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王佐の才  作者: 堀井俊貴
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第100話 半兵衛の決意――摂津激震(4)

 藤吉朗からの手紙が平井山に届いたのは、十一月の下旬であった。

 その手紙には、松寿丸を殺さねばならなくなった事情がごく簡潔に綴られていた。


(なんちゅうことや・・・・)


 小一郎としても暗然とした気持ちにならざるを得ない。

 官兵衛を諦めてまで織田方につこうとしている黒田氏の人質を殺すというのは、無茶苦茶ではないか。そんな没義道なことをすれば、黒田氏は当然激怒し、織田を捨てて毛利方に奔るであろう。

 しかし、黒田氏をなんとか離反させぬようにせよ、と藤吉朗はいう。厄介事を小一郎に丸投げした格好で、あの兄には昔からそういうところがある。

 口で言うのは簡単だが――


(どのつら下げて宗円殿に会いにゆけというんじゃ・・・・)


 小一郎は正直、途方に暮れるような気分であった。

 手紙を読んだ半兵衛は、不快さを隠さなかった。


「官兵衛殿や宗円殿の信義に、不義をもって応えることになります。いかに安土さまのお下知とはいえ、このことばかりは承服できません」


 その語気の強さに小一郎はかえって驚いた。


「いや、それはそうですが――」


 気持ちは小一郎だって同じである。

 しかし、あの信長の下知だと言われてしまえば、小一郎にはそれ以上どうすることもできない。どんなに過酷で無道な命令であろうとも、天災にでも遭ったと思って諦めて従うほかないのである。現に小一郎は、松寿丸の命についてはすでに諦めていて、どうやって黒田氏の気持ちをなだめるかをのみ考えていた。

 しかし、半兵衛はそうではないらしい。


「官兵衛殿の一人子を殺すなど、させません」


 京に上って信長に直言し、その命令を撤回させるとまで言い出したから、小一郎は仰天した。


(いかに半兵衛殿でも、そればかりは――)


 あの信長が、諫言なぞ聞くはずがないではないか・・・・。

 むしろ小一郎が案じたのは、半兵衛の身体のことである。この冬の半兵衛の病がどうやらただの風邪ではないらしいということを、この頃にもなると小一郎も薄々ながら察し始めている。この寒い季節、身体に負担の多い長旅などをすれば、一気に病状を悪化させかねない。


「小一郎殿」


 小一郎の煮え切らない態度を見た半兵衛は、さらに語気を強めた。


「義を見てせざるは勇なきなり――といういにしえの聖賢の言葉があります。為すべき時、為すべき事をしておかねば、後に必ず悔いることになりましょう。この事は私に任せてください」


 半兵衛は大儀そうに立ち上がると、姫路へゆくと言い残して去った。

 まず黒田氏に今度の信長の措置を伝え、決して軽挙せぬよう宗円に釘を刺しておくつもりなのであろう。


 人前では努めて普通に振舞っている半兵衛だが、実はすでに一度喀血かっけつしている。それ以来微熱が去らず、全身の倦怠感がひどい。実際は平井山の登り下りも難渋しているくらいで、四肢の関節がだるく力が入らないから馬に乗ることさえできそうにない。やむを得ず家来に板輿を担がせ、それに乗って姫路へ向かった。


 話を聞いて悲憤したのは、姫路の宗円入道である。

 我が子である官兵衛を捨て殺しにしてまで織田家への忠節を守ろうとしているのに、人質を殺すという信長のやり様はどうであろう。


「いったい安土さまは、我らにどうせよと申されるのか・・・・!」


 毛利方へ奔れと促されているようなものではないか。


「お怒りはごもっともです。ですが、松寿殿のお命はこの半兵衛が誓ってお守り致します。決して軽挙をなされてはなりません」


「守ると半兵衛殿は申されるが、安土さまが殺せとお命じになったものを、どうなさると言われるのか」


「安土さまに思い止まって頂くよう、これからお願いにあがります」


「思い止まって頂けぬ時は・・・・?」


「その時は、松寿殿を殺したことにし、私の一存で事を運ぶつもりです」


 宗円はさすがに驚いたように目を見開いた。


「有岡城が落ちれば、官兵衛殿に罪がなかったと必ず明らかとなりましょう。その日まで、松寿殿を隠します」


「安土さまをたばかると申されるのか・・・・!」


 半端な覚悟でできることではない。信長を騙したなどということが知れれば、半兵衛の首が飛ぶことはもちろん、竹中氏の一族郎党にまで累が及ぶであろう。


(半兵衛殿は、そこまで我らのことを・・・・)


