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王佐の才  作者: 堀井俊貴
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第101話 三十五而知天命

 信長に拝謁した翌日、半兵衛は摂津を発った。


 病身にはきつい長旅である。

 半兵衛は藤吉朗の勧めに従って淀川を川舟で上り、無理せず京で一泊した。翌日、輿で大津まで進み、羽柴家所有の四十挺艪の関船を借りて琵琶湖を横断する。

 長浜に着いた時、すでに火灯し頃であったが、その足ですぐに登城し、留守を守る木下七郎左衛門(杉原家次・寧々の叔父)に面会した。


「松寿を亡きものにせよと・・・・!」


 話を聞いた七郎左衛門は声を落とし、深刻そうに眉根を寄せた。

 しかし、信長の命と言われればそれ以上どうしようもない。


「むごいのぉ・・・・」


 この老人は嘆くように何度も言った。


 松寿丸は藤吉朗の一門の子供たちや他の人質の子弟などと共に長浜城の奥で暮らしている。当然だが、奥の宰領者である寧々に話を通さねばならない。

 半兵衛が面談を願うと、寧々はごく気さくに表の小書院に出て来てくれた。


「あぁ、半兵衛殿、しばらくぶりですね」


 久々に半兵衛を見た寧々は、そのやつれ振りに驚いたようであった。


「ずいぶんお痩せになりましたね。あの人がご苦労をお掛けしているのでしょう」


 申し訳なさそうに表情を曇らせたので、


「奥方さまは、またしし置きが豊かになられましたようで――」


 半兵衛はわざと軽口で返した。

 この時代、身体が豊満であることは美人の要素のひとつとされているから、これは決して悪口ではない。

 が、寧々はその軽口には乗らず、


「お身体――どこぞお悪いのではないですか?」


 真剣な口調で訊いた。


「お気遣い、ありがたく存じますが――私の虚弱は生来のものにて、昨日今日始まったものでもありません」


「そうですか・・・・。此度の帰国は、少しはゆるりとできるのですか?」


国許こちらでの用が済みましたら、京でしばらく静養するよう殿から命ぜられました。殿にはご心配ばかりをお掛けし、かえって申し訳なく思うております」


 半兵衛は、あらためて藤吉朗の消息、摂津や播磨の政情、先の見通しなどを寧々に語り、さらに本題に入った。言い出しにくいことではあったが、官兵衛が有岡城で消息不明となったこと、それに続く信長の命令と自身の帰国の趣旨などを正直に伝えた。


「お松を――」


 寧々はほとんど呆然と呟いた。

 彼女は生来の子供好きで、自らは子を産まぬくせにその世話は上手く、養子や甥・姪はもちろん、預かった多くの子供たちを我が子のように育てていた。これは松寿丸も例外ではなく、たとえば食事などの世話はごく日常的に焼いてやっていたし、その衣服を寧々が手ずから縫ってやったことさえある。

 その松寿丸を――


「殺すのですか・・・・」


 さすがに寧々も戦国の女であり、取り乱すことこそなかったが、その表情に濃い哀情と憐憫のかげが浮いた。


 ここまでのやり取りは、半兵衛の隣に座る七郎左衛門はもちろん、廊下で控える寧々の侍女、次室にいる小姓などの耳にも当然聞こえている。

 半兵衛は、ここで人払いを願った。

 寧々がこれに応じ、周囲から人の気配が去ると、半兵衛は声を落とし、この賢明な女性にだけ松寿丸を美濃の菩提山に匿うつもりであることを告げた。


「私には黒田官兵衛が裏切ったとは思えません。いま松寿殿を殺してしまえば、後々取り返しのつかぬことになるのではないかと危惧しておるのです。他聞をはばかることですが――上様には始末したと報告し、事の実相が分明致すまで松寿殿を隠します」


 寧々は肝が据わった女である。さほどには驚かなかった。

 少し考え、


「その事は、あの人は存じておりますか?」


 と質問した。


「そのようにする、と、しかと伝えたわけではありませんが――お察しくだされてはおりましょう。ただ、これは私が一存で為すことにて、殿はご存じなかったとしておく方が都合がよろしいかと・・・・」


