一日目 王都襲撃
昼下がり、王都はまだ午前中の大地震の傷跡に包まれていた。
崩れた石壁、ひび割れた道路、傾いた家屋……住民たちが復旧作業に追われる中、城壁に警鐘が鳴り響いた。
森の向こうから現れたのは、見慣れた魔物の群れだった。
ゴブリン、オーク――冒険者なら誰でも知っている下級魔物たち。
城壁の兵士たちは武器を手に取りながらも、内心では安堵していた。
こんなものなら、いつものように撃退できるだろうと。
だが、群れが射程距離まで近づいたとき、誰もが違和感を覚えた。
「あれは……ゴブリンか?」
午後の陽光に照らし出された緑の魔物は、確かにゴブリンの特徴を持っていた。
だが、妙に背が高い。腕も太すぎる。
そして何より、肌の色が普通のゴブリンより濃く、鈍い光沢を帯びている。
鋼の長剣を軽々と振り回しているが、ゴブリンにそんな膂力があっただろうか。
「なんだか様子がおかしいぞ」
熟練の弓兵が眉をひそめる。
長年魔物と戦ってきた経験が、何かが違うと告げていた。
「ひるむな!所詮はゴブリンだ!」
隊長の号令が響くが、戦いが始まると違和感はさらに強くなった。
一撃で兵士が吹き飛ばされ、城壁の石が削り取られていく。
そして奥の方から、さらに巨大な影が現れた。
「オーク……だよな?」
現れたのは、通常のオークより一回り大きく、肌の色が黒っぽく変色した魔物だった。
筋骨隆々とした体格は普通のオークと似ているが、その動きには異常な俊敏さがあり、巨大な重戦斧を片手で軽々と振り回している。
「普通のオークがあんな重い武器を扱えるはずがない……」
見慣れた魔物のはずなのに、何かが根本的に違っていた。
重戦斧が振り下ろされ、城門の一部が砕け散る。
一対一では歯が立たないが、数人がかりで囲めば何とか対処できる。
数体の巨大なオークが城壁に迫ると、守備隊は苦戦を強いられた。
戦いは夕方まで続いた。
冒険者ギルドから駆けつけた熟練者たちが連携して立ち回り、数人がかりで一体ずつ確実に仕留めていく。
魔物の群れは辛くも撃退されたが、城門前には多数の負傷者が溢れ、治癒師たちは日没後も走り回ることになった。
討伐された魔物の死骸は、解析のため王宮の地下室へ運び込まれた。
学匠院の識者たちが集まり、夜遅くまで調査にあたる。
「これは……」
首席学匠のグレゴリウスが、震える手で古い書物を広げた。
魔物の死骸と見比べながら、何度も頁をめくる。
燭台の明かりが古びた羊皮紙を照らし、影が揺らめく中での作業だった。
「信じられないことですが……これは確かにアークゴブリンですね。体長、筋肉の付き方、牙の形状……そして何より、この独特の濃緑色の体表。すべてが文献の記録と一致しています」
「アーク種ですか? でも、あれは二百年前の大討伐で根絶されたのでは……」
「魔物史学的にはその通りです。しかしながら、この死骸を御覧なさい。間違いなく生きていたアーク種そのものですよ」
グレゴリウスは隣に置かれたもう一体の死骸に目を向ける。
「そしてこちらはアークオークです。通常のオークより一回り大きな骨格、発達した筋組織、そして特徴的な暗褐色の体表……こちらも文献の記述と完全に一致しています」
学匠たちの間に動揺が走る。
絶滅したはずの魔物が、なぜ今になって現れたのか。
そして、学匠たちが最も困惑したのは、アーク種の出現そのものだった。
「二百年前に完全に根絶されたはずなのに……なぜ今になって」
「しかも、これほど多数が一度に現れるなど……」
古い文献を何度も見返しながら、学匠たちは首を振るばかりだった。
絶滅した魔物が突然現れた謎について、誰一人として説明することができなかった。
深夜、グレゴリウスは重い足取りで謁見の間へ向かった。
一夜の調査結果を女王に報告しなければならない。
城内は静まり返り、廊下に響く足音だけが夜の静寂を破っていた。
謁見の間には、女王の他に王国騎士団長のアルベルトも控えていた。
昼間の戦いで指揮を執った彼の左腕には包帯が巻かれ、顔には疲労の色が濃く浮かんでいる。
玉座に座る女王は、静かにグレゴリウスの報告を聞いた。険しい眉の下、深い光を宿した瞳が揺れる。
「アーク種……二百年前に絶滅したはずの魔物が、再び現れたと?」
「はい。そして……」
グレゴリウスが躊躇いがちに続ける。
「アーク種がなぜ突然現れたのか、我々には全く理由が分かりません。二百年前に完全に根絶されたはずなのですが……」
グレゴリウスの言葉に、女王の表情がさらに厳しくなった。
「今日の魔物たちが現れた森の向こう……そこで何か異変は起きていないか?」
「実は……」
グレゴリウスが言葉を選ぶように続けた。
「本日午前の地震の後、あの森で巨大な地下構造物が出現したという報告が入っております」
「地下構造物?」
「はい。地面が陥没し、石造りの巨大な迷宮のような建造物が姿を現したとのことです……しかし、これまでそのような遺跡が存在したという記録は一切ございません」
謁見の間に重い沈黙が降りた。
既知の遺跡ならまだしも、突如として現れた未知の地下迷宮。
それが魔物の出現と関係しているとすれば。
女王は長い沈黙の後、ゆっくりと立ち上がった。
「調査隊を派遣する」
その声には、有無を言わせぬ威厳があった。
「突如現れた未知の迷宮、絶滅したはずのアーク種……これらが偶然の一致とは思えない。必ず何かの関連があるはずだ」
騎士団長のアルベルトが一歩前に出て、深々と頭を下げた。
「畏まりました。すぐに準備いたします」
女王は玉座を立ち、窓辺へ歩み寄った。
深夜だというのに、王都は眠っていなかった。
あちこちで篝火が焚かれ、修繕に追われる人々の影が揺れている。
槌の音が、途切れることなく響き続けていた。
月明かりと炎の光が城壁を照らし、夕方の戦いの傷跡を浮かび上がらせる。
何かが、始まろうとしている。
言いしれぬ不安が、女王の胸をよぎった。