 という感動が、宗円の目を潤ませた。


「安土さまへは揺るがぬ忠節をお示しになりつつ、しばし時節が移るのをお待ちくだされ。決して悪いようには致しませぬ」


 宗円は、半兵衛の熱意に誠実さを見た。信長のやることは信じられないが、半兵衛の言葉なら信じられると思った。


「・・・・半兵衛殿のお言葉に従いましょう」


 御着にある黒田氏の屋敷を焼き、人質としてそこに住まわせている妻子を取り返す――と宗円は言った。小寺氏と決別する態度を明確にし、織田方を貫くことをあらためて天下に示そうというのである。このことを知れば、信長も黒田氏の誠意を察し、松寿丸に憐れみを掛ける気になってくれるかもしれないという多少の期待もあったであろう。


 半兵衛は平井山へ戻り、小一郎に経緯を説明し、再び重い身体を板輿に乗せた。

 行き先は、摂津である。



「半兵衛殿・・・・!」


 伊丹の羽柴軍の陣屋に現れた半兵衛を見た時、藤吉朗はほとんど絶句した。

 板輿での移動がよほど身体にこたえたのであろう、家来に両脇から支えられた半兵衛は辛うじて立ってはいたが、額から血の気が失せきり、肩で荒い息をしている。


「姫路の事についてはご心配には及びません。この件につき、安土さまにどうしてもお願いしたき儀がありますので、拝謁が叶うようお取り計らい願えますか」


 半兵衛は気力を振り絞るようにして薄く笑ったが、すでに様子が尋常ではない。


「そんなことは後じゃ! えぇい、何をしておる、半兵衛殿をわしの宿舎へお移しせよ。床を延べよ。すぐに医者を呼べ! 走れ!」


 藤吉朗は左右の者に大声で命じた。


「お悪いのは胸ですな」


 診察を終えた医僧は、別室で待っていた藤吉朗にそう断を下した。

 半兵衛の呼吸音がおかしいのは藤吉朗も気付いていた。が、あえて考えないようにしていたと言えなくもない。この時代、肺病は死を宣告されるのに等しい。


「まことに申し上げにくいことですが――この病に効く薬はございませぬ。滋養のつくものを採り、身体をなるべく動かさず、ご静養に努められるがよろしいかと・・・・」


「まさか・・・・」


 労咳ろうがい――?


 藤吉朗の無言の問いに、


「おそらく――」


 医僧は気の毒そうに視線を落とした。

 労咳は現在でいうところの結核で、この時代にはまだ特効薬がない。治癒率は怖ろしく低く、発病したが最後、ほとんど数ヶ月で死に至る。


「・・・・間違いない――のか?」


 藤吉朗は尻から魂が抜けてゆくような気がした。


「いずれ戦陣では満足に療養というわけにも参りませぬ。京あたりにお身をお移しになり、名のある医師に診せることをお勧め致します」


 半兵衛はそのまま眠ってしまったという。

 翌日、藤吉朗が病室を訪ねると、半兵衛は少しだけ生気を取り戻していた。


「ご心配をお掛けしました。もう大丈夫です」


 夜具から半身を起こした半兵衛は、弱々しく笑った。


「何が大丈夫なものか。半兵衛殿の病には気をつけよと念を押しておいたに、小一郎め、何をしておったか・・・・」


「寒くなると体調を崩すのは私にとって常のことです。そうお気遣いくださいますな」


「いいや。本復するまで京で静養を申し付けるぞ。これはわしの命じゃ」


 藤吉朗は怖い顔で言ったが、半兵衛は気に掛ける風もなく、


「私のことより、今は松寿殿のことです」


 さらりと話題を変えた。


「せめて有岡城が落ち、官兵衛殿が本当に裏切ったのかどうか事の実相が分明するまでは処置をお待ちくださるよう、安土さまにお考えを変えて頂かねばなりません。私はそのつもりで摂津へ参りました。安土さまに拝謁できるようお取次ぎをお願いします」


「ううむ・・・・」


 藤吉朗は、できればこの問題には触れたくない。信長は言い出したら聞かない性格だから諫言するだけ無駄だと思っていたし、自らの保身のために官兵衛を切り捨てたと言えなくもない藤吉朗にすれば、この点を他人からつつかれることは不快でもあった。


