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終末の刻限  作者: はゆめる
第一章
14/28

五日目 始原の塔(二)

第三層へ転移した瞬間、世界が一変した。


剥き出しの岩肌が天井まで続き、湿った空気が肺を満たす。


壁面のあちこちに青白い魔力結晶が埋まり、脈動するように明滅している。


その光が水晶のように反射し、洞窟全体が呼吸しているかのような錯覚を覚える。


そして中央には、巨大な蛇が鎌首をもたげていた。


鱗は鈍い銀色に輝き、その瞳は挑戦者たちを値踏みするように見下ろしている。


奥には光を失った転移台。


眼の前に、古びた石碑が立っていた。


「アリサ、読めるか?」


女王の声に、随行していた若い宮廷魔術師が駆け寄る。


アリサ――炎術を得意とし、古代語にも通じている。震える手で石碑に触れた。


「数千年前の古代語です…ここは欠けていて『輪…兵…の試練』としか読めません」


指で別の箇所をなぞる。


「それから…『天秤の均衡』…次が詩文のようで…『崩るれば』…」


さらに下の行へと視線を落とす。


「『滅』…以降は摩耗がひどくて判読できません」


「天秤の均衡…」


女王が呟く。


だが、その意味するところは判然としない。


「仕方ない。備えるしかない」


「全軍、戦闘準備!」


女王が剣を抜く。


その動きに呼応するように、三百の戦士たちが武器を構えた。


「前衛は敵を引きつけろ!後衛は距離を保って攻撃!治癒師は前衛の支援に専念!」


号令と共に、戦いの火蓋が切られた。


その瞬間、背後の転移台から光が失われた。


退路が断たれた。


大蛇の牙が鋼鉄の盾を噛み砕き、その尾が戦士たちを薙ぎ払う。


緑色の毒液が宙を舞う。


アリサは息を呑み、横に跳んだ。


毒液が今まで立っていた場所の石床を音を立てて溶かしていく。


男も剣を抜いて斬りかかった。


前線で戦う者たちに、平等に死の牙が襲いかかる。


「今度はちゃんと狙われてるな」


「さっきのは気のせいだったか」


隊員たちの声が飛び交う中、男は無駄のない動きで攻撃をさばいていく。




突然、大蛇の体が光に包まれた。


「何が起きている!?」


光が収まると、そこには二体の大蛇がいた。


どちらも元の個体と同じ大きさ、同じ殺意を宿している。


「動揺するな!」


女王の声が戦場に響く。


「前衛は二手に分かれて足止め!攻撃班は右側の個体に集中!まず数を減らすぞ!」


戦士たちは訓練された動きで陣形を組み直す。


片方の大蛇を盾持ちが囲み、もう片方には最小限の人員で対処する。


剣と魔法が右側の大蛇に集中し、その鱗が次第に砕けていく。


アリサの手から紅蓮の炎が放たれ、大蛇の鱗を焼き焦がす。


他の魔術師たちも氷と雷の魔法を降らせる。


大蛇が断末魔の叫びをあげ始めた。


あと一撃で――


その時、女王の脳裏に碑文の断片が蘇った。


『天秤の均衡、崩るれば――』まさか。


「待て!」


女王が叫んだ。


だが、前衛の剣士の刃は既に振り下ろされていた。


大蛇の首が断ち切られ、地に崩れ落ちる。


「くっ...」


次の瞬間、左側で持ちこたえていた部隊から、絶叫があがる。


見れば、残った大蛇が異様な光を纏い、その体が見る見るうちに巨大化していく。


「なんだこれは…!」


強化された尾の一薙ぎで、最前列が消えた。


文字通り、消えた。


鎧の破片と血煙だけが宙に舞い、床に赤い染みが広がっていく。


次の一撃で、更に十名。


「散開!距離を取れ!」


だが巨大化した蛇の攻撃範囲は想定を超えていた。


どこまで下がっても届く。尾が、牙が、毒液が――


その時だった。


男が前に出た。


巨大な牙が振り下ろされる。


紙一重で避ける。


必殺の尾撃。


最小の動きでいなす。


死の舞踏が始まった。


女王が詠唱を始めた。


白銀の光が宙を走り、大蛇の向こうで戦う男を包み込む。


男の身のこなしが、一段階上がった。


先ほどより、大蛇の動きが見える。


「あいつ...何者だ」


誰かが呆然と呟いた。


あの巨大な化物を、たった一人で引きつけている。


「攻撃を集中させろ!」


女王の号令が響く。


アリサが紅蓮の炎を放つ。


他の魔術師たちも続き、前衛の剣士たちが斬りかかる。


女王自身も魔法剣を振るい、蒼い斬撃が幾重にも大蛇の巨体を切り裂いていく。




ついに、大蛇は轟音とともに倒れた。


静寂が戻った戦場に、うめき声だけが響く。


「被害状況を」


女王の声は冷静だったが、その表情は青ざめていた。


「戦死者...八十三名。重傷者四十名。軽傷者多数」


三分の一近くが戦闘不能。


これが第三層の現実だった。


女王は血に濡れた戦場を見渡した。


「『天秤の均衡、崩るれば――』...同時に倒すべきだったのか...?」


苦い呟きが漏れる。


「動ける者だけ前に出よ。重傷者はここで駐留部隊を待て」


百数十名にまで減った部隊を見渡し静かに告げた。


女王は男に歩み寄った。


「そなたがいなければ、被害はもっと大きかった。礼を言う」


「あの魔法で助かった」


男が静かに返す。


その言葉に、女王の目元がかすかに緩んだ。


視線が男の背に斜めに背負われた剣へと移る。


布の隙間から覗く古い紋章。


あの時感じた違和感が蘇る。


だが、今はその謎を追う時ではない。


女王は沈黙し、踵を返した。


奥の転移台に、ようやく光が宿った。


男は血に濡れた剣を拭いながら、石碑へと視線を向けた。


その古い文字を、長い間見つめていた。


毎週 火・木・土 10:00 更新

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