2話
それから2年。14歳になり、専属の騎士がついた。国王が直々に私につけてくださった男だった。理由は簡単である。扱いに困りに困っていたセルの相手をしてくれてありがとうと。これからも側を離れず監視するようにと。
「レン・××××と申します。よろしくお願いいたします」
顔に覚えはなかったが、名前に記憶のある男だった。確か物語でラニと一緒に殺される人物。概ね、ラニに言われるがまま、セルに嫌がらせをしたのだろう。不憫な男だ。
「よろしくね。レン。そんなにたいそうな警戒なんてしなくても何もないから心配しなくていいわよ」
「陛下にはラニ様の言うことをよく聞くように仰せつかりました。頭の良い女性だからと」
「都合の良いの間違いでは?」
下げていた視線を、驚いたように上げたので、にこりと微笑む。
「でも、そうね。選択を間違えないよう心掛けるわ」
「何かお考えでもあるのでしょうか」
「貴方が想像するようなものではないのよ。人生の平穏を望んでるだけ。セルと穏やかな日々を送りたいの。守ってね。きっと貴方の助けが必要になると思うわ」
「俺に、っ……私にできることであれば」
「一人称なんて好きにしていいわよ。俺でもなんでも。敬語でなくても」
レンは武術にたけた男だった。幼少期から外に出るのを制限されていたセルとは相性が悪くないようで、木刀を使ってよく剣を交えている。
「楽しそうですね」
タオルを渡すとセルはまぁと笑った。
「魔法は部屋でも勉強できたが、剣は外に出ないとできないからな。適当に振り回しても意味がないし」
「レンも、こんなに剣が立つのは珍しいと言われませんか?」
「城壁の外の騎士学校へ行きたいと思っていた時期もあったので、平均よりは上手いほうかも知れません」
「今は?」
「両親に許されなかったので。今の生活も悪くないと思っていますよ」
レンは伯爵家の長男で、家を継ぐか、王の側近になるか。いくつか将来への選択肢がある。成人するまではまだ少し時間がある。彼の将来を潰さないことも、今の私の使命の一つだろう。
「セル、来週は」
「パーティーのドレスを買いに行くんだろ?」
「私の分だけじゃないですよ。セルの分も、もちろんレンの分も」
「俺、ですか」
「えぇ、側につける従者たちの服を見るのも私たちの務めです」
「ラニがいないとパーティーなんて呼ばれないからな」
物語の描写の一瞬で、ラニが常識を教えずセルに恥を搔かせるシーンがある。
「流行りなんてわからないよ」
「いいんですよ。好きなものを着れば。食べに行きたいレストランもあるんです」
「この前言っていたやつか?」
「そう、ケーキがおいしいらしいんです」
「甘いのが好きだなぁ」
「あと、この前行った雑貨屋で新しいルームフレグランスを入荷したらしくて」
「わかった。全部連れて行ってやるから。ほら、家に帰らないと公爵に怒られる。この前嫌味を言われたって自分で言っていたじゃないか」
そうでしたと。つないでいた手を解く。すると少し腰を抱かれて額にキスされる。
「また来週」
「はい」
正解か、分からないまま。それでも、セルを幸せにできているという慢心からの行動だった。セルの笑顔を見る回数だってずいぶん増えていた。実は面倒見がよく、少し大人びた行動をするタイプだと知った。少なからず、本心からの愛情だって芽生えていた。
その日は、好きなカフェで買った新作の茶葉をセルに振舞おうとしていた日だった。張り切ってしまっていて、侍女の手を借りず、自分で厨房を借りて湯の温度を測って、おすすめされた菓子盛り付けて、時間にしたら30分程度だろうか。
「遅くなりました。今淹れるのでっ……、」
部屋の中は、セルとレン、それから。
「陛下、」
国王と王妃。血にまみれていた。剣を持ったセルと、判断に迷いかねて腰の剣の鞘を持って震えているレン。血まみれの剣を眺めているセル。状況を把握も予測も理解も、できるわけがなかった。
