二日目 先遣隊百一名
二日目 先遣隊百一名
東の空が白み始める頃、王都の正門前には百一名の影が集まっていた。
騎士団から選抜された王宮兵六十名。
冒険者ギルドから集まった四十名。
そして、ハル。
「よお、ハル!」
髭面の冒険者が駆け寄ってきた。昨日、城門で共に戦った男だ。
「昨日はすごかったな。おかげで助かった奴も多い」
肩を叩いてくる。
「保証人になってくれたおかげで、依頼を受けられた。ありがとう」
「マルコの奴に釣られて、俺も手を挙げちまった」
髭面が豪快に笑う。
「騎士団との任務は何度もやったが、一緒に遺跡に潜るのは初めてだ。胸が高鳴るぜ」
周囲では、兵士たちが装備を確認している。
革鎧の紐を締め直す者。剣の切れ味を確かめる者。小声で祈りを捧げる者。
「二百年前に絶滅したアーク種が、本当に現れたなんて」
別の槍兵が不安そうに呟く。
「学匠院の連中も首を捻ってたらしいぜ。なんで今更って」
熟練兵が応じるが、その声にも緊張が滲んでいた。
騎士ガルトが前に出る。重厚な鎧が、朝の光を反射していた。
「準備は良いか」
その時、城門が開いた。
馬蹄の音が石畳に響く。白馬に跨る人影。
濃紺のマントが朝風に揺れ、長い髪が漆黒に輝いていた。
その後ろには、銀の鎧を纏った近衛騎士が十騎ほど従っている。
(アストライア……!)
息が、止まりそうになった。
凛とした佇まい。統治者の威厳と、武人の覇気を纏っている。
最後まで民を思い、諦めなかった。
生きている。呼吸をしている。
「陛下......!」
ガルトが膝をつく。兵士たちが次々と跪いた。
ハルも慌てて膝をつく。心臓が激しく脈打っている。
アストライアの視線が、兵士たちを見渡す。そして一瞬、ハルを捉えた。
漆黒の瞳が、わずかに揺れた。
(同じ色だ。あの時と)
血を吐きながら見上げた、あの瞳と同じ。
でも今は、生きた光が宿っている。
見知らぬ冒険者のはずなのに、アストライアは一拍、視線を留めた。
だが、やがて逸らされる。
(ああ)
胸の奥で、何かが静かに欠けた。
当然だ。
向こうは初対面なのだから。
「面を上げよ」
凛とした声が響く。
アストライアは馬を降り、ガルトの前に立った。
「騎士ガルト。未知の脅威の調査を、そなたたちに任せる」
「畏まりました」
ガルトが深く頭を下げる。
アストライアは冒険者たちにも視線を向けた。
「冒険者諸君。王国は諸君の勇気に感謝する。どうか、無事に帰還してほしい」
その言葉に、冒険者たちの表情が引き締まった。
「武運を」
短い言葉を残し、アストライアは踵を返す。
だが数歩進んだところで、振り返った。
「そなた」
ハルを見ている。
「面白い剣を背負っているな」
一瞬の間。
それだけ言うと、今度こそ城へ戻っていく。
その背中を見送りながら、ハルは拳を握りしめた。
(アストライア......今度は死なせはしない)
森の中を進む。
朝靄がまだ残り、湿った落ち葉を踏む音だけが響く。鳥の声が、妙に遠い。
「静かすぎる」
ガルトが呟いた。
確かに、森は不自然なほど静かだった。
昨日、魔物の群れが通った跡が生々しく残っている。
なぎ倒された木々。えぐれた地面。
そして——
「隊長、あれを」
兵士の一人が前方を指差した。
巨木の根元に、何かが横たわっている。近づくと、それが人だと分かった。王都外縁警備隊の鎧。いや、鎧を着た、かつて人だったもの。
二人分の死骸。鎧が平たく押し潰され、地面にめり込んでいた。
「可哀想に」
ガルトが目を伏せる。
「外縁警備の連中か。逃げる間もなかったんだな」
ハルは巨大な足跡を見つめた。死骸の周りの地面が、円形に深くえぐれている。
(昨夜、洞窟から出た直後......)
