第五十八話「おまえら、うまそうだな」
洞窟を後にし、荷台に腰を下ろしていたアレスとボルケーノ政子。彼ら達はレイクタウンまでの移動の最中、ヤギ達に繋がれたリードを変わりばんこで持つなどして、時間を過ごしていた。
幸いなことに、ヤギ達の引く荷台のペースは割かし緩やかだった。今回の移動は、アレスを含めて赤髪の彼女の2人分を載せていることもあり、そのおかげなのかもしれない。とにかくお互い、残りの水や食料を荷台の上で、手をつけられるだけの余裕があった。夜更けのタイミングになると、仮眠も交互に取るなりして、来たる朝に備えることもできるまでになった。
「お前達、うまそうだな。ケケケケ……」
夜もだいぶ深まってきた時分。就寝中だった政子は肥満体系のおっさんのようないびきと共に、寝言を言っていた。夢の中では今まさに、お目当ての獲物を見つけて、舌なめずりしているところなのかもしれない。
「こいつ、起きてる時も寝てる時も、ずっと肉のことしか考えていねえな。次、目が覚めた時に、俺に襲いかかってくるってことだけは、ないように願いてえな」
アレスは横目で、お腹を出しながら惰眠を貪る政子を見るなり、そう言った。先ほどから交互に、30分毎を目安に仮眠を取り合っていたアレスと政子。今現在は、アレスがヤギ達のリードを握っている番だった。だがヤギ達のリードを持つ役目に彼がなってから、1時間程度は経っていたものの、当の政子はその目安の時間を優に超え、熟睡の限りを尽くしている。彼の方から再三に渡って、声をかけているが未だに反応はない。
「あっしに右足を一本寄こしなさいな。そこのヤギ達や。ケケケ……」
だが引き続き、彼女の寝言だけはこのように一丁前である。まるで邪悪な森の老魔女のようにややダミ声な口調で、夢の中のヤギ達に四肢をもがせるようなことを、政子は言っていた。
「なんちゅう残虐なやつだ……。冷酷な女王様って、こうやって家来達を顎でつかってたりするんだろうな。一番、人の上に立っちゃいけない人種だな」
アレスは人知れずそのような妄想を浮かべていた。
その一方で、前方で荷台を引っ張っているヤギ達からは、心なしか緊張の波が伝わってきていた。きっと政子が不気味な寝言を言い始めた頃からだった。アレスの座る荷台の方からは、彼らの白くて毛深い背中が見えるだけで、はっきりと顔の表情までは確認できない。だがそれでも、彼らの尋常ではない背中の筋肉の強張り具合から見て、身の危険を感じているとアレスはそう解釈しているようであった。
「可哀そうに。ヤギ達もすっかりビビり散らしているじゃねえか。目が覚めたら、次の標的は自分達だと、ヤギ達はヤギ達なりに恐れてるんだろうな。もし次に、こいつが目を覚ましてヤギに襲い掛かろうとしてみろ。問答無用で荷台からほっぽり出してやる。絶対にな」
あれだけ大胆に悪路の中を全速力でかっとばしていたヤギ達が、ここに来てスピードを抑えて移動し出したのも、この獣耳娘の存在が大きそうだ。アレスが洞窟の奥を探索しようとしていたあの時、お供のヤギ達は彼に同行するどころか、すぐさま岩陰に隠れ出した。ひょっとするとヤギ達は、洞窟の奥に政子という天敵の存在をいち早く察知していて、それで恐怖のあまり足がすくんでしまっていたのかもしれなかった。
さて、遠くの山々から段々と夜の闇が溶け始め、日の光が射してき始めた頃。平坦な道を進んでいたその先に、アレス達が目指していたレイクタウンの町並みが見えてきた。レイクタウンはまさにその町の名前のイメージ通り、湖のすぐ傍に集落のような家々が立ち並ぶ、自然豊かでのどかな田舎町だった。
