第四十六話「下手に出てやれば、良い気になりやがって……」
「まだか。もう絶対1時間以上は経ってるぞ。遅すぎやしないか、ギルド長。人の時間を何だと思ってるんだ」
アレスは冒険者ギルド内の待合席で番号札15番を握りしめながら、金髪の受付嬢ソフィーからの呼び出しを待っていた。
だが15分程度で終わるとされていた会議は、どうやら長引いてしまっているようで、アレスは苛立ちを覚えていた。
以前までのアレスであれば、例えギルド長自身が重大な会議に出席していた場合であっても、途中で会議を抜け出し、一目散に彼の元に駆け付けてくれたものだった。
基本的に、Sランク冒険者となってからの彼は、人に待たされるといった経験がほとんどなくなっていた。
……まあ異性とのお出かけの約束をドタキャンされた経験は、Sランク冒険者になる以前と以降も相変わらず、多々あった。だが仕事関係者に至っては原則、時間厳守であった。
その時間間隔にすっかり慣れ親しんでいる彼にとっては今、ギルド長に待たされているこの体感時間が、余計に長いように感じてしまっているのだ。
「あとこの椅子、全然フカフカじゃねえ。猛烈に腰が痛いし、もう待たされているだけで拷問なんだが。
……何をそんなにグズグズしていやがる、ギルド長。俺様にお灸を据えられてえか?」
鉄製の粗末な椅子に長時間座っていたこともあって、アレスは先ほどから度々、椅子から立ち上がってはまた座るというムーブを繰り返していた。
アレスはそれと同時に腕を組みながら、指先をまるで活きの良いエビのお口回りのように忙しなく動かしている。まさにせっかちで落ち着きがなく、誰の目から見ても近寄りがたい人間と化している始末だ。
これも待ち時間のストレスに耐え切れず、まさしく怒りのあまり冷静さを失った人のそれだった。
そのためそんな苛立ちモードマックスな状態の彼に、わざわざ話しかけようする人は誰一人として居なかった。
「あー、無性にイライラしてきた。身体の震えが止まらねえ。武者震いしてきたぜ。いいから早く出てきてくれよ、ギルド長。
……俺がどうにかなっちまう前に」
彼のストレスは、このように噴火寸前だった。彼の顔周りの筋肉も、今か今かと感情を爆発させるのを待ち望んでいるかのように、小刻みに震えていた。
その様はまるで大噴火の前兆のようであった。
いくら彼が元Sランク冒険者だと言っても、下手に挨拶をして、とばっちりを喰らいたいなどとは、誰も思わないだろう。
そもそもSランク冒険者ですらなくなった彼に挨拶などしても、何かメリットがあるわけではない。人は元来、意味のないことに時間を費やす生き物ではない。
当然、周りの人が、見て見ぬ振りを決め込むことに疑う余地もなかった。
「クソ……。段々と、いつぞやのエミリーのことが頭をよぎってきた。あれは雪が降りしきる除夜の鐘が鳴る時だったな。
約束をすっぽかされた挙句、結局エミリーは別の男と一緒に手を繋ぎながら、オーロラを眺めていたんだよな。
あれは人生最大の屈辱だった。人生の闇深さを知ってしまった瞬間だったな」
唐突にアレスの苦い思い出が思い起こされたところで、ようやく受付嬢のソフィーから声がかかる。
「番号札15番の方。受付までお越しください」
彼女からの呼び出しを受け、アレスは恨めしく情けない男の思考をパッタリ止め、受付口まで向かった。
受付口に到着し、手持ちの番号札を彼女に手渡した際、同時にアレスはそれとなく以下のことを尋ねてみた。
「会議そんなに長かったのか?」
ソフィーはアレスにそう話しかけられると、動揺を隠したかったのか、わざとらしく目を丸くしてから次のように言った。
「ええ。そのようです」
彼女からは、歯切れの悪い返事が返ってきた。
「本当か? にわかには信じられないな」
アレスはそう呟く。
「上からはそのように聞いています」
ソフィーはそう答えるとそれっきり口を閉じ、目線を斜め下に落とした。アレス当人に知られると不都合なことがあると、暗に思わせる反応の仕方だった。
単純に会議が長引いたこと以外にも、何か別の事情があるように見えた。
「そうか。ならいいんだ。それより案内よろしく、ソフィーちゃん」
アレス自身も何かしらの違和感を覚えているようだったが、それ以上彼の方から彼女に深く追及することはなかった。
