1.4 俺という人生
1.4 俺という人生
俺の人生は生まれたその時から奇怪に捻じ曲がっていた。
ハイハイもできなければ、何かを食べていけば良いのかも考えることができない歳で俺は親に捨てられた。
勝手に漏れる糞に蝿が集ってくる。
泣けども泣けども親が現れる訳でもない。
ひたすらに腹が空いたと喚いた。
喉が渇いても移動すらままならない。
何時間も泣いて喚いて暴れて苦しんで歩けるようにと頑張って……ほんともうギリギリってところで、運が味方してくれた。
全てを満たしてくれるような母が偶然現れた。
母親の顔はわからない。
物心がついた時に一瞬顔を見た程度で、次の日には目の前から居なくなっていた。
そこから俺の生活が急変した。
俺を引き継いだのは金にがめつい女性だった。
成長した俺を、まるで金のなる木みたいにゲスい目つきで見て、
『ご飯を与えたのは私、歩き方を教えたのも私、糞を処理しただって私なんだから――だから働いて返して』
こう言うのだ。
その口ぶりは、助けて物心つくまで育ててくれた女性を俺が知らないとでも思っているかのようだった。
反論はできただろう。
だが――粗雑ながらも、数年間育ててくれたのは事実だった。
恩を仇で返すには心がまだ未熟だったのだ。
それから俺は食料を集めては優遇し、腹を空かせてても我慢し、俺が邪魔だったら道を譲渡し、お金を見つけたら寄付した。
身も体も精神も擦り切らせ、その人を支えた。
支えて支えて、限界が来ていた。
どこまでいっても七歳だ。
筋肉量も体力も、動ける距離でさえ制限が付き纏った。
でも助けてくれた人に恩を仇で返したくなかったから限界でも働き続けた。
そんな時期が続き九歳を超えた時、とある人と出会ったのだ。
シスター・アメリア様、その人に。
思わず見惚れてしまうその青い双眸、風にさらさら流される金糸、今も昔も変わらない美麗な大人の容姿。
気付けば、無意識に今までの自分をさらけ出していた。
初対面にも関わらず、真摯に相槌を打って、話の締めくくりにこう質問してきた。
「勇気とは何だと思いますか?」
当然俺は首を傾げた。
道徳を習ったことのない子供なのに、道徳が考えられるはずもない。
だから、直感で返した。
「ゆうき……? ピカーってあかるい人?」
「ブブー不正解です。私からするに勇気とは『限界に挑むこと』だと考えています」
「げんかい? まだがまんしないといけない?」
「ふふ……それも一つの見方かもしれませんね。ですが、秘められた心に従うのもまた勇気が要ることなんですよ?」
幼かった俺はいくら答えを考えても分からなかった。
でもなんとなく掴めた気がした。
だからその日内に、今まで育ててくれた手ぎれ金として沢山の食料を置いて、満月に向かって逃げ出した。
それ以降、がめつい女性に会ってはいない。
俺任せなその女性は餓死したかもしれないし、今では一生懸命働いているのかもしれない。
もう知るよしもないしどうでも良い事だ。
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大都市クレオシスは円形城塞都市だ。
全部で三つの円形の区画に分けられており、一番外側から中心に向かって、貧民街、平民街、そして、貴族街という構成になっている。
そして、貧民街と平民街の間には、差別の根深さを表すように分厚い壁で隔てられている。
その壁を超えるために長い長い下水道を、俺の昔話を語りながら歩いていた。
「って言うのが俺の人生だ。面白くないだろ?」
「そんな事ないと思うな。少なくとも私より頑張ってきたのは伝わるよ」
「……そう思ってくれるだけで昔の俺の努力が報われるよ」
今までの努力が認められた嬉しさが込み上げてくる。
そのせいか、暗い通路の先を確認するため、淡く光るランプを持つ手が奥へ遠くへと逸らせる。
「カルランさんは……これを六年間も続けてきたんだよね?」
「そうなるな……元平民としては、壁の内側に貧民が入り込んでいたことを嫌がるかもしれないけど、それしか生きる方法がなかったんだ」
「思ってないよ。だって、私の尊敬してる人も君と同じように一生懸命生きてたから」
突然、視界外から蜜柑色の瞳が俺の顔を覗き込むようにひょっこりと現れた。
「やっぱりニヤついてた」
フレニアのイタズラ子っぽい悪い笑みを浮かべた。
咄嗟に俺は顔を隠し、もう片方の手で追い払う。
「あんま見んな……。そ、それより、俺が言ったこと忘れてないだろうな!」
「わ、わぁ……私なんて下水道初めて通ったよ……」
白々しく話題転換をしたフレニアは目が泳いだ。
俺は彼女に出かける前、「もう危険な状態に陥ったら俺を見捨てて逃げろ」と何度も言い聞かせていた。
しかし、よくよく考えてみれば、フレニアはそれを喜んで受け入れる性格ではないのはわかりきっていたはずだ。
「はぁ……。下水道を通る人なんて珍しんじゃないか? 六年間の間ずっと通ってるけど一度も人に出くわしてないし」
とは言え、疑問点も当然ある。
壁の内側に入る方法は俺の知る限り二択しか無い。
正面入り口で手続きをして、正式に内部に入るか。
あるいは、この下水道を通って不正入国するかだ。
そのはずなのに、下水道への警戒は薄い。
傭兵が来なければ、近衛騎士すらこの下水道の様子を見に来ることも無いのだ。
それが腑に落ちない。
貧民の反乱の可能性は考えないのか?
