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終末の刻限  作者: はゆめる
第二章
29/30

四日目 魔力満ちし塔(一)

深夜、瘴気はまだ迷宮の周囲にとどまっていた。


だが着実に、死の領域を広げている。


黒い靄が地を這い、触れた草木は瞬く間に枯れ果てていく。




アストライアは三百の兵を率いて、始原の塔の前に立っていた。


熟練の冒険者百名、王国の精鋭二百名。


塔から放たれる魔力の燐光が、闇の中で隊列を青白く照らしている。


ハルは暗銀剣の柄に手を添え、周囲を見渡した。


ユーメリナが隣で水晶板を握りしめている。


その横顔は緊張に強ばっていた。


「七英傑でも緊張するのか?」


「私は......まだ英傑の称号を引き継いだばかりですから」


ユーメリナが苦笑いを浮かべた。


「ですから、未知との対峙は今でも恐ろしく感じます」


誰もが、何かを背負っている。


ハルは黙って頷いた。


「行くぞ」


アストライアが号令をかける。


巨大な石扉に近づくと、まるで彼らを待っていたかのように、重々しい音を立てて扉がゆっくりと開かれた。


三百の兵が、松明を掲げて塔内部へと踏み込んだ。


見渡す限りの巨大な円形空間。


天井には無数の魔力結晶が星座のように配置され、脈動する青白い光が天界の星図を描いていた。


ハルは息を吐いた。


前回と、寸分違わない光景がそこにあった。


「美しい......迷宮とは真逆ですね」


ユーメリナが囁く。


「ああ」


ハルは天井を見上げたまま答えた。


「だが、謎めいている」


(最上階だ。なんとしてでも到達したい)


進んでいくと、中央に青白く輝く転移台がある。


円形の台座の上には、複雑な魔法陣が刻まれ、その線がゆっくりと明滅していた。


「上層への転移台だろうか」


アストライアが呟く。


「全員、転移の準備を」


そして振り返る。


「外のアルベルトに伝えよ。全軍を塔内へ入れ、この一層に陣を敷き、扉を死守せよと」


伝令が走っていく。


兵士たちが次々と陣の上に立つ。


ハルが転移台に乗った瞬間、世界が光に溶けた。


足元から浮遊感が広がり、光の柱となって上層へと導かれていく。




転移した先は巨大な空洞。


円形の転移台から放射状に無数の通路が伸び、水晶と石造りの迷路を形成している。


唐突に、黒い球体がふわりと現れた。


表面を走る青い紋様が、突如赤く染まる。


複数の氷槍が虚空に生成され、アストライアへと飛来する。


その瞬間、ハルが前に出る。


暗銀剣で氷槍を叩き落とし、そのまま球体を一刀のもとに両断した。


「防衛用の魔力兵器か......?」


アストライアは冷静に分析する。


「それにしてもハル、そなたの暗銀剣は美しく光るな」


「......」


「私の暗銀剣も魔力を通せばこのように」


アストライアが剣に魔力を込める。


青白い光が刀身を包んだ。


「だが、そなたのは違う。まるで......暗銀そのものが共鳴しているかのようだ」


女王の眼差しが鋭くなる。


「僕にもまだわからない」


ハルも自分の剣を見下ろす。確かに、いつもより強く光を放っていた。


「よし、二十名ずつ小隊を組め。王国兵の分隊に冒険者のパーティーを一組ずつ配属せよ」


近衛兵たちがアストライアの周囲に集まる。


「ハル、ユーメリナ、アリサ。我が隊へ」


アストライアは振り返った。


「髭のお方」


アストライアが近くの冒険者パーティーに声をかける。


「貴殿らも我が隊に」


「承知!女王陛下の隊に加われるとは光栄ですぜ!」


髭面の冒険者が深く頭を下げた。


「ハル、がんばっていこうぜ」


「ああ、お互いにな」




ハルが先頭を行く。


その両脇にユーメリナとアリサ、少し後ろに髭面。


アストライアは近衛兵に囲まれて続き、最後尾を髭面の仲間たちが固める。


「ハルさん」


橙色の髪の魔術師が声をかけてきた。


「アリサと申します。よろしくお願いします」


「ハルだ、よろしく」


「すごい冒険者がいるって話題になってたんですよ。ハルさんのことだったんですね」


アリサが目を輝かせる。


「ガルトさんが王宮で自慢してたんです。自分のことみたいに」


「今日は大船に乗った気分でいます」


——壁に叩きつけられる音。崩れ落ちる体——


前回の記憶が脳裏を過る。


「アリサ、魔法が得意なのか?」


「はい!炎系統が専門です。あと古代語も専攻してまして。歴史と言語が好きなのです」


角冠の異形に果敢に立ち向かい、紅い炎を放ち続けていた姿が目に浮かぶ。


(この子もひとかどの英雄だ)