「お松の父なるご仁は、信頼できる方ですか?」


「官兵衛は信じるに足る男です。そのことは私が請け合います」


「・・・・わかりました」


 寧々はきっぱりと言った。


「半兵衛殿のお言葉を信じます。よきようになさってください」


「ありがとうございます」


 半兵衛は深く頭を下げた。


「この事をお耳に入れたのは――奥方さまに、後のことをお願いしておきたかったからです。武士として戦場にある以上、私もいつ命を落とさぬとも限りません。有岡城が落ち、官兵衛に罪がなかったと分明しましたる時、私が生きておれば良いですが、もし死んでおったとすれば、松寿殿の身が宙に浮いてしまいますので・・・・」


 半兵衛の妻では信長との縁が薄すぎる。官兵衛の無罪が証明された時、松寿丸の生存を信長に伝え、その罪の許されるよう取り成してもらうには、信長に愛されている寧々から口をきいてもらうというのが最適であろう。

 半兵衛はそう判断し、寧々もそれを理解した。


「お引き受けしました。ただ――わたくしには出番はないものと思っています。官兵衛殿の身の潔白が明らかとなった時には、半兵衛殿ご自身が上様にお詫び申し上げるのがおよろしいでしょう」


「はい。私もそのつもりでおります」


 そこで半兵衛は、總持寺で謁見した信長の様子を話した。

 信長の謎のような言動にも触れ、


「あるいは上様も、私の肚を見抜いておられるやもしれません」


 と言うと、寧々は頷いた。


「そうかもしれませんね・・・・」


 信長ほど人を見抜くに鋭い男もないのである。


「上様のことを悪鬼や魔王のように言う方もあるようですが――あのお方はお若い頃から、ご自分にも厳しく、他人ひとにも同じように厳しいというだけなのだと思います。少し天邪鬼なところもおありですし、ひとたびお怒りになられるとそれは荒神あらがみのように怖ろしいですけれど――本当は思いやりのある、お優しい方です。愛憎は紙一重と申しますでしょう? 上様は、きっと、常の人よりもずっとじょう深くお生まれになったのでしょう」


 愛することも憎むことも、常人の数倍のエネルギーでそれを行うのかもしれない。


「なるほど・・・・」


 こういう信長評を聞くのは半兵衛にしても初めてである。女性ならではの見解と言えそうだが、頷けるところがないでもない。


 ただ、地位が人を作るということがあるように、地位が人を壊してしまうこともままあるということを半兵衛は知っている。絶対的な権力を握った人間というのは容易に人格を持ち崩すものであり、特にその老後――精神にある種の張りを失った時――抑制のタガが外れ、自己がどこまでも肥大化し、人変わりしたように醜悪な所業に手を染めてしまうという例が実に多いのである。古今東西の覇者の歴史がまさにそれを証明している。

 信長は現在でも天下人だが、その強大な権力はこの後いよいよ高まってゆくであろう。五年後、十年後の信長は、果たして現在の信長と同じでいられるだろうか。天下布武を成し遂げ、日の本・六十余州を余すところなく征服し尽した時、信長はどのように変わっているだろう・・・・。

 正直、それは半兵衛にも想像がつかない。


(幸か不幸か――私はそれを見届けることができない・・・・)


 諦念と共に、半兵衛はそう自覚してもいるのだった。

 そういう半兵衛の心中を見透かしたわけでもないのだろうが、辞去しようとする半兵衛に向け、


「どうかお身体をお労りくださいね。半兵衛殿が傍にあってくれるだけで心強いと、あの人はいつも申しておりました。半兵衛殿には、これからも長くあの人を支えてやって頂きたいのです」


 と寧々が言った。


「お言葉、ありがたく肝に銘じます」


 半兵衛は目礼し、城を下がった。


 さすがに身体がひどく疲れている。

 家来の肩を借りつつ長浜城下の屋敷に帰った半兵衛は、久しぶりに会った妻子との団欒だんらんを楽しむこともなく、倒れ込むように床についた。



 半兵衛が再び長浜城に登って松寿丸と対面したのは、その三日後である。

 この間、体調と体力の回復に努めたので、多少は生気を取り戻し、顔色も幾分かは良くなっている。


 半兵衛が書院で待っていると、黒田家の家臣二人に付き添われて松寿丸が現れた。


「あぁ、松寿殿、しばらくお会いせぬうちにまた大きゅうなられましたな」


 会うのは一年ぶりである。


「お久しぶりでございます。またお目にかかれて嬉しゅうございます」


 何も知らぬ少年は、半兵衛を見ると利発そうな目を輝かせ、膝を揃えて座ると礼儀正しく挨拶した。いかにも腕白坊主といった利かん気の強そうな顔である。子供のわりに体躯が立派で、たとえば相撲などを取らせると子供たちの中でも一二を争う強さなのだという。


