1.1 シスター・アメリア
果てのない真っ暗な空間には目に収まらないほどの大樹があった。
しかし、その大樹は炎に灼かれ燃え盛っている。
耳を塞ぎたくなるような慟哭と、目を瞑らなければ目が灼かれてしまうほどの高温がその空間を支配し、地獄そのものが具現化したかのようだった。
大樹から切り離された葉に火は灯り、ゆらゆらと底へ滑空していく。
その数多の葉の一枚が俺を覚ますように目の前で燃え尽きた。
「どうして俺はここにいるんだ……」
俺は遠くからその光景を眺めている。
何故かその光景を見ていると胸をギュッと締め付けるような強迫観念が襲ってくる。
助けなきゃいけないはずなのに、手も足も拘束されているように動かない。
それじゃまるで――。
「誰かによって行動を制限されているみたいですね」
俺の思考を読み取ったかのように一字一句違わずに隣に立っている黒髪の少年に言い当てられた。
その少年は黒色の瞳孔を揺らし、不安げに燃える大樹を見つめ、拳を握り締めた。
「そこのお兄さん……この景色をよく覚えていてください」
「どうしてだ?」
そう問うと、黒髪の少年が悔しそうな表情でこちらに振り返る。
「これがこの世界の結末だからです」
――――――――――――――――
あれ、まだ意識があるのか……。
俺は確か、クレオシスの中央広場でオルドヴェスと戦って、それで殺されたはず。
あれ……なんか記憶が曖昧だ。
「……ランティ……カルランティさん! いつまで寝ているつもりですかっ!」
怒りながらも優しい声に寝ぼけて平衡感覚を失った頭がガクッと空を仰ぎながら倒れる。
「うがっ!」
鈍い衝撃に重々しい瞼を開く。
曇りガラスに透過したかのように朧げな太陽光が目に入った。
「ここは……?」
俺は太陽から瞳をずらして、辺りを見渡す。
クレオシスの中央広場のようだけど……それとはあまりにかけ離れていた。
広場の周囲には立派な街並みではなく、ボロ屋が立ち並んでいる。
足元には石造りの道などなく、一度歩けば泥まみれになる舗装されていない道だ。
その泥床の上にボロい椅子とボロい机が均等に置かれている。
その机の上で俺は銀筆を握っているようだ。
「ん?」
手が小さい……?
物を漁ってできた炎症の跡も綺麗さっぱり治ってるし、あれだけ皮がむけていた哀れな肌年齢も戻ってる。
いつの間にか無くしていた月形のアクセサリーも身に付いている。
……思い出してきた。
俺はこの状況に見覚えがある。
それは処刑される四年前、十三歳の頃の俺が授業を受けていたあの頃の環境に似ている。
しかし、どうしてか夢を見ているかのように全体的にふんわりとしている。
「夢でも見てるのか?」
「夢ではありません、起きてください!」
そうして現状確認をしていると、二本の白い腕がそっと俺の頬を指で摘み、思いっきり引っ張った。
しかし、痛みを感じない。
「……?」
「あっ、やっと気づいてくれましたか?」
かすかな余韻が残る箇所に触れながら肌白い細い腕を辿れば、雪白の修道服に身を包まれた金髪碧眼の少女がそこにいた。
「えーと、貴方は?」
「まだ寝ぼけているんですか? 私です、アメリアです」
控えめに頬を膨らませて、抗議を訴えていそうな目線を送ってくる。
アメリア……あぁアメリア様、なのか?
