第二十話 真夏の鍋焼きうどん
夏の暑さも彼岸まで。ならこの暑さは最低でもお彼岸まで続くということか。もう夏が半分以上終わったと言っているのに、温暖化の影響なのか夏は未だ日本に留まり続け離れる様子がない。一昨年よりは去年、去年より今年と平均気温が上がっていって、最高気温や平均気温を更新するばかりの天気予報にうんざりする。もうこの暑さが日本の夏なのだから過去の平均など関係ないんじゃないか。
気温は上がった一方、それへの対抗策もまた進化し続けた。家庭にはもちろん学校にも各教室にクーラーが設置され、クールビズなどが生まれ広まった。片手で持ち歩ける小型の扇風機は当たり前のように町中にあふれている。
暑い季節、冷たい料理やスイーツが出回る中、わざわざ熱いものを食べようとする人もそれなりにいるらしい。かき氷の名店や冷麺専門店に人が並ぶのと同じようにラーメン店やカレー店に並ぶ行列は夏以外とそう変わらない。
ただ自分はわざわざ暑い中、あの行列に並ぶ気はまったくないし(暑くなくてもだが)、真夏におでんを作ろうとは思わない。まあ夏でもカレーは食べるし温かいうどんは食べる。そこは暑いから、寒いから食べるというだけでもないからだろう。
ただ、今目の前でぐつぐつと煮えている土鍋に、今が夏であることを忘れたのかと突っ込みたくなる。おそらく夏の間は使うことがないだろうと押し入れの奥に仕舞われていたカセットコンロと土鍋をわざわざ引っ張り出した。ぐつぐつと煮えた土鍋のふたを開ければたっぷりの野菜と大きなエビ天、そして半分以上を占めるうどんが現れた。クーラーもいつもより強くなっている気がする。
熱々の鍋焼きうどんを挟んでテーブルに座る二人。既に熱気が汗を誘ってくる。自分とハルキは覚悟を決め、手を合わせた。
「「いただきます」」
そもそもなぜ、この真夏に鍋焼きうどんを食べることになったのか、それは今朝までさかのぼる。
今日の朝、ハルキの絶叫で寝ぼけていた目が覚めた。
「何だ?」
二度寝したい気持ちを吹き飛ばされ多少不機嫌にはなっていたと思う。それでも嫌な予感とただ事ではないという様子を察して急いでキッチンへと向かった。
そこにあった光景を見て、自分も悲鳴を上げそうになったのを飲み込んだ。ハルキがいるのは冷蔵庫の前。冷蔵庫の周りにはまるで水をひっくり返したかのように水びたし。ただその水の出所がわかり顔が青ざめる。出所は開け放たれた冷凍庫、ボトボトと水がこぼれ落ち、キッチンの床に水たまりができていく。
その状況を見て何が起こったのか、理解すると同時にその悲劇を前にしばし呆然とするしかなかった。
ようするに故障だ。いつからかはっきりしたことはわからないが、自分たちが眠っている夜の間に冷凍庫が止まった。そこに入っていた氷はすべて溶けて水に戻り、冷凍食品や冷凍保存していた作り置きたち。ハルキが買ってきたアイスはすべて解凍し始めていた。
「どうする?」
やはり顔を真っ青にしたハルキが聞いてくる。
「とりあえず、閉めろ」
残り少ない冷気が逃げ切る前に、冷凍庫を閉めるところから始めた。
幸いなことは二つ、一つは壊れていたのは冷凍室だけで冷蔵庫は無事ということ、もう一つはたとえ冷却機能が止まっても密閉された状態ならある程度冷気を逃がさず保っていられたらしいこと。そのおかげで完全解凍とまではいかなったらしい。
しかしそれも時間の問題。そして今日は世間で言うお盆休み真っ最中。当然修理業者もお盆休み。修理業者が来る頃には冷凍庫の中身は完全に解凍しているだろう。まずびしょ濡れになった床を拭きながら今日のメニューを考え直す。できる限り完全解凍する前に使い切ってしまいたい。確か冷凍室には切った野菜と鶏もも肉、豚バラ肉、安売りしていた冷凍うどんがあったはず。ならメニューは決まってくる。
足りない材料をハルキが急いで買いに行く。自分は最小限の時間で必要な食材を冷凍室から取り出しキッチンに並べる。汗だくになって帰ってきたハルキに溶けかけのアイスを差し出し、自分は押し入れからカセットコンロと土鍋を取り出した。押し入れの中は密閉された冷凍室とは逆に熱気が封じ込められていて、開けた瞬間解放された熱気が自分と室内の温度を上げた。そんなサウナのようなとまでは行かなくても、冷房の効いた部屋にいた自分はその温度差に苦しみながらも目当てのものを探し出した。