「いや、半兵衛殿、気持ちは解るが・・・・」


 渋い顔でなんとなく言葉を濁した。

 そういう藤吉朗を見、半兵衛はその心中を察したらしい。


「殿は、官兵衛殿が荒木殿に同心したとお考えなのですか?」


 声音に、なじるような響きがわずかに混じった。

 それを敏感に感じた藤吉朗は、慌てた。


「いやいや、官兵衛に限ってそんなことはあるまい。すでに死んだか、生きておるとすれば有岡城で囚われとると思うんやが・・・・」


「私もそう思います。もしここで松寿殿を殺せば、後々取り返しのつかぬことになる。これは自明のことです」


「そうかもしれん。じゃが、上様はあのようなお人柄じゃ。今さら何を申し上げてもご翻意はしてくださるまい。それどころか、下手に官兵衛を庇い立てすれば火の粉がこちらに降り掛かって来んとも限らん・・・・」


 思わず出た本音に、


「事の成否は天に預けましょう」


 と半兵衛は強く言った。


「官兵衛殿や宗円殿の信義に、我らが誠心をもって応えねば、彼らに会わせる顔がないではありませんか。ともかく我らは、為すべきことを為さねばならぬはずです」


(気軽に言いやがる・・・・)


 という腹立ちが、藤吉朗にないでもない。捨てるもののない身軽な半兵衛と、「大名」である藤吉朗とでは、立場が違うのである。


 藤吉朗は織田家の重臣であり、信長のもっとも忠良な家来であると自認している。個人的な義理や情誼などと「信長の命令」を秤に掛ければ、当然ながら「信長の命令」の方が重い。今度の官兵衛の問題は「情」で処理するような課題ではなく、優先されるべきは「主君の意」であると、藤吉朗は己に対して言い訳することができた。

 この点、藤吉朗はどこまでも織田家の官僚であった。たとえば松寿丸を殺すことについても、それは自分が殺すのではなく、信長が殺すのだとして図太く割り切っており、官兵衛や宗円が恨むべきは信長であり、自分ではない、と開き直っていたと言えなくもない。


 が、半兵衛が吐いたのはまさしく正論であり、そのことは藤吉朗も認めざるを得ない。

 説得できるかどうかは問題ではなく、やるべきことをやるのが人の道ではないか――とまで言われれば、藤吉朗も己の保身にばかり固執するわけにはいかなくなる。官僚らしく責任の所在をくらませて逃げることは、この場合、男としての器量を下げることになるであろう。


「それでも上様がお聞き届けくださらず、重ねて松寿を殺せとお命じになったら、何とするつもりじゃ・・・・?」


「その時は致し方ありません。お任せくだされば、私が一切の始末をつけます」


 声は気怠げだが、半兵衛の眼の光は強い。


(こいつ、その時は上様をたばかり、松寿をかくまう気か・・・・)


 と、藤吉朗は察した。

 あの信長の命に真っ向から逆らうなど、正気の沙汰ではない。それがもし露見すれば、半兵衛の首が飛ぶことはもちろん、一族郎党にまで累が及ぶであろう。極言すればたかが小僧っ子の命ひとつを救うために、リスクが高すぎるではないか・・・・。

 半兵衛がそこまで黒田氏に肩入れするのは、官兵衛の無実を信じ切っているからこそであろうが、それにしてもこの肚の据え方は尋常ではない。


(半兵衛殿はすでに己が死期を悟っておるのではないか・・・・)


 ふとそう思った。

 自分の寿命が長くないと見切り、いざという時は己の一死をもって責任をかぶるつもりなのではないか。


(何もかもお見通しの男じゃ・・・・)


 己の死期だけ見通せないということはないであろう。

 そこまで思い至った時、藤吉朗は己の保身に汲々としていた自分が急に恥ずかしくなった。半兵衛がここまで男を見せているのに、自分は何をしているのか、と。


「よう解った」


 持ち前の大声で言った。


「この事は、わしはもう口を挟まぬ。半兵衛殿にすべてお任せするで、気の済むようになさってくだされ」


 藤吉朗はことさら気軽な調子で続けた。


「ただし、事が済んだら、病が本復するまで京でゆるりと静養してもらいますぞ。半兵衛殿にはこれからもまだまだたすけてもらわねばならんで、早いとこ病を治してもらわねば、わしが迷惑する。よろしいな?」