「松寿殿はよう学ばれておりますか?」


 半兵衛は柔和な笑みを浮かべ、少年の背後に控える二人の武士に尋ねた。松寿丸の守役として姫路からついて来た者たちで、名は井口と大野といったはずだ。


「日々よう励まれておりまする。若様は文事より武事がお好みのご様子で――」


 年かさの井口兵助が答えようとすると、


「弓と太刀と槍を、毎日修練しております。馬にも乗れるようになりました!」


 語尾をむしり取るように松寿丸が大声で応えた。


「それは重畳。・・・・ですが、文事を疎かになされては、父御ててごのような立派な武士にはなれませんぞ。松寿殿は、末は黒田家の大将――文武両方の道に励まれねばなりません。そのことをお忘れあるな」


「はい!」


 少年の返事が実に良い。

 半兵衛は微笑し、頷いた。


「実は、松寿殿に他へ移って頂くことになりました。明日、長浜を発ちます。そのおつもりで今日のうちに身の周りを整理し、支度を済ませてください」


 半兵衛の言葉に、二人の武士の顔が強張った。

 官兵衛の消息が知れぬということは、さすがに彼らの耳には入っている。官兵衛は「裏切り者」と看做されているらしいから、人質である松寿丸はいつ殺されても不思議はないのである。


(半兵衛殿は死の使者ではないのか・・・・)


 と疑ったのも当然であった。


「どちらへ行くのでしょうか?」


 若い大野九郎左衛門が急き込むように尋ねた。


「詳しいことは、また道々お話します。出立は明日の夜明けとしましょう。そのおつもりで支度をなされよ」


 口調は優しいが、半兵衛の言葉には反論も質問も許さぬ強さがあった。


 翌日、一行は長浜を発った。

 半兵衛とその従者三人、松寿丸とその守役の二人――計七人である。

 異様だったのはその風体で、半兵衛たちは深編み笠を被り、わざわざ無紋の羽織を着、一見すると浪人者のような姿に身をやつしていた。黒田家の三人も、用意されたそれを身につけさせられた。半兵衛ほどの身分の武士が馬さえ使わず、徒歩かちで移動というのも妙であり、井口と大野は不審がったが、今日の半兵衛には有無を言わせぬ威があり、二人はその指図に神妙に従った。


 進路は東である。

 琵琶湖に背を向け、伊吹山の方へ足を向けたのを見て、


(安土にでも向かうのかと思うたが――行き先は美濃か尾張か・・・・?)


 二人は首をひねった。


「あの遠くに長く南北に横たわるのが伊吹の山々。あれなる手前の小山が横山と申し、横山城があります。まだ湖北に浅井氏があった昔、筑前殿と私たちはあの横山城にて浅井長政殿と戦うておりましてな――」


 傍らを歩く少年に、半兵衛は気さくに話しかけ、


「地理地勢を知っておくこと、道がどこからどこへ続いてゆくかを心得ておくことは、武将にとって大事なことです。知らぬ土地を歩く時は、常に心に留められよ」


 などと教導したりしながら歩を進めてゆく。

 松寿丸の足に合わせ、移動はのんびりした速度である。時折、休息も挟む。

 横山城の北を抜けて北国脇往還から東山道へと連絡し、関ヶ原へ入ると、早くも日が西に傾き始めた。


「松寿殿、お疲れではないか?」


「はい。平気です」


 松寿丸は笑顔で即答した。

 すでに二十キロ以上を歩いている。気丈な少年であった。


「あと一刻も歩けば、私の故郷です。不破郡ふわのごおり岩手村と申し、菩提山という山の麓にある」


「半兵衛殿――」


 ここまで黙って従って来た大野九郎左衛門がたまらず声を上げた。


「そろそろどちらへ向かっておるのかお明かし願えませぬか」


「ですから、不破郡岩手村――私の故郷ですよ」


「半兵衛殿の・・・・?」


「松寿殿には、世からしばらく消えてもらわねばなりません」


 そこで半兵衛は、ようやく自分の意図を一行に明かした。

 官兵衛が有岡城で消息不明になったこと。信長の命で松寿丸を殺さねばならなくなったこと。自分は信長を諌めたが、力及ばず聞き入れられなかったこと。それでも自分は官兵衛の潔白を信じ、松寿丸を匿うつもりであること――

