第10話 信長の伊勢侵攻――第一次伊勢征伐
美濃は、木曾三川の豊かな恵みによって生かされてきた国である。
明治期に改修工事がなされたため、この三本の一級河川は現在でこそ完全に分流しているが、戦国当時は下流ですべてが合流し、一つの川として乱流していたらしい。川が運ぶ膨大な水と土砂が広大な堆積平野を作り出し、濃尾地方の豊穣な穀倉地帯を育んだのであろう。
木曾三川は、普段こそ静かに穏やかに流れているが、ひとたび雨季となればしばしば水害を起こし、周辺住民を苦しめ続けてきた。恵みと災害をもたらすというのは太古ではまさに「神」であり、この地域の水神信仰と深く結びついている。人々はこの「神」の恩恵に感謝し、その怒りを怖れ、時にそれと戦い、時にそれに身を委ねることによって悠久の刻を暮らして来た。そのことは、川にまつわる祭りが実に多くこの地域に残されていることでも解る。
河川が、国と国、地域と地域の境になることが多く、結果として誰からも支配されない緩衝地帯になっていたということは先にも触れた。
木曾三川が伊勢湾に流れ込む地域――三川が集まる河口付近にも、当然それは当てはまる。「長島」と呼ばれるこの地域は、戦国期、本願寺領として独立中立地帯となっていた。
本願寺というのは戦国期に爆発的に普及した一向宗を宗旨とする宗教団体で、後に信長の最大の敵となって10年に渡る徹底抗戦をするに到るのだが、この頃はまだ織田家と表立って対立をしていたわけではない。
長島には、本願寺門主 顕如の従兄弟である証意が住持となっている願証寺とそのおびただしい末寺があり、また信長が舅の斉藤道三と会見を行ったことで有名な正徳寺からもほど近い。自然、この地域は参詣人が後を断たず、それを当て込んだ宿屋や法具屋、様々な商人たちが入り込んで商業都市的な性格を帯びるようになっていた。有力寺社の周りでこうして出来上がった都市を一般に「門前町」と言うのだが、これは全国どこにでもあり、この当時、そう珍しいものでもない。
つまり長島とは、東海地方の一向宗の一大中心地であり、10万人ともいわれる門徒が本願寺の坊官や寺侍たちを中心にして自治を行っていた地域なのである。
この長島の存在は、信長にとって邪魔以外の何物でもなかった。
信長は、桶狭間で今川義元を破り、三河の徳川家康と同盟して以来、その矛先を北と西――美濃と伊勢へと向けていた。
尾張から伊勢へ行くには地理的に言って長島を通らねばどうにもならないのだが、この時代、寺領や社領は基本的に守護不入(治外法権)が認められており、どの大名もその地では行政権が行使できず、軍事力を中に入れることもできない建前になっていた。いかに信長でも軍勢を引き連れて長島を押し通るわけにはいかず、全国の本願寺門徒を敵に回してまで長島を侵略することもできない。
つまり、これまで信長が伊勢を攻めようと思えば、尾張から舟を使って伊勢へと軍勢を移動させるか、長島を迂回して敵地の美濃の南部を横切って行くほかなかったのである。しかし、大規模な渡海作戦ができるほどの水軍力はまだ信長にはなかったし、敵地の美濃で補給線を維持しつづけることもまた難しかった。自然、大軍勢を伊勢に送ることはできず、これまで伊勢攻めは捗々しい成果を挙げることができないでいた。
この永禄10年(1567)、信長は稲葉山城を攻略し、ついに美濃を手に入れた。美濃を南下すれば伊勢は陸続きであり、もはや織田勢の伊勢侵攻を遮るものはない。
信長の領土拡張の野望が一気に燃え上がったのも、無理からぬことであったろう。
永禄10年8月16日――
田仕事に汗を流していた百姓たちは、揖斐川を南進してゆく万余の軍勢を見て肝を潰した。
養老山地を右手に見ながら、揖斐川に沿って延々と伸びる古街道を、1万近い人馬の群れが往く。