まさか誰もこの通路の存在を知らないと思ってるのか?
俺が深く読みすぎてるだけの可能性だってある。
それこそ、ここを歩いて下水の匂いが移るのが嫌だってだけなのかもしれない。
「さてと……そろそろ目的の場所に着く。だから、もう一度聞かせてくれ。俺について来たら立派な犯罪者になる、それでも俺と一緒に来るのか?」
俺は振り返り、フレニアと面と向かって尋ねる。
一瞬眉尻が微かに下がったが、それでも覚悟を決めた強い瞳で俺を見返した。
「うん、行こう。ここで立ち止まるわけにはいかないから」
その言葉に俺は安心した。
なにせ、まだ数日しか経っていない。
そこにあって普通だった景色が一夜で全てが消し去り、身分が変わり、過ごす環境も劣悪になった。
食事を与えてくれる親はこの生活にはもう居ない。
ここで生きるためには、泥に塗れ意地汚く自分でご飯を集めるしかないのだ。
知り合いも、友人も、親しい人も居ない隔離された無法地帯で。
全ての人が突然の環境の変化に適応できるわけじゃないだろう。
どうにかしようって頑張っても適応できなくて、明日に向くのを諦め、その場に留まる選択をする人だっている。
それでも前に進もうと意思が燃え滾っているのは彼女の美点なのかもしれない……一緒に逃げようと提案してくれた、あの時みたいに。
「試したようで悪かったな。それじゃ上に行くぞ……気張れよ、こっからは命懸けのかくれんぼだ」
俺は手持ちのランプを湿った地面に置いて、上へと暗闇が続く赤く錆びた梯子に手を掛ける。
そして、暗闇で足を踏み外さないように感触を確かめながら淡々と登っていく。
カンカンと踏み込む無機質な音が幾度にも響く。
手を伸ばしては体を持ち上げ、手を離す、この工程を慣れた手つきで繰り返す。
「カルランさんは……随分慣れてるみたいだね……」
俺は時間をかけて面倒を見るほど優しくない。
ここでついて来れないなら下で待ってろって言おうと思ってたけど……驚かされてばっかだ。
フレニアは震える手を制御しつつ根性だけで、少し遅れながらもなんとか俺についてきていた。
追いつくのを少しばかり待ち、俺は声を掛けた。
「よく頑張ったな、ここが出口だ」
「え……? でもまだ真っ暗だよ?」
「あぁそれは、蓋をしてあるからなッ!」
俺は両手で梯子を掴みつつ、一気に体を持ち上げ、肩を叩き付ける。
その拍子に何かが微かに持ち上がる。
更に何度か衝撃を加えると、やがてガタッと何かが落ちた音がして、少しの隙間が生まれる。
「今一瞬だけ……」
「ああこの通り、人に見つからないように木の板で工作済みだ……上がるぞ」
僅かに空いた隙間から指を忍び込ませ、木の板をずらした。その途端、夜空の下に揺蕩う空気が一斉に流れ込んできた。
澱みの一切ない綺麗な空気に抵抗し、円形のホールから脱出する。
「うんっ……しょ……はぁはぁ……」
生まれたての子鹿のように震える彼女の手を掴んで引っ張り、僅かばかりの助力をする。
「ありがと」
抜け出せたフレニアが疲れ切った体を冷ますように肩で息をしていたが、残念ながら休んでいる暇はない。
俺はフレニアの手を引き、物陰に身を潜める。
すると、さっきいた場所に遅れて二人組の傭兵が姿を現した。
「何がどうしたの?」
「静かに……」
彼女の唇をそっと手で覆う。
吐息のかかるくすぐったい感覚を必死に堪えながら、二人を盗み見る。
ヒョロヒョロな体型で頭にバンダナを括り付けてる入れ墨の入った男性と、身長と同じ長さの巨大な大剣を背負う大柄の男性の二人組のようだ。
「ここから物音が聞こえた気がしたんだけどなぁ……」
「たく、しっかりしてくれよ。巡回路外れるだけでもやべえんだからよウ」
「あぁわりいな。ちょっと神経質になりすぎちまったみたいだ。ここ最近やべえ奴が国の中で暴れてるって言うしよ、結構ビクついてんだぜ俺? でもよ、道草食うのも悪くねぇ」
バンダナ男の一瞥がこちらを睨む。
流石にバレたか……。
「それしてもひでぇゴミの溜まり場だな。散らかってやがるウ」
「そうか? お似合いじゃねーか」
「何の話してやがるウ?」
「いやこっちの話だ。それより持ち場に戻るぞ、ゾーグ。メインディッシュが待ってるぜ」
