それが喉を通るまで
*
オレンジ色の太陽が西の空へ沈んでいく。
あと数刻もすれば街は夜の景色に塗り替わり、天上は煌めく星々で彩られるだろう。
報道陣はとっくに引き払い、静けさを取り戻した木造のボロアパート。
その二階の一室で、名取は詩織とちゃぶ台を挟んで対面していた。
「申し訳ありませんでした」
名取は彼女の前で、深々と頭を下げた。
「事前に相談を受けていたにもかかわらず、結果的にあのような対応をしてしまいました。本当に申し訳ありません」
さらに謝罪を重ねる。
しかし、それを向けられている詩織はいつもの感情の薄い表情のまま、彼の前に置かれた湯呑に手を伸ばした。
注がれた緑茶は一度も口をつけられず、すっかり冷めてしまっていた。
「やめてくれ。謝罪など筋違いだ」
詩織はきっぱり返すと、古い湯呑を下げ、傍らのお盆の上にあった空の湯呑を上向きに置いた。
「むしろ感謝しているくらいだ。お前のおかげで被害は物的なもの以外は皆無だったのだからな」
匙に盛った茶葉を丁寧に急須へ入れる。
ポットから注がれたお湯が落ちていく音だけが、静かな四畳半に響いた。
「あの場で誰かを傷つけ、最悪命を奪っていたらミカンはもうこの星にはいられないだろう。テレビで生中継された以上、言い訳もできない。だから弁解の可能性を残してくれた名取には本当に感謝している」
「………………………………」
「第一、お前があの判断に至ったのは、ミカンの能力がお前の予想を超えていたからだ。事前に相談した時、私ももう少しそれらしき匂いくらいは出すべきだった反省している」
淡々と語りながら、詩織は蓋をした急須を軽く振っている。
わずかに顔を上げた名取の目にも、その落ち着いた姿が見て取れた。
「しかし、結局それらは結果論でしかない。あのタイミングで報道陣が詰め掛けくるような予想外など、そもそもが不運でしかない」
「それでも、やはり私が―――」
「よせ」
詩織はまたも繰り返そうとした名取を短く制した。
目も当てられないという言葉を体現するように、やれやれと目を閉じてため息を一つ。
「私がお前を責めているのなら宥めすかすためにそう言った手も有効だが、私ははっきりと必要ないと言った。これ以上はお前の気分を満足させるだけの慰め行為に過ぎず、悪いがそんなものにかまってやれるほど今の私は暇じゃない」
詩織は表情を固定したまま。しかし明らかに不機嫌なオーラを纏って、理路整然と言葉を並べ、これ以上の余地を完璧になくしてきた。
ついでとばかりに、少し乱暴に新しく淹れた緑茶を置くという、わかりやすいサインまでしてきた。
「……………………」
名取は圧倒されていた。
自分よりも年下の少女に諭されることなど気にもならないほどに。
もはや感服するほかない。
「……わかりました」
さすがに名取も、これ以上を口にするのをやめた。
胸の中はまだ申し訳なさでいっぱいだが。
名取は目の前に置かれた緑茶の平坦な水面を見つめ、そこに映った少女の目と合ったことで、職務の顔に戻すことに成功した。
「失敗した」
「え?」
「いや」
詩織は表情を固定したまま、自分の分の緑茶をちゃぶ台に置いた。
そして熱々の湯呑に軽く触れた後、すぐに手を離した。
「それで頼んでいたことは調べてくれたか?」
「はい」
一坂たちが攫われた後、名取は詩織に調べ物を依頼されていた。
「本国に確認したところ、申し上げにくいのですが……」
「言え」
短くも迫力のある声色。
名取はすでに軍師か政治家と話している気分だった。女子高生、恐るべし。
「ミカンさんの故郷の惑星を特定したのですが……すでに消滅していました」
「…………そうか」
この衝撃的事実を聞いても、詩織は眉一つ動かさなかった。
ただ、横にある窓の外の夜と夕時のグラデーションを眺めて、少し沈黙した。
「……それで、ミカンはこの星に住むことは可能なのか?」
「はい。それについては定められた手続きをして頂ければ問題ないと確認しました」
これには名取も驚かされた。
彼は数刻前に相談された時、詩織が言っていた〝いい具合〟が、ミカンを無事に故郷の星に帰すことだと思っていた。
それがまさか、彼女がこのチキュー星で暮らせるようにすることだとは想像にすらなかった。
一坂がミカンの親となることにも衝撃だった。
彼らはまだ学生の身で、まだ子供なのだ。
しかし、聡明なこの少女がそれらを含めて、理解していないわけがない。
彼らは間違いなく本気で。
本気で三人での、平和な日常を望んでいたのだ。
(それなのに……私は……)
―――お前になにがわかる。
あの時の詩織の言葉が、胸に突き刺さった。
名取の位置からは、黒髪にかかった彼女の横顔がどうなっているかはわからない。
変わっていないのか、それとも………。
「我々はエイリアンを〝未確認脅威指定生物〟と呼称しています」
詩織の無表情が、背筋を伸ばした名取に向き直った。
「脅威という言葉は使っていますが、定義としては未知の生態、能力、姿をした生物のことを指します。本当にそれだけなので、条件が揃えば人権などもちゃんと与えられます」
「条件?」
聞き返してきた詩織に名取は頷く。
「ほぼこれがすべてと言っていいのですが、なにより意思の疎通が可能であること。言語を介する知能があることが挙げられます」
名取は説明であることを心掛け、事務的に言葉を並べていく。