「ボルケーノさんや。目的地に着きましたぜ。そろそろ目を覚ましておくんなまし」
ふとアレスはそう声をかけ、政子の方を見やる。だが依然として彼女は性懲りもなく、未だに深い眠りについていた。おそらく丸4時間ほどは、ぶっ通しで睡眠を取っていたと思われる。しかし裏返して言えば、それだけ彼女自身も、安心してグッスリと眠りにつけたとも言えそうだ。それまでは、あの薄暗い洞窟の中で彼女一人、食料も底をつき誰とも巡り会えない中を過ごしていた。その間は到底、安心して眠れる気持ちになどなれなかったに違いなかった。
「まあ、町の駐車スペースに着くまではそっとしといてやりますか。この人はこの人で色々と大変だったろうしね」
政子の境遇を案じてか、アレスは特にヤギ達に急かせることもなく、水筒に入った水を軽く一口含むと、徐々に空が明るく移ろいゆく様をぼんやりと眺め続けていた。
町のエリアに入ると、アレス達は市場の横に隣接されている駐車スペースに進んだ。レイクタウンは湖の漁業が盛んな町のようで、波止場には漁業用の船舶が多く停泊している。アレス達の目指す市場は、その漁港のすぐ近くの場所にあった。まだ早朝まもない時間ではあったが、すでに人の往来が数多くあり、早くも市場全体は活気に満ちている。
「駐車代金は、500ゼニーになります」
駐車スペースの手前には検問所のスタッフが5、6名ほど立っており、ゲートの前に停車している数十台ほどの馬車の対応に追われていた。その数十台のどれもが、幅の大きい屋根付きの荷台を引っ提げていた。
どうやらこの先の市場に、商売目的で訪れている人達が割合的にかなり多いようだ。
検問所用のこじんまりとした小屋に居るスタッフの手からは、現場にてドライバー対応している係員に駐車券が続々と回される。当該の係員はペンを走らせ、駐車券に番号か記号か何かを書き込むと、順次それらを馬車の運転手(御者)に手渡していく。
検問所の奥にある駐車スペースは広大で、一面が浅黒い砂利が敷かれていた。それらの敷地には等間隔でポツポツと、馬車や荷台を格納する小屋が建っていて、現場の係員一人一人が御者を指定の場所まで、案内している。
「オーライ、オーライ。ストップ。今からクラフト魔法を発動させますんで、その場から動かないでくださいね」
アレスも同様に駐車券を受け取ってから、係員によって指定の場所まで誘導してもらい、一旦その場にて停車する。係員は懐からスプレー缶を取り出し、それを何度かシェイクさせると、噴射口から白い線を放出させる。そこから荷台の四方を取り囲むようにグルッと白線を引き終えると、係員は「クラフト魔法。ビルディングガレージ」と唱える。すると白線の上に沿って、地面が局所的に隆起し、即席の仮設小屋ができあがった。
ものの数秒の間に、アレス達はすっぽりとその内部に収められたのだった。
「わお。鉄のようにカッチカチだな。まるで独房みていだ。……収監されたあの牢獄とそっくりだ」
あの過酷だった牢獄生活のことを俄かに思い出したのか、アレスは内側から浅黒い側面の壁を指でコンコンと叩くなり、苦虫を嚙み潰したような表情になる。
無論、この小屋を構成している成分は、この駐車スペース一帯に埋められている浅黒い砂利である。先ほど係員が発動させたクラフト魔法によって、ある程度の制約はあるものの、下に埋められている土を、自由自在に姿形を形成できるのだ。
また小屋の内部は、ひんやりとしていて過ごしやすい環境にあった。仮にこの先、夏の猛暑に見舞われたとしても、この中に避難さえすれば、十分暑さしのぎになりえそうであった。
「そろそろ起きろ、ボルケーノさんや。とっくの昔に町についてんぞ」
