第96話 鳥羽部長との出会い
「なんで俺が経理なんだ……」
入社初日、何故かいきなり経理部に配属された俺は、文句たらたらで部署へ向かっていた。
新入社員がいきなり経理部とは、そんなことがあるのか? 普通は営業など総合職を通ってから配属される部署だと思っていたが……。
まあ配属されてしまったものは仕方ない。俺はあくまでクールに構えておかないとな。
無事経理部に辿り着くと、茶髪の巻き髪にショッキングピンクのド派手なビジネススーツを着た女性が目に入る。あれが経理部の鳥羽部長か。噂には聞いていたが、本当に派手な人らしいな。とりあえず挨拶をしておかないと。
そう思って声をかけようと足を踏み出した瞬間、鳥羽部長がこちらを振り向いた。そしてその時、俺は彼女に目を奪われてしまった。
パッチリとした大きな目にスっと通った鼻、大きめの口に高めの身長、抜群のスタイル。どこを取ってもビジュアルは完璧だ。こんなに綺麗な人がいるのか……。
鳥羽部長に見とれてしまっている俺は、挨拶をすることも忘れてただ彼女を見つめていた。
すると鳥羽部長がこちらに向かって来た。カツカツと高いヒールの音が響く。やけに響くそのヒールの音は、俺の心臓の鼓動と同じリズムを刻んでいた。
俺の目の前にやって来た鳥羽部長は、にっこりと笑顔を見せる。その女神のような笑顔に、またしても俺は見とれてしまった。なんて美しい笑顔なんだ……。
そして鳥羽部長は俺に向かって口を開いた。
「君が今年の新入社員だな! 私は鳥羽桃子! 経理部の部長だ! 私を呼ぶ時は鳥羽部長、もしくは『おい』と呼んでくれ!」
「……なんでですか! そんな亭主関白みたいな呼び方でいいんですか!?」
「おお! 元気がいいな! 君のことは何て呼べばいいんだ? 『おい』か?」
「なんでお互い『おい』で呼び合うんですか! そんな殺伐とした職場嫌ですよ!」
「まあそのことはおいおい話すとしよう!」
「上手いこと言わないでください! ちゃんと名乗らせてもらえますか!?」
なんだこの人は!? こんな綺麗な人がなんでこんなにボケるんだ!? え、社会人ってこんな感じなのか? 俺が知らないだけか?
……いやそんなはずはない。この人が特殊なだけだ。まあショッキングピンクのスーツを着ている時点でかなり特殊であることは分かる。普通の人ではないのだろう。とんでもなく長いネイルにもオムライスとナポリタンのパーツが付いているし。喫茶店のメニューか!
「仕方ない、じゃあ名乗ってくれ! 名前と年齢、担当カラーと特技を教えて欲しい!」
「俺のことをアイドルだと思ってませんか!? なんですか担当カラーとは!?」
「ええ無いのか!? そういうのは用意しておくものだぞ! ちなみに私の担当カラーはビビッドグレーだ!」
「なんでピンクじゃないんですか! ていうかそのくすんでるのか鮮やかなのか分からない色はなんですか!?」
「私が君の担当カラーを決めてやろう! 君は今日から鉄色だ!」
「パッと浮かばないです! いやそんなことはどうでもいいんです! 名乗らせてください!」
なかなか名乗れないのは何故だ!? 普通第一声で名乗るものだろうが、俺の第一声はツッコミだ。そんな社会人のスタートは聞いたことが無いぞ!?
