膨れ上がる、異変
《これより本艦はワープ航行に入る! 繰り返す! これより本艦は―――》
「!?」
艦内放送から信じられない言葉が一坂の耳に飛び込んできた。
「なんでだ!? そんなことしたって―――」
一坂の意識がブレた。
体内のナノマシンがスリープモードに切り替わったのだ。
「……やべ」
急速な眠気が一坂の意識を強制的に飲み込んでいく。
これがワープ航法のジレンマ。
生物の脳は光の速度レベルの速さの概念、距離の概念、時間の概念、それらを何とか理解できても、実際に体験し処理することにはまったく向いていないのだ。
いや、本能的なブレーキがかかると言ってもいいかもしれない。
では、そんな脳の許容をオーバーした領域に、意識を保ったまま足を踏み入れればどうなるか。
結論から言うと、脳、もしくは精神のどこかが壊れてしまう。
だからこそ対策が取られた。
それがナノマシンによるスリープモード。
ワープを検知した極小の機械が脳に働きかけ、意識を深い昏睡状態にする。
これによって脳がワープを認識できないようにするのだ。
なのでワープ航行中はすべての生物が強制的に眠ることになり、宇宙船の操縦はすべてコンピュータによる自動操縦に切り替わる。
そうした安全性を確保した上で、宇宙のワープ航法は現在に成り立っていた。
「―――――っ」
一坂は目を覚ました。
倒れた体を起こし、ぼんやりとした意識を覚醒させる。
(こうなったってことは、マジでワープしやがったのか……)
今は宇宙のどのへんだ?
というか、なぜだ?
そんなことしたところで、連合から逃げることなどできないのに………
「実はオレはおにごっこも得意でな」
一坂は反射的に振り返った。
だが、そこに倒れていたはずの声の主の姿はない。
「お前、記憶を失っていたらしいな? その間にオレたちのやり方も巧妙になったのさ。連合の犬どもの鼻をちょっと狂わせるくらいにはな。あてが外れたなイッサ」
どこだ!? どこにいる!?
「!?」
一坂の背筋に、なにか冷たいものが触れた。
振り返ったその先で、イヌ型宇宙人が、ぼうっと立っていた。
心臓を貫いた傷跡もそのまま。
音もなく、一坂の身長を優に超える巨体が風でなびくカーテンのように揺れている。
さっきまであった獣然とした迫力が消えていた。
生気はあまりに希薄で、本当にそこにいるのかどうかさえ疑いたくなる。
まるで幽霊のようだった。
「おいおい……」
一坂は冗談のような光景に引きつった笑みをこぼした。
異常が空間に膨れ上がり、その変貌に目が見開かれる。
ワッチワンは今まさに、生物としての一線を越えようとしていたのだ。
「あ……ああ。ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、………
なんとも色のない、無機質な発声だった。
同じ数値のニュートラル音域を機械的に繰り返し、生物としての呼吸を感じない。
口角が発芽するように肩口まで開き、耐えきれなかった口輪が破裂した。
筋繊維がブチブチと千切れ、体の至る所で再生と肥大が繰り返し、膨れ上がっていく。




