であったことを思えば、京の人々から熱烈に歓迎される信長の姿というのは織田家の誰にとっても誇らしいものであったろう。


「ほぉほぉ、信長さまのご評判は、それほどのもんかぁ・・・」


 小一郎が素直に感心すると、


「上洛軍の大将たる者は、まさにそうあるべきでありましょう」


 蜂須賀小六、前野将右衛門などと共にその場に同席していた半兵衛が言った。


「古来、京を押さえた者で、京の諸人に憎まれて天下を長く保ちえた例はありませんからね。京は天下の噂の市が立つ場所でありますし、京者たちは口さがないと言いますから、良きにつけ悪しきにつけその評判は瞬く間に諸国に伝わります。ですから、この王城の地で人心を掴んでおくというのは、これはこれで大切なことなのですよ」


「ははぁ・・・噂の市とは上手いことを申されますなぁ」


 小一郎はその表現の巧みさに関心した。なるほど京は、ちょうど市のように諸国から情報を持った人が群れ集まり、京で醸造された噂はそれらの人々によって諸国へと伝えられてゆく。信長の京での振る舞いや占領軍である織田勢の噂も、やがては日本の津々浦々まで喧伝されるであろう。


「世に満ちる声というのは、何の力もないようにも思えますが、その実、怖いものです。天下を望むほどの者ならば、むしろその声を己の思惑に合わせて作り、広め、世の評判を傀儡のように操るほどでなければなりません」


「世の評判を、傀儡のように操ると・・・!」


 藤吉朗が目を輝かせた。


「いやはや、さすがは信長さまじゃぁ。天下に織田家の評判を広めるために、ことさらあのように賑々しく振舞っておられるっちゅうわけじゃな」


 感心する藤吉朗を見て、半兵衛は苦笑した。


「世人の機微ということで言えば、岐阜さまなどよりも木下殿がこそ、よくご存知でありましょう」


「わしがでござるか?」


 藤吉朗は驚いたように自分を指差した。


「ありゃありゃ、こりゃぁ参ったぞ小一郎。半兵衛殿は、わしなんぞのことを、またどえりゃぁ買いかぶっておられるようじゃわ」


 ペシリと首筋の辺りを叩いて、さも嬉しそうに笑っている。


「世の武士と言えば、我が我がととかく自分を誇りたがるものですが、そうやって韜晦し、智を愚で包まれるあたりが、木下殿の偉さと言うべきでありましょうな・・・」


 半兵衛は静かに笑いながら続けた。


「あの『美濃盗り』の折り、斉藤家の家中の者は皆、美濃の半国ほどの国力しか持たぬ織田家の武威を誇大に怖れ、野良で働く百姓さえもが斉藤竜興殿の暗愚さを呪い、その先行きを半ば見捨てておりました。斉藤家は戦で負ける以前にほとんど自壊しておったわけですが、あれらはすべて、木下殿の裏のお計らいでしょう。世間の機微というものを底の底まで知り尽くした者でなければ、あのように緻密にして周到な根回しは、できたものではありませんよ」


「・・・・・・」


 さしもの藤吉朗も、こう理路整然と指摘されては返す言葉もなかったらしい。


「斉藤竜興殿ではのうて、半兵衛殿がもし美濃の太守であられたならば、我らは上洛どころか、美濃を盗ることさえまだできておらぬやもしれませぬなぁ」


 気を利かせた小一郎が助け舟を入れると、


「いや、まったくじゃ。斉藤竜興殿に罪があるとすれば、半兵衛殿ほどの人物が家中におるにも関わらず、それを使うことができなんだその器量の狭さじゃな。そこへゆくと信長さまは、武勇であれ才覚であれ、能ある者であれば出自も門地も問わずに召抱えてくださり、働く場を与えてくださる。このようなありがたい大将は、本邦はおろか、唐天竺にもおりゃぁせんじゃろ」


 息を吹き返したように藤吉朗が信長を褒め上げた。

 信長は、浮浪者同然だった藤吉朗を泥の中から拾い上げ、その才能を見抜き、銭を与え、兵を与え、身分を与え、ついには織田家の重臣にまでしてくれた大恩人である。


 中世の臭いを色濃く残しているこの時代、人々の間にはまだ血統に対する信仰のようなものがあり、人を見るにしてもその能力、才能で見ず、生れ落ちた場所――門閥や血縁で見るような気分が根強く残っている。つまり、武士として世に立とうと思えばまず侍の子として生まれる必要があり、小さな地侍や豪族よりは筋目の良い門閥の出であることがより望ましく、藤吉朗のような百姓の倅などはどれほどの能力があってもせいぜい足軽にしかなれぬ、というのが世間の常識だったのである。

