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終末の刻限  作者: はゆめる
第三章
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一日目 再起

冷たい石の感触が背中を貫いた。


瞼を開けると、見慣れた天井がそこにあった。


湿った苔が張り付いた岩壁、しっとりと肌に纏わりつく空気。




跳ね起きて、胸を見下ろした。


傷はない。


戻ったのだ。


「……ニョルド」


あの光の矢に胸を貫かれた感覚が、まだ生々しく残っている。


セレナの哀しげな声。アストライアの叫び。白い堆積の中に広がっていく、自分の血。


またここからか。


徒労感が、重く心を侵した。


ふと、足元に視線が落ちた。


そこにあったのは、朽ちた鉄片ではなかった。


暗銀剣。ネルフェルから受け継いだ剣。


完全に修復された、美しい刀身。


「なぜ、これが……」


この剣は、初めは朽ちていたはず。


なのに今、グリムに直してもらった姿のまま、暗銀剣がここにある。


脳裏に、声が蘇った。




『目覚めた後も、きっと君の力になってくれる』




前回は、独りで戻ってきた。


何もかも失って、また最初から。


だが今、この剣だけは自分と一緒に戻ってきた。


「……ネルフェル」


目頭が、熱くなった。


柄を握ると、手に馴染んだ。以前より輝きが増したような気がした。




暗闇の奥から、蠢く気配。


濃緑色の皮膚に牙を剥いたゴブリンが、暗闇から飛び出してきた。


錆び付いた刃を振りかざし、太い腕が唸りを上げて振り下ろされる。


だが——


遅すぎる。


振り下ろされる刃ごと、ゴブリンの体を真っ二つに薙ぎ払った。


温かい血が飛び散る。


二つに分かれた肉塊が、重い音を立てて地面に落ちた。


胸の奥で、何かが軋んだ。


虚無感。喪失感。


以前よりも、増している。


洞窟の入口へ駆け出す。




外に出ると、朝陽が昇り始めていた。


太陽は地平線から拳ひとつ分ほど昇っている。


まだ朝の早い時刻だ。


金色の光が森の木々を照らし、鳥たちのさえずりが響いている。


朝露と土の匂いが肺を満たす。


鬱蒼とした木々の向こう、朝靄の中に遠く霞んで見える王都の城壁。


瘴気は無い。


また、一日目に戻った。


どうすればいい。


焦燥感が胸を灼く。


セレナは言っていた。次に目覚めたら、すぐに塔に来て、と。


だが、どうやって——


その時だった。


背後から大地を揺るがす轟音が響いた。


振り返ると、洞窟の奥から次々に影が溢れ出してくる。


鋭い爪を持つ大型の魔物、らんらんと燃える赤い瞳の怪物、歪んだ牙を剥き出しにした魔物たち。




『奈落に沈む穢れし虚光よ……』




詠唱が、勝手に喉を突いて出た。


止めようとした。だが、止まらない。


唇が、舌が、喉が、自分のものではないかのように言葉を紡ぎ出す。


知らない言葉。聞いたこともない詠唱。


なのに、意味だけははっきりと解る。


虚空に、暗き矢が生まれた。


魔物の数だけ。


胸の奥を、喪失感がえぐる。


暗き矢が次々と飛翔し、魔物たちを貫いていく。


悲鳴。断末魔。そして、静寂。


群れは、一瞬で全滅した。


この魔法——知っている。


角冠の異形が放った、暗き矢。


自分の胸を貫いた、あの矢と同じだ。


ふと、胸の紋様が熱を帯びていた。


服の襟を開く。


円環が、増えていた。


二重ではない。三重だ。


心臓を掴まれるような鈍い絞扼感。


膝から、力が抜けそうになった。


——だが。


拳を、強く握りしめる。


まだだ。


その前に、必ず成して見せる。




その時、遠くから声だけが、かすかに聞こえた。


「なんだ、あの建物は」


「今までなかったぞ。地震で出てきたのか?」


聴覚も研ぎ澄まされている。外縁警備隊だろうか。


ハルは洞窟の中へ戻った。


どうすればいい。


考えろ。塔にすぐ着く方法は——


ふと、声が蘇った。




『驚いたぜ……あの迷宮だ。一層の奥に泉があっただろ。あそこに繋がってやがる』




髭面。


無骨な笑顔と——玉座の間で、血まみれで倒れていた姿が、重なる。


唇を、噛み締めた。


ハルは洞窟の奥へ向かって走り出した。


暗闇から魔物が湧き出てくる。ゴブリン、オーク、牙を剥いた獣。


群れごと薙ぎ払う。


足は止めない。


やがて、空気が変わった。


湿り気を帯びた闇の中に、微かな水の気配。


祈りの泉。


辿り着いた時、ハルは足を止めた。




泉は静まり返っていた。


水底に映るのは、かすれた魔法陣の紋様だけ。


ここから塔へ繋がっていたと髭面は言っていた。


だが今は、力を失った遺跡のように沈黙している。


「やはり、ダメか……」


呟いた、その時だった。


手の中で、暗銀剣が脈動した。


淡い光が、刀身を這い上がっていく。


脳裏に、あの光景が蘇った。


始原の塔、五層の祈りの像。水瓶から放たれた光を、この剣が受け止めた。


あの時から、この剣は何かを宿している。


暗銀剣の輝きが増していく。


導かれるように、剣を掲げた。


光が奔った。


一条の輝きが泉の中央へと伸び、水面を貫く。


波紋が広がった。


静寂が、破られた。


水底から、光が昇ってくる。


かすれていた魔法陣が、一つ、また一つと紋様を取り戻していく。


古代の文字が浮かび上がり、円環が重なり、幾何学の模様が水面に描かれていく。


泉を囲む暗銀石が、呼応するように輝き始めた。


淡い光の膜が立ち上がる。


天蓋のように広がり、泉全体を包み込んでいく。


薄い瘴気が、その光に触れた瞬間、溶けた。


白いものが、ちらちらと舞い落ちていく。


まるで雪のように。


光が瘴気を祓った、その残滓だろうか。


小さな聖域が、蘇っていく。


魔法陣が完全な姿を現した。


青白い光を放ち、静かに、荘厳に、転移の門が開かれる。




『次、目覚めたら、すぐに塔に来て』




セレナ。


君の助けが必要だ。


ハルは一歩、踏み出した。


光の中へ、飛び込んだ。

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