 松寿丸にとってはいちいち初耳の話であり、息をするのも忘れるほどの衝撃であったろう。松寿丸は十二である。子供とはいえ、事態の深刻さはよく理解できた。


「――ですから、松寿殿はすでに長浜で死んだことになっています」


「では、半兵衛殿は安土さまを謀ってまで若様を・・・・!」


 井口と大野は激しく感動した。


「ご窮屈ではあろうが、松寿殿はしばらく菩提山の城でお暮らしくだされ。そこに伊藤半左衛門と申す信頼できる老臣がある。その男に万事申し含めておきますから、安堵なされよ」


 松寿丸――後の黒田 甲斐守 長政は、この時受けた衝撃と半兵衛の厚情を生涯忘れなかった。

 黒田長政は後に筑前に封ぜられて福岡藩の祖になり、五十二万三千石の大大名になる。その時、半兵衛はすでに死んでいたが、半兵衛の子・竹中重門に頼んで半兵衛の孫を一人もらい受け、筑前で高禄を与えて厚遇し、受けた恩に酬いている。


 一行はその夜、人目をはばかりつつ岩手村に到り、菩提山の城に入った。


 幼い身に遠路はこたえたのであろう。松寿丸は食事を取るとすぐに寝入ってしまった。

 半兵衛も疲れてはいたが、黒田家の二人を呼び、竹中家の臣である伊藤半左衛門と引き合わせ、あらためて少年の行く末につき言葉を掛けた。


「有岡城が落ちれば、官兵衛殿の事については実相が知れましょう。その身が潔白であれば、松寿殿を再び世に戻します。しかし、万一、官兵衛殿が二心を抱き、荒木殿に同心して毛利方に合力しておったとすれば――」


主君あるじはそのような男ではありませぬ!」


 若い大野九郎左衛門が叫ぶように言った。


「私もそう信じています。なればこそ、このようにしている。ですが、物事に絶対ということはありません。まず聞かれよ」


 半兵衛は噛んで含めるように言った。


「官兵衛殿が織田を裏切っておったとすれば、私は自らの不明を一死をもって安土さまに詫びねばなりません。哀れですが――松寿殿も世には出せぬことになる。その時は、すでに死んだことになっておるを幸い、寺に入れて僧になさるのがよろしいかと思います」


 世を捨てて僧籍に入ってさえおけば、万一生きていることが露見したとしても、おそらく信長も命までは取るまい――という意味のことを半兵衛は続けた。


「世は常に動いてゆきます。生きてさえあれば、先々どうなるかは解らない。十年、二十年先――たとえば松寿殿が還俗して武士に戻り、黒田家の采配を握る日さえ来ないとも限りません。ですから、決してくことなく、お二人には慎重に事を処して頂きたいのです。松寿殿の成長を陰から見守り、世が変わるのを待たれては如何かと――もちろん、これは万が一の時のことですが・・・・」


 二人はあらためて半兵衛の思いやりとその深慮を知り、涙を流して平伏した。


「お命を賭けてまでのご厚情・・・・! 我ら、もはや感謝の言葉もありませぬ!」


 年長の井口兵助が嗚咽おえつをこらえつつ言った。

 気性がまっすぐな大野九郎左衛門は感極まってしまったのか、


「かたじけない、かたじけない」


 と土下座しながら叫ぶのが精一杯である。


「半兵衛殿のお言葉に従いまする。このご恩は、黒田の者は末代までも決して忘れませぬ!」


 それを聞いた半兵衛は首を振り、微笑した。


「私は何も恩を売るために為しておるのではありません。私を動かしたものがあるとすれば、それは官兵衛殿の徳と申すものだ・・・・」


 わずかに顎を上げ、中空を遠い目で見詰めた。


「ハキとせぬことは口にすべきではないが――私はなぜか、官兵衛殿が生きておるような気がしてならぬのですよ」


 人にはそれぞれ天命というものがある。官兵衛が、天から与えられた役割をまだ全うしておらぬなら、天は官兵衛を生かすに違いない。


(私の命が病で尽きるとすれば、それも天命――天から振られた私の役割が終わったということなのであろう・・・・)


 そう考えれば、半兵衛が松寿丸を生かそうと決意したことも、あの少年の天命の為せるわざなのかもしれない。生きてこの世でせねばならぬことが、松寿丸の未来にはきっとあるのだろう。


(松寿が生きるのも、つまりは天命なのだ・・・・)


