2.運命
「シャンテ、シャンテ!!ごめんなさい!!手伝ってもらえるかしら!?」
「フィオナ様、もう年頃の女性なのですから家の中を走らないでくださいと何度も」
「ハインを待たせてるの!!許して!!ね!!」
急いで自室に戻る途中で使用人のシャンテを捕まえた。
シャンテは走らず、でも私に負けない速度の早歩きでついてくる。
それがレディの嗜みというもの?すごい労力ね。
今から公爵家へ赴くのだから普段着のままで行くわけにはいかない。普段着どころか山に入って薬の原料になる種子や樹液を集めに行って汚れているし、さっきヴィッツの治療をしたときの膿が服に飛んでいるかもしれない。
ドレスは以前ハインリッヒのお母様であるクラウディア様に頂いたこの領土の名産品である絹を使った一級品のものを取り出す。
本当はこんな高価なもの大事にとっておきたいのだけれど、公爵家へ行く以外に大事な用事はないのでクラウディア様を喜ばせようと邸宅にお邪魔するときには、この頂いたドレスを着ていくようにしている。
ご令嬢に人気らしいフリルをふんだんにあしらったものや、幾重にも生地を重ね厚みを出しふんわりと膨らませた女の子らしい印象のドレスではなく、生地も刺繍も若干色の違う白で統一され、裾のレースは職人の腕の良さが窺えるほど緻密であり“洗礼された美しさ”そのもので派手さはない。
これは完全に身に着ける者により完成される一品だと思う。
こんな素敵なドレスはそれこそ王女様や上流階級のご令嬢でなければ着こなせない代物だけど、クラウディア様が私を着飾って喜んでくれるのだから恐縮である。
着替えを済ませるとシャンテは湿気を吸って膨らんだ私の髪に軽く香油をつけ櫛で整える。
腰まである長い髪が真っ直ぐストレートに落ち着いたらサイドを編み込みドレスに合わせた白いリボンでハーフアップに纏めた。
私だったら数分あってもできないだろうけど、シャンテはあっという間にやってのけるから秒に感じてしまう。さすがだ。
「シャンテ、ありがとう!!行ってくるわね!!」
「だから、走ってはいけませんと」
相変わらず家の中をドタバタと走る私にシャンテは同じ注意をするけれど、待たせている相手がいる以上、上品な振る舞いなんて気にしてられない。
「ハイン!待たせてごめんなさい!」
「大丈夫だよ。それにしても早かったね」
「シャンテに手伝ってもらったの」
「そんなに急がなくても良かったのに」
大きくて温かい手が頭に下りてきてぽんぽんとあやすように軽く触れる。ヴィッツのような子供じゃなくても顔がにやけてしまうわ。顔を隠すように俯くだけで精一杯だ。
「ではお借りしますね」
「いってらっしゃい」
手を振るお義母様と「迷惑かけるなよ」未だ居座っているヴィッツ、その奥でシャンテが深く頭を下げた。
私の手を引く3歳年上のハインリッヒは公爵家の次男という立場でとても紳士的だ。
甘いマスクに甘い声。本人は男らしくありたいと髪を短くして威厳を保っているらしいが、雰囲気から所作から表情の一つとっても品の良さが溢れており、その王子様のような装いから道を歩く少女も淑女も老婆だって彼を見ると息を飲んで立ち尽くしてしまう。
そんなハインリッヒと知り合ったのは私が4歳のとき。義父であるベルク叔父様に引き取られて暫く経ってから。
この国では双子は不吉の象徴とされ、双子として生まれた者は虐げられる運命であった。
平民なら奴隷に、貴族なら片方を山に捨てたり闇商人に売ったりする。
伯爵家に生まれた私は生まれたときから捨てられる運命で、だけど子供を授かれなかったベルク叔父様に引き取ってもらい今ここにいる。
何故、双子が不吉の象徴と言われるか。
自分と同じ姿をしている双子同士は、片方が本物で片方が偽物とされていた。
本物の魂を奪った偽物の正体は悪魔であり化けているとのこと。だから貴族は恐れて片方を捨てるのだ。
結果として3歳まで成長を見届けたところ優秀な姉、劣等な妹と格付けされると私は家族から引き離されることとなった。
幸いにも叔父夫婦が引き取ってくれたので孤児にならずに済んだわけだけど、幼い私は自分を“悪魔”とされていたことにより、誰にも心を許せずにいた。
誰も私に関わらないで。私は悪い子なんでしょ。みんなを不幸にするんでしょ。そうなんでしょ、だからみんな離れていくんでしょ?
