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終末の刻限  作者: はゆめる
第二章
32/37

五日目 祈りの泉

一行は武器を構えたまま、広間に足を踏み入れた。


石柱が整然と立ち並ぶ空間。


高い天井を支える太い円柱が、等間隔に闇の奥へと続いていた。


古い。空気そのものが古い。


長い年月、この場所は静かに眠り続けていたのだろう。重く澱んだ静寂が、石柱の間を満たしていた。




そして——広間の中央に、泉があった。


円形の石の縁が床から一段高くなり、澄んだ水を静かに湛えている。


その中央に、像が立っていた。


二段の台座の上、祈りの頭衣を深く被り、水瓶を肩に抱えている。


水瓶の口から水が絶え間なく流れ落ち、下段の泉へと注いでいた。


微かな水音だけが、石柱の間に響いている。


さらにその奥には巨大な扉が鎮座していた。


ハルは足を止めた。


「これは……」


前回ここに来た時、これは瓦礫だった。粉々に砕かれ、水は床にぶちまけられ、元が何だったかもわからなかった。


今、目の前にあるのは、その本来の姿だった。


壁面を確認する。穴はない。


(奴はまだ、来ていない)




「……美しいですね」


アリサが呟いた。


「こんな場所が、塔の中にあったなんて」


ハルは淡く光る暗銀剣を手に、像を見上げた。


(何に、祈っているんだろう)


ふと、そんな思いが胸をよぎった。


「……この水音、まるで誰かの歌声のようですね」


確かに、不思議な響きだった。石柱の間で反響し、幾重にも重なり合い、まるで聖歌のように広間を満たしている。


ハルは一歩、泉に近づいた。


その瞬間——


手にした暗銀剣の光が、強くなった。


(なんだ、これは——)


熱くはない。だが、何かが剣の中で脈打っている。まるで生きているかのように。


「おいおい、ハル!なんだそりゃあ!めちゃくちゃ光ってんじゃねえか!」


髭面が声を上げた。


兵士たちの足が止まる。誰もが武器を手にしているが、光を放っているのはハルの剣だけだった。


暗銀の刀身が放つ輝きは、泉に近づくほどに強くなっていく。


「ハル、その剣……」


アストライアが目を細めた。


「……見たことがないです。暗銀が、このように輝くなど」


ユーメリナが息を呑んだ。


アストライアは自らの暗銀剣に目を落とした。


「私の剣は光っていない。同じ暗銀製のはずだが……」


ハルはさらに泉へと近づいた。


像の前に立った時、それは起きた。


像が抱える水瓶の口が、まばゆく輝いた。


一筋の光が水瓶から放たれ、暗銀剣の刀身を貫く。


剣はその光を受け止め——そして、反射した。


光の筋が像へと跳ね返る。


低い振動が広間を揺らした。


像が、沈み始めた。


ゆっくりと、祈りの姿のまま、水の中へ。


やがて像が完全に沈むと、二段の台座も消え、泉は広間の中央一面に広がった。


水面が静まる。


その中央に、複雑な紋様が浮かび上がった。


青白い光を放つ転移の魔法陣。水の中で静かに脈動している。


光が収まると、広間は静まり返った。先ほどまであった歌声のような響きも消えている。


「……転移陣か」


アストライアが魔法陣を見つめた。


「突然現れたということは……」


ユーメリナが眉をひそめる。


「ハル様の剣が、鍵だったのでしょうか」


ハルは暗銀剣を見下ろした。


先ほどのまばゆい輝きは収まり、いつもの淡い光に戻っている。


だが、わずかに重くなった気がする。何かを宿したような、確かな手応え。


「あの扉の先が本命だろうが……」


アストライアが転移陣と奥の大扉を交互に見た。


「この魔法陣がどこに繋がっているのか、気になる」


「なら、俺らが行きますぜ。陛下を危険な目に遭わせるわけにはいかねえ」


「頼む」


アストライアが言った。


「だが、危険と見たらすぐに戻れ。無理はするな」


「了解ですぜ」


髭面がにやりと笑い、ざぶざぶと泉に足を踏み入れた。


「おい、お前らも来い」


数人の冒険者が頷き、髭面の後に続く。水は膝下ほどの深さだった。


「すぐ戻る。心配すんな」


ハルにそう言い残し、髭面たちは魔法陣の上に立った。


光が彼らを包み——


姿が消えた。


静寂が戻る。


先ほどまでの歌声のような響きは、もうない。像が沈んだ今、水音すら消えていた。


誰も口を開かなかった。


ハルは転移陣を見つめたまま、動かない。




間もなく、光が再び魔法陣を包んだ。


髭面たちが、戻ってきた。


その顔には、驚愕の色が浮かんでいる。


「どうだった」


ハルが声をかけた。


髭面は目を見開いたまま、言った。


「驚いたぜ……あの迷宮だ」


「……何?」


「一層の奥に泉があっただろ。あそこに繋がってやがる」


ハルの脳裏に、迷宮で見た小さな泉の記憶が蘇る。あのとき見た、かすれた紋様。


「泉……」


ユーメリナが小さく呟いた。


「澄んだ水を湛えた、きれいな泉でしたね」


髭面がアストライアに向き直る。


「泉のど真ん中に魔法陣がありまして、そこに出ました。こっちと同じで水ん中ですな」


視線がハルに移った。


「あのかすれた魔法陣、今は光ってやがった」


「それで、迷宮の様子は?」


アストライアが問う。


「それがですね——」


髭面が顔を曇らせた。後ろに控える冒険者たちも、顔色が悪い。


「泉の外はもう瘴気だらけでしたぜ。一歩も出られねえ。ただ、泉の縁がうっすら光ってまして、そこから中までは瘴気が寄ってこなかった」


髭面が声を落とした。


「それによ、瘴気の向こうで何かが蠢いてる気配がしてよ……おまけに聞こえてくる声がこの世のもんじゃねえ」


ハルの脳裏に、あの異形たちの姿がよぎった。


灰色の皮膚。肥大化した腕。壊れた声で繰り返される、うわごとのような叫び。


髭面が首を振った。


「こりゃ長居は無用だと、戻ってきたってわけで」


アストライアが頷いた。


「賢明な判断だ」


「……開かずの塔と、迷宮が」


アリサが呟いた。


「繋がった……?」


「『始原の塔に魔力満ちし時、混沌の迷宮を覆う瘴気は払われ、深淵への道は開かれん』」


アストライアが静かに言った。


「迷宮はまだ瘴気に満ちている」


視線が扉に向く。


「ならば、目指すべきはやはりこの先だ」




その時、アリサの額が淡く光った。


「——っ!」


アリサが顔色を変えた。


「陛下、アルベルト様の魔術師隊より緊急連絡です!」


「大扉の外に見たこともない魔物が押し寄せてきていると……!」


「今は抑えていますが、長くは持たないと——」


アストライアの表情が険しくなった。


「急ぐぞ」


ハルは扉に歩み寄った。


巨大な石の扉。あの時と同じ扉。


前回、ここに手をかけた時——


胸を貫く激痛。崩れ落ちる体。遠ざかる意識。


あと一歩だった。


この扉を開けることができなかった。


ハルは扉に手を触れた。


古い石の感触。だが、冷たくはない。


むしろ——温かい。


胸の二重円環が、静かに疼いた。


今度は、開ける。


ゆっくりと、扉を押し開く。


重い石が軋みながら動き、まばゆい光が溢れ出した。


目を細めながら、ハルは扉の向こうを覗き込む。




光の中に—— 一人の女性が、眠っていた。

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