第五十二話「健康的なんて二の次だ」
トウモロコシ泥棒の大罪を犯し、全身を大鎌で切り刻まれたアレス。老人達から目一杯、それらの報いを受けたところで、彼はトウモロコシ畑の敷地内に設営されたコテージにその身柄を移されていた。
彼は現在、ケガの治療のため、窓が一つもない薄暗い一室に、全身が包帯だらけのミイラ男のようにされた状態で、ベッドに寝かしつけられていた。
彼の身体に巻かれているガーゼや包帯は、全体的に血で赤く染まっており、まさに今の彼は、血塗られのミイラ男と言っても過言ではなかった。
「すまんかったのー。あんたがあのアレスさんだったんか。そうとは知らず散々、耕してしもうたわい。
じゃけど、耕しても耕しても無限に身体が修復しようとするもんで、耕し甲斐はあった。ワハハハハ……」
老人はケガ人のアレスを看病していた最中、このようにさらっと末恐ろしいことを言っていた。特別、老人からは泥棒したアレスを責め立てる様子はない。むしろケガ人であった彼を、ベッドに寝かしつけ、優しく看病しているまであった。
「耕すって言葉、や……やめてもらえませんか。身体がえずきますから」
アレスは老人の言葉を聞き、途端に顔をしかめる。それから、おびえるように手で下腹部辺りを抑えだしていた。
先ほどまで執拗に大鎌で身体を切り刻まれたことが、すっかりトラウマになってしまったのだろう。
アレスはそれから特に、老人に対して何ら言い返すこともなく、おとなしくベッドに横たわったまま、老人宅の天井を見つめ続けた。
「それじゃあ今から、ガーゼと包帯を外すからの。……じーっとしてるんじゃぞ」
老人がアレスにそう声をかけると、全身に巻かれていたガーゼと包帯を、次々とほどいていった。その手つきは、その道20年のベテランの追い剥ぎ職人のようで、実に軽やかだった。
……先ほど、老人に“じーっとしているように”と釘を刺されていたアレスだったが、包帯を剝がされる度、まるで陸に打ち上げられた魚のように、激しく身体をばたつかせていた。
包帯には血がしつこくへばりつき、驚異の粘着力を発揮していた。そんな状態であるにも関わらず、老人は引き続き、皮膚から包帯の数々を強引にひっぺ返し続けたのである。
「んんんんん!」
これには思わずアレスも、白目をむかざるを得なかった。
やめてくれと懇願しようにも、次々と押し寄せる痛烈な痛みの波を前に、アレスは思うように窮状を訴えることができなかった。
そしてその老人を見るアレスの目は、まるで被験者の身を顧みず、淡々と狂気の人体実験に興じるマッドサイエンティストを間近で見てしまったような、見開きっぷりであった。
やがて全ての包帯とガーゼが解かれ、アレスはようやく身体の自由が利くようになった。地獄のような痛みの連鎖からやっと解放され、その反動で完全に気が抜けてしまったのだろう。アレスは間延びした弱弱しい声で、次のことを言った。
「……おじいさん。あなたは、そんなに俺の苦しむ顔が見たかったのか? トウモロコシを盗み食いした恨みは、こんなものでは済まされないぞってか?」
老人のあまりに遠慮のない包帯の解きっぷりに、アレスはそう感じたらしい。
「何も恨みなど持ってないわい。……まずそんな目でわしを見つめんでくれよ、アレスさんや。何か恐ろしい物とでも見られているようで、気分がよろしくないのー」
老人は、自身に向けられたその目つきが気になったようで、率直にそう言い返した。続けて、こいつは心外だと言わんばかりに、老人は次のように弁明を始めた。
「元はと言えば、アレスさんがワシの畑に勝手に立ち入って、盗み食いを企てたことが、全ての発端じゃぞ?