 ニヤリと笑う藤吉朗に、半兵衛も微笑を返した。



 信長が、荒木村重の配下であった高山右近と中川清秀を調略で寝返らせたということは先にも触れた。

 『信長公記』によると、中川清秀の寝返りが十一月二十四日である。

 この頃、信長は、摂津の北東――茨木にほど近い總持寺そうじじに本陣を据えていた。


 總持寺は高野山を本山とする真言宗の寺で、巨大な大門、脇門を備え、四囲を練塀で囲った城郭寺院である。広大な境内には五重塔と多宝塔がそびえ、金堂、講堂、食堂、鐘楼などの伽藍と数多の僧坊がいらかを並べており、大軍の駐屯にも適している。越前衆の前田利家、佐々成政、不破光治、金森長近らの軍勢がここに陣を据え、信長の警護をしていたという。

 信長はこの寺を拠点に周囲の戦線を督戦し、また茨木城の中川清秀に対して調略を行うなどして忙しく過ごしていた。


 高山右近に続き、中川清秀の調略が成功したことによって、摂津北部の支配権は織田方に戻ったと言っていい。混沌としていた摂津の政情は趨勢が徐々に定まりつつあり、その意味で信長は少しばかり余裕を取り戻していたであろう。

 機嫌もそう悪くなかったに違いない。


 半兵衛が總持寺に赴いたのは、ちょうどこのあたりの時期である。

 陪臣である半兵衛には単独で信長に面会する権利はないから、藤吉朗がその介添えをしたことは言うまでもない。

 広い金堂が、謁見のための広間として使われていた。

 近侍から声が掛かり、藤吉朗が隣の半兵衛と共に平伏すると、しばらくして下手しもての襖が開き、信長が現れた。


「播磨から竹中半兵衛が上って参りましたゆえ、中国筋の話をお聞き願いたいと思い、連れて参りました」


 上座に座った信長はわずかに目元を和らげ、


「聞こう」


 とだけ言った。

 機嫌は悪くなさそうだ――と、藤吉朗はわずかに安堵した。


 半兵衛は手土産代わりにまず播磨とその隣国に関する最新の情勢を報告した。

 三木城攻めは、敵の補給線を潰し、毛利氏との連携を断ち切ってはいるものの、城方の備えが十分であるからまだまだ時間が掛かる。播磨の羽柴軍は荒木村重の援軍が抜けたために兵力が不足し、難渋しているが、三木城の包囲態勢は磐石であり、毛利氏の支援さえ許さなければ城はいずれ立ち枯れるであろう。別所氏を封じつつ、同時に但馬の経略も進めている。すでに因幡の山名氏は味方についており、備前の宇喜多氏はまだ去就に迷っているようだが、別所氏さえ滅びればこれも織田に靡くに違いないく、そうなれば中国東部の形勢は一気に決まるであろう。その後、山陽なら備中、山陰なら伯耆あたりで、毛利氏との主力決戦ということになるのではないか――といった内容である。

 時折、信長は、


「三木城にはいかほど掛かるか」


 といったように短く質問を挟む。


「まず半年から一年ほどはお待ち頂くことになりましょう」


 そのたびに半兵衛は明確に返答した。

 その情勢分析は実に明晰であり、説明は簡素にして要領を得ている。信長が無駄な言辞を嫌うということを、半兵衛はよく心得ていた。

 信長は実に機嫌良く半兵衛の話を聞き、対話を重ねていたが、話題が黒田氏の事に移るとわずかに眉根を寄せ、不快そうな表情をした。


「――黒田氏は信義を守って上様に忠を尽くし、我らに合力しております。この人質を殺したのでは、御当家の信義が疑われることになりましょう。処罰を行うのは、有岡城が開き、黒田官兵衛が真実、裏切ったのかどうか実相が分明してからでも決して遅うはありませぬ。何とぞしばしお待ち頂きたく、この事、伏してお願い申し上げまする」


「・・・・・・」


 信長にすれば、「裏切り者」である官兵衛を当主に戴く黒田氏が、相変わらず織田家に忠節を尽くしているという情景がどうにもいぶかしい。この事は裏返せば、黒田氏の家来たちが保身のために官兵衛を捨てたということになるわけで、信長も人の主君あるじである以上、そういう不忠者の集団自体が愉快でなく、黒田氏に対する心象が悪くなっていた。いっそ黒田氏が、損得利害を超えて小寺氏と共に織田家に叛いた、という方が情景として理解しやすく、信長の好みにもっていたであろう。


