告白
雅は、じっと卒業アルバムを見つめた。同級生の集合写真だ。後列左端に立っている端正な顔の少年に目を止めた。
少年の名は冴島聡。告白せず、片思いで終わった初恋だった。パタンと音を立てて卒業アルバムを閉じると、ソファーから立ちあがり、キッチンに向かった。夕食の準備をしなければ。夫の啓介は遅くなるだろうが、高校生の静香はもう少ししたら帰ってくる。
(冴島君。今頃どうしているかな?)
噂では、冴島は地元の大学を出て東京の大手企業に就職し社長になったらしい。それに引き換え、啓介は平凡な会社員だ。ささやかな家庭とは言え不満が全くなかったと言えば嘘になる。ふと、夕食の食材を買い忘れていたのに気がついた。今日は静香の誕生日だ。大好物の唐揚げを作ろうと思い、雅は慌てて自転車に乗って駆け出した。横町の角の交差点の信号が変わるのももどかしく、サッと横断した途端、黒い巨大な影が見えた。
その途端、物凄い衝撃で跳ね飛ばされた。ああ死ぬのか、と薄れゆく意識の中で感じた。
ふと、気がつくと夕日に照らされた赤い楓の木が見えた。その楓の木に見覚えがあった。高校の校庭にあった大きな木だ。
「雅! さあ、行きなさいよ!」いきなり後ろから背中を押された。振り向くと高校時代の親友の紗耶香がセーラー服姿で立っている。気が付けば、雅自身も制服を着ていた。
「もう、何やってるのよ!」紗耶香があきれた顔をした。その理由が解らずにいると、紗耶香がほら、と指をさした。ジャージ姿の冴島がグラウンドへと歩いていくところだった。
「もう、雅ったら。冴島君行っちゃったよ」
紗耶香がふくれた。紗耶香にどうしてふくれているの? と聞いてみた。すると紗耶香はさらにあきれたような顔をして、雅が今日、放課後に冴島君に告白するから一緒に来て、と頼んで来たからついてきたんじゃない、と言った。その時、思い出した。高校時代のある日、紗耶香に冴島に告白するから一緒に来て、と頼んだ事。あの日、告白できずにそのまま片思いに終わってしまった苦い恋の記憶を。雅は、今年は何年? と紗耶香に尋ねてみた。紗耶香は本当にあきれた、大丈夫? と言いながらも、今年は昭和六十三年だよ、と教えてくれた。どうやら本当に過去の世界に戻ってしまったようだ。よりにもよって、あの日に。だが、もし冴島に告白したらどうなるのか? 未来は変わるのか、冴島と結ばれるのか? それを確かめたいと思った。
「紗耶香、私行く!」そう言って雅は駆け出した。待ってよ! と言いながら紗耶香もついてくるのが解った。息せき切って走ると、グラウンドの端で冴島は軽くボールを蹴っていた。雅は冴島のそばにきた。
「冴島君、ちょっと来て」周囲の男子の視線が自分に一斉に集まった。
「吉川、何だよ?」冴島が、怪訝そうな顔で尋ねた。周囲の男子たちの冷やかす声が聞こえてきた。
「いいから来て」そう言うと、冴島は戸惑いながらも雅についてきた。校庭の外れに来た。
あの楓の木が風にそよいでいる。
「何の用だよ」冴島が無表情で言った。
「私、冴島君が好き!」思わず顔が赤くなるのを感じた。冴島は表情を変えずに黙っている。雅はやっぱりダメか、冴島に告白しても、結局は振られて未来は何も変わらなかったんだ、と思い、背を向けて歩き始めた。
「待てよ!」冴島が雅の肩をつかんだ。振り向くと冴島が燃えるような熱い目をしていた。
「吉川、俺も好きだ!」そう言うと雅を固く抱きしめた。雅も冴島を固く抱きしめた。冴島の暖かさを感じながら雅は、胸が満たされる思いでいっぱいになった。時が止まって欲しいと思った。
ハッと目覚めると、ベッドの中にいた。
「気がついた?」スーツ姿の啓介が心配そうに真上から覗き込んでいた。静香も学校から駆け付けたらしく、制服姿だ。
「ここは?」
「病院だよ」啓介が安心したように言った。
「お母さん!」静香が今にも泣きそうな目で見ている。
「助かってよかった!」静香は、そう言うと、わっと泣き出した。啓介の目にも涙が滲みだし、雅にその涙を見られまいと背を向けた。啓介の肩が震えている。ふと、雅は冴島に告白した事を思い出した。あれは夢だったのか、それとも本当の出来事だったのか? だが告白しても結局、未来は何も変わらず、家族とこうしている事を考えると、ほんの少しだけ、がっかりしたが、同時によかったと思った。これで良かったんだ、雅はそう思うと、大丈夫だから、と優しく言って肩を震わせて泣いている静香の肩に触れた。