I LIVE IN...
ああ、これは夢だ。
漠然と、けれど確信を持って私は思った。
だって周りの景色がなんだか色あせてるし。
何より隣に安田君がいる。
「あ、起きた?」
私の顔を覗き込んで、安田君が優しく笑いかける。
胸の奥から暖かさがこみ上げてくるのを感じながら、私もつられて笑った。
ここは多分、学校の近くの公園だろう。私達がいる所は、その公園の中にある、桜の木の下らしい。
景色にははっきりした境界線がなくて、水彩画のような柔らかな色しか見えない。
日光の暖かさで、今が昼間だとわかる。
いつまでも寝転がっている私に、安田君が笑い出す。
「昼真っから寝てるとボケちゃうよ。いい若いもんがさ―…」
「親父くさいなぁ」
いつもの調子で言い返して起き上がると、何処かから吹いてくる暖かい風が、髪をなびかせた。
桜の木の幹に寄りかかる安田君にならって、私も背をあずけてみる。
「俺さ、ここ好きなんだ」
「…うん。私も」
「嫌なことでも、いいことでも、何かあると必ずここに来るんだ。まぁ、帰り道だから嫌でも通るんだけどさ」
目を閉じて、安田君の声を聞く。まるで暖かいお湯の中にいるみたいだ。
「なぁ…高瀬はさぁ、自分ではどうにも出来ない事を、どうにかしたいって思ったことある?」
「…う~ん…」
なんだかいつもの安田君と違うけど、夢の中だからいいかと思い直す。
「例えばもう少し頭が良ければな〜とか、美人だったらな~とか」
そう、そうしたらきっと、安田君に告白する勇気を持てるのに。
そんな事を思っているとはちっとも知らないで、安田君が笑う。
「…いや、違うな。そういうんじゃないよね。安田君が言ってるのは…」
安田君が、問いかけるように私を見つめる。
「そういう風に思うことはしょっちゅうあるけど…でも実際にどうにも出来ないことって、人生のうちにそうないよね」
「…うん」
何だろう。夢の中だと、不思議と言葉が素直に出てくる。
「でも私、もし本当にそういう事があったとしても、認めたくないよ。だって認めちゃったら、自分で何かする前に、もう無理だってあきらめちゃうでしょ?そりゃあ、人が死んじゃうこととかはどうしようもないけど…。でもそういうのもさ、その時はすごく悲しくても、時間が経てば思い出になって笑えるようになるんだから。人間てすごいよね」
ふっと、安田君の笑顔が小さくなった。
「小林のそういうところ、俺、好きだな」
「……」
真っ赤になってる私をよそに、安田君は遠くを見つめた。
「思い出か……。俺も、人の思い出の中でしか生きられない存在なんだよな―…」
「…え?」
言葉の意味がわからなくて、反応が遅れる。
「俺、死んだんだ」
目が覚めるとそこは、境界線のはっきりした現実世界。
最悪の夢見だ。
嫌がる体を引きずって、私は制服に着替えた。
実は安田君は今、学校にいない。交通事故で入院している。
一時は本当に危なかったらしいが、一命は取り留めて、今は集中治療室に入っている。
あまりに私が安田君のことばかり考えているから、あんな夢を見たのだろうか?
学校からの帰り道。
ふと、あの桜の木の公園へ行ってみた。なんだかそこにいけば、安田君のことが感じられるような気がして。
夢の中と同じように、桜の木に寄りかかってみる。
「よっ」
突然、頭上から声が降ってきた。私は息を呑んで飛び上がる。
恐る恐る見上げた先には…人影?
「安田君…?」
桜の木の幹に腰掛けているのは、間違いなく安田君だった。声を上げて笑っている。
「最高!その反応…」
久しぶりの安田君の笑い声だ。それが非現実的だということも忘れて、私は涙が出てきてしまった。
「安田君…何してんのぉ?」
「ちょっとね。気分転換?」
「っ!ダメだよ!早く病院に帰らないと!」
何故か傷ついた顔をして、安田君が言う。
「もう俺、帰る場所なんてないもん。強いて言えば、天国とか?」
私は返す言葉がない。
「言ったろ?俺死んだんだって。小林はそれを認めてないだけなんだよ」
「…何」
だんだん気味が悪くなってきた。
これは誰だろう?
