3.愛情
今日はハインリッヒ先生から歴史の授業を受ける予定だったのだけど、ハインリッヒの母であるクラウディア様へご挨拶に伺うとそのまま捕まって小1時間。
「フィオナ、いつハインリッヒとは婚約してくれるの?」
思わず紅茶を噴出すところだった。そんな予定ありませんけど!?
「ク、クラウディア様!?何を血迷ったことを!」
「なんてこと言うのです!私は貴女のことを娘のように思っており、いつシェリーのようにお義母様と呼んでくれるのかと待ち焦がれているというのに!」
「めめめ滅相もございません!!」
クラウディア様はいつも突拍子もないことを言っては周りを驚かせる。
同じく部屋にいた執事長も表情は変えないものの、紅茶のお代わりをお出ししようとした手が一瞬固まったのを見逃してはいないわ。
「もうハインリッヒも18歳。未だに婚約者がいないのは可笑しいわ。いい男でしょう?」
「はい、それはもう」
「だったら何も問題ないじゃない」
とてもとても美しいクラウディア様は、白銀に近い金色の細い髪をふわっと揺らして少女のように微笑む。それに一瞬見惚れていたがすぐに我に返り「問題だらけです!」すかさず言い返した。
「私は養女ですし、それに、実家から烙印を押され追い出された身です。私なんかは相応しくありません」
「まだそんなことを言っているの?貴女はもうベルクとシェリーの娘そのものだというのに」
「で、ですが!」
「それに養女が何だというの?あの二人は違う形で子を授かった。それだけのことでしょう?」
「そんな・・・クラウディア様は寛大すぎます」
「そんなことないわ。フィオナ、貴女は私のことを勘違いしてるわね。確かにベルクは主人を助けてくれた恩人であり大切な友人。それだけの理由で私が貴女を可愛がっていると思っているわね?」
「そ、そうではありませんが・・・。」
「大切な友人が愛する娘を私たちが同様に愛するのは当然のこと。だけどそれだけじゃない。フィオナだからなのだとちゃんと理解してちょうだい」
「クラウディア様・・・。」
「それに私、娘も欲しかったのよ。私は息子2人も愛しているけれど、着飾ったり、一緒にお茶をしたり、お出掛けしたりするのは息子と娘では違うのよね。だからベルクがフィオナを連れて来たときは本当に嬉しかったの」
至極嬉しそうに微笑むクラウディア様。私は続ける言葉が浮かばなくなる。幸せそうな表情を向けてくれることに目が涙で滲んで溢れそうにもなる。
王家の娘として大切に大切に育てられたクラウディア様は、騎士でありご自身の近衛兵であった今のご主人エドガー様をお慕いする。
公務の際に飢饉に苦しんでいた一部の民が集団でクラウディア様の乗った馬車を襲い、クラウディア様の御身は無事だったものの、近衛兵だったエドガー様は毒が塗布されたナイフを掠め命の危機に晒されてしまう。
そのとき、医学の知識があったお義父様がエドガー様をお助けしたという武勇伝は、何度お話してくださったか数えきれないほどである。
負傷した後遺症により騎士の道が閉ざされたエドガー様は宮廷を去ったが、クラウディア様は命を賭して守ってくれたエドガー様への想いは止まらずそのまま二人はご結婚なされた。
それと同時にお義父様も騎士を辞め、医学の道へ進み医者となった。
クラウディア様はお義父様に爵位を与えようとしたようだが「身に余るもの」とお義父様は断ったらしい。
理由はもう一つ。爵位を授かると医者として生きられないとの考えがあったようである。
そんなお義父様を尊敬しているし、養父となってくれたのは私にとっても恩人以外のなにものでもない。
だから私はあるべき立場であるべき振る舞いを目指している。
お義父様に倣い医学の勉強もしている。ハインリッヒが家庭教師のような真似事をするので、とても良い機会として色々教えてもらっている。それは何より、愛してくれるお義父様、お義母様、そして公爵家のエドガー様、クラウディア様に恥じないために。
「ということがあり遅くなってしまいました」
「ふぅん。母上も相変わらずだな」
「ハインが早く好い人を紹介したらいいじゃない」
「兄上を差し置いて?」
「ラインハルト兄様は騎士のご身分だから忙しいのよ」
「でも、公爵家を次ぐのは兄上であって俺じゃない。結婚なんて急がなくていいよ」
跡継ぎの話は頭ではわかっていても実際にはよくわからない。
ハインリッヒは子供を愛するクラウディア様の希望で家に残り学者として勉強している。
貴族の令息の殆んどは騎士の教育を受け、その後宮廷に仕えるか、実家を継ぐかのようだ。