バンダナ男は転がっているソファーにナイフを突き立て、じっくりと引き裂く。
その様子はまるで引き裂くことを楽しんでいるかのようだった。
それで満足したのか、足音は遠ざかっていった。
「なんとか嵐が去ったな、フレニア」
俺がフレニアを見下ろしてみれば、青白く生気を失った顔で泡を吹いていた。
「コホッコホッ……息……できない……よ」
口だけを塞いでたつもりが鼻も塞いでた。
緊張もあってか、手に力が入りすぎた……。
「あっ、悪い……」
「少しだけ天国が見えた……あのまま抑えられたら死んでたかも」
「悪い……」
フレニアは手を左右に振って否定した。
「謝らせるつもりじゃなかったんだけど!? でも怖かったよね、あの大男……手震えてたの気づいた?」
俺は無意識だと言っても無理があるほど手が震えているのに気づく。
大男から鼻にこびりつく血の匂いがした。
澄んだ空気を澱ませるほど混ざり合って凝縮した血の匂いが。
ある種光輝のように化物じみた、かけ離れた存在だと本能が訴えかけてきた。
「今日はやめとく?」
「いや、続行しよう」
要は、あいつらに鉢合わせなければいいだけだ。
俺の今までの経験を総動員すれば、遭遇しないことだってできるはずだ。
「行くぞ……」
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極力薄暗い通り道を歩き、街中を巡回する傭兵の目を掻い潜り、食糧回収をするのが今回の目的。
口で言うのは簡単だが、それを実際にするのは難しいことだ。
それこそ、成果がでず一週間腹をすかせる時があるほどに。
難易度を引き上げている要因は傭兵の笛だ。
一人一人が笛を装備して巡回していて、一度も発見されれば周囲に伝達され、取り囲まれる危険性がある。
その危険性に隣り合わせだとわかっていても今更やめられない筈もない。
この生き方しか知らないから。
だからこそ、行動の一つ一つに細心の注意が肝心となってくる。
「カルランさん、見つけてきたよ!」
「よくやった。今の所追ってはいないし、うまく人目を避けれてる」
「でしょでしょ!」
「け、ど、もうちょっと声に緊張感を持って欲しいな」
フレニアは明るい性格故に、喜びが声に出る傾向にある。
そこだけ直してくれれば、ステルススキルも高いし、警戒心も高いからすぐに俺に追いつくポテンシャルを秘めている。
とは言え、ここは彼女は元々住んでいた場所。
はしゃいでしまう気持ちも多少なりともわかる。
が、事は命に関わる事だ。
ここはガツンと言ってやらないといけなかった。
「うっ、そうだよね、気をつける……」
出来るだけ優しく叱ったつもりが、まるで子犬のようにスンッとしょぼくれてしまった。
「是非そうしてくれ、じゃないと俺たちに明日はないぞ」
それからというものの、時間の限り目を盗んでは残飯を麻袋に詰め込んでいく。
最初の二人組に会うこともなければ、道すがらで傭兵の姿を捉えることもない。
まさに盗人日和、とにかく今日は運がいい……。
「これで一週間ぐらいは持ちそうだ」
「沢山あるね〜」
そして今俺は、二人行動の良さを実感している。
今まではゴミを漁るのと周囲を警戒するのを一人二役でこなしてきたが……その分当然集める効率も落ちていた。
それに緊迫した状態で監視と調達がこなせるわけなかった。
いつも通りなら半分も満たさずに撤収することになるはずだったが……今日は満杯だ。
「それに銅貨まで手に入った……」
前に銀貨を貴族に投げたのを覚えているはずだ。
それは稀に捨てられた銅貨を何年にも渡って掻き集めた努力の結晶なのだ。
だからこそ、軽はずみに差し出せる物ではなかったが、対価は命だ。
迷う必要なんてなかった。
まぁいつか富豪になれることを願って、一から集めればいいさ。
「後は帰るだけ?」
「そのつもりだ。これ以上は流石に持てないからな」
俺たちは妙な胸騒ぎに不安を感じつつ帰路につくことにした。
読んでいたただきまして有難うございます。
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