終わる頃には結局自分も汗だくになってしまったのでアイスを食べた。溶けかけのアイスはソフトクリームみたいに柔らかくなっていた。
コンロに鍋を置き、だし汁と解凍しつつあった野菜と肉、油揚げをぶち込む。足りないところを買ってきた野菜も一緒に放り込む。ある程度そこで火を通してから大量のうどんを投入する。うどんの量が多い気もするが、仕方がない。朝もまともに食べてないしかまわないだろう。
最後にハルキが買ってきた卵とエビ天、それとは別に天かすも乗せ、卵の白身が固まってきたら完成。さすがに鍋を運ぶのはハルキにしてもらった。押し入れの中で眠っていたカセットコンロは無事に点火、カセットボンベをストックしておいてよかった。
すべてカセットコンロで調理するとなると時間がかかるのとボンベがもったいないので我が家で鍋を食べるときはガスコンロで作ってからカセットコンロで温めながら食べるという方法をとっている。
ぐつぐつと煮える鍋。野菜の緑とうどんの白、卵の黄色、エビのしっぽが唯一の赤かと思えば、あまり鍋焼きうどんには入れなさそうなニンジンの赤が混ざっている。使えそうなものをすべて入れてしまった結果だが、まあいいだろう。
クーラーが効いているはずなのに、部屋は鍋から立ち上がる湯気に覆われどんどんと室温が上昇している。真夏の鍋焼きうどん。昼食と言うには早く、朝食と言うには遅い中途半端な時間。空腹なはずなのに見ているだけで汗が出そうなそれを見ていると食欲よりも暑さが勝ってきていたが、覚悟を決めた。
「「いただきます」」
そこからは一種の戦争だった。
うどんをすするたびに汗がどんどんとしたたり落ちてくる。
「あちい」
ハルキが当たり前のことを言うが、言わずにはいられないのがわかる。
ハルキが箸でつまんだエビ天の衣はふやけて持ち上げると中のエビだけが貧相な体をさらした。
「エビが脱衣したぞ」
「エビも暑かったんだろ」
脱げ落ちた衣はふやけた天かすと一緒に自分がお玉ですくい上げた。
「それ、俺のエビ天の衣じゃねえか?」
「メインは食べられただろ」
衣が付いてないエビ天はただのエビだろと文句が来たが、気にしない。鍋物でどれが誰のかなんて見分けがつかないということにしておく。
「あんまり混ぜるな、卵が粉々だ」
卵は一人一個のはずだが、粉砕してもう一個なのか半個なのかわからない。白身なんてもう形も残ってない。
「そこに黄身、あるぞ」
ほうれん草に引っかかっていた黄身の塊をかろうじてすくい出せた。
それにしても熱い、そして多い。うどんは三玉分はあったはずだ。自分はそこまで量が食べられないし、うどんの他にも具材が多い。しかしふやけたうどんはおいしくない。
「アキヒコはふやけたうどんや伸びたラーメン好きだぞ。カップヌードルわざわざ長めに放置してから食べるんだぜ」
「それ、おいしいのか?」
「らしいが、俺はやらん」
ハルキの好みは固めのラーメンとコシのあるうどんらしい。
なんとかうどんだけは食べきり、残った汁と具材は夜に雑炊にでもすることにした。それでも多かった。食べきる頃には二人ともフウフウと膨れた腹をさすっていた。そして体温がなかなか引いてくれない。まだ腹の中でうどんがぐつぐつ煮えたぎっているみたいだ。
重い腹を抱えながら立ち上がり、冷蔵庫に向かう。ひんやりとした冷蔵庫が体を冷やしてくれる、はずだった。
「?」
なんか思っていたより涼しくない? そしてなぜか暗い?
開けられた冷蔵庫、光はなく中は薄暗い。取り出したお茶はなんとなくぬるい。今朝は冷たかったはずだ。本日二回目の嫌な予感が
「どうした?」
冷蔵庫の前で固まっている自分を不思議に思い、ハルキがのぞき込んでくる。そしてやはり固まった。
「・・・・・・マジ?」
「・・・・・・マジだな」
その日の夕食が冷蔵庫の中身救出作戦に決まった瞬間だった。
ちょい足し設定
ハルキ・・・鍋焼きうどんには絶対エビ天が必要ということで買いに行った。名古屋で食べた味噌煮込みうどんも好き。
アオ・・・食材を消費するのに鍋は助かる。鍋をしても〆をするほど食べられないのでだいたい翌日にご飯やうどんを入れることが多い。