 孔子は七十三年の天寿を生き、「五十にして天命を知る」と言った。

 半兵衛は数えでまだ三十五だが、三十六歳で死ぬその生涯を思えば、この時は最晩年と言っていい。何かしら悟るところがあったのに違いない。



 その後、半兵衛は身を京へ移し、藤吉朗の京屋敷の離れを借り、療養生活に入った。


 天正六年(1578)も暮れ、すでに十二月に入っている。

 その九日、夜になって藤吉朗が突然見舞いにやって来た。

 取り次いだ家来からその事を聞き、すでに床に入っていた半兵衛は慌てて夜具を片付けようとしたが、どかどかと廊下を踏み鳴らし、家来を押しのけるようにして勝手に部屋まで入って来た藤吉朗は、


「いやいや、そのままそのまま。よいのだ。わしに気など使うな」


 笑顔でそれを制し、半身を起こした半兵衛の傍らにどかりと座った。

 伊丹の戦陣から直接来たのであろう、小具足姿の藤吉朗は戦塵で顔が真っ黒である。


「いやぁ、京の冬は相変わらず底冷えがひどいのぉ。これ、もっと火鉢に炭をくべよ。ケチることはないのだ。炭ならいくらでも届けさせるで、この離れのみは常に春のように暖かくしておけ」


 などと半兵衛の近侍を陽気に叱った。


「実は明後日、再び播磨に下ることになってな。しばらく京には来れぬやもしれんで、半兵衛殿の顔を拝んでおこうと思い立って、こうやって来たという次第じゃ。――あぁ、播磨のことなら心配はいらんぞ。別所は相変わらず城に篭って出て来んと、小一郎の手紙ふみに書いてあった。上様はわしの播磨入りにあたり兵糧、矢弾などを合力してくだされたし、右衛門殿(佐久間信盛)、日州殿(明智光秀)らの兵を加勢につけてもくだされたで、三木城の戦もこれでずいぶん楽になるじゃろう」


 半兵衛は思わず微笑した。

 質問する隙間も、またその必要もない。実に騒がしく多弁で、しかも無駄のない男である。


「『播磨に行くついでに有馬も攻めよ』と命ぜられてしもうたで、すぐに播磨に入れるっちゅうわけでもなさそうやが、まぁ、そっちは何とでもなるわ」


 信長の人使いは相変わらず荒いらしい。

 半兵衛が目でそう言うと、それを察して藤吉朗は笑った。


「して、身体の方はどうじゃ」


「はい。もうずいぶん良いと思います」


「上様のご典医である曲直瀬まなせ道三殿に話しておいたが、ここへ来たか?」


「ご子息の玄朔げんさく殿が何度か参ってくださり、薬湯なども煎じて頂きました」


「それは重畳」


 藤吉朗は満足げに頷いた。


「わしの母ちゃんなぞは、灸さえ据えればどんな病でも治ると信じておるらしゅうてな。わしが風邪でもひこうものなら、灸を据えよ据えよと今でも煩く言うて来るが、半兵衛殿の病には、さすがにそれでは済むまい。曲直瀬殿は当代きっての名医と聞いておるで、そのご子息であれば腕は確かであろう。申しつけをよう聞き、病が治り切るまで十分に療養に努めてくだされよ」


 その言葉に真心がこもっている。


「日々美味いものでも食い、まずはゆっくりと身体を休めることじゃ。決して急いではならんぞ。気長に治せばよいでな」


「ありがとうございます」


 その心遣いが半兵衛は嬉しかった。


「何なら、国許から妻女を呼んではどうか。むさい男手でばかりでは看病も行き届くまい」


 家来の妻子が城下で暮らすのはそこに「人質」の意味合いがあるからで、この提案は異例であり、藤吉朗の格別の配慮と言えたが、半兵衛は静かに首を振った。


「私の病は人に移るといいます。妻までこの病に掛かれば吉助が困りましょう」


 吉助――半兵衛の一人息子――この時まだ六歳である。


「殿のそのお気持ちだけ、ありがたく頂戴しておきます」


 半兵衛と藤吉朗は、久しぶりに主従水入らずでしばらく話をし、夜食を共にした。

 官兵衛の事、松寿丸の事は、話題に上らない。お互い、あえてそれに触れようとはしなかった。


 藤吉朗はそのまま京屋敷で泊まり、翌朝、夜明けと共に再び摂津に戻って行った。


「京の朝夕は冷える。見送りは無用じゃぞ」


 と前夜に釘を刺されたが、半兵衛は衣服をあらためて玄関に立ち、藤吉朗の門出を寿ぎ、一行が見えなくなるまで門前で見送った。





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