第四十五話「試合には勝って、勝負には負けた」
かつての盟友カッシオと、後味の悪い別れ方をした後、アレスはギルドの受付口に向かった。
「ごきげんよお、ソフィーちゃん。元気してた?」
アレスはそう言って、受付台の上に肘をつき、身を乗り出すと、その金髪の受付嬢に向かって片目でウィンクをし出した。
さらにはそこから極みつけとばかりに、颯爽と髪までかきあげていた。あからさまなキザな男アピールである。
「……いらっしゃいませ、アレス様。本日はどのような要件で?」
冒険者ギルドの受付嬢の中でも、指折りの美貌を誇る金髪のソフィーは、表情一つも変えず、淡々とそう返事を返してきた。
お世辞にもナチュラルな男前とは言えないアレスから、そのようなオスアピールをされたことにひどく困惑していると思われる。
「なんだよー、ソフィーちゃん。相変わらずつれないなー。もっとスマイルスマイル」
反応が芳しくなかった受付嬢のソフィーを見て、何を思ったのか、アレスはよせばいいのにそこからさらなるアプローチをかけた。
何と彼は自身の頬に指を当てながら、彼女に満面の笑みでそう話しかけたのだ。
側から見ているこちらまでもが、思わず悪寒が走ってしまう光景だった。
よくナルシスト勘違い男が、意中の異性に対して度々間違ったアプローチをするが、アレスの取っている行動はまさにその典型的な物だった。
かつてSランク冒険者だった頃の彼は、このようなナルシストぶりを遺憾なく発揮していても、不思議なことに女性陣から気味悪がられることは、ほぼほぼなかった。
おそらくその時の彼は、Sランク冒険者という肩書きがまだあったからこそ、ギリギリ受け入れられていたところがあったのかもしれない。
しかし今の彼は残念なことにSランク冒険者の看板がなくなり、ただの無職である。無職でかつ無一文の男なぞに関心を抱く女性は、この世の中には存在しない。
元々その輝かしき看板込みでギリギリ男の魅力を補えていたのが、アレスという男の実態である。
そのため現状の彼は、男としての魅力が今となっては跡形もなく消滅し、もはや雰囲気イケメンですらなくなってしまっていると言えよう。
「アレス様? これ以上、しつこく絡んでくるのやめてもらえませんか? さもなくば、保安騎士団を呼び出しますよ? 現行犯逮捕させますよ?」
ソフィーは元雰囲気イケメンことアレスに対して、最後通告を突きつけた。
表向きは笑顔を取り繕っているものの、目だけは決して笑っていなかった。表情とは裏腹にさぞかし内心、はらわたが煮えくり返っていることだろう。
「うう、それだけはやめてくれ。どうか俺のトラウマを呼び起こすことだけは……」
アレスは慌てて手の平を合わせ、無礼を詫びた。
その様はまるでインフォメーションセンターのお姉さんに熱烈なラブコールをしたものの、淡々とフォーマルな対応に終始され、あっけなく玉砕してしまった哀れな男のようだった。
このソフィーは、アレスが初めてここアスピリッサ冒険者ギルドに降り立ち、冒険者適性試験を受けるための届け出を出した際に、受付応対してくれた子だった。
まだ美人慣れしていなかった頃のアレスがその彼女のあまりの美貌が故に、顔面を直視できなかったまさにその子である。
あれからアレスがSランク冒険者となり、着実にキャリアを積み重ねていく中で、このソフィーとは割かしお近づきになれる機会も増えてきた。しかしながら当のアレスはそのチャンスを活かすことはできず、結局その彼女ともうわべだけの関係性で終わってしまった。
今、ソフィーは、他の冒険者の男とお付き合いしているようだった。それも冒険者としてのランクもアレスよりかなり格下のBランクだ。
アレスと比べても、圧倒的に金も実績もない冒険者なのだが、受付嬢のソフィーはおそらく、社会的地位とか関係なしに単純にその彼の人間性に惹かれたのだろう。
つまるところお金と地位と実績でしか自身を取り繕えないアレスは、その格下の彼とは試合には勝って、勝負には負けたと言える。
いくら金と社会的信用を振りかざしたとしても、愛は買えないと言えよう。
「ところで要件は何です? 忙しいので手短に願えます?」
ソフィーはまるで氷の女王様のような厳しい視線を、アレスに向けてきた。
「お、おう。ここのギルド長に用があって面会を申し込みたいんです。今、ギルド長はどちらに?