 しかし――ある意味では奇跡的なことだが――信長という男だけは、その手の中世的な固定観念からは解き放たれていた。


 信長は、人を見るにまずその才能を見た。

 信長には、その人間がどれほどの能力をもっており、どれだけの仕事ができるかということを正確に見抜ぬける目があり、ひとたび「使える」と感じた人間であれば、たとえ門地がなく、どれだけ卑賤の出であっても――あるいはその相手との波長が合わず、好悪でいえば嫌いな部類に入るような人間であったとしても――これを抜擢して使ってゆくだけの大将としての器量があった。その証拠に、後に信長から大軍勢を授けられ織田家の五大軍団長とまで目された柴田勝家、明智光秀、藤吉朗、滝川一益、荒木村重のうち、織田家譜代の臣といえばただ柴田勝家があるのみであり、あとの4人はそれぞれ素性は違うにせよ信長から見ればただの浪人者に過ぎないような連中だったのである。


 もしこの信長という型破りな男が世にいなければ、藤吉朗などはせいぜい織田家の小者頭か、あるいは蜂須賀小六のような男の子分として為すこともなく世を終わっていたかもしれない。

 そしてそのことは、誰よりも藤吉朗自身がよく解っていた。

 頼るべき何物をも持たず、三度の飯を食うことさえできかねるような苦界の中を必死になって生き抜いてきた藤吉朗にとって、信長は、今のこの恵まれすぎた環境を創り出してくれた「神」にも似た存在であったに違いなく、主君というよりは血よりも濃い絆で繋がった愛すべき――そして同時に恐るべき――この世で唯一人の偉大な庇護者であった。その意味で、藤吉朗は織田家の臣である以前に「信長」というカリスマの強烈な心酔者であり、熱烈な崇拝者だったのである。


 半兵衛も、そういうことはよく解っているらしい。


「確かに岐阜さまは、千年万年に一人の天稟を持っておられるやに見受けます」


 と、藤吉朗に逆らおうとせず、


「私の知る限り、今も昔も、本邦ではあのような人物の型を求めることはできませんね。岐阜さまは、この乱れ切った戦国の世を鎮めるという役割を、天から与えられたご仁であられるのやもしれませぬ」


 と、何やら哲学めいたことを言った。


「天から、ですか・・・」


唐土もろこしの歴史などを見ておりますと、そういう人物というのは、何百年かに1人、世に現れるもののようなのですよ。たとえば本邦では――岐阜さまとはまったく毛色が違いますが――律令の世を壊し、武士の世を拓かれた鎌倉の右大将殿(源頼朝)などがそれでありましょう。新しきものを創るというのは、古きものを壊すということです。考え合わせてみれば、古びきった室町の世を壊し、この乱世に新しき秩序を敷くというような荒仕事は、岐阜さまのような果断なご気性の方でなければとても務まりますまい」


(あぁ・・・そうだ・・・)


 半兵衛の言葉で、小一郎は岐阜の町で抱いた感慨をありありと思い出していた。


 信長は、兵農を分離して百姓を戦から開放し、関所を撤廃して人の通行と物流を活性化させ、それまであった「座」の商業的な特権を一方的に廃止して楽市楽座を敷き、商売に自由競争を導入した。これらは、どれ1つとっても「中世」では考えられないような大改革なのだが、信長は既得権益にしがみつこうとする勢力の声を無視して政策を果断に断行した。

 それ以来、信長の領国の風通しの良さと発展の凄まじさはどうであろう。勢力範囲は一気に数倍に膨れ上がり、人の暮らしは物心共に格段に豊かになっている。


 信長さまの支配がこのまま日本の隅々にまで及べば、それだけで古い世が消え去り、戦が絶え、乱世とはまったく違った新しい世が招来されるのではないか――


 「信長」という名には、亡霊のような「中世」の呪縛を徹底的に破壊し、新しい秩序を創造するというような、これまでの大名同士の勢力争いとはまったく次元が違う輝かしい響きがあるようにさえ思えてしまうのである。

 今の小一郎には、半兵衛の言葉が非常によく理解できた。


「ところで岐阜さまは、今後、この京をどうなされるおつもりなのでしょう?」


 半兵衛が藤吉朗に尋ねた。


「長々と美濃を空け、京に居座り続けるわけにも参りますまい。何か申されておりませなんだか?」


「そのことよ・・・・・」


 藤吉朗が難しい顔を作った。


「明後日の22日、朝廷から足利義昭さまに対し、将軍宣下がある」


「おぉ、では、いよいよ・・・」


 信長は、三好氏の軍勢を京から追うや足利義昭を新将軍にするよう公卿などを使って朝廷に工作していた。

 前将軍 義輝の実弟である義昭は、血統から見ても足利将軍家の継承者として申し分ない。京を武力で制圧した信長の発言力の大きさもあって、10月22日に御所に参内し、新将軍の就任式が行われることがすでに内定していた。


「信長さまは、義昭さまの将軍就任を見届けた上で暇を乞い、岐阜へ帰ると申されておった」


「なんと・・・・せっかく取った京を、もう手放されるんか?」


 小一郎は意外であった。

 諸国の大名が京を欲しがるのは、管領なり副将軍なりになって幕府の実権を握り、将軍を擁して天下に号令する、というのが夢であるからだろう。諸大名に先駆けていち早く京に上ったにも関わらず、将軍を即位させてすぐさま国に帰るというのでは、なんのためにここまでやって来たのか解らないではないか。