アレスは耳元で盛大に声をかけつつ、惰眠を貪り続ける政子の肩を揺すった。
「うーん、もう食べられないよ……。ごっつあん、ごっつあん」
彼女の鼓膜が破れていてもおかしくないほどに、大音量で呼びかけているものの、一向に現実の世界へ引き戻せそうになかった。
「ごっつあん? なんだそのヘンテコ言葉は。……まあいい。もう待ってるのも面倒だ。叩き起こしてやる」
そう意を決したアレスは突然、彼女の鼻を指でつまみだした。彼の中では、頬を打つなり冷水を浴びせるなりをするよりも、この方法が最も効果的であると踏んだのだろう。すると彼の思惑通り、政子はまるで寝室で熟睡中だった姉が、イタズラ好きの弟に、枕で顔を押さえつけられた時のように、両足をバタつかせていた。
「誰か助けて! このままだと、おぼされるぅ!」
政子は河川の氾濫に巻き込まれ、必死に向こう岸に居る人に救助を求めているような苦悶の表情を浮かべた状態で、飛び起きるように目を覚ました。彼女の目覚めの一言が、“おぼされるぅ”っとなっていたが、これはおそらく彼女なりの造語に違いない。殺される・溺れるといったある意味、対極的な単語を一言に集約した結果、生み出された造語だと思われる。考えられるに、彼女の夢の中では何者かの手によって、河川に身体ごと放り込まれ、意図的に溺死させられそうになっている最中だったのだろう。
中々に穏やかな夢ではない。
「誰にもおぼされやしねえよ。ほらとっとと、荷台から降りてくれや。今から商品を下に降ろすから、しっかり受け取ってくれよ」
「は、はぁ~い」
政子はまだ現実と夢の世界の狭間に居てるのだろう。欠伸をかみ殺しつつ、生返事をする。寝起き直後のおぼつかない足取りで、彼女がゆっくりと荷台から降りたのを見届けてから、アレスはトウモロコシ1箱をまず渡した。続けて、3つあるうちのミルク缶1つを持ち上げようと取っ手を掴む。
「ふぬぬぬ! ダメだ。バチクソ重え!」
だがミルク缶を引き上げようとするも、重量がありすぎたのか、いくら力を込めても、微動だにしなかった。
「何してんのアレス。顔を真っ赤にして。聖剣エクスカリバーを引き抜こうとしてるわけじゃないんだよ? Sランク冒険者の癖に頼りなーい、情けなーい」
ミルク缶運びに苦戦しているアレスを見て、いじわるそうな笑みを浮かべる政子。彼女はわざとらしく両手のひらを頬に寄せると、ここぞとばかりに声を張っていた。
これまでアレスからの当たりがきつかったことによる鬱憤を晴らす意味も、この一連の煽り文句の中に存分に込められていたに違いない。
「なーに!? 俺を苔にしやがったな、ボルケーノ政子。そこまで言うんなら、ポジションチェンジだ。代わりにミルク缶を運んでもらおうじゃないの」
たかだか一女性に、ほんの少しからかわれただけで、アレスはとことんムキになってしまったようだ。それだけ己のプライドを深く傷つけられたと、強く感じてしまったのだろう。
“たかがミルク缶を持ち運ぶことくらい造作のないこと。少なくとも、神に選ばれし勇者のみが引き抜くことのできる聖剣エクスカリバーほ、ど壮大なものじゃない”と、グサグサと言われた気がしたのだと思われる。
「ほら、行け行け行け政子」
そんなプライドだけは一丁前の男は颯爽と荷台から飛び降りると、政子に対してすぐに上にあがるよう顎で示した。さながらその様は、部下に対して平然と汚れ仕事を押し付けるゲスな現場の班長のようであった。