「了解しました。ではこちらへ」
そう言うとソフィーは、彼とは一切目を合わさず、黙々と建物の奥へ進んでいった。彼の方に振り返ることは一切なかった。
心なしか、彼への応対を一刻も早く終わらせたいように見える。むしろ、そうとしか思えなかった。
「うっ……。その塩対応は堪えるぜ。世間からの疎外感、半端ねえ」
アレスは彼女に粗雑な対応をされ、ナイーブな気持ちとなっていた。やはりこういった人間には、これくらいガツンと態度に示す方が、ちょうどいいくらいなのかもしれない。
下手に彼女の方から愛想良く接すると、つけあがってしまうのがアレスという元雰囲気イケメンなのだから。
「私も次の仕事が控えていますから、手短にお願いします」
ソフィーは依然として前方を向いたまま、抑揚のない声でそう言った。
実にマイペースで不愛想な接客極まりない彼女の行動ではあるが、これまでアレスがしてきた行ないを考えるに、この元雰囲気イケメンかつナルシスト勘違い男に、釘を刺す彼女なりのベストな対応に違いなかった。
◇◇◇◇◇◇
「どうぞ。この先にギルド長がお待ちです」
「ありがとう。失礼します」
受付嬢のソフィーの案内の元、最終的にアレスはギルド長の執務室に通されることとなった。
彼女によって執務室の扉が開かれ、その先には、ソファーの背もたれに身体を預け、アレスの到着を待ちわびているギルド長の姿があった。
ギルド長は今日も変わらず、貴族ファッション用の透き通った白い巻き毛のカツラを被っている。そのカツラの大きさは、何とギルド長の顔一つ分である。
傍から見たら、頭の上に入道雲やら特大のホイップクリームを載せているかのような滑稽さがあるのはここだけの話である。
「アレス様、お待ちしておりました。ご無沙汰しております」
ギルド長は入室したアレスの姿に気づくや否や、口角を目一杯吊り上げた。アレスとは実に1ヵ月ぶりの再会である。早速、ギルド長はその場から立ちあがると、アレスの元に寄って、握手を求めに行った。
「ソフィーちゃんからは会議中だとは聞いてたけど、何やってたんだ?
その間ずっと、受付前の硬い待合席に座らされて、おかげで腰がガッチガチに固まっちまったよ。この扱い、ちっとひどくねえか?」
アレスはギルド長の握手に応じつつ、皮肉交じりにそう言った。
「それは、それは……。大変申し訳ござません。あいにく、どの待合室も改修工事中でしてね。ご用意できるお部屋がなかったのですよ。
そのため、私の執務室に通してもらうよう準備させていました。長らく待たせてしまい申し訳ございません」
ギルド長の言うように、確かにこの執務室は書類等々が綺麗に整理されている印象はあった。しかしこのギルド長の言っていることが、真実かどうかは明確ではなかった。
実のところ、お通し部屋は改修工事など全くしておらず、ただアレス以外の別の要人をおもてなしするために使用していたため、部屋の空きがなかっただけなのかもしれない。
そのため、肝心のアレスへの案内を後回しにした可能性が、十分に考えられた。
……何せアスピリッサ冒険者ギルドのトップの者ともなれば、限りなく嘘に近い本当のことを喋るスペシャリストなのである。俗に言う、口先の魔術師だ。
仮にアレスが、真意を聞き出そうとアプローチをしたところで、当のギルド長はお得意のおべんちゃらで、いとも簡単に話の矛先を逸らし、彼に真意までたどり着かせないように持っていってしまうだろう。
世渡り上手な組織人ほど、その時々の場面に応じて、巧妙に顔を使い分けることができてしまうものだ。
そういう人ほど、発している言葉とは裏腹に、本心は全く別のところにあるといったことが、世の中往々にしてあるのである。
「そうだったのか。わざわざすまねえ。そんな折に」
アレスはギルド長の誠意と取れる発言に対して、素直に感謝の意を伝えた。
「何をおっしゃいますか、アレス様。わざわざ足を運んでいただいたにも関わらず、1時間以上もあなた様を待たせてしまいました。失礼があったのは私達のほうです。申し訳ございません」
ギルド長は、大袈裟なまでに顔を崩しながら、平謝りしてきた。
「そ、そうだよ。俺、そういや1時間、待たされたんだよ。……ったく、ひどい目にあったぜ、おっちゃん」
