9.本心
婚約パーティーの会場へ向かうためこの広い敷地を馬車で移動中ですが、父の顔が険悪すぎで来た時よりも空気が重い。
もちろん私の失態を叱られ「臓物が全て口から出そうだった」なんて大袈裟だなと思ったけど、今現在私も身体が震えています。恐怖というものは後からやってくるのね。
「レオナルド殿下が寛大な方で本当に良かった・・・。ティアナよ、早く戻ってきてくれ。何でいなくなってしまったんだ」
私も思う。お姉様、レオナルド殿下はきっとお姉様を大事になさるわ。安心して帰ってきて。
殿下の嬉しそうな顔を思い出す。あの心優しい方が本当に愛せる人と幸せになれますように。
そんなことを思いながら外を眺めると王宮はさっきよりも兵士がうじゃうじゃいる。パーティーに向けて警備を強化しているのだろう。誇り高き宮廷騎士団が従事しているので物々しさは半端ない。
そして私はお色直しというのか、謁見のときよりも派手めのドレスに着替えるらしく、お姉様の侍女であり昨日私の素っ裸を磨き上げたアンネに付き添ってもらい会場から少し離れた別室に通された。
本当はシャンテが良かったけれど、シャンテは元々王女であったクラウディア様の侍女なので顔が王家に知られている。
私の侍女なんてしていたらどういうことかと詰め寄られ、成り代わりであることがあっさりバレてしまうので連れてこれなかったのだ。
「アンネ、ごめんなさいね。あなたに頼りきりで」
「いえ・・・」
言葉少なにアンネはコルセットをきつく締め上げる。少しの緩みも許さないかのように。・・・憎しみが込められている?でも、仕方ないので受け入れるわ。
だけどどこかアンネの動きがぎこちない。本来ならばお姉様が着けるはずだったドレスを私に着させることに躊躇いがあるのかもしれない。きっとアンネ自身、お姉様の婚約を喜んでいただろうし。
「・・・ティアナお嬢様は、よく妹様のお話をされていました」
「え?」
「私の記憶では確かにいた、と。でも誰もその存在を教えてくれない、名前もわからない、日が経つにつれて自分の記憶に自信がなくなっていって怖いと」
「・・・そう」
「・・・本当にいらっしゃったのですね」
その声には驚きと哀しみが混ざっているように感じる。アンネはまだ年若い。私とそう変わらないくらいだから、私たちが生まれた当時のことを知るはずもない。だから、双子の片割れである私が実在したことに驚き、そして自分の主人が不吉の象徴であったことが哀しいのかもしれない。
「・・・アンネ、私の存在は忘れて頂戴」
「え・・・?」
「私はお姉様の為に存在してはならないのよ。お互いを思うのは心の中だけでいいの。決して表に出してはいけないわ」
「ですがティアナお嬢様は」
「お姉様のためなのよ。お姉様のために私という存在はあってはならない。・・・わかるわよね?」
「・・・はい」
「あなたはお姉様にだけ心を寄り添ってくれればそれでいいの」
たとえお姉様が本物として選ばれた側だとしても、双子であるという事実があっては不信感を抱く人も少なくはないだろう。双子である事実そのものを消さなくてはいけない。
私が間違っていた。ここはお姉様の世界であってその世界に私はあってはならないのに。それを理解していなかった。母や使用人たちが私を見ようとしないのも当然だったのに。
お姉様の世界を邪魔してはならない。
今の私はお姉様の成り代わりをしているのだから、できるだけ心を殺さなきゃ。私という心を。
さっきみたいな、嘘がつけないなんて失態もう許されないわ。だってここにいるのは“私ではない”のだから。
アンネはずっと何か言いたげだったけれど、歯を食いしばりながら私にドレスを仕立てていく。苦しいとか重たいとか言ってられないわね。ちゃんとしたご令嬢であるお姉様なら言わないはずだもの。本当は呼吸もまともに出来ないくらいだけど。
支度が整いアンネがお茶を淹れようとするのを止める。これだけ胃を締め付けられているのだ、入っていかない。「でも、倒れられたら」と心配されるが「大丈夫!私は籠の中のご令嬢じゃないのよ!」と豪快に言いたかったけれど、できるだけ自分の心を消すように努めないといけない私は微笑んで首を横に振るだけにする。今のはなんだかご令嬢っぽい振る舞いが出来た気がする。
コンコンとドアをノックする音が鳴りアンネが対応に出た。扉の前にいたのは父と「・・・レオナルド殿下!?」なぜこんなところに!?私は勢いよく立ち上がり頭を下げる。
「ティアナ、会場までレオナルド殿下がご一緒されたいそうだ」
「ええ!?」
「父君とのせっかくの時間を申し訳ないが、もっとティアナと話がしたくて」
いやいや、私はお話なんてないですよ!確かシャンテも話しかけられないのを祈りましょうみたいなことを言っていたのに、めちゃめちゃ話をしたがっておられる!!
でも断る権利なんてあるはずもない。
「身に余る光栄です」
顔は引き攣っていないだろうか。心の声が漏れていないか冷や冷やしながら部屋を出る。「では、ベイフォード卿。失礼しますね」キラキラ眩しい殿下の笑顔。父もアンネも深く頭を下げ、私は呆けるしかない。
「すまないね、無理を言って」
「・・・とんでもございません。光栄なことで」
「ストップ!」
レオナルド殿下が少し口調を強くして静止をかける。私は肩をびくっと揺らし、失言してしまったんじゃないかと心臓がバクバクいっている。
「できるだけ畏まらないでほしいんだ」
「いえ、それは、さすがに」
「もっと君を知りたいんだ。ダメかい?」
ダメだと言いたい。だって実際には私はティアナではないし。けど、ここでダメというのも失礼にならないか?絶対にダメよね。だからといって気軽に話そうとするとボロが出そうで怖い。
元々令嬢教育なんて受けていないのだから、それっぽい言葉を並べるだけでこんなに疲れているのに。
「ティアナ?」
「ああありがたき申出で」
「いいんだ、ティアナ。私には素直な君であってほしい。あの時のように」
あの時?え、まさか愛を誓えなかったあの時!?