「じゃあ名乗ってもらおう! 君の名前は何だ?」
「今日から経理部に配属されました、新入社員の橋田碧です。よろしくお願いします」
「そうか! 羽柴は好きなこととか無いのか?」
「誰が秀吉なんですか! 橋田です橋田!」
「ああすまない。橋田、今日からよろしく頼むぞ!」
「不安しか無いですが、よろしくお願いします」
何なんだこの人は!? 自由すぎるぞ? これが俺の上司か……。幸先不安だな。だが上司になってしまったものは仕方ない。頑張ってこの人について行こう。
覚悟して仕事に入ったが、鳥羽部長は驚くほど仕事を教えるのが上手かった。あの長いネイルで何故か滑らかにパソコンのキーボードを叩いているし、仕事はできる人なのだろう。とんでもない第一印象から、少しだけ鳥羽部長の印象が良くなった。
そして昼休憩の時間。俺が弁当片手に休憩室に向かおうとすると、鳥羽部長に声をかけられた。
「橋田! 私も一緒に行っていいか?」
「構いませんが……。鳥羽部長も弁当ですか?」
「いや、私は女だ」
「誰が今性別を聞いたんですか! 俺が弁当みたいになってるじゃないですか!」
「いやあ、今日は何も用意してなくてな! カップラーメンでも食べようかと思ってたんだ」
そうなのか……。仕事はできる鳥羽部長だが、あまり家事はやらないのだろうか。
「あまりカップラーメンばかり食べると健康に良くないですよ。若いうちから食事には気をつけておかないと」
「まあまあ今日ぐらいいいじゃないか! とにかく行こう!」
俺は鳥羽部長と連れ立って休憩室へ向かった。
休憩室で弁当を広げていると、カツカツと鳥羽部長のヒールの音が響く。とんでもなく高いヒールを履いているが、よくあんなものを履いてカップラーメンのお湯を零さずに持って来られるものだ。
「ふう。これで3秒待つぞ」
「バリカタ派ですか!? もうお湯入れた意味無いじゃないですか! 3分でしょう!?」
「ああそうだったな。しかし3分か……。暇だな」
「3分ぐらい待ってくださいよ。俺は食べ進めてますからね」
「あ! ずるいぞ橋田! 私はまだ食べていないと言うのに! なら仕方ない、橋田の弁当を少し分けろ!」
「ええ……? なんでですか」
「いいから! ほら、あーん!」
……は? あーん? 目の前の鳥羽部長は目を閉じ、口を開けている。これは俺が経験したことの無いシチュエーションだ。そしてこんなのはクールじゃない。今日出会ったばかりの人に、そんなカップルみたいなことができるわけがない。
「何してるんだ橋田? あーん」
「部長、本気ですか?」
「本気? 私はいつも本気だぞ! 本気と書いて火事と読むぞ!」
「マジじゃなくてですか!? すぐ消火してください!」
「ほら橋田、そこにあるちくわのちくわ詰めを私に!」
「なんですかそのちくわのマトリョーシカは! そんなの入っていないでしょう!?」
「じゃあ卵焼きだ! それをくれ! はい、あーん」
どうやらこの人は本気のようだ。何故この人はここまで俺に近づいて来る? 見た目が見た目だけに少しドキドキしてしまう。恥ずかしながら恋愛経験が1人しか無い俺は、小刻みに震える手で箸を持ち、卵焼きを掴んで鳥羽部長の口へ持って行った。
「あ、あーん」
「あーん。おお! これは美味いじゃないか! 橋田は料理が上手なんだな」
鳥羽部長は本当に美味しそうに卵焼きを頬張っている。嬉しそうな笑顔は、さっきまでのボケラッシュを忘れさせるほど美しかった。
「い、いえ。それほどでも……」
「いやいや羨ましいよ! 私は料理が下手でな。橋田みたいなパートナーがいたらいいんだがなあ」
「……え?」
「なんてな! 本気にしたか橋田?」
「……っ! い、いえ、まさか」
「なーんだ! 本気にしてくれていたら良かったのに。私もそろそろ結婚しろと親がうるさいからなあ」
心臓がドクドクと早鐘を打つ。ダメだダメだ。この人は俺をからかっているんだ。自分の見た目が良いことを分かっていて、遊んでいるだけ。それにこの人はとんでもない大ボケだぞ? もし本当にパートナーになったとしたら、大変な思いをするのは俺だ。落ち着け。この人に好意を抱いてはいけない。
「どうした橋田? 顔が赤いぞ? さてはフェイスペイントだな?」
「そんなわけないでしょう! いつ塗ったんですか!」
「しかし橋田はいいツッコミをするな。会話をするのがこんなに楽しいのは初めてだ! 改めてよろしくな、橋田!」
そう言って鳥羽部長は手を差し出してくる。俺はその手を握ったが、鳥羽部長の顔を真っ直ぐ見ることができなかった。
この人は大ボケだ。だが会話をしていて、俺もどこか楽しいと思ってしまっている。確かに俺は学生時代からツッコミ役になることが多かったが、こんなにツッコミ甲斐のある人は初めてだ。
まさかとは思うが、俺とこの人は相性が良いのか……? いや、そんなことを考えるのはやめておこう。ここは学校じゃない。会社なんだ。恋愛感情なんて不適切なものを持ち込むところじゃない。俺はあくまで、鳥羽部長とは上司と部下として接しなければならないんだ。女性として意識するのはダメだ。
——これが俺と鳥羽部長の出会いだ。この時は心の中で自分に言い聞かせたが、鳥羽部長に対して恋愛感情を持たないようにするのは簡単だった。それはこれまでの部長の発言を見ていたら分かると思うが、ボケが過ぎるのだ。
すぐにツッコミ疲れた俺は、鳥羽部長に対して感情を持つことをやめた。……はずだったんだがな。いつからこうなってしまったのだろうか。間違い無く栞のせいではあるが……。
俺は自分の中で鳥羽部長に対して大きな感情が芽生えていることには、もう気づいている。
認めよう。俺は、鳥羽部長が好きだ。