直接、話したいことがあってですね……」
ソフィーの頑なな態度に、流石の勘違い男アレスも観念したのか、潔くこれ以上のオスアピールを諦め、とっとと要件だけを伝えた。
「かしこまりました。ギルド長の予定を調べますので、少々お待ちください」
そう言うとソフィーは、早速、百科事典のように厚みのある本のページをペラペラとめくりだした。
「ひゃー、恐ろしく早いページめくり。お見事……」
アレスは、そのあまりにも光速すぎる彼女のページめくりの様子を見て、思わず感嘆の声を漏らす。
ソフィーは元々、ここアスピリッサでは名の知られた武器商人ブラッド家のご令嬢である。代々このソフィーを始め、ブラッド家の血筋を持つ者は、"武器生成"の加護を生まれながらにして授かっているのだ。
中でもソフィーは、"武器生成"の加護の中でも、編み物系統を得意としていた。
主に魔法使いが装備するローブや、とんがり帽子、その他特殊な効果が付与された衣服などを、武器制作を生業にしている大抵の商人が、完成まで約1週間近くかかるところを、このソフィーはわずか2日、下手すれば半日で仕上げてしまうのだ。
速さといい、品質にも定評があり、そのためソフィーには受付業務とは別に、武器制作の依頼だけで冒険者の行列ができるほどなのである。
「何かおっしゃいましたか? 作業に集中したいので、少し黙ってもらえます?」
ソフィーは先ほどのアレスの独り言が、耳障りに思ったのだろう。ページに目を落としたまま、低く唸るような声でそう述べた。
「ごめんなさい。どうか続けてください」
いかなる私語をも断じて許さないソフィーの態度に、アレスはタジタジとなっていた。
普段のソフィーは常に相手ファーストで、冒険者に思いやりを持って接してくれると評判の受付嬢である。
だがしかしそのように気の優しいとされている彼女であっても、アレスにだけは冷たく、どこまで行っても他人行儀であった。
やはり彼女の中では、アレス自身が元Sランク冒険者といった大きな看板以上に、そもそもの人柄が気に入らないのだろう。彼のマイナス要素で言えば、金遣いの荒さ、度々散見される他者に対する尊大な態度、自身の自惚れから来るキザな男アピールなど、1個1個あげればキリがない。
受付嬢のソフィーがおそらく最低限持ち合わせているであろう、踏み込んでもいい男の基準からすれば、このアレスなど論外にも程があると思われる。
選ぶ権利にあるのは彼女の方であり、そこの色眼鏡に叶わなかった人間は排斥されてしまうのが世の常なのである。こればっかりはアレスがSランク冒険者として、いくら実績とお金を手にしたところで、どうしようもない現実なのである。
そうこうしているうちに、やがてソフィーの手が止まった。彼女はそのページに視線を落とすなり、数秒間目で追う。それから再び顔を上げると、アレスに向かって次のことを述べた。
「申し訳ございません。ギルド長はただいま、定例会議に出てまして、予定ではあと15分ほどで終了します。その後でしたら、お会いできると思います。それまでお待ちになりますか?」
「問題ない。待たせてもらうよ」
「かしこまりました。ではこちらの番号札15番を受け取りください。ギルド長が戻られましたら、こちらからアナウンスさせていただきます。
しばらくはそちらの待合椅子におかけになってください」
「えっ? ……あっ、そうなの。いつものお通し部屋は空いてないの?」
アレスは目を丸くする。アレスの言うお通し部屋とは、Aランク以上の冒険者限定でギルド側が用意している特別な待合室のことだった。言うなれば、VIP室である。
受付で待ち時間が発生してしまう場合、それまでのアレスであれば、そのVIP室に通してもらい、そこで待機してもらうというのが、基本的な流れであったが、今回はどうやらそうではないらしい。
そのため当のアレスからすれば、はしごを外されたような心境だったに違いない。
「はい。お通し部屋は現在、満席でしてご案内ができません。ご了承ください」
ソフィーは丁寧な口調でそう説明する。彼女からは機械的と言うべきか、とにかくマニュアル通りの対応の感じが半端なく漂っていた。
「わ、わかった。じゃあここで待たせてもらうよ」
「よろしくお願い致します」
アレスとしては言いたいことは山のようにあったと思われる。だが彼もこれ以上、何かを言ったところで、淡々とテンプレートな受け答えをされるだけと感じたのだろう。
要するに、どこまで行っても事務的な対応に終始され、広がりのある会話は生まれないことを察したのだ。
……悲しいことに、これらの一連の対応は、世の大抵の女性が、アレスと接する時に使用する処世術みたいな物である。
「はああ……。やっぱし俺が落第冒険者になってから、明らかに周りの対応が雑になっているな。Sランク冒険者でなくなっただけで、こうも世の中変わるもんかね? みんな、冷たすぎるぜ」
待合椅子までの移動の最中、アレスは小さくこのような愚痴をこぼしていた。
愛馬ブルートゥースと共に、プペロス地区に降り立ったと思えば、周囲からバッシングの嵐に見舞われる始末。またその状況に加えて、アレスは金融屋と自称するジョエル・カロリントンからは借金を押し付けられてしまっていた。
プペロス市長を始め、カッシオの際もそうだったが、直近で接した受付嬢ソフィーにも冷たくあしらわれてしまったことも、彼の心を一層苦しめている原因だと思われる。
「うわ、マジか。何だよこの椅子。絶対これ、超合金で出来てるよ」
空席となっている待合椅子を見つけると、アレスはそう文句を垂れていた。
実際にその椅子が超合金で出来ているかは、定かではない。
だが当のアレスからすれば、今までであるならば、例えどんな野暮用な案件であっても、例外なくお通し部屋に通されていた。そこでの待ち時間の間は、ギルドの職員がシャンパンだったり高級なおつまみを持ってきてくれるなど、まさに極上のおもてなしをしてくれていたのだ。
……その当時と今と比べたら、あまりにも格差が激しいのである。文句の1つや2つが出てきても、何ら不思議ではない。
「まあソフィーちゃんも、そう長くはかからないって言ってるし、ここは我慢しますか……」
アレスはぼそぼそと独り言をぼやきながら、近くにあった鉄製の粗末な椅子に腰掛けた。
冒険者ギルド側からも、一切の特別扱いをされなくなったことで、改めて自身の今の立ち位置の低さを思い知らされることとなったアレスであった。