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地獄の渡し守  作者: 蒲生次郎
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サジマの章

「おい、今日はどんな案配だ?」

同僚のアッサラバーに尋ねるサジマの頭上には黒々とした天蓋が覆い、足元には海と見紛うばかりの血の川が流れていた。人が見れば漆黒の闇でしかないが、彼らの特別な目には薄暮のように荒涼とした景色が見える。

ここは俗に言う『地獄の一丁目』と呼ばれる場所だ。人が死に、魂のカルマがある一定の重さに達すると、ここに落ちるようになっている。誰が考えたかわからないが、ずいぶん昔からそうなっているらしい。そうして落ちた死者の魂は川の渡し守であるサジマ達によって審判所に送られるわけだ。

「ひとり、だ」

アッサラバーは天蓋を仰いで答えた。肌は浅黒く耳は尖り、生前はどこかの国の小悪党だったそうだ。

「少ないな」サジマは呟き、「それじゃあ気長に待つとするか」と

言って天蓋を見つめた。

ここでは昼夜の概念はないが、サジマ達渡し守は便宜上、日を数えることにしている。もちろん天蓋の遥か上にある人社会に倣ってのことだ。ちなみに、サジマがこの仕事に就いてから今日が531日目となる。

ただ待つというのも辛いものだ。ここでは人社会のように本もなければ、酒やギャンブルなどの娯楽もない。あるとすれば落ちてきた罪人から生前の悪業を聞き、アッサラバーと審判の予想を話し合うことくらいだ。

今日はどんな奴が来るのだろう、サジマは禿げ上がった頭を撫でながらぼんやり考えた。なにしろ審判所では地獄行きになるか、生まれ変われるかが決められるのだから、当事者にしてみれば生きた心地もしないだろう。もっとも奴らは皆死んだのだからここに来るのであって、死にながら生きた心地もしないというのは、ここがまことに恐ろしい場所だということを意味する。

話を戻そう。

これまで審判に関するサジマの予想は外れたことがない。

昨日落ちてきた罪人は何人もの婦女を暴行し、老若男女合わせて都合20人以上を殺した殺人鬼だった。サジマは船を漕ぎながらそいつと話してみたが、吐き気がするくらいふてぶてしく、何の言葉も発しない奴だった。船を降り、審判所の門前までそいつを送り届けた後、サジマは憮然とした口調で呟いた。

「ありゃ、地獄行き確定だな」

はたしてその予想は当たった。地獄行きの場合は審判所の鐘が二度も鳴ると同時に、ほとんどの罪人から悲鳴が上がる。

だが昨日は鐘が鳴っただけで、悲鳴は聞こえなかった。鐘が鳴り響いた後の審判所は、まるでサジマのいた日本のお通夜のようにシンとしていた。

「ほう、悲鳴を上げなかったのはたいしたものよ」アッサラバーは感心したように呟いた。

サジマは皮肉な表情を浮かべ、「ああ、たいしたタマだぜ、地獄に行くために生まれてきたような奴だ、だがあそこに行ってしれっとしていられる奴はいないだろうな」と知りもしないことを交えて言った。

アッサラバーはもとより、周囲の同僚も地獄に行ったことはないし、戻って来た奴の話を聞いたこともない。相当悪いことをしなければ地獄には落ちないため、行ったが最後浮かび上がる奴はいやしない。

仲間内の噂では、地獄に落ちるのはそれなりの基準というものがあるらしい。つまり、何度生まれなおしても悪いことばかりする奴ほど地獄落ちになる可能性が高いようだ。その基準は知られていないが、サジマの勘ではせいぜい二、三度くらいだろうと思っていた。

サジマは直近が日本人だっただけで、それ以前は人社会の各時代で何度も生まれ変わっていた。数えたこともないが、かなりの回数にはなるだろう。いつも生まれては盗みという同じ過ちを繰り返したが、決定的に地獄落ちになることはなかった。サジマが渡し守になったのは死んですぐのことだった。勤続の『ご褒美』として生まれ変わりが認められるのははるか先のことらしい。それまではこの面白くもない渡し守を勤めなければならない。

サジマ達が辛抱強く罪人を待っていると天蓋から黒い人影が落ちてきた。

「来たな」アッサラバーは退屈凌ぎの獲物が来たとばかりに顔に喜色を浮かべた。

「思ったより早かったな」

いぶかしむサジマにアッサラバーが尖った爪で顎を掻いた。「手続きが早かったんだろうさ」

死んですぐここに来るということは、よほどその魂が業を抱えているということだ。通常は三つの中継所を経てここに送られる。

黒い人影が地上に降り立つとサジマたちはゆっくりと近づいていった。まずここがどこかを説いて船に乗せなければならない。忙しいわけではないが、手際よく仕事を終わらせてしまうに越した事はない。

男は所在なさげに立ちすくんでいた。50歳くらいだろうか、パンチパーマに中肉中背の神経質そうな面立ち、服は赤い花柄がプリントされたアロハシャツ、白いジーンズをはいている。なんともアンバランスな井出たちだった。サジマはこの日本のヤクザじみた風貌に見覚えがあった。