人と距離を置きたがっていた私を心配したのかベルク叔父様は、私の手を引いてとある豪華な屋敷へと連れて行った。
門構えからわかる広くて大きなお屋敷に、幼いながらも緊張して歩けなかったことを覚えている。
ベルク叔父様の手に縋るようにしがみつき、棒のようになった足を躓きながら必死に動かす。呼吸は浅くなりとてもとても苦しかった。
門をくぐり、表に出てきた執事に案内されて豪華に装飾された扉が開かれると、目が眩むほどの光で視界が真っ白になったが「いらっしゃいませ、ベルク先生!」とても明るい声がベルク叔父様を嬉しそうに呼んだ。
「ハインリッヒ様、わざわざ私なんかの為にお出迎えくださるとは痛み入ります」
「もう!そんな堅苦しいのはやめてください!ベルク先生は僕の先生ではありませんか!」
「いえいえ、そんな大したものでは」
「あ、もしかしてその子がベルク先生のご令嬢ですか?」
ハインリッヒはベルク叔父様に隠れるように後ずさった私に「初めまして、ハインリッヒ・オーズです」と頭を下げた。
「フィオナ、挨拶を」と促す叔父様に対して、自己紹介どころか声を発することもできない私はベルク叔父様にしがみつくだけ。失礼極まりない。そんなことはわかっている。だけど、・・・・怖い。
そんな私を気にする素振りも見せずハインリッヒは「名前は聞いてるよ、フィオナだね?ベルク先生がとっても可愛い自慢の娘が出来たって嬉しそうに話すから僕もお会いしたかったんだ」とニコニコしている。
「ベルク先生、僕がフィオナを案内してもよろしいですか?」
「ハインリッヒ様にそんなことお願いできかねます。フィオナは少々人見知りでして」
「なら尚更です。父上は身体も大きく顔も厳ついですからね。フィオナが怯えてしまいます」
折れそうにないハインリッヒに白旗を上げたのはベルク叔父様で「・・・では、お願いいたします」と頭を下げた。
ベルク叔父様は腰を屈め私と同じ視線になり「フィオナ。彼はハインリッヒ様と仰る。私は公爵様にご挨拶してくるので、フィオナはハインリッヒ様に屋敷を案内していただきなさい」と困った顔をした。
その表情からは私に困っているのかハインリッヒ様に困っているのかわからなくて、私はガチガチに固まっている手を必死に開いて、しがみついていたベルク叔父様の手を離す。
するとハインリッヒが手を差し出してきた。「どうぞ」何が起こっているのかわかならくて、その手をじっと見つめていると「エスコートっていうんだよ。女性には優しくしなさいって母上から教わったんだ」とハインリッヒは私の手を掴んで自分の手の上に置いた。すると満足気な顔をして「行って参ります」とベルク叔父様に一言告げると颯爽と歩き出す。
私は相変わらず身体が緊張で縮こまっており、よく躓きながら足を動かしていた。小さく躓く度に「大丈夫?」と振り返り歩くスピードを落とすハインリッヒ。「あ、あの」振り絞ってなんとか出せた声は擦れている。
「なぁに?」
「あ、あの、お、王子様、ですか?」
「ええ?僕?僕は違うよ。王子様に見えた?」
「だ、だって、ベルク叔父様が、あんなに・・・、おうち、だって」
「あぁ、一応公爵家だからね。でも偉いのは父上や母上であって僕じゃない。ベルク先生だって僕にとっては先生なんだから僕には謙ることないのに」
私よりも頭一つ分背の高いハインリッヒが少し膝を折り、私の目線に合わせて言う。
「だからフィオナも僕のことをハインリッヒ“様”なんて言わないでくれよ」
ハインリッヒのまん丸な目は、小さな光を集め宝石のように輝いてとても綺麗。
緩やかに微笑む優しい表情に心が温かくなって、少しずつ緊張が解けていく。
