一日目 最初の夜
王都の門をくぐったのは、すでに深夜に近い時刻だった。
大地震と魔物襲撃の直後とあって、夜更けにもかかわらず街は異様に明るい。
通りのあちこちで篝火が焚かれ、修繕に追われる人々の声が響いていた。
崩れた石壁の前で職人たちが槌を振るい、ひび割れた道路では石工たちが夜通し作業を続けている。
男は足を引きずりながら、賑やかな街の中を歩いていた。
冒険者ギルドの前はとりわけ賑わっていた。
張り出された羊皮紙には「明朝の捜索隊、志願者募集」とある。
王宮からの正式依頼で、報酬も破格らしい。
酒気を帯びた冒険者たちが口々に「一攫千金だ」と笑う一方で、昼間の戦いに参加した冒険者たちの顔は暗い。
「ゴブリンもオークも、妙にでかくて力も桁違いだった……あれは何だったんだ」
「マルコの奴、オークの戦斧にやられたらしい、まだ若かったのにな」
そんな囁きが酒場から漏れ聞こえてくる。
依頼書を見つめていると、受付の妖艶な女性が唇の端を上げた。
「あら、興味がおあり?」
赤い爪先で羊皮紙の端を軽く叩く。
「……ああ」
「ギルド員なら今すぐに受付できるわよ。ギルド証は?」
「……ない」
女性が肩をすくめた。長い睫毛を伏せて、わざとらしくため息をつく。
「残念ね。新規登録なら明日の日中にいらっしゃい。今は酒場として営業中だから、登録手続きはできないの」
流し目を向けてくる。
「それとも、お酒でも頼む?」
男は首を横に振った。
記憶の霧は晴れず、自分がなぜここにいるのかさえ分からないままだった。疲労が骨の髄まで染み込み、立っているだけでも精一杯だった。
男は宿を探すことにする。
ようやく辿り着いた宿屋で、宿の亭主は差し出された銀貨をひとつ摘み、ランプの下で何度も裏返した。
「古いな。……これ、王の肖像が違うぞ。随分と古い刻印だが...」
宿の亭主は銀貨を指で弾いて音を確かめる。
「まあ、銀の純度は確かだし、重さも正規のものと変わらん。古銭商なら喜んで買い取るだろう。今夜だけなら構わんよ」
王の肖像――その言葉が胸の奥で何かを揺り動かした気がしたが、やはり思い出せない。男は礼を言って部屋の鍵を受け取った。
狭い部屋に入ると、まずは湯を借りて体を清めた。
熱湯が痛む四肢を解きほぐすと、ようやく我に返る余裕が生まれる。
長い間動かなかった体が、少しずつ本来の感覚を取り戻しているのが分かった。
服を脱いだ胸に、小さな印が刻まれているのを見つけた。古傷ではない。
まるで焼き付けられた紋章のような複雑な紋様。
一重の円環がひと際目立つ。
見つめていると頭の奥が疼くような気がしたが、その意味は分からない。
洞窟での戦いで手にした鉄片。持ち物と呼べるものは他になかった。
改めて見ると、それは刃こぼれだらけの朽ちた剣だった。
ひどく傷んでいるのに、どこか気品が漂う。
柄に刻まれた装飾も摩耗して判読できないが、かつては美しい細工が施されていたのだろう。
なぜ自分がこの剣を持っているのか。なぜ洞窟で目覚めたのか。なぜ記憶がないのか。
それでも、疲労がすべてを押し流した。
男は硬い寝台に身を投げ、深い眠りへと沈んでいった。
窓の外では、王都の夜が更けていく。
修繕作業の槌音が遠くで響き続け、時折警備兵の足音が石畳を打った。