晩夏の太陽が天頂から容赦なく灼熱の光線を浴びせかけ、沿道に群生した緑の茂みからは生臭い草いきれ立ちこめ、疲れきった顔で歩く男たちの表情を一層陰鬱にしているようであった。陰暦の8月半ばといえば現代の9月末にあたるのだが、生まれ遅れたのか、死にそびれたのか、あちこちから蝉の声がかしましく響いていた。
(どんだけ信長さまが働き者でも、ほどっちゅうもんがあるわ・・・)
小一郎は、声に出さずに毒づいた。
信長の凄まじさは、稲葉山城を陥落させたその翌日、そのまま北伊勢へと攻め込むよう諸将に命じたことであったろう。美濃という大国を手に入れた以上、普通に考えれば数ヶ月はその内治に忙殺されそうなものだが、信長という稀代の仕事好きには、そんな常識はまったく通用しないらしい。
木下隊も当然のようにこの伊勢侵攻に動員され、小一郎らは休む間もなく軍旅に就かねばならなくなっていた。
「上総介さま(信長)は、噂に違わぬ働き者ですね」
馬格の小さい馬を静かにうたせながら、傍らにいる半兵衛が笑って言った。
あの稲葉山城を火の出るように猛攻し、さんざん手こずった末に国主の降伏という形でどうにか陥落させたと思ったら、その翌日には新たな戦場に向かって出陣する、というのだから、さしもの半兵衛も信長のやり様に驚かされたのであろう。
「辛いところです。昨日の今日で兵は疲れきっておりますし、死んだり怪我をしたりした者たちの交代も済んではおりませぬ。何より兵糧、矢弾をまた掻き集めねばなりませぬし・・・」
稲葉山攻めがわずか半月で済んだとはいえ、最前線でもっとも苛烈に働いた木下隊の損耗は想像以上に激しかった。軍勢が十全の戦力を発揮するためには兵糧と矢、鉄砲の弾薬や火縄などの補給が不可欠だが、木下隊の場合、これらの宰領はすべて小一郎の役目になっている。
「・・・まったく・・・頭の痛いことじゃ・・・」
本来なら、こういう愚痴は大将である藤吉朗にこそぶつけるべきであろう。しかし、あの兄は呼ばれもせぬのに何かというと信長の周りに詰めているから、移動中の隊の指揮などは小一郎や蜂須賀小六に任せっきりなのである。
こうなると、小一郎が気軽に話せる相手といえば、常に傍についてくれている半兵衛以外にない。
「せめて2、3ヶ月、間を置いてくれても良さそうなものではありませぬか・・・」
「伊勢にいる者たちも、当然そう思っておりましょう。だからこそ、とうぶん織田は攻めて来ぬと油断している。上総介さまは、その虚を衝くおつもりなのですよ」
「それはその通りでしょうが、兵糧がなければ戦はできませぬし、矢と弾薬がなければ戦になりませぬよ・・・」
小一郎は、ため息混じりに呟いた。
「肝心の美濃さえ、まだ完全に静まったとは言えませぬのに、ここで他国に大軍を出して長く国を空けるようなことをするのは、危険なのではありませぬか?」
それくらいのことは、小一郎でも考え付く。
美濃の国主であった斉藤竜興が伊勢の長島へと退去すると、もともと竜興に信服してなかった美濃国内の地侍や豪族たちはことごとく織田家に降り、人質を差し出して信長に忠誠を誓った。信長は快くそれを許し、国中の豪族たちの領土を安堵してやったから、今のところ大きな混乱もなく美濃は静まっているように見える。しかし、織田家と斉藤家は実に20年にわたって戦争を繰り返してきたという歴史があり、その戦争によって親兄弟や親類を殺されたという者は両国に無数にいるのである。無論、戦は私怨で行うものではないし、大いなるものには従うのが武家の宿命であるとはいえ、心から信長に信服していない者はあるだろうし、織田家に従うことに抵抗を感じる者も少なくないであろう。織田勢の主力が国を空けている隙を衝いて、信長に反抗を企てるような者がないとは言い切れないのである。