……何か事情があったのはわかる。じゃけど、泥棒しているのを黙って見過ごすわけにはいかんからな。そりゃ刻むなり、焼くなりしたくなってしまうわい。
……わしゃ、悪くないぞ~」
老人は、正義は自身にあると言いたげな口ぶりだった。確かに窃盗を働いたそもそもの張本人はアレスであるため、至極真っ当な言い分だと思われる。
ここにきて老人も老人で、アレスの置かれている境遇に身を案じている節もあったのか、必要以上に、彼を咎めるつもりはないらしい。
……それもアレスが大都会アスピリッサでSランク冒険者として、名を馳せていたことが、ある意味、助けになったと思われる。もし仮にこれが名前も知られていない、どこぞの馬の骨とも知れない人間が、盗みを働いていたのであれば、自ずと辿るべき末路は違っていたであろう。
老人とこうして他愛のないやり取りを交わしたところで、包帯が解け全裸となったアレスは、ベッドからむくりと身体を起こした。そして、その足でコテージの一室を、身体の感触を確かめるように、慎重に歩いた。
大鎌で出来た傷口は、段々と肉体の内部から塞がっていった。
ちょっと前まで、全身穴という穴から出血していた人間とは、思えないほどの蘇生ぶりで、修復後の彼の身体はまるで生まれたての赤子のお肌……は、少々過ぎた表現だが、とにかくすべすべで艶やかな元の色合いに戻っていったのであった。
「これがアレスさんの言っていた女神の加護の力か……。確か“無限サンドバック”と言っていたな。素晴らしい固有スキルじゃ。ほへー」
事前にアレス本人から、諸々の経緯を聞いていた老人。実際にその加護の力を目の当たりにすると、関心の色を見せ、感嘆の声も漏らしていた。
「女神の加護じゃない! これは女神の呪いだ! 素晴らしいもんでも、何でもないぜ!」
それを聞いたアレスは、気が気でなかったらしく、声を張り上げた。
「ああ、すまんのー。興味深くてのー。いくらアレスさんの身体を耕しても、傷のない身体に、元通りになっていくんじゃから……。目が離せぬわい」
老人はそう言いながら、アレスの全身を隈なく観察する。見入るように、じっとりとした目つきであった。
「おじいさん! 言葉はあれだけど、そんなにジロジロ見なさんな! 俺の身体は見世物じゃねえ!」
アレスは、変質者を怒鳴りつけるかのように、声を荒げる。それから急ぎ、近くにあった毛布に身をくるみ、全身を覆い隠した。
老人は、そんなアレスの様子を何ら気にする素振りもないまま、話を続ける。
「……アレスさんの話じゃ、以前までの力は失ったものの、代わりに、不死身の身体を手に入れたといったところか。
望むことなら今のワシの転移魔法の能力と、アレスさんの“無限サンドバック”を是非とも、取り換えてほしいものじゃ。
最近、ちと病気がちで腰とか膝が、無駄にしんどうてしんどうて……。もうワシも歳じゃな。全身にガタが来ておる。一度ケガをしようものなら、治りも中々に遅い。アレスさんのように修復できる身体なんて、どれだけ魅力的なことか」
老人は、依然として羨望の眼差しでアレスを見つめた。アレスはそんな老人に対して、左右に首を振りながらこう答える。
「とんでもない。ただ不死身になったとしてもステータスがオール1なんだぞ? こんな貧弱ステータスじゃ、仕事にならないぜ。
……いくら不死身の身体を手に入れても、周りから必要とされてるレベルの戦闘ステータスがなきゃ、飯食っていけねえんだよ。それだったら、例え病気がちでも、要所要所ではSランク冒険者の力を発揮できている方が、よっぽどマシだよ。ただただ不死身な身体を持っているだけだったら、いいことなんて一つもないよ」
「人間はのー、健康が第一なんじゃよ。ガタのない身体を持っとるだけで、できることが無限にあるんじゃよ。
アレスさんは、健康な身体を持ってるだけじゃ意味はないと、今は感じてるかもしれんがの。周りの連中にいくら役立たずだとか、どう思われようが関係ないことじゃ」
アレスはそれでも、老人の主張に納得いっていないのか、首を横に振りながら、こう言葉を続けた。
「いやーやっぱり不死身であることよりも、まずは周りからどう必要に思われるかの方が、大事だって。少なくても、俺の場合は冒険者なんだから、ある程度のステータスがない時点で失格だよ。
……社会ってそういうもんだよ。戦闘ステータスのない人間に、市民権なんてありゃしねえよ。いくら病気がちだろうと、大事なのはまず周りからどう戦闘力を評価されるかだ。かつての俺の盟友だったプロポリスもジュリー姉妹も、別の冒険者パーティーのリーダーで盟友だったカッシオからも、俺がSランクのステータスを失った途端、一気に関係性が冷え切った。……健康なんて二の次だ。本当に」
かつてのパーティーメンバーに裏切られ、盟友だと思っていた人間に拒絶された出来事を俄かに思い出したのか、アレスは顔をしかめた。
「そのアレスさんが抱えている悩みも、全ては健康の上になりたっているからこそ、できる贅沢な悩みなんじゃよ。
……まあ、今はわからんでもよい。いずれワシのように歳を取れば、わかる」
それ以上は、お互い押し問答になるだけだと悟ったのか。老人はそう言ったきり、その話を切り上げたのであった。