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終末の刻限  作者: はゆめる
第二章
19/28

一日目 覚醒

冷たい石の感触が背中を貫いた。


瞼を開けると、見慣れない天井がそこにあった。


湿った苔が張り付いた岩壁、しっとりと肌に纏わりつく空気。




『——親友』




『——ハル』




跳ね起きて、反射的に胸を押さえた。


(そうだ、僕の名前は——ハル)


霧に包まれていた記憶の一部が、急に鮮明になった。


アストライアが血を吐きながら倒れた姿。


瘴気に呑まれていく世界——


抱き起こした時の、あの血の温もりが、まだ腕に残っているような気がした。


彼女の最後の重さを、この腕は覚えている。


そして自分も角冠の異形に胸を貫かれて死んだはずだ。


だが、胸には何の傷もない。


それどころか、体が軽い。


さきほどまで戦いの疲れなどなかったかのように。


「どういうことだ... 僕はなんで...」


その時、世界が大きく揺れた。


岩壁から砂礫がぱらぱらと落ち、足元の石が軋む音が響く。


遠くから地鳴りのような轟音。


そして、洞窟の奥に差し込み始める朝の光。


すべて覚えている。


次に何が起きるかも——




暗闇の奥から、蠢く気配。


濃緑色の皮膚に牙を剥いたゴブリンが、暗闇から飛び出してきた。


錆び付いた刃を振りかざし、太い腕が唸りを上げて振り下ろされる。


だが——


妙だった。ゴブリンの動きが、はっきりと見える。


半歩。それだけで刃は外れた。




『深淵に蠢く暗き炎よ...』




突然、口が勝手に動いた。


知らない言葉だ。


聞いたこともない詠唱。


なのに意味は解る。


喉が、舌が、唇が、完璧にその音を紡ぎ出す。


それと同時に、じわりとした虚無感が胸を侵した。


虚空に暗い火球が生まれた。


音もなく飛翔し、ゴブリンを包み込む。


悲鳴さえ上げる暇もなかった。


濃緑色の体は内側から燃え上がり、一瞬で灰となって崩れ落ちた。


(なぜ、こんな魔法を——)


心臓が激しく脈打つ。


恐怖ではない。


この力への戸惑いだ。


足元を見下ろす。


暗闇の中、なにかが微かに光を反射していた。


前にもここで掴んだ鉄片——いや、剣だ。


手に取ると、不思議と馴染む。


錆びて刃こぼれだらけだが、なぜか手放したくない感覚がある。


剣を手に、遠くに差し込む光を目指してしっかりとした足取りで前に進む。


前は壁に手をつきながら、痛みに耐えながら歩いた道。


今は背筋を伸ばして歩ける。


外に出ると、朝陽が昇り始めていた。


太陽は地平線から拳ひとつ分ほど昇っている。


まだ朝の早い時刻だ。


金色の光が森の木々を照らし、鳥たちのさえずりが響いている。


朝露と土の匂いが肺を満たす。


深い森だった。


鬱蒼とした木々の向こう、朝靄の中に遠く霞んで見える城壁。


王都だ。


(瘴気がない)


ついさきほどまで地上の景色すべてが黒い死の霧に覆われていた。


だが今、眼前に広がるのは穢れなき自然と、朝日に輝く美しい王都の姿。


(戻ったのか——)


そうだとすれば。


まだ間に合う。


アストライアも、アリサも——みんな生きている。


その時だった。


背後から大地を揺るがす轟音が響いた。


(そうだ、これも同じだ)


振り返ると、洞窟の奥から次々に影が溢れ出してくる。


鋭い爪を持つ大型の魔物、らんらんと燃える赤い瞳の怪物、歪んだ牙を剥き出しにした魔物たち。


群れは咆哮を上げながら森を駆け抜けようとしている。


再びあの詠唱が喉を突いて出る。


『深淵に蠢く暗き炎よ...』


じわり、と心が濁る。詠唱に伴いねっとりとした喪失感が内側を這い上がってくる。


虚空に暗い火球が次々と生まれ、意思を持つかのように魔物たちへ飛翔した。


最前列のゴブリン三体が、炎に包まれて炭化する。


続けて新たな火球が生成され、オークの巨体を貫いて静かに燃え上がらせた。


それでも、群れは止まらない。


こちらを一瞥することもなく、残りの魔物たちは王都へ向かって走り去っていく。


まるで最初から眼中にないかのように。


あるいは、もっと重要な目的があるかのように。


「すべて倒すのは無理...か」


数十体はいただろうか。


倒したのは七、八体。焼け石に水だ。


やがて森に静寂が戻る。


地面に転がる魔物の死骸を見下ろしながら、深く息を吐く。


この力——使うたびに、何かが削れていくような感覚がある。


胸の奥で、見えない何かが少しずつ欠けていくような。




王都への道を駆け出す。


時間がない。


間もなく王都が襲撃される。


それを変えられるかもしれない。


体調は良い。


どこまでも走れそうな気がした。


「アストライア——」


真名を告げた時の、彼女の覚悟に満ちた横顔が脳裏に浮かぶ。


あの時、彼女は全てを賭けていた。


王としての誇りも、人としての矜持も。


「今度は、必ず——」


彼女の最期の言葉を思い出す。


『頼んだぞ』


という掠れた声。


今度こそ、救ってみせる。


彼女も、世界も。

毎週 火・木・土 22:00 更新

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