「他には周囲や惑星への害意がないか。文化や環境での価値観のズレから無自覚に生じてしまうこともありますが、連合は矯正のためのプログラムを用意していますので、そちらをパスできれば別段問題ありません」
昨日のエイリアンはこれらの条件に当てはまらなかったので、名取は駆除はしないまでも捕獲という、動物や怪物相手用の手段を取ったのだ。
「ミカンさんの能力は確かに未知で脅威ではありますが、そこは問題ではありません」
名取はそう断言することに、自分が思いの他力を入れていることに気が付いた。
それを良しとし、続ける。
「彼女は今提示した条件をすべてクリアしていますし、今後成長していけば情緒も安定することでしょう。能力に至っても制御を覚え、無暗に使用してはいけないと学んでいただければ言うことはありません。その点は連合も助力させていただきます」
というより、あんなお気楽にヤバいビームなんて代物は手に負えないというのが連合上層部の本音だった。不安定なぶっ壊れスペックを持ったエイリアン娘には、良心的な一般常識を学び、遠い辺境惑星で大人しくしていてほしかったのだ。
そんな雲の上の事情は名取には伏せられているが、仮に知らされ語ったところで、彼女にとってはどうでもいい話だろう。
名取は連合の使者として、それを保証したのだ。
詩織たちが何としても手に入れたかった、ミカンがチキュー星で暮らすための条件の一つ。
まさしく、連合のお墨付きを。
チキュー星としても連合との間に、ミカンという懸け橋ができるのだから、拒むどころかむしろ大歓迎だろう。
ほぼ決まりと言っていい。
「初めて見た」
「?」
気のせいだろうか。
名取の目に、ほんの一瞬だけ。
自分の湯呑の中を覗き込んだ彼女が、明らかに嬉し気な微笑みに変わり、すぐにハッとなって、慌ててそれを飲み始めたように見えた。
角度きつめに上を向き、ほぼ垂直に湯呑を傾けている。
淹れたてのはずなのに熱くはないのだろうか?
「……………………」
名取は自分の湯呑に触れてみる。
やはり、飲み頃にはもう少しくらいには熱かった。
純白の騎士はまだちょっと熱い緑茶をフーフーしてから少しづつ飲み干し、詩織が洗面所の方から返ってきたのと入れ替わるように立ち上がった。
「立花さん。私はこれから彼らの救出に向かいます。本国にもすでに応援を要請していますので、どうかご安心を」
「………そうか。よろしく、頼む」
「?」
なにやらしゃべりづらそうにしているが、名取は気にしないことにした。
「あの、立花さん。……なにを?」
「ん? 夕飯の支度だが?」
詩織は、当然だろう、という風にエプロンを身に着けた。
背を向けたまま冷蔵庫の上のドアを開け、溢れ出た冷気の中に手を突っ込んだ。
「……失礼ですが……心配ではないのですか?」
彼女が感情の起伏が乏しいのは理解したつもりだが。
あまりにも淡々とし過ぎていて、さすがにもっとこう、ないのか? と思ってしまう名取。
しかし、対する詩織は、何を言っているんだ? という空気だけを出す。
動作が掴んだ小さな何かを口に入れたかのようだった。
「安心しろと言ったのはお前だが?」
「……それは」
たった今言ったことを返され、言葉に詰まってしまう。
「安心させてもらうぞ、宇宙の騎士殿」
振り返った詩織はあの無表情の口元に、ほんのわずかな小さな笑みを、わざとらしく、ちょっといじわるそうに作っていた。
口の中で何か小さなものがコロコロ動いていた。
「――――ッ! はい! ロージェスの誇りにかけて!」
名取は少し呆けた顔になった後、今まで見たよりいっそう背筋を伸ばして、はっきりしゃっきりと、どことなく浮足立ったように誓いを立てた。
そして、少しよそよそしく明後日の方を向いた。
詩織はそんな彼を、じーっと観察する。
ぱたぱた。
純白の騎士が犬の尻尾を振っているような幻覚が見えた。
(騎士というより忠犬だな)
もちろん表情には出さなかった。
………餌をあげてみよう。
「お前の分も用意しているからな」
「ありがとうございます!(ぱたぱた)」
やはり犬だな。
(………さて)
詩織は口の中の氷をヒリヒリする舌で舐めながら、私もドッグラン勢の仲間入りか、などという思考から切り替え、これからのことに思いを馳せた。
やることは山積み。
それでも一つ一つ乗り越えていくしかない。
(お前たちの帰る場所は私が守る。だから早くミカンを連れて帰って来い、一坂パパ)
詩織は心の中で祈るように唱え、後は自分にできることに徹することにした。
とりあえず二人が帰ってきた時のために、食事を用意するところから。
さっそく大仕事だ。
なんといっても人十倍食べる食い倒れ星人が三人だからな。
詩織はいつも以上に気合を入れ、長い黒髪を後ろにまとめながら、ふと思った。
(………もしかしてこっちの方が大変なんじゃないのか?)
口の中で小さくなった氷が、喉の奥に転がっていった。
《――― 第四章 了 ―――》
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おきな
短いですが、ここで四章終了。
読んでくれたすべての人に感謝です。
次はいよいよ、ラストの第五章。
加筆修正箇所が多いので、ちょっと時間かかるかもですが、楽しみにしてくれると嬉しくて四股を踏みます。