どうしてあそこで好感度が上がってしまったのだろう。怒って、罵倒されても文句は言えないことを私はしてしまったはずなのに。
でもここで色々取り繕ってもボロが出るだけだ。・・・どうしよう。
「あの・・・先ほどは大変失礼なことをし申し訳ございません」
「失礼?」
「え・・と、大司教様の前で・・・」
「ああ、いいんだよ。君が正しい。初めて会ったにもかかわらず愛を誓わされるなんて拷問みたいなものだ」
「そそそそのようなことは決して!!」
「私自身ではなく私の立場だけで簡単に愛を誓う人よりもよっぽど君の方が信用できる。だからティアナにもっと私のことを知ってほしいんだ」
レオナルド殿下はさっきも同じことを仰っていた。自分を知ってほしいと。
なぜ選ぶ立場であるレオナルド殿下が、自分のことを知ってほしいと仰るのだろう。
「私は・・・未だに実感が湧きません」
「婚約のことかい?」
「はい・・・。この国を治める国王陛下のご令息であるレオナルド殿下の妻に私がなるなんて」
「私も同じだ」
「え?」
「私も急に婚約だと言われて驚いたんだ。私は・・・国王になる器ではないからね」
レオナルド殿下の表情に暗い影が落ちる。口元は笑っているとはいえ、光を集めるあの眩しい瞳が重く沈んでいる。
「おっと、いけない。ティアナの前では気が緩んでしまう」と口を塞ぐようにして苦笑いをするので「殿下はとてもお優しい方です」自然と言葉が出た。
「殿下は知りもしない私にずっとお優しいです」
「そんなの当然だ。君は私の婚約者なのだから」
「婚約者だからですか?婚約者でなければ優しくないのでしょうか?」
「そうでは・・・ないが」
「殿下は相手が誰であれ慈しむ心をお持ちなのだとわかります。だから咄嗟に手を差し伸べることができるのだと思いますよ。私はその心遣いにとても救われました」
「・・・慈しんでいるのかな。・・・私は臆病なだけだと」
「臆病?」
「私は力を持たない。力を持たなければ人はついてこないんだ。だからせめて嫌われないようにする。情けない話さ」
レオナルド殿下は自嘲する。私はじっとレオナルド殿下を見つめるけれど殿下は目を合わせようとはしない。
「それがいけないことなのですか?」
「何言っているんだ、ティアナ。そんなのではダメだろう。君だってそんな男には寄り添いたくないだろう?」
「私は・・・優しい人は痛みを知る人だと思ってます。痛みを知っているからこそ優しくなれる。それって臆病なのでしょうか。臆病な人は手を差し伸べることすら躊躇ってしまいますよ。
痛みに寄り添える優しい王様は権力者としては相応しくないのかもしれませんが、国民の理想だと私は思います」
「ティアナ・・・」
「力強くて勇ましい王様もいいと思いますけど、私は次期国王様にあられる方が心優しきお方で嬉しいです」
国王の器なんてものは私にはわからない。そんなの誰が決めるんだろう。誰の基準なのだろう。
だったら一国民の私としては、優しい王様だったら嬉しい。きっと多くの国民だって同じだと思う。
でも優しいだけでは成り立たないことも沢山あるんだってわかっている。お義父様は心優しく医者として多くの人を救うけれど、力を持たないので諦めることも多くあったと言っていた。
だけど私は思うのだ。たとえ力を持たなかったとしても、力に圧倒されたとしても、優しさにより人を救って得た人徳というのはとても大きな力になるのではないかと。
お義父様のご友人に公爵家がいることも、きっと人徳によって得たもの。
いつか、レオナルド殿下にも・・・・。
・・・・ん?私、かなり他人事のように言わなかった?
私、今“次期国王の婚約者”なのよね。つまりは“次期王妃候補”なのよね。
一国民だと別の立場で慰めたようになったけど、お姉様ならここは「私が支えます」とか言うんじゃないだろうか。それが正解なのでは?
小さく身体が震えた。・・・・また、やっちゃった気がする。ここに私の心はいらないってさっき思い直したところなのに。すぐこれだ。
血の気が引いていく感覚で倒れてしまいそう。ああ、もう、早く今日が終わってほしい。身が持たない。
一瞬フラついた私の肩を支えるようにレオナルド殿下の腕が回る。「も、申し訳ありません」何に謝ったかというと、失言に対してもだし、よろけたことについてもだ。けれど殿下は言う。
「やはり君が私の婚約者でよかった、ティアナ」
殿下は微笑んでいるのに私は胸を締め付けられるような感覚になった。・・・殿下は泣きそうに笑うんだな。
沢山の不安を抱えているのかもしれない。一般人と同じように考えるのは失礼だと思うけど、重責に押し潰されそうで必死なのかもしれない。
リーダーは孤独だというけれど、レオナルド殿下もすでに孤独を感じているのだろうか。
肩に回ったレオナルド殿下の手はとても力強かった。