しかし――
「あぁ、その点は大丈夫でしょう」
と、半兵衛は軽く答えた。
「この伊勢攻めはせいぜい4、5日で終わります。たとえ織田家に従うことを面白く思わない者があったとしても、これだけ話が急では何もできないと思いますよ。それに、此度の我らは役目が後詰め(予備隊)でありましょうから、兵糧、矢弾は、墨俣砦に蓄えてあったものの残りで十分に賄えるはずです」
まるで預言者のようである。
「な・・・なにゆえそのように思われるのですか?」
小一郎が聞くと、
「上総介さまが、非常な知恵者であられるからですよ」
と言って半兵衛は笑った。
「気短かなお方と聞いておりましたが、上総介さまの戦のやり様は、なかなかどうして気が長く、『時機を待つ』という事もちゃんと知っておられる。美濃攻めの様子などを見ておりますと、それがよく解ります。周到に手はずを整え、東美濃にせよ稲葉山にせよ木下殿が下ごしらえを終えたと見るや一転して火の如くに侵略する。緩急自在と言いますか、実に理に適っています」
これは、まさに半兵衛の専売特許であろう。軍略家としての信長を、半兵衛なりに研究し抜いているらしい。
「それを踏まえて此度の戦を考えてみますると、伊勢での下ごしらえはまだ到底済んだとは言えませぬから、上総介さまにしてもまさかこの時点で一気に伊勢全土を我が物にできるとまでは思っておりますまい。つまり、此度の戦の目当てというのは、伊勢の征服ではないのです」
「・・・・・・・・・・・」
馬の手綱を操っているだけに腕組みすることこそできないのだが、小一郎は話の意外な成り行きに考え込まされていた。
「私の見るところ、此度の戦の目当ては2つあります。まず、伊勢に一撃を加え、織田家の武威を見せ付けて伊勢の諸豪を驚かせ、こちらに靡かせる、というあたりがその1つ・・・」
「・・・織田家の脅威を肌で感じれば、こちらが黙っていても擦り寄って来る者も出てくるし、調略で寝返るような者も増える、と・・・?」
「ご明察です。そして狙いのもう1つは、新しく織田家に属した美濃の者たちを、尾張衆と共に新たな目標に向かって働かせること。つまり、伊勢という敵を作り、尾張衆と美濃衆の心を戦の中で1つに纏めるてゆくこと」
「ははぁ・・・」
この点は、小一郎がまったく考えも及ばぬ解釈であった。
「臣民の不満を逸らせ、国内を纏めるのに一番有効な方策は、他国と戦を始めることだと唐土の書物にあります。上総介さまがそういうことをご存知かどうかは知りませんが、解っておいでではあるようですね」
半兵衛は思慮深げに笑った。
「どちらにせよ美濃の仕置きは早急にせねばなりませんから、長帯陣はできません。北勢の数郡を押さえれば、この戦の戦果とすれば十分。そして、目当てをそこに置くならば、長々と時間を掛けて敵に戦支度の暇を与えるよりも、思いも掛けぬような奇襲で一気に事をし遂げてしまう方が・・・」
合理的、かつ経済的だ、という意味のことを、半兵衛は言った。
「だからこそ、今、この時期に伊勢を攻めるのだと、私は思います」
藤吉朗以外に、信長の行動をこれほど論理的に分析できた人間を、小一郎は知らない。
(しかし、画餅と実物とはまた別じゃ。兄者は半兵衛殿を怖ろしいほどの知恵者じゃと評したが、果たしてその読みの通りに事が進むかどうか・・・)
こりゃ見物じゃ、と、小一郎は思った。
藤吉朗が美濃攻略の担当官であったように、伊勢の攻略では、滝川一益という男がその役目を担っている。
滝川一益は、もともと近江国(滋賀県)甲賀の生まれで、若い頃に国を捨てて諸国を放浪し、たまたま尾張で信長に拾われて織田家の臣になったという変り種であった。才気があり、特にその軍事的才能と外交手腕を愛されて信長に引き立てられ、今では押しも押されぬ織田家の重臣になっている。信長が青年の頃からこれに近侍していたというから一益の経歴は古く、その能力に対する信長の信頼も厚い。
