急行死車に集る
この世界には様々な種の人間がいる。
彼らは静かに日々を生き、何事もないように見える。だが心の底には言葉にできない”衝動”を抱えている。
疲れ果てた者、すべてを失った者、生きる意味を見失った者、そんな人々が、ある時、奇妙な列車の存在を知る。
第一章 終着駅のない列車
夜の駅に、静かに列車が滑り込んできた。車体は黒く、窓はあるものの中の様子を見ることは出来ない。
列車は動きを止めた。
プラットホームには、数人の影があった。男女、老人、子供、それぞれ違う人生を背負い、だが皆、どこか共通した空気をまとっていた。
「この列車に乗れば、もう戻れないんだよな……」
スーツ姿の男が呟く。彼の顔には、疲れがにじみ出ている。人生に疲れ、将来に希望を見いだせなくなったからだ。
「戻る気力もないくせに」
隣にいた若い女が言った。煙草を指に挟み、その煙が闇に消えていく様を見つめながら、笑う。
扉が開く。車内の鈍い灯りが見える。
「ようこそ」
黒い制服に身を包んだ、車掌の低い声が響いた。彼は鉄仮面のような無表情をしている。
「急行死車へご乗車の方は、どうぞお進みください」
誰も疑問を抱かないで、一人、また一人と列車に足を踏み入れる。
もう戻る場所などないのだから。
第二章 乗客達
列車の内部は、意外なほどに静かだった。窓の外には闇があるだけで、死んだような顔をした自分の顔だけが薄らと見える。
乗客は皆、黙り込んでいた。それは当たり前だ。話す必要もなければ、話す気力さえないのだから。
それぞれが心の中で別れを告げ、終着駅を待つばかりであった。
「なあ、僕らはどこに向かっているんだ?」
スーツの男が、隣の老人に話しかける。
「終わりの場所さ」
老人は短く答えた。
「そんな場所、本当にあるのか?」
「さあな、ただ、もう行くしかないだろう」
スーツの男は窓を見つめた。闇は、まるで世界そのものが消えてしまったかのようだった。
第三章 通り過ぎる駅
列車は止まらない。いくつもの駅を通過していく。
「この列車、本当に止まらないのかしら」
若い女が呟く。
「降りたくなったのか?」
スーツの男が皮肉っぽく笑う。
「別に、ただ、気になっただけ」
女は鞄から折りたたまれた紙を取り出す。書きかけの遺書だった。
彼女はこの列車に乗る前、すべてを終わらせるつもりだった。しかし、こうしてまだ旅を続けているのだ。
……自分は、本当に終わりたいのか?
そんな疑問が、ふと頭によぎる
第四章 刻々と近づく最後の時
車掌が、乗客の前に現れた。
「皆様、間もなく終着点です」
その声に、一人の男が立ち上がった。
「なあ、もう降りることはできないのか?」
その問いに初めて車掌がほほ笑む。
「降りたいのですか?」
「……いや、ただ、行先がわからないまま進むのが、少し怖いだけだ」
車掌は静かに頷いた。
「この列車は死を受け入れて者たちのためのものです。迷いがあるなら、降りることも可能です」
そう言って、彼は手を差し伸べた。
「選ぶのは、あなた自身です」
しばらくして、男はそっと手を伸ばした。
「……俺は、降りる」
その言葉を合図に、列車はゆっくりとスピードを落とし、見えなかったはずのプラットホームが現れた。
扉が開く。男は背後からの冷たい視線を振り切って、廊下を急いだ。
しかし、心の底で罪悪感が芽生え始めていた彼は、振り返った。その時、若い女と目が合った。
その女に何があったのか彼にはわからないが、これだけ若いのだからまだやり直せるはずだと思った。
「君は、降りないのか」
男は憐みの目を向けて、聞いた。
しかし、彼女は呟いた。
「……もう、いいのよ」
第五章 男
「ご乗車、ありがとうございました」
車掌の声が聞こえたあと、降りた男の背後で、扉が閉まる。
次に男が振り返った時には、もう列車の姿はなかった。
この駅がどこなのか、これから先どこへ向かっていくのか、まだわからない。
だが男は、列車から降りた。それだけで世界は違って見えた。
終章 次の乗客
列車は進み続ける。
次の駅でも、誰かがまた乗り込むのだろうか。急行死車に集るのは、今日もまた、行き場を失った者たちだ。
(終)
急行死車。
それは終着駅のない列車。乗れば二度と戻れないとも、或いは途中で降りることもできるとも言われる、不確かな旅路。
彼らはなぜこの列車に乗るのか?そして、この先に何を見つけるのか?
あなたなら、この列車に乗りますか?