「これは……、ラニ」
血だらけの手で私のほうに伸ばして憚るように自分のほうへ戻す。慌ててその手を掴むが。水分とは違うぬめっとしたその感覚に冷や汗が身体を伝った。
「何がありましたか?」
「私が、やったんだ」
何故?と声に出しそうになって留まる。もはや、絶命しているのなら、理由など意味のないものだ。それより。
「お二人が、ラニ様への侮辱を申されたことがきっかけかと」
「私への侮辱?」
意味など。聞くだけ価値のないものだ。きっと今起こさなければいけない行動は。決断と隠ぺい。
「私のためですか?」
血の匂いは。鉄のようだとか、生臭いだとか、言われるものだが。直後のにおいとは無臭なのだと知った。それが妙にリアルで、体温が下がるのを感じる。
「ラニのためと思ったわけじゃない。だた、許せなかったんだ、」
「酷いことを言われましたか?」
「……自分に対する侮辱は聞きなれている。ラニは、私に聞かせたくない言葉から遠ざけるが、聞きなれすぎて何も思うことはない」
「ならなぜ」
「君を褒めて、自分を貶されるのは慣れていたんだ。でも、母上が、」
それきり黙り込んで、強く手を握られる。背後からレンが難しい声で話し始める。
「ラニ様の選んだパーティースーツにインクを掛け、王家の血を得るためならばどんなこともできる阿婆擦れた女だと言いました。殿下がその言葉だけは訂正しろと声を荒げたことにより口論になり、陛下が口論を止めるためにお前のような汚れた血の生まれでも意見の言えない女なら好きにできてちょうどよかっただろと。言ったところで、殿下が剣を刺しました」
陛下や王妃様に、バカにされていることくらい、自分でもよくわかっていた。家のためなら何でもできるのだなと。プライドのない能無し女だと。屋敷の人間には影で笑われていることも知っていた。
でも、未来を思えば、バカはお前たちのほうだと、気にすることもなかった。
「なんで」
そんなことを。とは、最後まで声に出せなかった。考えれば、私が悪いのだ。セルにとって都合の良い言葉をどれほどかけたか。ヒロインの言葉を奪い、自分の立場を良いものにするためだけに、無責任に幼い彼に希望に満ちた言葉を放って。
よく考えればどれほど考えのない言葉だったか。
セルが恨みを持つ相手に大量殺人を犯す未来を知っているのに、本当に恨んでいる人間の存在を忘れていた。物語の作者とは、この話にとって一番良いストーリーを選んでいるのだ。私のような凡人が、踏み入れていいわけもなかったのだ。
勝手に、自分にとって都合のよい未来にするために根本を書き換えて、最悪の結末を選ばせて、『なんでそんなことを』と言えるわけもない。
わけを聞いて揺らいだが、するべき行動は変わらないだろう。
「レン、陛下には貴方を自由に使っていいと言われました」
「っ、罪を被」
「そんな、数日でバレる言い訳のために貴方を殺したりはしません。そもそも本当の意味で隠し通すなど無理でしょう。ですがもしかしたら罪をかぶって死んだほうが楽な未来かもしれません」
「っ……あまり、聞きたくない話ですね」
「セル」
名を呼ぶと、揺らいだ視線と、曖昧に視線が合った。ヒロインの言葉を巧みに使うのもこれが最後であろう。物語が始まる前に、彼女の完璧な言葉を消費してしまった。
これからの未来、自分を信じて生きるしかない。敵はこの国か、父か、セルの弟か、傍や作者か。
「愛しています。心から、貴方を。たとえセルが誰を殺そうと、狂ってしまおうと、その気持ちだけは変わりません。だから何があろうと私は貴方の味方なのです。どんな悪事もこの愛の前には無力です」
少し微笑んで、自分から触れるだけの甘いキスをした。物語では、このヒロインのセリフの後、セルは弟に王位を譲り、平民としてヒロインと幸せな人生を送る。
「少しだけ私の願いを聞いてくれますか?」
私の描いた陳腐なシナリオ。