「頼りにしてる」


ハルは真っ直ぐアリサを見た。


「詠唱中は隙ができやすい......必ず守る。絶対に」


声に力が入りすぎた。


「......?」


アリサが戸惑ったような顔をする。


「アリサちゃん、俺も全力で守ってやるぜ!ガハハ!」


髭面が豪快に笑う。


「あ、ありがとうございます」


「そうそう、俺の名前は——」


その時、角の先に、青白く光る大きな魔法陣が見えた。


「転移陣です!陛下、発見しました!」


アリサが声を上げ、アストライアのほうを振り向いた。


「アリサ、各隊に魔法連絡を」


アストライアの指示に、アリサが詠唱を始める。


やがて、他の隊も集まってきた。死傷者はいない。


全員が陣に乗る。


光がまた満ちる。




光が収束した先。


剥き出しの岩肌が天井まで続き、湿った空気が肺を満たす。


壁面のあちこちに青白い魔力結晶が埋まり、脈動するように明滅している。


その光が水晶のように反射し、洞窟全体が呼吸しているかのような錯覚を覚える。




中央には、巨大な蛇が鎌首をもたげていた。


鱗は鈍い銀色に輝き、その瞳は挑戦者たちを値踏みするように見下ろしている。


奥には光を失った転移台。


眼の前に、古びた石碑が立っていた。


「アリサ、読めるか?」


「数千年前の古代語です…ここは欠けていて『輪…兵…の試練』としか読めません」


指で別の箇所をなぞる。


「それから…『天秤の均衡』…次が詩文のようで…『崩るれば』…」


さらに下の行へと視線を落とす。


「『滅』…以降は摩耗がひどくて判読できません」


「天秤の均衡…」


アストライアが呟く。


「ユーメリナ、なにかわからないか?」


「これは人間の古代語ですね......申し訳ありません」


ハルが前に出た。


「この蛇は戦いのさなかに二体に分かれる。その後、同時に倒す必要がある」


全員がハルを見る。


「ハルさんも古代語を......?」


アリサが息を呑んだ。


「ああ、少しな」


(嘘だ。ただ、前回の記憶があるだけだ)


なぜか同じ時を繰り返していることを話すのは躊躇われた。


(話したほうがいいのだろうか)




「全軍、戦闘準備」


アストライアが剣を抜く。冷たい金属音が洞窟に響いた。


「前衛は敵を引きつけろ。後衛は距離を保って攻撃。治癒師は前衛の支援に専念せよ」


号令と共に、三百の兵が動き始めた。


その瞬間——背後の転移台から光が失われた。


青白い燐光が、音もなく消えていく。


退路は、断たれた。


ハルは暗銀剣を抜いた。


刀身が、塔と共鳴するかのように淡く光る。


大蛇が動いた。


巨体が空を切り、鋼鉄の盾を牙が貫く。金属が軋み、砕ける音。


その尾が大気を裂いて薙ぎ払う。戦士たちが吹き飛ばされ、岩壁に叩きつけられた。


激戦が続く。血と汗の臭いが洞窟に満ちる。


誰かの呻き声。金属と鱗がぶつかり合う音。




突然、大蛇の体が光に包まれた。


眩い閃光。


そして——


二体の大蛇が、そこにいた。


どちらも元の個体と寸分違わぬ巨躯。同じ殺意を宿した、縦に裂けた瞳孔。


「碑文の通りか」


アストライアの声は、揺るがなかった。


「二手に分かれ、均等に攻撃を続けよ」


戦士たちが陣形を組み直す。洗練された動き。


即席の混成部隊とは思えぬ統率。


剣撃と魔法が、二体の大蛇に降り注ぐ。


アリサの紅蓮の炎が、鱗を焼く。


肉の焦げる臭い。


氷の槍が突き刺さり、雷撃が蛇体を貫いた。


双方の大蛇が、苦悶の叫びをあげ始める。


洞窟全体が、その咆哮に震えた。


「髭さん!」


ユーメリナの強化魔法を受けた髭面の戦斧が、一体目の首筋に深々と食い込む。


骨を断つ音。


勢いで首が宙を舞い、巨体が崩れ落ちた。大地が揺れる。


残った大蛇の体が、不吉な光を纏い始めた。


その刹那。


ハルが地を蹴った。


暗銀剣が、流れるような弧を描く。


二体目の首が、静かにゆっくりと落下していく。


ほぼ同時に、二つの首が、地に落ちる。


どさり、と。


生き残った者たちの荒い呼吸だけが、洞窟に響く。


鎧が擦れ、剣が鞘に収まる音。


「被害を報告せよ」


アストライアの声は、氷のように冷静だった。


「軽傷四十名。重傷なし。死者は——いません」


報告者の声に、安堵が滲んだ。


奥の壁際で、転移台がゆっくりと光を取り戻していく。




「小半刻の休息を取る。傷の手当てを優先せよ」


アストライアが命じた。


ユーメリナが前に出る。


「陛下、私が治癒を——」


「いや」


アストライアが手を上げて止めた。


「ユーメリナは魔力を温存してほしい。この程度なら治癒術師たちで十分だ」


女王の合図で、精鋭治癒術師隊が素早く展開する。


緑の光があちこちで灯り、傷が見る見るうちに癒されていく。


ハルは暗銀剣を鞘に収めながら、髭面に近づいた。


「見事な一撃だった」


「へへっ、ハルの太刀筋も大したもんだぜ」


髭面が豪快に笑う。


「陛下、準備ができました」


アリサが転移台を指差した。


アストライアが立ち上がった。


「よし、進むぞ」


三百の兵が再び隊列を整える。


ハルは転移台に向かいながら、ふと思った。


(前回、四層では人形たちとの戦いがあった。そして——)


胸の二重円環が、微かに熱を帯びた。


(その先、奴はまた、いるのだろうか......)


光に包まれながら、ハルは決意を新たにした。


三層の景色が消え、四層への道が開かれた。

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