修道服で、金髪碧眼で、同じ顔と名前、それに首元のホクロとくれば、俺の慕っている『シスター・アメリア』の特徴に近い。
「アメリア様、一つ聞きたいことが」
「何ですか?」
「今って、チャードリンデ歴何年ですか?」
「はい? そうですね……現在はチャードリンデ歴『851年』だったはずです」
やっぱり『夢』だ。
痛みもない点、記憶が曖昧である点、都合よく過去の時間を見ている点。
まだこれしか理由はないが、現時点では「夢」と捉えておいていいだろう。
「ところで何の話だったんでしょうか?」
「そ、それよりも! アメリア様、今日は何の授業をするんですか?」
俺が慌てて話題を切り替えると、アメリア様はムッとした表情で見てきた。
アメリア様は修道服を着ている通り、神聖な教会の人だ。
本来なら聖職者に無遠慮な口調はするべきじゃない。
貴族や聖職者に対する無礼な発言は大変な重罪になってしまうためだ。
とは言え、彼女自身が堅苦しいのを嫌っているらしく、俺には素でいて欲しいと直に言われた。
勿論、これが素な訳がない。
「そうですね……いずれあなたはここを旅立つ時が来るかも知れません。その時のため、丹精込めて少しずつ教えていきますが……」
腕組みではみ出た胸部を押し上げつつ、目を瞑り思案し始めた。
「……決めました。それでは、まずは――」
アメリア様の言葉が不意に止まり、じっと俺の顔を見つめてくる。
「……どうしましたか? 顔色が少し……」
何かに気付いたのかアメリア様が怪訝そうにジーッと俺を見つめた。
え、なんだろう、俺の顔に何かついてるのか。
「ああ、まだ眠いんですね……」
その言葉の真意が読み取れなかった。
「一旦、耳を貸してください」
アメリア様が耳寄せするようにジェスチャーしてくる。
言われた通り耳を出来るだけ近づけると、アメリア様は机に乗り掛かり吐息がかかるほど接近して――。
『カルランティ、宵は過ぎました。目覚めの時間です』
という言葉が脳裏に響いた。
鼓膜を優しく揺らし……視界の曇りが少し、ほんの少しだけど晴れた気がした。
「!? アメリア様、一体何を!?」
「神の祝福です」
「神の祝福って?」
「神の祝福です!」
さっきのはなんだったんだ?
いきなり過ぎて、まだ心臓が早鐘を打ってる……心臓に悪いな。
「ふふ、揶揄い甲斐がありますね。それはさておき……そろそろ始めましょうか。周りの視線も怖いですし……」
口元に人差し指を置いてクスッと悪戯っぽく笑みを浮かべた。
というか、周りから「早く⚪︎ね」とか「馴れ馴れしい」とか「⚪︎す」とか物騒な呪詛が聞こえるんけど、幻聴ってことにしていい?
それも許してくれなそうなぐらい睨まれてるんだけど……。
「では、改めまして、今日は魔法に関する世界の共通認識、それと剣術について教えましょう」
「えっと……魔法と剣術ですか?」
剣術と魔法か、そう言えば今まで教えてもらったことがなかったな。
夢って俺の知らないことも知れるんだな。
というか、剣術と魔法については頑なに知られないようにし隠されていた気がする。
まぁ、隠されている理由については分からなくもない。
俺も含めて、この国の人口の半数は食と金に飢えた貧民で成り立っている。
貧民が団結し反乱を起こされたら、教会も国もたまったもんじゃないはずだ。
危機を招く可能性だって捨てきれてないはずなのになんで、と今更思うところはあるが、聡明なアメリア様のことだ。
何かしら意図があるじゃないだろうか。
「どうして、剣術と魔法について教えてくれるのかって顔してますね……」
ん?
俺今顔に出てたか?
