四日目 古き書
未明。女王は執務室の長椅子で浅い眠りについていた。
突然、扉が激しく叩かれる。
「陛下!緊急事態にございます!」
女王は瞬時に目を覚まし、立ち上がった。
近衛兵の顔は青ざめている。
「聖女ユーメリナ様が転移陣で帰還されました。重傷を負われています」
女王は即座に羽織を纏い、転移の間へ向かった。
急ぎながらも、その歩みには王者の威厳が失われていない。
転移の間に着くと、床に倒れ伏したユーメリナの姿があった。
法衣は所々が裂け、顔は疲労で青白い。
肩から血が滲み、息も絶え絶えだった。
「ユーメリナ!」
女王が駆け寄り、即座に治癒魔法を唱えた。
だが、傷の治りが異常に遅い。
「これは……」
理由は分からないが、通常の負傷ではない。
ユーメリナは震える手を伸ばした。
「陛下......迷宮は......想像を絶する場所でした......」
涙が頬を伝う。
声は掠れ、途切れがちだった。
「第六層で......トート様が最後の魔力で私だけを......」
震える手が、血に染まった古書を差し出す。
女王は古書を受け取り、すぐに治癒師を呼んだ。
「全力で治療せよ。他の全てに優先する」
女王は皆の安否を問いたかったが、ユーメリナの状態がそれを許さなかった。
そして振り返り、侍従に命じた。
「グレゴリウスを呼べ。宮廷魔術師長メルクリウスも。今すぐにだ」
夜明けと共に、王宮の書庫に学匠と魔術師たちが集められた。
中央の机に古書が置かれ、その周りを最高の知性たちが囲んでいる。
「これは......相当古い」
グレゴリウスが慎重に頁をめくる。
羊皮紙は歳月で黄ばんでいるが、不思議なことに文字は鮮明だった。
「古代語ですが、複数の方言が混在していますな。ここは古代エルフ語の影響が見られ、この部分は失われた王国の言語です」
宮廷魔術師長メルクリウスが、ある頁で手を止めた。
「待て。これは......魔力のしおりだ」
淡く光る魔力の結晶が、頁に挟まれていた。
「この頁になにかあるのか......」
メルクリウスの魔術的直感が告げていた。
魔術師たちが一斉に解読を始めた。
「この文字配列、王家の秘術書に似ている」
「いや、これは古代魔術用語だ。『終末』を意味する」
数刻が過ぎた。
学者たちの額に汗が浮かぶ。
「解けた......!」
メルクリウスが突然立ち上がった。
魔力のしおりが示す箇所と、周囲の文脈が繋がったのだ。
グレゴリウスがかすれた声で読み上げる。
「『始原の塔に魔力満ちし時、混沌の迷宮を覆う瘴気は払われ、深淵への道は開かれん』」
その時、扉が勢いよく開かれた。
「女王陛下!北方警備隊より急報!」
伝令の顔は興奮で紅潮していた。
「開かずの塔に、扉が出現したとのことです!」
室内に静寂が広がった。
「なぜ……今になって?」
女王が呟いた瞬間、別の伝令が息を切らして駆け込んできた。
今度の伝令は恐怖で青ざめていた。
「迷宮監視隊より緊急連絡!黒い瘴気が迷宮から漏れ出しています!森の一部が枯れ始め、鳥や獣が次々と倒れています」
女王の表情が厳しくなった。
瘴気——たった今、古書で読んだばかりの言葉。
それがもう現実となっている。
時間がない。
「塔が鍵か......」
女王は即座に決断を下した。
「アルベルト!」
騎士団長が進み出る。
「王都に残る最精鋭を集めよ。近衛騎士団、魔導師団、すべてだ」
「はっ」
「冒険者ギルドにも火急の依頼を出せ。我が軍と共に塔へ向かう勇者を募るのだ。報酬は国庫から無制限に出す」
女王自ら立ち上がった。
「私も出陣する。これは王国の存亡を賭けた戦いだ」
午前、冒険者ギルドは熱気に包まれていた。
掲示板の前に人だかりができ、朝から酒を片手に議論する者、地図を広げて相談する者たちで溢れている。
「塔の調査だと?」
「あの開かずの塔に扉が?」
「王国軍と共同作戦らしいぞ」
「破格の報酬だな。女王陛下も出陣されるという噂だ」
冒険者たちは依頼書を前に議論していた。
王国の本気度が伝わる条件に、多くの者が興味を示している。
男は、隅の卓で食事をとっていた。
布に包まれた剣を背に、静かに過ごしていた。
この数日、毎日ここで情報を集めることが日課になっていた。
ふと視線を上げ、依頼書を見た瞬間——
頭の中で何かが弾けた。
『......塔は私が引き受ける......』
女性の声。
誰かは分からない。
だが、懐かしく、温かい声。
『......封印が解けたら、必ず私を起こしなさい......』
映像が脳裏をよぎる。
長い髪の女性が、微笑んでいる。
しかし、顔はぼやけて見えない。
男は立ち上がろうとして、一瞬よろめいた。
まるで何か見えない力に引き寄せられるように。
記憶は曖昧なままだが、体の奥底から湧き上がる使命感があった。
これは、自分がやらねばならないことだ。
「その依頼、受ける」
静かな声が、喧騒の中に響いた。冒険者たちが振り返る。
「お、あんたもか!」
髭面の冒険者が声をかける。
「俺も行くぜ。王国軍と一緒なら心強い」
男は依頼書を手に取った。
その瞬間、胸の奥で何かが熱を帯びた。
あの古傷のような印が、かすかに疼いている気がした。
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