アレスは、ギルド長の謝罪に若干たじろきつつも、彼の発言を聞いてから、そのような恨み節を吐いた。ギルド内の待合席で、長時間待ちぼうけを喰らったことをにわかに思い出したのだろう。
先方がトラブルを起こし、無礼を詫びてきた途端、弱みと踏んでさらなる暴言を浴びせる人間が、世の中には一定数存在する。
まさに今のアレスは、下手に出てやれば、良い気になりやがって状態と言えよう。
「大変失礼しました。申し訳ございません、申し訳ございません」
アレスが鼻にかけた発言をした後、ギルド長は顔面にしわを寄せ、今にも泣き出しそうな表情を浮かべた。当のギルド長にとってはアレスのことを、未だに絶対王政の専制君主のように、恐れ多い存在だと認識しているかのように、見える。
ここまでのギルド長とアレスとのやり取りを見るに、少なくとも彼の影響力は衰えていない様子と思えた。
だがこれも単なる見せかけなのかもしれない。あえて申し訳なさそうな顔を浮かべて、その場をやり過ごそうとしているだけなのかもしれなかった。
実のところで言うと、手のひらで転がされているのは、当のアレスの方なのかもしれない。
「おいおい、冗談だって冗談。いいからその頭をあげてくれよ、ギルド長」
さすがにやり過ぎたと思ったのか、アレスはこれ以上、毒づくのをやめた。
それはそうと彼とギルド長とでは、実に祖父と孫ほど歳が離れている。言わば人生の大先輩にあたるギルド長なのだが、アレスは年齢の差などお構いなしに、平気でおっちゃん呼ばわりしていた。
このようにクソ生意気な孫のようなスタンスで接していても、ギルド長は彼に対して文句の1つも言っていない。
おそらくアレスが年配のギルド長に対して、これだけ堂々たる態度で居られるのも、彼自身が数多くの魔獣を討伐し、アスピリッサ冒険者ギルドに多大な恩恵をもたらしてきたからに他ならなかった。何より彼による恩恵を最も受けているのは、何を隠そうこのギルド長なのだ。
そんなギルド長にとって、アレス・ゴットバルトという人間は、言うなれば決して足を向けて寝られない存在と言えるのである。
「ありがとうございます、アレス様」
ギルド長はそう言って顔をあげるなり、まるで生き神様に命を吹き込んでもらったかのようなウルウルな目つきで、アレスを見てきた。
「いいって、いいってギルド長。まあ立ち話もあれだし、座らせてもらってもいいか?」
アレスはうざったらしく思ったのか、ギルド長に対してそう述べる。
「どうぞどうぞ。取り急ぎ、スイーツと紅茶を用意させますね」
ギルド長はハッと我に返ったような表情を見せると、慌てて向かいの席を勧めた。
「じゃあお言葉に甘えて、失礼するよ」
アレスはそう言ってソファーに腰掛けた。
それを見たギルド長は、すかさず両手で水を掬うかのようなポーズを取ると、突然「伝令!」と口ずさんだ。すると瞬く間に手の平から光の粒子が生成され、ギルド長はそれらの粒子に向かって「ここ風見鶏の間に、セイロンティーとカステラ、あとできるだけ多くの甘いお菓子を持ってくるようにと、ソフィーに伝えてくれ。至急頼む」と語りかけた。
その指令をおそらく聞き遂げたであろう光の粒子らは、まるで前線で戦う勇敢な戦士のごとく風の勢いでこの部屋から飛び去っていったのだった。
「ありがとう。わざわざ精霊まで召喚してくれるなんて。アポなしの訪問だったのに」
アレスは紅茶と甘いお菓子を用意してくれる、ギルド長の計らいに感謝の意を述べた。
「いえいえ。こうしてアレス様とも無事、再会できたのですから。これから積もる話もたくさんあるでしょうし、全然遠慮なさらず」
ギルド長はにこやかに微笑みながら、そう言葉を返した。
「心遣いに感謝するよ。それにしても精霊って便利だな。俺にも精霊の加護があればなー。実に羨ましいや」
アレスは応接間の入り口のドアの方に、目をやりながら、羨ましそうにそう述べていた。
話は変わるが、今やアレスはSランク冒険者ではなく、たかだかステータスオール1の一般市民でしかない。言うなれば、今や王様ですらなくなり、奴隷の身分に落ちぶれた落第冒険者だ。
にも関わらず、アレスは、周りの連中に対して相変わらず、王様ぶった態度を示している。決して立場をわきまえている人間の取るべき行動ではなかった。
少なくとも人から好かれるような態度ではないのは、明白であると言えよう。