歪み
「………………どういうつもりだ」
ワッチワンは眼前で披露されたその芸に歓声を上げることはなかった。
なぜならそれは、彼にとってあまりにも予想外だったから。
「見ての通り、降参です」
無様に跪き、額を床に付けた姿。
古来よりの伝統芸、〝ふせ〟だった。
「俺の目的はミカンの安全です。だけど現状あいつの身柄がそちらにある以上、こちらは手出しができません。だから降参です」
一坂は貝のように体を折ったまま、そう告げた。
「俺はどうなっても構いません。だからミカンを逃がしてください。せめて絶対に傷つけないと約束してください」
この期に及んで一坂の取った行動は、なんとお願いだった。
しかも相手側に何のメリットもないとくれば、もはや交渉ですらない。
だが一坂に一定以上執着しているワッチワン相手なら、あるいは。
ミカンが傷つけられ、最悪命を落としてしまえば、もう取り返しがつかない。
それだけは避けなくてはならない。絶対に。何が何でも。
「質問に答えろ。なぜそうまでする?」
ワッチワンは素朴な疑問を投げかけた。
「ミカンは俺の子だからです。あいつの身の安全のためなら、俺はなんだってします」
ひれ伏したまま答える一坂に、ワッチワンの知るあの男の面影はなかった。
あの男は間違ってもこんなことをする男ではない。
大胆不敵で殺されてもなお不死身。
常に余裕たっぷりのにやけ面で、どんな地獄でも口笛を吹きながら悠々と生き残り、立ちはだかる敵の命を通り過ぎるように奪う。
この右目に傷をつけたあの男は、まさに死神。
だから一見して無様なこの行動も、ワッチワン視点では遠回しな脅迫とも取れた。
体のいい着地点を用意してやったから、いい子だから〝おすわり〟しろ。
飲めない場合は、わかっているな、と。
全くもって不釣り合いな要求だからこそ、逆にそう思える。
今も降伏するふりをして、何か別に隠し玉を持っているのではと疑っている。
ワッチワンにとってあの男は、それほどの男。
嫌な不安感を常に抱かせ、自分には見えない勝ち筋を掴まれているかもしれないと恐怖させる。
まさに格上の存在だった。
そのはずなのに、変わり果てたこの男の姿はワッチワンを心底ガッカリさせた。
「駄目だ」
悪意に満ちた笑顔で言い放った。
「駄目駄目駄目駄目」
ひれ伏したままの後頭部を踏みつける。
最初は風船がへこまないほどだったが、徐々に体重がのしかかっていった。
「やっぱりお前はオレをむかつかせる天才だ。そんな姿になっても何も変わらない」
「……………………」
一坂は動かない。
虫けらのように踏まれることを受け入れ、ただただ色の良い返事が来るのを待っていた。
そんな無様な姿を見て、ワッチワンはさらなる失望にボルテージを上げていく。
「ガッカリだイッサ。……ああ、このガッカリってのは駄目だ。楽しみも期待もすべてが裏切られるってことだからな。精神衛生上、実によくない」
獣の体が前屈みになる。
そして、息がかかるほどの距離で語り掛けた。
「今のお前を見て思い出した。俺の人生において初めて俺を裏切りやがった、あのくそったれな親のことをな」
それはワッチワンがまだ、宇宙海賊という裏の世界に身を投じるずっと前の話。
「オレはとある貴族の生まれでな。何不自由ない裕福な生活。行き届いた教育。十分に温もりを感じられる家庭と、尊敬できる両親」
恵まれていた。
幼少期のワッチワンの環境はまさにその通りだった。
「ある時、オレは誘拐されてな。頭の悪い馬鹿が調子づきでやった、計画性のかけらもない、幼稚な感覚で行われた犯罪だ」
当時のワッチワンですらそんな感想を抱いた。
犯人はたいした武器も持っていない。
プロに掛かれば瞬く間に制圧、解決されることは目に見えていた。
「親父は軍人だった。表には出ない官職だったが地位もあった。だからオレは不安じゃなかった。なんなら種族としての能力差で、オレ一人でもどうにかできるとさえ思った」
しかしワッチワンはそうしなかった。