 小一郎がそう言うと、


「いや、これは岐阜さまのご英断ですよ」


 やんわりと小一郎を制して半兵衛が言った。


「半兵衛殿が信長さまの立場でも、やはり京を離れなさるか?」


 なぜそれが英断なのかまるで解らん、という表情で、蜂須賀小六が尋ねた。


「はい。京に長居は無用と思います」


 誰も半兵衛の言葉の意図が解らず、座が沈黙で包まれた。

 思案顔で腕を組む藤吉朗を横目で眺め、いたたまれなくなった小六が問いを重ねた。


「・・・・さっぱり解らんですのぉ。なにゆえですか?」


「世に、男の嫉妬ほど面倒なものはない、ということですよ」


 半兵衛はおだやかに微笑しながら続けた。


「確かにいま京を離れるのは、近畿を押さえ続けるという面から言えば難しいところです。京に居座り、近畿での織田家の地盤を磐石なものにするという小六殿や小一郎殿のお考えも、確かに一案ではある」


 半兵衛は、他人がどんな意見を持っていても頭ごなしに否定したりくさしたりはしない。


「しかし、此度の上洛は、そもそも足利将軍家を援けるための出兵。で、あればこそ、朝倉、武田、上杉などの天下の強豪も、我らの動きを黙視してくれたのです。このまま我らが長々と京に居座れば、織田は天下に野心がある、と諸国の大名たちが必ず思い、先を越されてはならぬと焦り、いち早く京を制したことを妬み、躍起になって我らを潰しに掛かるでありましょう。それが怖い――」


 将軍を擁し、京を押さえた信長は、なるほど天下取りには絶好の位置にいる。しかし反面、信長の勢力が伸びれば伸びるほど、それを快く思わない諸大名の不満と嫉妬を買うことになる。


「物事には、順序というものがあります」


 織田家の地力が十分に育ち、諸大名の力を圧倒できほどの軍事力を手にするまでは、外交でそれらの勢力をなだめすかして時間を稼いでゆくほか手はないであろう。

 四方の強豪たちの怒りを買わぬようにするには、将軍を前面に立てて天下への野心などはおくびにも出さず、ひたすらに小心に、律儀に、息をすることにも気を使うほどの細心さで淑女のようにおとなしく振舞っておく以外にない、という意味のことを半兵衛は言った。


「京に大軍勢を置いたままで美濃や尾張を攻められれば、今の織田家の力では防ぎようがありません。つまり我らにとっての当面の大敵は、東の武田。少なくとも数年は、かの武田信玄をどうにかして騙し、すかし、虎を穴から引き出さないようできる限りの気配りを重ねていかねばならぬということです」


 そうしておいて、一方では近畿の実効支配を強めていけば良い。


「いま、近畿の大名小名たちは、将軍家と織田家との間で所属が曖昧になっております」


 これらは柿が熟れて木から落ちてくるように、2、3数年のうちには自然と信長をあるじと仰ぐようになるだろう、と半兵衛は言った。


「なぜなら将軍家には一片の土地も1人の軍兵もなく、三好党が再び京に攻め上って来るようなことがあってもこれと戦うことができぬからです。近畿の大名小名たちは、結局のところ岐阜さま以外に頼るべき相手がおりませんから、何度かそういう危機を迎え、岐阜さまが彼らをお救いになり、京をお守りになれば、彼らとしても岐阜さまこそが自分たちの頼るべき主であるという現実に気付かざるを得ません。そうなれば、近畿はなし崩しに織田家のものとなりましょう」


 だから、近畿には防衛のための必要最小限の軍事力を留めるだけにし、主力は美濃に戻し、南伊勢の北畠氏や南近江で抵抗を続けている反織田勢力の殲滅を急ぎ、織田家の力を培うべきである、というのが半兵衛の意見であった。


「京に留まることは、天下に野心を顕すようなもの。今は国許に戻り、伊勢と近江をしっかりと固めることが先でありましょう」


「信長さまは何もおっしゃられぬが、おそらくは半兵衛殿と同じお考えなのであろう・・・」


 話を引き取るように藤吉朗が言った。


「わしも、三好などよりも武田が怖い。信長さまのお考えの底の底までは窺い知れんが、岐阜に帰ることについては同じ考えじゃ。それは良いのじゃが・・・・」


 今夜は珍しく、藤吉朗の顔が冴えない。

 小一郎は、藤吉朗が戻ってきたときからそれに気付いていた。


「なんじゃぁ? 腹でも痛むか、兄者?」


「腹なんぞより頭が痛いわい」


 藤吉朗は苦笑し、


「実はこのたび、信長さまより京奉行の大役を仰せつかってしもうたのよ」


 と言った。



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