五日目 魔力満ちし塔(二)
夜明けと共に、瘴気は王都の城壁まで迫っていた。
黒い靄が地を這い、触れた草木は瞬く間に枯れ果てていく。
第四層への転移が終わり、光が収束すると、そこには前回と寸分違わぬ荘厳な空間が広がっていた。
十体の人形が円形に並んで佇んでいる。
「不気味ですね」
アリサが震え声で呟く。
人形たちは微動だにしない。
「碑文があります」
アリサが壁際の石板を見つけ、震える指で文字をなぞった。
「また古代語です......ここも一部が欠けていて『輪...兵...試練』......」
「『血統』......あとは......『喪失』......申し訳ありません。断片的すぎて意味が......」
「ハル、何か分かるか?」
「いや、僕にも」
ハルは首を振った。
(この階層は謎めいている。人形があらゆる攻撃を避け、しばらくすると迷宮で見た異形とそっくりに変異する。それだけだ。戦闘自体はそれほど苦労はしない)
「第三層では碑文が重要だった。侮れば重大な結果を招くだろう」
アストライアが静かに呟いた。
「だが、指を咥えて見ているわけにもいかない。全員、防御陣形を取れ。慎重に、着実に勝機を見出すぞ」
兵士たちが武器を構え、ゆっくりと人形たちへと歩を進める。
その瞬間——人形たちが、一斉にゆらりと動き出した。
よろよろとした足取り。
まるで生まれたての子鹿のような不安定さで歩き始める。
顔を上げると、全ての額に文字が浮かび上がっていた。
「古代語?」
アリサが目を細める。
「これは......数字ですね。全て『零』と読めます」
槍兵が慎重に槍を構え、人形の胸を狙い定めた。
だが次の瞬間、人形がたたらを踏んだ。
まるで躓いたかのような不自然な動きで、槍先は胸を掠めるだけに終わった。
「外した?いや、確かに狙いは......」
槍兵が困惑している間に、人形の額の文字が変化していた。
「『壱』......一になりました」
アリサの声に、困惑が滲んでいた。
(前回と同じだな)
別の兵士が背後から斬りかかる。
剣が人形の首筋に迫り――
人形が偶然つまずき、剣は空を切った。
(偶然?)
「『弐』......また増えました!」
必中の攻撃が避けられ、額の数字が増えていく。
(何の数字だ?)
矢が放たれ、火球が飛ぶ。
十体の人形たちは、それぞれが異なる動きで回避していく。
(なぜ避けられる?予知か?)
全てが絶妙なタイミングで致命傷を避けていく。
「避けた後に数字が増える。まるで一度受けてから、なかったことにしているような......」
アストライアが呟く。
(なかったことにしている......いや)
ハルが一体に歩み寄り、全力で暗銀剣を振るった。
人形は避けられず、両断される。
(これは模倣だ。死を覆す何かの能力を、人形に真似させているに過ぎない)
切断面から青白い光の粒子が溢れ出し、霧のように散っていく。
(だから、模倣できる限界を超えれば人形は斃される)
(斃すことが目的ではない。知ることが——)
「『参拾』を超えた人形の文字が歪み始めました!」
アリサが叫ぶ。
「もう読めなくなってきています!」
(数字は能力を発動した回数?何度も能力を使えば——)
その瞬間、文字が最も歪んだ人形の体が変貌し始めた。
青白い魔力が形を変えている。
灰色に見える皮膚も、膨張する四肢も、全て魔力の光で構成されている。
(そうか、何度も能力を使えば異形に......)
変異した魔力人形たちが、一斉に襲いかかってきた。
(だがこの元の人形たちは一体なんの暗示なんだ)
漠然とした不安感が一瞬よぎる。
「前衛、防御陣形!後衛は異形を優先的に排除しろ!」
剣が魔力の肉を切り裂き、青白い光が飛び散る。
巨大な腕が兵士を薙ぎ払い、小型の異形が足元から襲いかかる。
突如、巨大異形となった人形が短く詠唱を始めた。
『深淵ニ蠢ク暗キ炎ヨ——』
(......なんだと)
意味がはっきりと解る。
「未知の言語です!古代語に酷似していますが......」
アリサが叫ぶ。
詠唱を聞いた瞬間、じわりとした虚無感が胸を侵した。
虚空に、兵の数だけの暗い火球が生成される。
(この詠唱、この魔法——)
「火炎魔法に光魔法を重ねて、暗く見せているようです」
「何の意味があるのでしょう......」
(そう、この魔法も模倣だ。本物はより暗く、より静かだ)
「全員、防げ!」
アストライアが叫びながら、広範囲に白銀の光の障壁を展開した。
火球が次々と光壁に激突して消滅していく。
異形に変異した人形が、彼女の死角から鋭い爪を振り上げる——
金属音が広間に響き渡った。
ハルの剣が、余裕をもって人形の爪を弾いていた。
(この階層は何かを伝えようとしている)
即座に体を捻り、暗銀剣で人形を袈裟懸けに切り伏せる。
巨体が青白い光の粒子となって霧散した。
(誰かへの警告......僕?)
「ハル!感謝する」
アストライアがハルを見た。
その瞳に、深い信頼と安堵の色が宿っていた。
「今だ、畳みかけろ!」
号令と共に、集中攻撃が残る異形たちに殺到した。
槍が突き刺さり、剣が振り下ろされ、魔法が炸裂する。
魔力の体が次第に綻び、一体、また一体と崩壊していく。
最後の巨体が、青白い光の粒子となって霧散した。
静寂が、広間を包んだ。
「おうハル、変異した人形、そっくりだったな、迷宮で遭遇したあの怪物どもによ」
「......っておまえどうした、顔が真っ青だぞ」
髭面が心配そうに覗き込んだ。
「まるで、さっきの人形みたいなツラしてるぜ」
拳でハルの肩を軽く小突いた。
しかし答えられなかった。
「......なんでもない」
やっとそれだけ絞り出した。
一息つき、兵士たちが安堵の吐息を漏らす。生き残った者たちの荒い呼吸が、広間にこだました。
「今のは......一体何だったんだ」
レイナルドが呟いた。
「分からん......人形が俺たちの攻撃を避けるたびに数字が増えて、そして変化した」
別の隊長が首を振った。
誰もが困惑の表情を浮かべている。
(能力の過使用、異形化、そしてあの魔法)
ひんやりとした悪寒が、背筋を這い上がった。
はっとして第三層から来た転移台を見る。
そこには光が戻っていた。
ハルは小さく息を吐く。
奥の転移台にも、既に淡い光が宿っている。
その光は、まるで次なる試練へと誘うかのように、静かに脈動していた。