「それも当然ですね。わかりました、まずはそれからお話しします」
数秒俺の顔を観察した上でアメリア様は口を開いた。
「顔つきが違うというんでしょうか……。一週間前のやる気に満ちてる真剣な顔とは違って、社会の不条理に揉まれてそうな顔してそうでしたから」
「社会の不条理に揉まれた顔ってどんな顔だよ……?」
と、うっかり思っていたことが口に出ていた。
咄嗟に俺は口を塞いで、アメリア様の様子を伺う。
「気にしなくて大丈夫ですよ。さっきの質問に対する答えですが……そうですね、見た目は元気そのものですが、内面はため息をしたくなるほど疲れ切っている……という感じでしょうか」
「…………」
「驚きましたか? 一応、これでも修道女としてたくさんの人の悩みをこの目で見聞きしてきたんですよ?」
その蒼い双方の瞳が不意に近づいてきて、真意を探らんばかりに俺の瞳を覗いてくる。
気恥ずかしさに今にも目を逸らしたい……。
「あっ、今目が泳ぎましたね! 私の予感は合っていました!」
「いや、目を逸らしたのはいきなり近づいてきたからで――」
「ふふ、分かってますよ。今のは冗談です」
揶揄うように鼻をチョンと押され、アメリア様は花が咲いたかのように微笑む。
そこでようやく気づいた。
先ほどまでに感じていた記憶の混濁と、視界のボヤがいつの間にか晴れている事に。
それに感覚が研ぎ澄まされている。
温度、風、湿度、喉の渇き、心拍数、触られた感覚ですらも今では明確に感じ取れている。
まるで本当に生きていると思ってしまうほどに。
「本当に他の人の目が怖いので、真面目に始めましょう」
先ほどよりも更に凶悪な殺意が滲み出た。
ドロドロとした視線が教会の人や俺と同じ貧民達からこちらへ一斉に注がれていた。
『消えろ』『消えろ』『消えろ』『消えろ』
なんか怖い……。
貧民である俺がアメリア様と楽しく会話していたのが、そんな目障りだったのか?
確かにアメリア様はクレオシスに住む人だったら誰もが知っている有名人だ。
天使のような類稀な美麗な顔に加えて、豊満な体つき。
容姿だけでも目を引くのに、立場関係なく誰に対しても優しく、悩みがあれば真摯に聞いてくれる天性の性格。
皆がみんな惚れてしまうほどの完璧さを兼ね備えている。
まぁ、何が言いたいのかと言うと、妬まれても仕方ないと言うことだ。
ここは甘んじて受け入れよう。
ここから先は長々と授業を受けるだけだ。
だけど、誰も聞くだけの授業なんて聞きたくないだろうし、のちの俺のためにここに軽くまとめることにした。
まずは魔法について……。
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この世界には火、水、土、風の「自然四属性」と、光と闇の異なる性質でありながら唯一相殺し合える「反性二属性」が存在する。
各属性には強さの位として内包魔法、溶解魔法、精霊魔法の三つの存在が認知されている。
⚪︎内包魔法……人間の体内に所有する魔力を使い行使される魔法。人間の都合によって、更に上級、中級、下級の三つに分けられている。
⚪︎溶解魔法……空気中に溶け込んでいる魔力を使用して使える魔法。人間の都合によって、擬似精霊級、上級、中級、下級の四つに分けられている。現在では溶解魔法の中で擬似精霊級が最上級の技だと知られている。
⚪︎精霊魔法……精霊から魔力を供給し、行使される魔法。まだ未知の領域のため、細かい区別はされていない。
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こんな感じかな?
次に剣術について……。
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この世界に広がっている剣術には三つの形態がある。
それが大帝国剣術、対魔法剣術、そして、対魔体剣術。
⚪︎大帝国剣術……戦争のための剣術を身につけさせる目的で編み出された技術。
⚪︎対魔法剣術……魔術を打ち消す事を目的とした剣術。
⚪︎対魔体剣術……世界中に存在する魔物や猛獣などに有効な剣術。
各剣術には強さの位として兵士級、門番級、騎士級の三つが存在している。
魔法と比べ、こちらは単なる剣に対する技量によって、階級が分けられている。
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所々抜けているところがあるかもしれないけど、大まかな要点はおさえているはずだ。
「そろそろお開きしましょうか」
アメリア様は終わりを告げるように、両手で音を立てながらそう告げた。
集中していたから気づけなかったが、薄暗くなっていて文字が見えづらくなっていた。
見上げてみれば、鮮やかな茜色と紫色の境界線が拮抗し、幻想的な光景を創り出していた。
今日の授業はこれでしまいか。
久しぶりの感覚ではあったけど、それなりに楽しかった。
「アメリア様、今日もご教授くださり有難うございます」
「ふふ、そんな畏まらなくていいですよ? 私とあなたの仲ですよ?」
「……それもそうだな……また来る」
勉強するのは得意じゃないけど、アメリア様が教えてくれるならいくらでも学業に励めそうだ。
「これからもよろしくお願いします」
「えぇ今後とも末長く」
読んでいたただきまして有難うございます!
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