4話
「レン、貴方は私に剣を突き刺すのです」
陛下はおっしゃっていた。ラニ様は現公爵より聡明であると。それはラニ様の世間渡りのうまさ、そしてセル殿下の心へ取り入ったその能力のことであると思っていた。今日この瞬間まで。ずっとずっと、女性の武器を、ありのままに振りかざす怖い人だと思っていた。
「何を、言って」
「12時を過ぎました。もうすぐ私たちの食事を持ったミィがこの部屋にやってきます。それまでに、陛下と王妃を殺した犯人を作らなければなりません」
犯人は、殿下だ。それはラニ様だって分かっているはずだ。何を言っている。死体を隠すとか、逃げるとか。俺を犯人に仕立てるとか。そういう、話だと思っていた。
混乱は許されず、ラニ様の言葉は続いて行った。
「ひとまずこの部屋に他国の間者が忍び込んで王族を皆殺しにしようとしたことにしましょう。ちゃんとした犯人は後からどうにでもなる。私は今から土魔法で人形を作ります。セルは、音魔法で間者の声を演じてください。レンはその間者と言い争いをする。その姿をミィに見せる」
「そ、そんなの騙せるわけがない」
「大丈夫。ミィを騙すのは容易です」
「ミィ以外の誰かが入ってくる可能性は」
「あの子と貴方には部屋の自由な立ち入りを許しています」
そんな許しをもらった記憶はなかった。
「ノックして返事がなければあの子は間違いなくこの部屋を覗く」
だが、ラニ様はいつだって言っていた。自由にしていいと。好きにしていいと。自分の思うように行動しなさいと。周りと戯れてミスをした時も、ラニ様だけは俺を笑顔で迎えた。周りが解雇を食らっても、仲が良かったのかと心配された。どんな従者や騎士よりも甘やかされていた。
俺という、平民のような言葉遣いを、家族すら許さなかったというのに、好きにすればいいと、気にも留めないそぶりをした。
「あの子と貴方以外は許可がなければこの部屋には入ってこないわ。他に心配は?」
「つ、土の人形などで騙せるわけがないと思います。ミィは高い魔力適性が」
「だから私に剣を突き刺すのです。陛下と王妃様が死んだこの部屋で、さらに間者は今にも私を殺そうとしている。ミィは冷静な判断ができなくなるでしょう。ミィは頭のいい子です。この屋敷の人間は私やセルを甘く見ています。ですが彼女はそれを表に出さない。屋敷の人間からの信頼は私なんかよりよほど厚いでしょう。私やセルの言葉を信じられなくてもミィの言葉なら、皆信じる。だから犯人をミィに見せておく必要があります」
「なら、なおのことミィを騙すのは難しいと思うのですが」
そこはセルに任せますと。ラニ様は笑った。言われるがままに行動するしかなかった。混乱しすぎてこれ以上抵抗の言葉も出てこなかったのだ。ミィは同派の伯爵家の生まれで、昔から知った仲だった。剣術に目覚め、長男だというのに家を継がせてもらえるかすら怪しい俺とは違い、彼女は4女だというのに王妃に最も近いラニ様の侍女の地位を勝ち取るほど優秀な女だった。
それこそ、ラニ様のやさしさに怠けた俺と違い、恐ろしい不気味だと何時も悩んでいた。彼女のほうが俺なんかよりよほど優秀だ。本当に騙せるのか。言葉にできない不安を抱えたままの行動だった。
「その汚れた手でラニ様に触れるなっ……!!貴様ッ、自分が何をやっているのかわかっているのか、」
「何をやってるか?分かっているさ。大帝国。セントラルをぶっ壊す。これは大義だ。王族を皆殺しにして俺が死んだら尋問も不可能。敵の多いセントラルは犯人の捜索も難航するだろうなぁ。もしかしたら敵は内部かもしれないぞ」
動きもしないでくのぼうに滑稽に叫んだ。見た目だけは精巧かもしれないが、それ以外は何もかもおかしいのに。こんなのにミィが騙されるわけが。そう思うのに、背後でミィがらしくなく情けない声を上げている。
振り向くとその手を、セル殿下が掴んでいた。殿下自身の血で濡れた手だ。
その行動にはっとなる。
「っ……」
ミィの服がセル殿下の咳き込んだ血に染まる。その瞬間、ミィの顔の血の気が引き、腰を抜かしながら逃げ出す。ドアが重さで閉まると、セル殿下は少し笑った。
「私の血は赤くないのだな」
殿下の腕と足から流れる血は青かった。それが本当に、違う生物だというようで、俺はうまく返答できなくなる。だが、どたっという人の倒れる音にセル殿下は、また顔をゆがめた。
「ラニッ……!」
セル殿下が足を引きずりながらラニ様に近づく。ラニ様の首を掴むような格好をした人形を作ったが、気を失ったラニ様を支える力などない。腹から血を出したままラニ様は立っていたのだ。ミィが部屋を出た瞬間倒れこむのは当然だ。尋常じゃない出血量だ。
「うまく、声が出ないので、レンも近くによって」
セル殿下がラニ様の手を握る。真っ青な血に染まる手に握られても、ラニ様は気にしな風もない。その事実が心臓をおかしくする。本当に、殿下と、俺は違う生き物だと、そういう証明だ。陛下も、王妃も、ラニ様も、赤い真っ赤な血だったのに。
ミィの気が動転するのも当然だ。
子供のころから平民には触れてはいけないと習ってきた。でも、ラニ様とセル殿下に使えるようになって、セル殿下ににこやかに接するラニ様を見て、違いなんてないのかもしれないとそう思い始めていた。でも、本当に、殿下は、俺とは違う生き物で。
「レン、」
ラニ様が手を伸ばす。戸惑いながら握ると、ラニ様は苦しそうに笑った。
「大丈夫。心配しなくても貴方は罪にならないわ」
その言葉を理解するのに数秒掛かった。そうだ。俺は。そもそも俺は、剣しか能のない男で、陛下や王妃様から、セル殿下という化け物が乱心したとき、それを止めるために、ラニ様とセル殿下のそばにいたのだ。
そんな俺が、セル殿下の乱心を止められなければ、当然罪に捕らわれて死罪になる。
「間者を用意したのはそのためでもあるわ、でも、その間者はもう不要ね。燃やして、証拠を消すのよ。逃げたことにしないといけないわ。これから私が意識を取り戻すまで、セルと話を合わせるのよ。余計なことは話さないで……セルの言うことを聞けば、ごほっ、げほっ」
「ラニ、あまりしゃべるな。傷が」
ラニ様が、セル殿下のほうを向くと、驚いたような顔で言うのだ。
「セルの血は青いのね。綺麗」
「そ、うか。綺麗か」
「えぇ。私の瞳の色と一緒」
「ラニの血は、私の瞳と一緒で赤いな」
「子供ができたら紫色の血になるのかしら」
「それは、どうだろう」
こんな時にする会話じゃないと、足音が今、今、近づいているのに。二人がキスする姿を見てしまった。
「セル、少しだけ任せてもいい?」
「っ……あぁ、あぁ、大丈夫だ。この愛の前にどんな愚かな人間も無力だ」
この日、きっと、俺とラニ様は、本当の化け物を目覚めさせてしまった。