あの魔法で数体は倒した。灰に変えた。だが——
(僕があと少し強ければ、この人たちは今朝も普通に目覚めていたはずなのに)
胸が締め付けられる。
「せめて埋葬を」
若い兵士が言いかけたが、ガルトは黙って首を振った。
二つの遺体を、できるだけ丁寧に巨木の根元へ移動させる。落ち葉で覆い、石を置いた。
「任務が優先だ。帰りに必ず、正式に弔う」
ガルトの声は静かだが、決意がこもっていた。
「ああ」
髭面の冒険者が低く呟く。
「生きて帰れたら、酒でも供えてやるさ」
重い沈黙の中、一行は歩みを再開した。
朝靄が少しずつ晴れていく。木漏れ日が、なぎ倒された木々の間から差し込み始めた。
「ところで」
ガルトが歩きながら、ハルを見た。
「剣を二本?」
腰には実用的な剣。背中には布に包まれた朽ちた剣。
「背中のは、使い物にならなそうだが」
「ああ、刃もボロボロだ」
ハルが振り返る。
「でも、手放せないんだ。なぜか」
ガルトが興味深そうに足を止めた。
「見せてもらっても?」
ハルが背中から剣を下ろす。
ガルトは布を少しめくり、目を細めた。
「これは......朽ちてはいるが......」
指で装飾をなぞる。
「相当な業物だったはずだ。王家の紋章に似ている。いや、少しだけ違うか」
「詳しいな」
「親父が騎士団の武器管理をしていたんでね。子供の頃から剣を見てきた」
ガルトが剣を返しながら。
「王都の外れに、グリムという鍛冶屋がいる。ドワーフでな」
「ドワーフ?」
「ああ。百年以上生きてる頑固爺だ。客を選ぶし、気に入らない仕事は金を積まれても受けない」
ガルトが苦笑した。
「十数年前、騎士団の剣の修理を頼んだら『こんな粗悪品、溶かして鍋にした方がマシだ』って追い返されてな」
「それで?」
「酒を持って頼みに行ったら、朝まで飲まされた。ドワーフ酒をな。死ぬかと思った」
兵士たちがくすりと笑う。二人の飲み比べは、騎士団では有名な話だった。
「でも、それ以来の呑み仲間だ。『人間にしちゃマシな肝臓してる』だとさ」
ガルトが前を向く。
「あいつ、古い剣を見ると目の色が変わるからなあ......」
一瞬、真剣な表情になる。
「任務が終わって戻ったら、紹介しよう。あいつなら、その剣の正体も分かるかもしれん」
「ありがとう」
「まあ、機嫌が良ければの話だがな」
ガルトが肩をすくめる。
「下手すりゃ『こんな宝を錆びさせた奴は誰だ!』って怒鳴られるかもしれんぞ」
兵士たちが緊張を解いて笑った。
ガルトが剣を見つめる。
「グリムが言ってたな。魔力炉と特殊な鉱石があれば、朽ちた刃も蘇らせられるとかなんとか」
肩をすくめる。
「酔っ払いの戯言かもしれんが」
ハルは剣を背中に戻した。
森を進みながら、ふと思い出したようにハルが口を開く。
「ガルト隊長」
「昨日のアーク種、どう思う」
ガルトが眉をひそめた。
「長年騎士をやっているが、あんなゴブリンは初めてだ」
重い鎧が軋む。
「そして、その魔物が湧いて出てきたのが」
前方に、巨大な石造建築が見えてきた。
昨日の大地震で現れた地下迷宮。
風化した門扉の向こうに、深い闇が口を開けている。
「この迷宮か」
ガルトの声が、かすかに震えた。
一行は門扉の前で立ち止まる。石の表面には判読できない文字が刻まれていた。何人かが不安そうに見上げている。
「全員、最終確認を。水と食料、薬品類」
ガルトが振り返って部隊を見渡す。
確認が終わると、ガルトは深く息を吸った。
「では、入るぞ」
暗い入口へと、一行は足を踏み入れる。
「照明の準備を」
魔術師たちが詠唱を始める。青白い光球が生まれ、暗闇を押し返していく。
第一層。湿った洞窟。水滴の音が反響している。
(ここだ)
光球が、床の窪みを照らし出す。
僕が倒れていた跡。
その周囲には——何もない。
手がかりも、痕跡も。
「どうした?」
ガルトの声で我に返る。
「いや、なんでもない」
「みな隊形を崩すな」
ガルトの指示が飛ぶ。前衛に盾持ち、中列に槍兵、後衛に弓と魔術師。
しばらく進むと、前方に動く影。
「来るぞ」
緑色の巨体が、光の中に現れた。アークゴブリン。続いてアークオーク。
「ひるむな!」
ガルトが号令をかける。
戦いが始まった。
ハルが一歩前に出て、剣を構える。殺気を放つ。
十数体いる魔物のうち、三、四体がハルに向かった。アークゴブリン二体とオーク一体。残りは王国兵と冒険者たちへ。
前衛の盾兵が攻撃を受け止め、槍兵が正確に急所を突く。訓練された動き。
ハルは引きつけた敵を確実に処理していく。
一体のゴブリンが、側面から回り込もうとする。
別の冒険者が対処しようとするが、動きが遅い。
ハルが割り込み、首を刎ねた。
アークオークの戦斧が振り下ろされる。王国兵三人が連携して対処している。見事な連携だ。ハルが数体引き受けた分、余裕を持って戦えた。
別のオークがガルトに迫る。隊長は冷静に剣で受け、返す刀で深い傷を負わせた。
後方から援護の矢が飛び、魔術師の炎が魔物を包む。
数分の戦闘で、魔物は全て倒れた。
「被害、軽傷二名のみ」
報告が上がる。精鋭部隊の実力が示された戦いだった。
「大丈夫か」
ガルトが軽傷者に声をかける。
「治療を」
治癒師が駆け寄り、手をかざす。柔らかな光が傷を包む。
「......おかしいな」
治癒師が首を傾げた。
「傷が、思うように塞がらない」
「初めての現象だ」
ガルトが眉をひそめる。この迷宮には、何か異様なものが漂っている。
「この程度なら問題ありません。先へ」
軽傷者が立ち上がる。傷は完全には塞がっていないが、動くには支障ない。
ガルトは頷き、前を向いた。
「進むぞ。油断するな」
しばらく進むと、奥に開けた空間があった。
「泉だ」
誰かが呟いた。
石壁に囲まれた小さな泉。澄んだ水を静かに湛えている。
「不思議だな。この辺りだけ、空気が澄んでいる気がする」
確かに、泉の周りだけは先ほどまでの異臭が薄らいでいた。
(なぜ、ここだけ瘴気が薄い……?)