風がざあざあ言っていて、声がよく届かない。桜の影が揺れて、彼の顔が見えない。
私は後ろを向いて駆け出した。
「自分の死を悲しんでくれるのは嬉しいよ。でもそれが…小林をこんな風にしちゃうなんて、俺、つらいんだ…」
泣き出しそうな小林君の声。
はっとして振り向いた時には、もう誰もいなかった。
「あ、起きた?」
ここはきっと夢の世界。
目の前で、昨日と同じに笑う安田君。
「ねぇ…これはなんなの?」
草の上に寝転んだまま、泣きそうになって私は尋ねる。
「ここは小林の夢の中。願望が実現する世界」
静かに、安田君は言った。
「願望…?」
「うん。小林の、俺に会いたいっていう願望と、俺の、小林に俺のことなんか早く忘れて、自分の人生歩んでほしいっていう願望」
「…認めたくない」
頬を伝う涙を隠すため、腕で目を覆う。安田君が小さくついたため息に、心臓がどくんとなった。
「でも人の死だけはどうすることもできないって、知ってるじゃん」
「知らない」
「小林…」
「知らない。そんなこと認めたくない。安田君になんて会いたくなかった!勝手に夢なんかに現れないで!早くどっか行ってよ!そうすれば…こんな思いしなくてすんだのに…!」
さぁっと風が吹く。
ハッとして気づいた時にはもう、安田君の姿は消えていた。
『願望が実現する世界』
私は今、確かに思った。
安田君なんか、消えてしまえばいい……と。
安田君は、亡くなっていた。
私だけがそれを認められなくて、母や友達は心配していた。
彼は事故の翌日、病院で息をひきとったそうだ。
母は優しく抱きしめてくれた。友達も、私が現実を受け入れたことを喜んでくれた。
私は、笑うことさえ出来るようになった。
けれど、笑う顔とは裏腹に、心が冷えていくような気がした。
…安田君を、傷つけた。
あの夢を、自分が見せた幻だとは思わなかった。
安田君は私の夢の中で生きていた。生きていてくれたのに、私は彼を、殺してしまったのだ。
気がつくと私は、どこかのマンションの屋上に来ていた。
眼下に広がる世界を、どこか別次元の事のような気持ちで眺めていた。夜の街は綺麗だった。こんな中で死ねるなら幸せなのかもしれない。
手すりを放し、下へと飛び降りる。
………次は、もうないはずだった。
―――なのに。
「ふうー、危機一髪」
私は安田君に抱えられて、コンクリートの屋上に座り込んでいた。
「おまえなぁ、危ないだろうが!!」
「……な、何で」
何で安田君がここにいるんだろう。
何で私を助けるの?
「…心配、だったんだよ」
ぽつりと呟いた安田君の言葉に、抑えていた涙があふれてきた。
「…中途半端なこと、しないでよ」
「え?」
「ずっと助けられるわけでも…そばに居てくれるわけでもないのに!」
こんなにそばにいるのに、安田君はまるで霧みたいだった。手だって、とても冷たかった。
「何ヤケになってるんだよ」
「ヤケにだってなるよ!だって…私、どうすればいいの…。ずっと、安田君の事好きだったのに…」
熱い涙が頬を伝っていく。
「ばーか。んなこと知ってんだよ」
安田君が頭をくしゃくしゃとなでる。
ずっと隠していた気持ちを口に出してしまうと、もう感情があふれ出すのを止められない。
「ずっと好きだって言いたかったのに…なんで、なんで勝手に死んじゃうの…。どうしていいかわかんないじゃん」
「うん、ごめんな」
素直に謝られてしまうと、返す言葉がない。
「でもさ、俺、小林には生きてて欲しかったんだよ。だって自分のせいで誰かが死んじゃうなんて嫌じゃん?」
「…ずるいよ。そんな事言われたら死ねない」
「あはは。うん、ずるいんだ俺。ずるいつでにもうひとつ言っていい?」
「どうせロクなことじゃないんでしょ?」
睨み付ける私の涙を指先でぬぐって、耳元に唇を寄せて安田君がささやいた。
「俺も、ずっと小林のこと好きだったんだ」
溢れてくる涙を、優しい風がぬぐってくれた。
「…ありがとう」
もう少しだけ泣いたら、家に帰ろうと思いながら私は言った。
遠い彼の元まで、この声が届けばいい。