早速言われるがままに、政子は荷台に上がった。そんな彼女の姿を見るや否や、アレスはどことなく上機嫌になりだす。華奢な身体をしている彼女が、ミルク缶を持ち上げられずにヒィヒィ言わしている情けない様を、この目でしっかりと拝みたいのだろう。まさにゲスの極みというべきか、締め切り間近の無理難題な仕事を、部下に押し付ける悪の上官のような卑劣な心の持ち主である。
「これ、どうすればいいの?」
成人男性の胴体分ほどのサイズがあるミルク缶を、政子は隅々までしらみつぶしに観察している。
「ひとまず、ほんのちょっと持ち上げるだけでいい。あとは雑に俺に投げてくれたら、それでよし」
「わかった。持ち上げるだけでいいんだね。ほいっと」
政子は言われてすぐに、軽々とミルク缶を持ち上げる。アレスがあれだけ苦戦していたミルク缶を当の彼女はと言うと、まるで風船のように何ら抵抗なくスッと持ち上げてしまったのである。
アレスは瞬く間に、陸に打ち上げられた魚の目のようになる。彼女のまさかの怪力ぶりに、すっかり開いた口が塞がらない様子であった。
「じゃあ投げるよ、そーれ」
未だに呆けた魚のような表情を浮かべているアレスを目掛けて、政子は船上から樽を投げ入れるような要領で、手を放した。
放物線を描くようにミルク缶は、真っ直ぐアレスの腕に向かって正確に投げ入れられる。
「うぉっ! ……溝内に入っちまった」
かろうじて受け止めることはできたアレス。しかし両手で抱え持つのがやっとで、地面に落とさないよう歯を食いしばっている。
「ミルク缶1つだけでもこんなに重てえのに、これを3つも業者のところに運ばなきゃいけねえのかよ。しかもあんだけ人通りの多い中をかき分けつつ、何往復もだ。
とんだ早朝のサーキットメニューだな、こりゃ」
トウモロコシ1箱とミルク缶3つの届け先は、“エスタディオ・ベジタロット”という野菜と乳製品を主に取り扱っている業者のところだった。この先にある市場の通りの端の端の場所にブースを構えている。
アレスが言っている通り、その行き来はまさにとんだ早朝のサーキットメニューと言えよう。
「えっ。別にこれくらい、あっしは楽ちんだよ。2つと言わずに、3つ同時に運べるよ。アレスが今持っている分も運んであげようか?」
政子は両手にミルク缶2つを持ったまま、荷台の上から飛び降りるなり、アレスにそう提案した。
「でもよお、両手が塞がってるじゃんか。どうやって残りの1つを持っていくつもりなんだ?」
「いいからいいから」
政子に促されるままに、アレスは自身が抱え持っていたミルク缶1つをそっと地面に置いた。すると彼女は、両手に携えている2つのミルク缶の間に、先ほどアレスが抱え持っていたミルク缶1つを、挟み込んだ。よく酒場のウェイトレスがビールのジョッキを2本だけに限らず、両手の指の数以上にまとめて持ち運ぶことがあるが、今の政子もまさにその離れ業に匹敵する器用ぶりと怪力ぶりを発揮していた。
「マジかよ政子。こんな華奢な女の子がね。まあ出会ってから少し話した感じ、パワフルな性格をしている子だとは思ってたけども、まさか内面だけじゃなく物理的にもパワフルだったなんてね。世の中、驚かされることばっかりだぜ」
それからアレスは政子に、目的地の場所と店の名前を軽く伝えた。一方で、彼自身は比較的持ち運びが容易なトウモロコシ1箱だけを持って、滞在している仮設小屋から外に出ることにした。
「場所はさっき行った通りだ。ついてこい」
「ラジャー」
政子は、戦の前に士気を高める目的で剣を高く掲げる兵士と同じ要領で、ミルク缶を3本ごと自身の頭上に掲げた。それを飄々とした顔でやってのけることに、アレスは圧倒される。そうして人通りに注意を払いつつ、アレスは市場のエリアに足を踏み入れたのであった。