特に次男であるハインリッヒは騎士であったら宮廷に仕える身なのだろうけど、クラウディア様がそれを嫌がった、というわけだ。
元王女の母、元騎士の父の教育あって、家に残っていながらも騎士道精神というものを受け継いでいるハインリッヒが女性や子供に優しい紳士になるのは当然とも言える。
そのお陰で私はハインリッヒより“優しくされる権利”を賜り、ここまで健やかに育ったのだ。
それもひとえにクラウディア様のお陰といっても過言ではない。
「フィオも本来なら社交界デビューする年齢か」
「そうなの?」
「そうだよ。フィオだって考えられないだろ?この歳で結婚なんて」
それはそうだけど、それは立場が違うからであって、貴族のご令嬢であればそれを最優先としているのだから当然のことなんじゃないかと思う。
「・・・・だとしたら」
「ん?」
「お姉様は、社交界へ出て結婚を考える身なのね」
「お姉様?」
「双子のお姉様よ。・・・今、何をされているかしら?既に婚約者がいたりして。ハインも社交界へ出たら会うかもしれないわね」
「ふーん」
ハインリッヒは興味なさげにパラっと本のページを捲った。
窓際に置かれた大きな机に二人並んで座っている。私が窓際、その隣にハインリッヒ。それでも十分な大きさだった。
机の上に置かれている本に被さり、ハインリッヒの顔を下から覗き込む。目線だけをくれたハインリッヒは「なに?」と少しむくれている。
「どうして機嫌悪くするの?」
「機嫌悪いことないよ。なんで?」
「いつもの穏やかな顔じゃないもの」
甘いマスクの男は無表情でも色気があるが基本的に微笑みを絶やさない。
それは母であるクラウディア様の影響だろう。
しかし今のハインリッヒは明らかにいつもの微笑みが消えている。
「フィオには悪いけど、あまり“お姉様”には会いたくないな」
「どうして?」
「フィオが捨てられる原因になった人なのに、会いたくないよ」
「お姉様は悪くないわ」
「それはわかってる」
「悪いのは私だもの」
「それは間違ってる」
だらしなく机に乗せている私の頭をハインリッヒは優しく撫でる。・・・ハインに撫でられると気持ちいい。思わず目を瞑った。
「なんですぐ自分が悪いって言っちゃうかな」
「だって」
「双子で生まれたから?捨てられた方だから?俺は双子が不吉だなんて迷信くだらないと思うよ。・・・でも」
「・・・でも?」
頭を撫でていたハインリッヒの手が止まる。瞑っていた目を開けて顔を見上げると、さっきの無表情ではなく優しい眼差しをしたハインリッヒと目が合い「フィオがベルク先生の娘になったのは嬉しい」と甘い声で囁く。
どういう意味かわからなくてポカンとしてると「フィオって、社交場で口説かれても気づかないタイプだよね」更なるなぞかけのようで私は「ん?」と眉間に皺を寄せた。
「フィオだって嬉しいだろ?ベルク先生とシェリーおばさんの子になれて」
「それはもちろん!」
「もうフィオは余計なこと考えなくていいんだよ。自分は悪い子とか不吉な存在とか。そんなの関係ない」
「ハイン・・・。」
「フィオはわかってないんだ。俺たちにとってフィオという存在がどれだけ尊くて、どれだけ多くの幸せを運んできたか」
「・・・・・俺たちのところに来てくれてありがとう」そう呟くとハインリッヒは私の髪を一束掬いキスをした。
目が合うと恥ずかしくなって顔を逸らしてしまう。小さく笑うハインリッヒの声がして、私は今の感情を何て言葉にしたらいいかわからなかったので、とりあえずハインリッヒのスーツの裾を握った。すると笑い声がもっと大きくなった。
「ヴィッツと一緒だね」
「ええ!?」
「かわいい」
子供を愛でるような表情と頭を撫でる手つきは、そのまんまヴィッツにしていたものと同じで「子供扱いしてるー!!」私は慌てて机の上に乗せていた頭を起こし居住まいを正した。
ハインリッヒといるとどうも気が緩んでしまうのよね。だってこの紳士はすぐ甘やかすんだもの。
ダメダメ、ハインリッヒは女性と子供には誰にだって優しいのよ。別に私に限ったことじゃないのよ。私のことは出自を哀れんでるから特別優しいだけなのよ。甘えすぎちゃダメ、甘味料の多量摂取は依存症になっちゃうんだから。それと同じよ。
「俺、次男だし身分とか気にしなくていいよ」
「何の話!?」
「それよりフィオがなぁ。この子、無自覚だけど人に好かれやすいから俺の方がうかうかしてられないというか」
「俺、ヴィッツにまでヤキモチ妬きたくないんだけどな」そう言ってハインリッヒが私の手を握るから、つい私も握り返した。