「摂津守(荒木村重)の謀反は官兵衛の策謀によるもの――という世上の噂がある」


 信長は静かな声で言った。


「かの者は、いち早く毛利に通じ、摂津守と御着の小寺を毛利に奔らしめ、自ら有岡城に入ったのだ。姫路の黒田がわしに忠を尽くすというのも口先だけのことであろう」


 そんな噂が流布しているのか――と藤吉朗は驚いたが、


「口さがない者は、ありもせぬことを無責任にさえずるものです。噂はしょせん噂に過ぎません」


 半兵衛は言下に言った。


「官兵衛は、織田と毛利の狭間にある播磨でもっとも早く御当家によしみを通じたる者。その官兵衛がどうして今さら毛利に加担しましょう」


「あれは舌数が多い。織田がさかんと見て織田に媚び、毛利が壮んと見て毛利に尾を振った。それだけのことであろう」


 舌数が多いというのは、策士という程度の意味である。


「いや、あの官兵衛に限って二心を抱くようなことはありません」


 半兵衛は咳をこらえつつ断言した。

 一流の策士とは例外なく信義に厚い。そうでなければ、人はその者の言葉に乗ったりはしないであろう。親子兄弟でさえあざむき合うこの戦乱の世で、「この男は約束したことは決して破らぬ」という信用を勝ち得た者だけが策士になり得るのである。


「有岡城で捕らえられておるか、あるいはすでに殺されておるのでしょう」


「官兵衛は無実。ゆえに小倅こせがれを助けよ、と申すのか」


「私には、官兵衛が裏切ったとはまったく思えません。生きておるのか死んでおるのか――それは解りませんが、いずれ有岡城が落ちれば事情ははっきり致しましょう。その時、官兵衛に罪がなかったと判明すれば、その息子を殺した上様は天下に恥を晒すことになりまする」


「ふむ・・・・」


 信長にとって、官兵衛の息子の命のことなど、はっきり言ってどうでもいい。いや、どうでもいいというか、正確に言えば半兵衛がそれを持ち出すまですっかり忘れていた。信長の日常は常に忙しく、殊にこの一ヶ月ほどは荒木村重の謀反に対する手当てで寝る間もないほど多忙であり、播磨あたりの小豪族の家老の人質の話など、腹立ち紛れに処刑を命じた後は脳裏からまったく消え失せていたのである。

 半兵衛の話を聞き、確かに官兵衛が裏切ってなかった場合のことを考えぬでもなかったが、しかし、


(このまま半兵衛の言を容れてやるのも何やらしゃくじゃな・・・・)


 とも信長は思った。

 たとえば半兵衛が平身低頭して愁訴していたとすれば「許してやるか」という気になったかもしれないが、「自分の意見は常に正しい」とでも言わんばかりの半兵衛の取り澄ました態度が、信長にとって本能的に気に食わないのである。


「半兵衛、そちの申すことは筋が違う」


 信長は顎を上げて昂然と言った。


「官兵衛の小倅はそもそも小寺の随身の証しに預かったものじゃ。小寺が叛いた以上、これを殺すのは当然ではないか」


 形式論としては、自分の言い分に一分の隙もないことを信長は知っている。しかし、実際問題、松寿丸は官兵衛の息子であり、黒田氏が小寺氏から離れるという決断をした以上、黒田氏の人質として扱ってやるべきであることも、信長はよく解っている。


 つまり、信長は解っていて意地悪を言った。


(わしが重ねて人質を殺せと命じれば、半兵衛め、どうするか・・・・。わしの命に背いても小倅を庇うかな・・・・)


 信長の悪戯心いたずらごころと言っていい。

 信長は、幾つになってもどこか悪餓鬼のような童臭が抜けない男で、天下人になってさえそれは変わらない。たとえば永禄の昔、松永久秀を家康に紹介する時、「この老人は人が為しがたいことを三つもやった大悪人である。南都の大仏を焼き、将軍をしいし奉り、己が主人を殺した」と言って久秀に大恥をかかせたり、あるいは天正六年、正月の酒席で、太刀に刺した饅頭を荒木村重の顔前に突き出し、それを食うよう命じ、満座の中で辱めたりしたのも、この精神の傾斜であったろう。

 裏返せば、


(半兵衛にそこまでの覚悟があるなら、まぁ、助けてやらぬでもない)


