一日目 城門前
昼下がり、王都の城門前は既に戦場と化していた。
森から全力で駆けてきたハルは、息を整えながら城門へと急ぐ。
アークゴブリン、アークオーク。二百年前に絶滅したはずの魔物たちが、防衛線を押し破ろうとしている。剣戟の音。怒号。魔法の炸裂。
城門の影で、倒れた兵士の傍らに転がる血に濡れた剣を見つけた。一瞬躊躇したが、手に取る。柄はまだ温かかった。
「すまない、借りる」
小さく呟いて、戦列に加わった。
アークゴブリンの剣が迫る。
見えた。
半歩だけ体を逸らす。刃が空を切る。返す動作で、その胴を薙いだ。濃緑色の体が二つに割れ、血煙が上がる。
アークオークが城門の敷居石を踏み割って迫る。
重い戦斧が振り下ろされる。
剣の根元で受け、そのまま滑らせて懐へ。心臓を一突き。巨体が崩れ落ちる。
ふとむこうを見ると、若い冒険者が倒れていた。
腰を打ったのか、立ち上がれずにいる。
その頭上に、別のアークオークが戦斧を振り上げていた。
間に合わない距離――
『暗き炎よ......』
口が勝手に動いた。
虚空に暗い火球が生まれ、一直線にオークへ飛ぶ。
音もなく、巨体が内側から焼け溶けた。
骨さえ残さず、灰となって崩れ落ちる。
戦斧だけが石畳に激突した。
若い冒険者が呆然と見上げている。
「立てるか」
短く声をかける。
「あ、ああ......助かった」
震え声で答える冒険者を置いて、戦闘に戻る。
無駄のない動きで、次々と敵を斬り伏せていく。
まるでこの体が、戦い方を覚えているかのように。
「総員、陣形を崩すな!」
アルベルトの号令が響く。
騎士団長自らが最前線で剣を振るい、兵士たちを鼓舞している。
その時、左側面からアークゴブリンが剣を投げた。
回転しながら飛ぶ刃が、馬上のアルベルトの腕を狙う。
指揮に集中していた彼は、気づいていない。
(あぶない)
ハルが地を蹴った。
跳躍。
馬の高さまで跳び上がり、宙で剣を振り抜く。
金属音が響き、投げられた剣が弾かれて地に落ちる。
着地と同時に、別のゴブリンの首を刎ねた。
馬上から、アルベルトが振り返る。
「すまぬ」
短く礼を言う。
「あと少しだ」
アルベルトが頷き、再び号令を上げた。
「......何者だ、あいつ」
誰かの声が聞こえた。振り返る余裕はない。ただ、斬る。
体が、勝手に動く。
やがて、魔物の群れは撃退された。
靴底が血で濡れている。粘つく感触。
胸の奥で、何かが欠けていく感覚があった。
薄れていく、とでも言うべきか。
夕暮れ時、宿へ向かう。
石畳を踏むたびに、既視感が襲う。この道も、この風も、この匂いも。全て知っている。
宿の扉を開ける。
亭主がいた。前と同じ場所。同じ姿勢。
銀貨を差し出す。
「古いな。......これ、王の肖像が違うぞ」
亭主が銀貨を摘み上げ、ランプにかざす。
指で弾く。カンという音。
全て、同じだ。
台詞も、仕草も、音も。まるで世界が、決められた脚本を演じ直しているような。
背筋が冷えた。
「まあ、銀の純度は確かだし、重さも正規のものと変わらん。古銭商なら喜んで買い取るだろう。今夜だけなら構わんよ」
鍵を受け取る。階段を上る。軋む音まで同じだ。
部屋に入り、湯で体を洗う。血と埃を落とす。
ゴブリンの血だ。温かかった。手に飛び散った時、確かに温度があった。
なのに、何も感じなかった。
服を脱いだ時、胸の祝福印が目に入った。
(......増えている)
一重だった円環が、二重になっている。
死んで、戻ってきたから?
それとも——
触れてみる。熱くない。むしろ冷たい。
皮膚の下で、何かが蠢いているような錯覚。思わず手を引いた。
あの世界は、どうなったのだろう。
消えたのか。
それとも瘴気に呑まれたまま、どこかで続いているのか。
鏡を見た。
自分の顔だ。何も変わっていない。
なのに、どこか他人のような——
不気味なほどに、静かだった。
じっとしていられず、夜の街へ出た。
夜更けにもかかわらず街は異様に明るい。通りのあちこちで篝火が焚かれ、修繕に追われる人々の声が響いていた。
冒険者ギルドの扉を開ける。熱気と酒の匂いが溢れ出してきた。
「おお!昼間の剣士!」
髭面の冒険者が杯を高く掲げた。
「あんたのおかげで助かった!一杯奢らせてくれ」
「俺も見てたぞ!すげぇ動きだった」
別の冒険者が肩を叩いてくる。
感嘆と興奮の声。確かに畏怖も混じっているが、それ以上に歓迎の色が濃い。
「初めて見る顔だな?どこから来たんだ?」
「とにかく飲め!今日の英雄だ」
杯を押し付けられる。断る理由もない。一口だけ飲んだ。
依頼書が貼り出された掲示板を見る。
「明朝の捜索隊、志願者募集」
破格の報酬。
(塔へ行くべきだ)
分かっている。
(だが)
あの洞窟で目覚めた理由。迷宮に何があるのか。知る必要がある。
それに、塔の扉が開くのは第四日目。今はまだ閉ざされているはず。
依頼書を見つめていると、受付の妖艶な女性が唇の端を上げた。
「あら、興味がおあり?」
赤い爪先で羊皮紙の端を軽く叩く。
「ギルド員なら今すぐに受付できるわよ。ギルド証は?」
「......ない」
女性が肩をすくめようとして――
「俺が保証人になる」
声の主を見る。昼間、城門で戦っていた冒険者だった。若い顔。見覚えがある――腰を打って倒れていた男だ。
「あんたに命を救われた。これくらい、安いもんだ」
真剣な目でこちらを見ている。
「おいマルコ、ずるいぞ!俺も保証人になる」
髭面の男が割り込んでくる。
「俺だって助けられた」
「じゃあ俺も」
「俺も俺も」
気がつけば、五、六人が保証人に名乗り出ていた。むしろ取り合いになっている。
受付の女が苦笑した。
「......分かりました。皆さんそんなに推すなら」
書類を差し出す。
「でも、後日ちゃんと登録してくださいね?」
艶めいた声で釘を刺される。
「明日も頼むぜ!」
「一緒に遺跡に行けるなんて心強いな」
口々に声をかけられる。期待と興奮に満ちた目。少し照れくさい。
署名を済ませ、宿へ戻る。
寝台に横になる。
明朝、先遣隊が出発する。六十名。騎士ガルトが率いる精鋭たち。
前回、彼らは誰一人戻らなかったらしい。迷宮で何かが起きた。詳細は分からない。
(変えられるか)
いや、変えなければならない。
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