「おい、そこのやつ!」

高圧的に言うアッサラバーに男が気づき、怯えたように叫んだ。

「なんだあんたらは?いったいここはどこなんだ?」

「ここは地獄の一丁目さ、はやくしな」

アッサラバーはそう言って艪で男を突付く。倒れた男はうめき声を上げた。

「なにすんだ、ふざけんな!」

死ねば記憶の一部しか保持できない。どうしてもこの男が誰かを思い出すことができないサジマは雑念を振り払い、仕事に取り掛ることにした。「自分が死んだのはわかっているな。俺達は地獄の渡し守さ」

男はサジマに怯えた視線を向けた。暗いためかサジマを見ても何の反応もない。

ぼそっと男が尋ねた。「俺はこれからどうなるんだ?」

「お前は審判所で裁きを受けるのさ」

淡々と告げるサジマに男の顔が恐怖で歪んだ。「裁きだって?俺は地獄に落ちるのか?」

サジマは首を振った。「そんなことわかりゃしないさ、審判所では地獄に落ちるか、生まれ変わるかが決まる。もしお前が地獄に行くほど悪いことをしていないのなら、生まれ変わることができるだろう。わかったら大人しく俺達についてくるんだ」

男は押し黙ると周囲を見やった。その目は漆黒の闇しか見えない。どこにも逃げ道はないと観念したのか男は立ち上がり、「わかった」と言った。

「そうやって最初から素直になればいいんだ。さあ行くぞ!」アッサラバーが艪で男をせきたてた。

俺達は男が逃げないよう両脇に挟みながら、小石が密集した河原を歩いた。しばらくすると岸辺に舫っていた船が見えてくる。男の腕をひっぱって船上に乗せ、艪を巧みに使って漕ぎ出した。ここから審判所までは時間にして1時間ほどだ。難所のない単調な船旅だが、この船でしか審判所に着くことができない。

男は観念した様子で座っている。アッサラバーが艪を動かしながら好奇心の目を男に向けた。

「おい、世間ばなしでもしようぜ。お前いったいなにをしてここに着たんだ?」

「俺は人を殺した」男はぽつり呟いた。

「ひゃっひゃっひゃっ」アッサラバーは笑った。「そんなこたぁ、わかってる。誰も殺さなくてここに来れるわけないぜ、何人?どうやって殺したんだと聞いているのさ」

男は戸惑いと憂いを顔に浮かべ、「覚えていない」と言った。

「覚えていない?」思わずサジマが聞き返した。

男は首を振った。「だから覚えていないんだ、気づいたらここにきていた」

「本当に何も覚えていないのか、仕事や家族のことまで」

「死ぬ前のことはよく覚えていないが、俺はヤクザをしていた。家族はいない。最後の記憶は新宿の高層ビル展望台だった」

そう言って男は沈黙した。生前のことを思い出そうとして、疲れたのだろう。死ねば記憶が薄れるのはサジマも経験したことだった。

「つまらん」興味を失ったようにアッサラバーは言うと、黙々と艪を動かした。退屈しのぎになると思ってあてが外れた失望感が漂っている。

小1時間ほどして、巨大な船着場が見え始めた。奥には人の背丈の数倍はある石が詰まれた建物がそびえている。

「あれが審判所だ、人間の世界では閻魔がいるとかなんとかいわれているが、ありゃ嘘だ」

「そうじゃないのか?」

「ああ、建物の中には秤が置かれている」

「秤?」

「そうだ。右には善行、左には悪行、悪行が上回れば地獄に落ちる。善行が上回れば生まれ変わりが認められ、挽回するチャンスが与えられる」

「俺は地獄落ちるのか?」

「かもな、だがチャンスはある。」

「チャンス?」

「誰かから真に愛されたことのある者は善行がプラスされる」

それでも男は絶望的な顔になり、「ますます地獄行きだ」と言った。そうこう話している内に船が船着場に着く。

「階段を上がれば扉が開く。真っ直ぐ進め」

男は力なく頷き、「渡し賃はどうすればいい?」と訪ねた。

「そんなものはいらん。ここでは銭はなんの役にもたたない」

「そうか、悪いな。さらばだ」

男は船を降りて階段を登っていく。

「サジマ、どうした?」

アッサラバーがサジマの様子がただならないのを見て訊ねた。

「どうしたもない。『さらば』か、やっと思い出した」

サジマの憎しみに燃えた目は男の後ろ姿を追った。「あいつは俺と妻子を殺した横島という男だ」

サジマは船を降りて階段を上がり始めた。

「どうする気だ?」

「決まっている。奴の地獄行きを見届けるのよ」

もし奴の生まれ変わりが認められようものならば、いやそんなことはない、あんな外道が地獄に落ちないわけがない。サジマは万が一にでも罪が許されることはないだろうと確信し、横島という男の後を追った。

「おい待て、俺もいくぜ、ちょうどいい暇つぶしだ」アッサラバーは楽しそうにそう言って、ぴょんぴょん跳ねながら後を追った。

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