 とまで信長の気持ちは軟化し始めていたわけだが、さすがの半兵衛もこの複雑な信長の心の仕組みまでは見抜けなかった。

 あくまで弁舌と論理で信長の気持ちを変えるべく、


「君子とは――」


 と擦れる声でえた。


「君子とは、『って六尺りくせきを託すべく、以って百里の命を寄すべく、大節に臨みて奪うべからず』――いにしえ唐土(もろこし)の聖賢がそう申しております」


 孔子は、幼い孤児を託すことができ、広大な国家の政治を任せることができ、難しい局面に臨んでも志を変えさせることができない者を、「君子」と規定した――という意味である。


「上様は、その胸に抱かれた天下布武の志をどのような難局にあっても決してお曲げにならず、今日まで貫き通して参られました。まこと、日の本・六十余州の命を寄すべき見事な天下人であられまする。なればこそ、この上は『六尺りくせき』を安堵して託せる広き度量を天下にお示しになられませ。さすれば上様は『覇者』にして『君子』――古今未曾有みぞうの名将と人から讃えられましょう。御家中の者は上様の器量の大きさをあらためて知り、天下諸侯の中にはそのご威徳の前にひれ伏す者も出て参るやもしれません」


 松寿丸は、形式論を厳格に当て嵌めるなら確かに殺さねばならない。しかし、その命をあえて救うことで、為政者としての温もり、優しさ、思いやりを世に示すことができる。そのことを世間が知れば、悪評に塗れた信長の印象も多少は良くなるに違いない。信長の好きな利害計算で言ってもその方が「得」であるはずだ――と半兵衛は言ったわけである。


 織田家が大を成すまでの期間なら、冷酷、残虐、無理無道も必要であったと半兵衛は考えているし、その点で信長を批判する気はない。全国に群雄が割拠した戦国という時代はようするに諸勢力の力が紙一重で均衡していたわけだから、この諸侯の中からいち早く抜け出し、大を成すには、どんな手を使ってもまずは勝つことであった。「悪」と判っていてもあえてそれをせねばならぬこともあったであろう。

 しかし、これからもずっとその方法論のまま通すというのではいけない。

 すでに天下布武の道はその半ばを過ぎているのである。力と恐怖によって人心を圧伏せしめるのではなく、天下人としての徳を示し、世間がその治世を喜んで受け入れるという風にもってゆかねばならぬ時期に入っている。信長はこれまで己の悪評にはまったく無頓着だったが、万人が喜ぶ天下人の像を作ってゆくことも、これからは必要な「政治」であるはずだ――と、半兵衛は言いたかったのであろう。


 が、信長の扱いにくさは、


(わしに物を教えるつもりか・・・・!)


 と、軟化しかけていた気持ちを再び硬化させたことであった。

 信長はこういう小煩い説教が何よりも嫌いで、それを聞いているうちに半兵衛の分別臭い顔にまで腹が立ってきた。


小癪こしゃくなことを申すな! 裏切った小寺の人質を生かしておいては軍律が立たぬわ。筑前、しかと申し付けたぞ!」


 慌てて平伏する藤吉朗には目もくれず、信長は端然と座る半兵衛を睨みつけていたが、


(こいつ、何やら影が薄うなったような・・・・)


 ということにふと気がついた。

 そう思って眺めると、血の気の失せ切った顔色、その痩せ具合、肌の艶のなさなど、半年前

に見た半兵衛と比べて明らかに異なっている。


(死病に憑かれておるのではないか・・・・)


 信長のなかで、不意に情が動いた。


「小倅の首級しるしは実検するに及ばぬ」


 信長は謎のような言葉を吐きつつ立ち上がり、


「半兵衛、身体をいとえ」


 とだけ言い残して上座を去った。


 冷血にして残忍、酷薄にして暴虐――というのが世の信長像だが、信長が決してそれだけの男でないことを、藤吉朗は誰よりも知っている。


(表向き処罰したことにし、松寿を生かしておけ、という意味か・・・・)


 そう解釈した。

 が、この主従は、問わず、語らない。


「長浜へ行ってくださるか」


 と藤吉朗が言い、


「お任せください」


 と半兵衛が応えただけである。


「川舟を用意させる」


 總持寺の境内を連れ立って歩きつつ、藤吉朗が提案した。


「京へは淀川で上られよ。大津にはわしの船があるで、使うてくだされ。湖上は冷えるで、夜具にでも包まって寝ておるとよい」


 京から長浜は陸路なら二日がかりになるが、琵琶湖を横断すれば半日で済む。藤吉朗のせめてもの気遣いであった。


「あとの事は、よしなに、な・・・・」


 藤吉朗と半兵衛は、互いの目を見詰め、頷き合った。





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