年は、藤吉朗より11も上の42歳。浪人の境遇から這い上がってきたという意味では藤吉朗と非常に似た履歴を持っているのだが、藤吉朗の話では、一益は藤吉朗を毛嫌いしているという。武勇と功名によって抜擢されてきたという自負がある一益にすれば、信長にべったりと張り付いてその寵を受け、戦場でなんの功もないくせにみるみるうちに出頭してしまった藤吉朗などは、お調子者の阿諛者(おべっか使い)――舌先三寸の男――と見えて面白くなかったのであろう。
織田勢の先頭にたって北伊勢へ雪崩れ込んだ滝川一益は、多度、員弁、桑名などの地域に散らばる豪族たちをあらかじめ施してあった調略によって寝返らせ、恭順しない者の城は卵でも潰すような勢いで次々と陥落させた。
もともと伊勢国というのは、国司である北畠氏が南伊勢5郡を押さえてはいたが、北伊勢は四十八家とも言われる大小の豪族たちが離合集散を繰り返し、互いに争い合っていたという土地柄である。豪族同士の利害は複雑に絡み合っており、いかに外敵の織田勢がやってきたといってもいきなり大同団結などできるはずもない。この時期の信長の襲来をまったく予期してなかった北伊勢の諸豪は、そのあまりの大軍に結局は為すすべがなく、抵抗して滅びるか、降伏するかしか選択肢がなかったのである。
半兵衛の予言の通り、この電撃作戦はほんの数日で終わった。信長は伊勢に橋頭堡を築いたことで満足し、それ以上深く侵攻することなく兵を引き上げたのである。後詰めに回された木下隊はほとんど働く場所さえなく、新たな怪我人を出すことも武器弾薬を浪費することもなかった。この点でも、半兵衛の予言は的中したと言うべきであろう。
(なんとも・・・呆れるほどの鮮やかさじゃな・・・)
揖斐川に沿って帰路を辿りながら、小一郎は半兵衛の先見の明に舌を巻く思いであった。
(知恵才覚では誰にも引けを取らぬと自負する兄者ほどの男が、焦がれるように半兵衛殿を欲しておったわけが、今ならば解る・・・)
氏も素性もない藤吉朗の最大の悩みは、成り上がりの典型のようなその経歴のために、質の良い家来を召抱えることが非常に難しいということであった。
藤吉朗の出自がとびきり卑しいというのは織田家では周知の事実であり、ほんの数年前までは武士でさえなく、信長の草履取りに過ぎなかったということも皆が知っている。そんな男の家来に進んでなってやろうという奇特な人間はそういるものではなく、野武士あがりの蜂須賀小六らを除けば木下組にはろくな人材が集まっていない。だからこれまでの藤吉朗は、すべてのことを自分一人の才覚で行わねばならず、状況を分析することも物事を判断することも行動を決断することも、すべて自分一人の知恵と勘と運とに頼ってこざるを得なかった。
小一郎では、藤吉朗の話相手になることはできても、相談相手になることはできなかったのである。
しかし、今、藤吉朗は、半兵衛という自分にも匹敵する知性を得た。信長という難物に仕えていかねばならない藤吉朗にとって、これほど頼りになる参謀というのは他には見当たらないに違いない。
(まして半兵衛殿は、人柄が誠実な上に淡白で、欲心が浅く、腹黒いところもない・・・・)
そういう人物が相手なら、どんなきわどい相談ごとであっても疑心暗鬼になることなく安心して打ち明けることができる。大将を補佐する人材として、これ以上の資質はないであろう。
(半兵衛殿は、兄者の大きな力になる。わしなどとは比較にならぬほどに・・・)
ほんの少しだけ寂しいが、小一郎はそれを認めざるを得なかった。