第10話 女の子との距離感
お昼の時間
俺はサンドイッチの袋を机に置き、小さく息を吐いた。
その瞬間。
「隣、座っていい?」
柔らかい声。
顔を上げると、さっき助けてくれた黒髪の女子
桜井こはるが弁当箱を持って立っていた。
「あ、ああ……どうぞ」
想定外の距離の近さに、変な緊張が走る。
彼女はにっこり笑って席を隣に移し、カチャっと弁当箱を開けた。
その自然な笑顔だけで胸が少し温かくなるのだから不思議だ。
「……大丈夫だった?」
「ん?」
「怪我してない?」
「平気だよ。何もされてないし」
こはるは安心したように小さく頷く。
「よかった……。」
「そっか……ありがとう。助けてくれて」
「あはは、こっちこそ……変なことに巻き込んじゃってごめん」
彼女は頬をつつく癖があるらしく、小さくつんと触れながら照れ笑いをする。
その仕草が妙に“普通の高校生”っぽくて
帰国してからずっと張っていた緊張が少しずつほどけていくのを感じた。
しばらくすると、こはるが俺をじっと見た。
「……ねぇ。気にしないで欲しいんだけどさ」
「ん?」
「トイレに行ったあの五人……戻ってきてないよね?」
「そうだな」
「……なにか関係ある?」
彼女の声はやさしいけど、目は鋭かった。
問いかけに対して俺は、ほんの一瞬だけ迷った。
(本当のこと言うわけにはいかねぇしな)
「ないよ。なんで俺がそんなことするんだよ」
「……そりゃそうだよね」
こはるは小さく息を吐き、微笑む。
「ごめん。変なこと言って」
「いや、心配してくれたんだろ?」
「まあ、ちょっとだけね」
その“ちょっとだけ”の響きに、胸が少しだけ跳ねた。
昼休みの終わり、教室を出ようとしたとき。
「……あのさ」
こはるが後ろから呼び止めた。
「さっきのこと……ほんとにありがと。止められなかったら、もっとひどいことになってたかもしれないし」
「いや、俺は何も……」
「ううん。助けてくれたよ。ちゃんと分かってる」
彼女はまっすぐな目で言う。
その真剣さに、言葉がつまった。
「だから……もし困ったことあったら言ってよ」
「……そっちが困るんじゃないのか?」
「いいよ。お互い様でしょ?」
笑顔。
たったそれだけで、9年前の血と絶望が少し薄まる気がした。
“優しさ”って、こんなに簡単な形だったっけ。
「……ありがと」
「どういたしまして」
こはるの笑顔はやわらかくて、暖かくて――
危険なほど俺の心に刺さった。
放課後。
俺は帰り支度を整え、教室を出ようとしたとき、こはるが声をかけた。
「帰るの?」
「ああ」
「じゃあ……」
こはるは一歩こちらに歩き、俺の袖をそっと掴んだ。
「駅まで一緒に行かない?」
その動作はあまりにも自然で――
だけど俺の中では、深く深く響いた。
(……こういうの、悪くないな)
俺は笑って頷いた。
「いいよ」
「じゃあ行こ!」
こはるは嬉しそうに前を歩き、俺はその背中を追いかける。
9年前に失った“普通の日常”。
もう二度と手に入らないと思っていた
でも
今日、その一部が少し戻ってきたように感じた。