それは、期待していたからだ。
尊敬する父。頼りになる父。
そんな父がこんなチンピラなんかに負けるはずがない。
だからワッチワンは自ら事を起こすことなく、人質に徹することにした。
自分が尊敬し、憧れるヒーローの活躍をこの目で見たかったのだ。
「………情けなかったぜ」
落ちた声のトーンには、明らかな落胆があった。
「あのクソ親父、あろうことかそのクズども相手に土下座しやがった。言われるがままの金を用意し、言われるがまま地面に手を突いて、女子供のように泣きながら無様に許しを請いていた。今のお前のようにな!」
足にさらに力が加わり、一坂の頭蓋骨がミシミシと悲鳴を上げた。
「結果として犯人はすぐに捕まった。親父の作戦通り、馬鹿どもはマヌケ面で現場を出たところを、外に待機していたサツに取り押さえられた。つまらない幕切れだ」
ワッチワンは両手を広げた。
まさに喜劇だとでも言いたげに。
「親父は正しかった。金も奪われることなくオレの体にも傷ひとつない。すべて計算の上で行われた行為。わかってるさ。だが、頭じゃわかっても、心が許さなかった」
それ以来、ワッチワンの父を見る目が変わった。
どうしてもその時の無様な姿が視界にちらついた。
父を褒め称え、肯定する母も同類に見えた。
守る者のためにその身を顧みない。
そんな正当性と矜持に酔った道化ども。
自分の抱いた理想と期待から徐々に乖離していく現実がワッチワンにフラストレーションを溜め、それが狂気に変わるのにさほど時間はかからなかった。
「オレは、両親を殺した」
気が付けば、ではない。
ワッチワンは実に理性的に尊敬していた父と、惜しみない愛情を注いでくれた母親をその手にかけた。
「なんてことはない。ああ、こんなもんか、ってなもんだ」
こんなものを自分は尊敬し、憧れていたのか。
期待外れ。
子供の暴走を止めることもできないクズ。
期待外れ。
「イッサ、オレはお前に期待していた。なんたってお前は、このオレに初めて傷をつけたんだ。そして、この右目の復讐に応えられる男だってな」
後頭部に吹きかかる息遣いが荒々しい熱を帯びてきた。
「それで、俺の要求は飲んでもらえるのでしょうか?」
「ああ?」
一坂は伏したまま、確認する。
「ミカンの安全を保障してもらえるのでしょうか?」
「…………はっ!」
ワッチワンの答えは決まっていた。
「そんな興醒めなことするわけねぇだろっ!」
振り上げた足を力まかせに落とした。
亀のように丸まった背中に蹴りを入れるたびに、ワッチワンの理性が熱の向こうへ遠ざかっていった。
「さあ、オレは答えたぞ! そんなことをしていても貴様の要求は通らない! ならばあとはどうするか! どうしなくちゃいけないのかわかるよなあ! かかって来い! 今すぐにだ! そしてオレを満たせ! 期待に応えろ! 応えろ!!」
忘れていた呼吸を思い出し、ワッチワンは蹴るのをやめた。
殺してしまったのだろうか?
まだふせの体勢のまま微動だにしない一坂。
綺麗にしたばかりの服はすでにボロボロで、もはやどうやっても元通りにはならないだろう。
「………………よくわかった」
刹那、―――
この部屋に何かが突っ込んできた。
「!?」
ワッチワンは瞬時にそれの正体を確認した。
爆発ではないらしい。
それは小包サイズの小型ポッドだった。
船外のどこぞから発射されたそれは、海賊船の分厚い装甲と何枚もある壁を突き破って注文のブツを最短距離で受取人の下へ送り届けたのだ。
「――――――っ」
ワッチワンは咄嗟に身を引き、かろうじて紅い斬撃をかわした。
「……一応と思って提案したことだったが、やっぱりそっちがお望みなんだな?」
ゆっくりと、立ち上がる。
その手に携えるは、紅く発光する光の剣。
「そういうことなんだな? じゃあ………」
ギラリとした視線が赤い前髪の向こうから敵を捉えた。
「お前の期待に応えるぜ、ワッチワン」
秋山一坂は、はっきりとした声で宣戦布告した。




