二日目 英傑召集
森の聖都——大樹に守られし、エルフたちの里。
巨木の根が複雑に絡み合い、その上に築かれた都は、まるで森と一体となっているかのようだった。
螺旋を描く木道が幾重にも交差し、樹冠の合間から差し込む月の光が、翠の葉を通して神秘的な輝きを放っている。
治癒院の白い石造りの建物から、聖女ユーメリナが姿を現した。
今日も、夜明けから今まで、傷ついた者たちを癒し続けた。
人間の旅人、エルフの戦士、時には森の獣さえも。
その手から溢れる聖なる光は、いかなる傷も毒も浄化する。
「ユーメリナ様、お疲れ様でございました」
見習いの治癒師たちが頭を下げる。
彼女は静かに微笑み、森の奥にある祈りの間へと足を向けた。
古の大樹の洞に設けられた聖域——一日の終わりに、ひとときの祈りを捧げることが日課となっていた。
その瞬間だった。
空気が震えた。
柔らかな青白い魔力が彼女を包み、やがて消えた。
王都からの招集の知らせ。
王国の歴史で一度も行使されたことのない魔法だった。
「……応えなければ」
エルフは契約を違えない。古き掟であり、彼女自身の誇りでもある。
「ユーメリナ」
振り返ると、母が立っていた。普段は穏やかな瞳に、不安の色が滲んでいる。
「王都へ行くのですね」
「はい」
「……気をつけて」
母は多くを語らない。だが、震える手が娘への心配を物語っていた。ユーメリナはその手をそっと握る。
「必ず、戻ります」
聖都の私室へ戻り、急いで装束を整えた。
隅に設置された転移陣が仄かに光っている。
足を踏み入れると青白い光が立ち上り——
次の瞬間、王都の私室に立っていた。
足元の転移陣の光が静かに消えていく。
ユーメリナは女王から賜った王宮の一室を、彼女なりに森の聖都の雰囲気に近づけていた。
壁際には薬草を乾燥させた束が並び、仄かな香りを放っている。簡素な木製の祭壇には、森の精霊への供物が捧げられていた。窓辺の小さな鉢には、聖都から持ち込んだ銀葉樹の若木が、王都でも健やかに枝を伸ばしている。
王都を訪れるたび、ここは彼女の安らぎの場所となっていた。
だが今日は、胸に不安が芽生えていた。
扉を開けると、廊下で侍女が恭しく頭を下げた。
「ユーメリナ様、お待ちしておりました。謁見の間へご案内いたします」
重い足取りで、大理石の廊下を進む。壁に掛けられた松明の炎が、長い影を作り出していた。
やがて、黄金の装飾が施された巨大な扉の前に辿り着く。
「皆様、お揃いでございます」
侍女の言葉に頷き、扉をくぐった。
そこには誰もが名前を知る英傑たちが集っていた。
聖騎士ロンジヌスが純白の鎧で直立している。
女王直属の親衛聖騎士として名高く、その佇まいだけで正義の威厳が漂っていた。
剣聖アスモダイは片腕に代名詞とも言える魔剣を抱き、鋭い眼差しを向けている。
一介の冒険者から成り上がったその身には、無数の古傷が刻まれていた。
仮面の魔法剣士ニョルドは無言で佇んでいる。
仮面の下に何を隠しているのか、謎めいた存在だった。
「聖女殿も召されたか。ご苦労なことだ」
ドワーフ王ヴェルンドが豪快に笑う。
その笑い声にも、歴戦の王者としての貫禄があった。
ヴェルンドの声に、ユーメリナは微笑んで答えた。
「お久しぶりです、ヴェルンド様」
北の大賢者トートは、千の魔術を修めし瞳で一同を静観していた。その杖の先端には淡い魔力が灯っている。
王都教会の大司教カサンドラは、純白の聖衣を纏い、静かに目を閉じている。
感情を窺わせない表情の奥に、氷のような意志を秘めた女性だった。
集った七人が、王国の希望だった。
扉が開き、女王が現れた。
纏う空気が、青白い燐光を帯びている。
ただの統治者ではない。剣にも魔法にも精通した武人であると聞く。
「皆、夜分に集まってくれて感謝する」
女王の声が響く。
「昨日の大地震と共に未知の地下迷宮が出現し、魔物の群れが王都を襲撃した。学匠院の調査で、二百年前に絶滅したはずの『アーク種』と判明している」
謁見の間に緊張が走る。
「そして先ほど、調査のため派遣した先遣隊六十名が予定時刻になっても帰還しないことが判明した。魔法による連絡も途絶えている」
英傑たちの表情が変わった。
「事態は想像を超えている。だからこそ、契約に基づき皆を集めた」
女王の視線が皆を見渡す。
「頼みたいのは、この迷宮の調査だ。先遣隊に何が起きたのか、迷宮の正体を突き止めてほしい。これは王国だけでなく、世界に関わる危機になる可能性がある」
重い沈黙が落ちる。
女王の直感が告げていた──これは単なる魔物の襲撃ではない。
「要するに迷宮探索というわけか」
沈黙を破ったのはヴェルンドだった。
豪快に笑い、拳を鳴らす。
「久しく冒険者じみた真似はしておらん。だが腕が鳴るわい」
その楽観に、胸の奥で違和感を覚える。
しかし、使命は明らかだった。
「聖女ユーメリナ」
女王の視線が向けられる。
「あなたの治癒術は不可欠だ。力を貸してもらえないだろうか」
静かにうなずく。
「古き盟約に従い、必ず果たします」
他の英傑たちも承諾の意を示した。
聖騎士ロンジヌスは膝をつき、剣聖アスモダイは無言で剣に手を置く。
謁見が終わり、それぞれが散っていく。
ユーメリナは一人、城の回廊を歩いていた。
窓の外の王都には、昼間の戦いの傷跡が残っている。
松明の明かりが修繕作業を照らしていた。
その光景が妙に儚く見える。
先遣隊六十名が行方不明──その事実がまだ実感として湧かない。
しかし、契約召喚という前例のない手段が事態の深刻さを物語っている。
治癒の力を持つ身だが、果たして仲間たちを守り抜けるだろうか。
夜が更けていく。
王都に響く修繕の槌音が、迫りくる運命を刻んでいるようだった。
そして、遠く森の向こうに見える黒い影──突如現れた迷宮が、不気味にそびえ立っていた。
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