ハルは泉の縁を見つめた。答えは出ない。
ふと、水底に目を凝らす。
泉の床に、かすれた線のようなものがうっすらと円を描いている。
「おい」
ハルは髭面を呼んだ。
「泉の底、何かないか」
「ん?」
髭面が泉を覗き込む。
「……あー、言われてみりゃ、なんか線みてえなのがあるな。魔法陣か?」
「わからない。かすれてて、よく見えない」
「なんだろうな。まあ、今は関係なさそうだ」
その時、背の朽ちた剣がかすかに震えた気がした。
(……気のせいか)
「飲めるのか?」
「やめておけ。何があるかわからん」
ガルトが制止する。
先を急ぐべきだ。一行は泉を後にした。
奥に、石段が見つかった。地下へ続く階段。
「地下に降りる階段か」
降りていくにつれ、空気が変わる。
湿度が上がり、腐臭に似た何かが鼻を突く。
ハルは眉をひそめた。
(瘴気がわずかに濃くなった)
迷宮第二層。
薄い靄が、床を這っている。
光球の青白い光が、不気味に揺らめいた。
靄に触れた虫が、小さく煙を上げて落ちた。
「なんだ、この臭いは」
「気分が悪くなる」
兵士たちが顔をしかめる。
その時、暗闇から何かが現れた。
人の形をしている。だが、人ではない。
灰色の皮膚。左腕が異常に肥大し、地面に届きそうなほど伸びている。顔は原型を留めているが、赤く濁った瞳が三つ。口が耳まで裂けていた。
(待て、これは——)
似ている。塔の第四層で見た、あの人形たちが変貌した姿に。
「うっ......」
若い冒険者が吐いた。何人かの顔が真っ青だ。
「な、なんだあれは」
「化け物......」
異形が、咆哮を上げた。
人の声帯から出るはずのない音。それなのに、どこか人間の悲鳴にも聞こえる。
異形が突進してきた。
ハルが剣を構える。横薙ぎの爪撃を躱し、肥大した腕を斬り落とす。黒い血が噴き出した。腐臭が強くなる。
「うおおおお!」
ガルトも剣を振るう。恐怖を振り払うように、声を上げて斬りかかった。
弓兵の矢が異形の目を射抜く。魔術師の炎が焼く。槍兵たちも、震えながら槍を突き出した。
戦いの末、異形は倒れた。
「終わった......」
誰かが安堵の声を漏らした。
その時だった。
地響き。
洞窟全体が震えている。奥から、何か巨大なものが近づいてくる。
重い足音。
光球の青白い光が、それを照らし出した。
巨大な異形。
複数の人体が無理矢理融合したような姿。胴体がいくつも繋がり、腕が十本以上生えている。顔が、あちこちに。それぞれが違う表情で歪んでいた。
高さは三メートルを超えている。滴る体液が、床で煙を上げた。
そして——
「モドリタクナーイ......」
人の声だった。
「モドレナーイ......モドレナーイ......?」
壊れた何かが、同じ言葉を繰り返している。
巨大な異形の無数の口が、一斉に笑い始めた。
冒険者の何人かが、後ずさりした。
だが——
ハルが一歩、前に出た。
剣を抜く音が、洞窟に響く。
巨大異形の無数の顔が、一斉にハルを向いた。歪んだ瞳のすべてが、ぎょろりとハルを見つめている。
(そうか、こいつに先遣隊は全滅させられたのか)
「こい」
その背中を見て、震えていた若い冒険者が剣を握り直した。隣の男も槍を構え直す。
王国精鋭兵たちが陣形を組む。いつもより、足取りがしっかりしている。
「総員、戦闘準備」
ガルトの号令が響く。その声に、先ほどまでなかった力がこもっていた。
そして巨大異形が、ゆっくりと一歩を踏み出した。
地面が、震えた。
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