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終末の刻限  作者: はゆめる
第一章
12/28

四日目 開かれた扉

日が西の山稜に沈む頃、王国軍五千の軍勢が塔を取り囲んだ。


「確かに……扉が」


騎士団長アルベルトが呟く。


塔の基部に、これまで存在しなかった巨大な石扉が、重々しく口を開けていた。


女王は馬上から塔を見上げた。


王家の歴史よりも古い始原の塔。


五百年もの間、誰も入ることのできなかった『開かずの塔』。


いつの頃からか、害もなければ益もない、ただそびえ立つだけの石の巨人として、時折物好きな旅人が眺めていく程度の存在となっていた。


それが今、扉を開いている。


「魔力だ」


宮廷魔術師の一人が震え声で告げた。


「塔全体から、尋常ならざる魔力を感じます」


『始原の塔に魔力満ちし時』――古書の一節が女王の脳裏をよぎる。


「陣を敷け」


女王の号令が響く。


アルベルトが素早く各隊長へ指示を飛ばし、五千の軍勢が整然と野営の準備を始めた。




天幕の中、松明の光が地図と古い図面を照らしていた。


王国の重臣たちに混じって、冒険者パーティーのリーダーたちも作戦会議に加わっている。


「塔の内部構造は不明です」


グレゴリウスが古い文献を広げる。


「残念ながら、構造に関する詳細な記録は残されておりません」


「およそ五百年前までは自由に出入りできたようですが、どの記録にも『暗銀石で築かれた廃墟』『既に朽ち果てていた』『特に見るべきものはない』といった記述ばかりです」


女王が僅かに眉をひそめた。


「暗銀石……」


無意識に、腰の剣の柄に手が触れる。


「そして」


グレゴリウスが別の頁をめくる。


「塔が魔力を帯びていたという記録は、過去に一切ございません。今回のように塔全体から魔力が漏れ出すなど、前例がないのです」


謁見の間に、重い沈黙が落ちた。


「罠があるかもしれんな」


ベテラン冒険者のリーダーが口を開いた。


彼の隣には、幾多の古代遺跡を踏破してきた熟練者たちが控えている。


「正規軍の諸君は野戦には慣れているだろうが、閉所での戦いは勝手が違う。音の反響、視界の制限、退路の確保。古代遺跡の探索には独特の勘と経験が要る」


別のパーティーリーダーが地図を指さす。


「俺たちは先月も東の遺跡を探索してきた。未知の建造物でも、石造りの構造には一定の法則がある。隠し扉、重力落とし、毒矢の仕掛け――そういうのを見抜けるのは場数を踏んだ冒険者だけだ」


騎士団の隊長の一人が渋い顔をしたが、女王が手を上げて制した。


「彼らの言う通りだ。だからこそ冒険者ギルドに協力を要請した。王国兵の統率と冒険者の経験、両方が必要だ」


「三百名で突入する」


女王の決定に、重臣の一人が進言した。


「陛下、御身が直接赴かれずとも――」


「瘴気はもう迷宮から漏れ出している」


女王が静かに、しかし有無を言わせぬ口調で告げた。


「明日には王都に届くやもしれぬ。時間はない。それに――」


剣の柄に手を置く。


その瞬間、天幕内の空気が張り詰めた。


「私も十分戦えると思うが?」


誰も異を唱えられなかった。


魔法剣士として王国最高の実力を持つ女王。


その力は七人の英傑に勝るとも劣らず、彼らがこの場にいない今、まさに王国に残る最強の刃だった。


「熟練冒険者百名、王国精鋭二百名。私が先頭に立つ」


女王は地図に目を落とし、冷静に続けた。


「各階を制圧次第、駐留部隊を配置。退路を確保しながら上を目指す。アルベルト、そなたは外を固めよ。駐留部隊の派遣と、包囲軍の指揮を頼む」


「御意」


騎士団長が深く頭を下げた。




作戦会議が終わり、それぞれが散っていく。


冒険者たちの野営地では、焚き火を囲んで明日への準備が進められていた。


「解毒薬は各自三本は持ってるな?」


「ああ。あと麻痺消しも二本ずつだ」


「閉所で毒霧なんか使われたら逃げ場がないからな」


別の焚き火では、パーティーリーダーたちが戦術を詰めていた。


「前衛が壁になったら、すぐに後衛は詠唱開始。塔の中じゃ音が反響するから、合図は手信号だ」


「了解。罠を見つけたら左手を上げる、魔物なら右手だな」


「松明係は絶対に手を離すなよ。明かりを失ったら終わりだ」


不安げな会話が交わされる中、一人の男が静かに夕食を取っていた。


近くの冒険者が彼の落ち着きぶりを訝しげに見つめたが、男は気にする素振りもない。


周囲の緊張とは裏腹に、その所作はどこか日常的で、まるで幾度もこんな夜を過ごしたことがあるかのようだった。


腰にはありふれた佩剣。


しかし背中に斜めに背負われた剣は違った。


布に包まれてはいるが、その朽ちた鞘から漏れる気配は、かつて幾多の戦場を潜り抜けた武器特有のものだった。


男は立ち上がり、塔を見上げた。


星々の光と共に、塔全体がほのかに魔力の燐光を放っている。


燐光が麓を淡く照らし、山肌の古い坑道の影が浮かび上がる。


それは美しくも不気味な光景だった。


まるで塔自身が、長い眠りから目覚めつつあるような――


『封印が解けたら、必ず私を起こしなさい』


脳裏に響く声。


その言葉は魂に直接刻まれているかのように、何度も何度も反響していた。




夜が更けても、野営地には緊張が満ちていた。


武器の手入れをする者、祈りを捧げる者、仲間と最後になるかもしれない酒を酌み交わす者。それぞれが、それぞれの方法で、明日という未知への扉に向き合っていた。


女王は天幕の外に立ち、塔を見上げていた。


「アルベルト」


「はい、陛下」


「ユーメリナの容体は?」


「魔法連絡によれば、安定しているとのことです。ただ、まだ意識は戻っていないと」


女王は頷き、続けて問う。


「瘴気の状況は?避難は進んでいるか?」


騎士団長の表情が曇った。


「瘴気は予想以上の速度で拡散しています。王都でも避難が始まっており、すでに城下の一部が立入禁止区域となっています」


「時間がないな」


女王が呟く。




塔から吹く風が、古い魔力の気配を運んできた。


明日になれば、分かるのだろうか。全ての答えが。

毎週 火・木・土 10:00 更新

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