その正体不明は蜃気楼の中へ
一坂は走った。
人目もはばからず無我夢中で走った。
途中二、三回スーパーカーに撥ねられたが、そんなこと意に介さず全力で走った。
道行く人に手当たり次第に尋ね、賢明にミカンを探した。
しかし、手掛かりはなかった。
「ぜぇ…ぜぇ……。あいつ、どこいったんだよ……」
絶え絶えな呼吸。脇腹に痛みが滲み、休憩しろと猛抗議してくる。
それでも一坂は地面にしがみつこうとする足を強引に引き剥がし、夜の街を駆けた。
「すんません! 人を探してるんです!」
その女性に拙いながらもミカンの特徴を伝える。
「………………………」
女性が指をさし、方向を示した。
何か言っているのだろうか。
口は動いているが、声は全く聞き取れない。
でも、そんなことはどうでもいい。
「ありがとうございますっ!」
一坂は頭を下げ、女性が示した方へ走り出し―――
「え……」
足が、止まった。
弾かれるように振り返る。
あの、珍しい恰好をした女性はいなかった。
「なんだよ……これ……」
一坂は、泣いていた。
胸の奥から正体不明の感情が溢れてくる。
それはまるで焦がれていた初恋の人に何十年越しに街ですれ違ったかのようで。
会いたくて。会いたくて。苦しくて、切なくて。
それでも嬉しくて、温かくて。会いたくて………。
込み上げてくる意味不明の感情は全然抑えることができなくて。
理解を置き去りにして溢れ出たそれが、熱い涙となって頬を伝った。
「………あれ」
俺、今……なにして………
その正体不明は一坂の心から蜃気楼のように消えた。
今の数秒の出来事が綺麗に頭から抜け落ち、何も思い出せなかった。
「―――いけねっ!」
一坂は汗を拭うように顔を袖で拭き、再び走り出した。
もう誰かに聞き込みはしない。
何かに導かれるように人の間を駆け抜け、迷いなくその路地へ直行した。