私はつられるかのように小さく笑った。
「あ、笑った」
「ご、ごめんなさい」
「いいんだよ、フィオナは萎縮しすぎだ」
「・・・・・。」
「僕は母上の教えで女性には優しくしなさいと教えられてるんだ。だから僕はフィオナに優しくする義務があるし、フィオナは僕に優しくされる権利があるんだよ」
「そ、そんなのないわ」
「どうして?」
「私は・・・悪い子だもの。・・・そんな権利なんてないわ」
そう私は悪い子。お姉様の魂を奪ってできた悪魔の化身。優しくされる権利なんかない。あってはならない。
「なんで悪い子なの?」
「え?」
「なにかした?」
「・・・ううん」
「どうして自分が悪い子だって思うの?」
「え・・・だって・・・双子」
「双子?」
「双子の片方は悪魔なんだって・・・。私が・・・そうなんだって」
「フィオナが?こんなにおどおどしてる君が?そうは見えないな」
「でも!周りのひとたちが!」
「僕にはそう見えないし、ベルク先生だって娘ができたってすごく嬉しそうにしてたけどな。それだけでいいんじゃない?」
ハインリッヒは私が悪魔なんだと言っても変わらぬ笑顔で言った。
「必要とする人がいる。それだけでいいんだよ」
そして私の手をぎゅっと握る。
「知ってる?悪魔って元は天使だって言われてるんだよ」
「そうなの?」
「だからフィオナは実は天使なのかもしれないね」
「・・・・。」
「あ、今少し嬉しかったでしょ」
「そ!!そんなことない!!」
けど・・・。そうであれたら・・・。どれだけいいだろう。
そうしたらみんなを幸せにできる?幸せにできたら私は“悪魔”なんかじゃない?
私はハインリッヒに握られている手を小さく握り返した。すると彼は嬉しそうな顔をして「怖がる必要ないよ。もっと一緒にいよう。一緒にいればわかるから」その言葉が温かくて私は素直に頷いた。
それから少しずつ差し出される愛情を受け取れるようになると、ベルク叔父様のことをお義父様、シェリー叔母様のことをお義母様と呼ぶようになった。
私が父と母と呼ぶと二人は嬉しそうに微笑む。私が笑うとより一層嬉しそうにするので、沢山笑うようにした。
そのうち意識することもなく笑顔が零れてどんどん締まりのない顔になっていく。
そしてそれをクラウディア様に「ベルクに似てきたわね」と言われ、私もお義父様もお義母様も喜んだのだ。
みんなの笑顔は安心をくれた。優しさは心地よかった。私もそうありたかった。だから沢山笑った。
そして私も人を助けられるようにお義父様のような医者を目指した。それが双子として生まれてしまった私なりの贖罪だった。
だからこそ時々思いを馳せる。私の手を離そうとせずにずっと握っていてくれたもう一人の私。あれは私の大事な双子のお姉様。
お姉様は私を心配していた。私を守ろうとしてくれた。私はお姉様の魂を奪った悪魔だと言われているのに・・・。それなのに。
あの日の手の温かさや力強さがお姉様の優しさそのものだ。その優しさをいつまでも覚えている。
だからそんなお姉様を安心させたいと思っていた。そして幸せであってほしい。そう願っている。
「フィオナ、ぼーっとしてると躓くよ。よく躓くんだから」
「クラウディア様から頂いたドレスを汚さないように必死なのよ」
「抱えてあげようか?」
「絶対にそっちの方が危ないわ。ハインの服、金具の装飾品がついてるもの」
「あー」
「ほんとご令嬢って大変ね。歩くのも一苦労なんだもの。私はお義父様の娘になってよかったわ」
「それは同感」
「え?」
手を引くハインリッヒは初めて会ったあの日のように優しく微笑んだ。