第四十三話「スキャンダルが尾を引いている」
「ジョエルからのあの借金さえなければ、今頃プペロス市長には、たっぷりとお灸を据えていたところだったのにな。
……今回は事情が事情だけにそうはいかないのが、残念だ」
プペロス市長宅を前にして、アレスは愚痴をこぼしながら、その場で仁王立ちしていた。これから直接、金の無心をしにいく人間とは到底思えない態度である。これもまだSランク冒険者時代の尊大で上から目線な性格が、抜けきっていないが故のことだと思われる。こうした態度であるのも、おそらく彼の中では市長から金を貸してもらえるという、ある種の確信があってのことなのだろう。
……いったい、その自信はどこから湧いてくるのか、正直わかりかねるところではあった。
プペロス市長とはゴットバルト像の建立にあたって、交流が盛んとなった人物だった。
ゴットバルト像の除幕式の話が浮上した時期を前後に、アレスはプペロス市長と懇意な仲となり、そのことをきっかけに、役所公式のパーティーにいくつも招待されるようになった。パーティーに出席していく中でアレスは、元老議員や貴族、各業界の要人ともお会いする機会が増え、社会的上位層と繋がりを持てるようになった。結果的に魔獣の討伐依頼を始め、報酬単価が高額な様々な依頼を回してもらえるようになったのである。
このようにアレスにとってプペロス市長は、大都会アスピリッサ内における幅広い人脈作りに欠かせない存在だった。まあ言わばプペロス市長は、彼にとって恩人にあたる人物と言える。だがそのような恩人ではあるものの、今回ゴットバルト像を撤去されたことはアレス自身、大いに不満があるようであった。
「まあその件については、ひとまずお金を援助してくれたら……って訳じゃないけど、一旦全て水に洗い流してやるとするか。
いつまでも根に持ってたって仕方ない。今後のセカンドキャリアに響きかねないし、ここは我慢だ」
プペロス地区の市長は地元の重鎮として名高く、アレスを様々な元老議員、貴族や業界人と引き合わせられるほど、横のつながりが強い人物でもあった。地元の商工会議所の同業者組合ともパイプがあり、現在失職中のアレスであるが、それもプペロス市長の鶴の一声で第二の仕事を回してくれる可能性が大いにあったのだ。
そのためアレスはプペロス市長のことを口先では、『お灸を据えてやる』とは言っているものの、今の彼自身の立場的なことを諸々考慮すると、表立って感情をぶつける訳にはいかなかったのである。
◇◇◇
「ごめんくださーい」
アレスは仁王立ちの姿勢を崩し、早速、市長宅の扉をノックした。
「はーい」
家の中から年配の女性の声が聞こえてくる。
「……市長の奥さんだな。間違いない。懐かしい」
その一声を聞き、確信を持ったアレス。
まもなくして玄関の扉がゆっくり開かれると、恐る恐る中から奥さんが覗き込むようにして姿を現した。
「どちら様で?」
にこやかな笑顔を向けながら、奥さんがそう話しかけてきた。玄関前に居る人物が、アレス本人だとまだ気づいた様子はない。
「お久しぶりです、奥さん。俺です、アレスです」
アレスは改めてそう述べた。彼自身も奥さんとの久しぶりの再会を嬉しく思っていたのか、声を若干詰まらせていた。心なしか、彼の瞳が薄っすら潤んでいるようにも見える。
市長の奥さんは、アレスがプペロス市長の実家に訪問した際、常に暖かく迎えてくれた方だった。応接間まで案内される道中も代わりに荷物を持ってくれたりと、何かとこちらを気遣ってくれる。いざ応接間に到着した後は、彼にこれとなく爽やかな香りが漂ってくる紅茶に、甘いお菓子まで振舞ってくれていた。また市長が席を外している際も、市長が戻ってくるまでの間、親身にお話相手になってくれたりと、アレスに対してこれ以上ない対応をしてくれていたのだ。
そのような一面のある市長の奥さんのことを、アレスは第二の母親のように慕っていた。彼自身、故郷に家族を残してきているそういった背景もあったためか、その気持ちは一層強かったと思われる。
……だがしかし、そんな彼の抱いている想いとは裏腹に、当の市長の奥さんは、玄関先に居る人物がアレス本人と分かるや否や、それまで温和だった態度をガラッと変えたのであった。
「あー、アレス様ね。ご無沙汰しております。……今日はどういった用件で?」
市長の奥さんの口調は、途端に刺々しくなった。奥さんのその態度はまさに、先日会ったターバンを巻いたケバブ屋の店員と似ていた。以前までの奥さんなら、彼の顔を見るや否や、まるで実の孫が久々に里帰りをしてきたテンションで歓迎していたものだったが、今回はいささか様子が違っていたのである。
「市長はおられますか? 是非、お話したいことがありまして。よろしいですか?」
奥さんの態度の変わりように、うろたえるアレス。あれだけ交流が盛んだった市長の奥さんの変化に戸惑いを覚えつつも、アレスは以上のように言葉を続けていた。
「はあ、夫ですか。しばらくお待ちくださいね。今、確認してきますので」
そう言うなり、奥さんはピシャリと扉を閉め、とっとと家の中に引っ込んでしまった。
「奥さん、人が変わったな。前まであんな不愛想な人じゃなかったのにな。どうしたってんだろ」
アレスは顔を曇らせる。礼儀正しい奥さんが、彼に対して終始、突き放すかのようなトーンで接してこられたことに、物悲しさを覚えていると思われる。
「ひとまず敵感知スキルを発動させてみよう。……この1ヵ月の間で、奥さんと市長の間に何が起こったのか、知る必要があるな。
ひょっとしたら夫婦間の仲が上手くいってなくて、奥さん自身、気が張っているのかもしれない。精神的に一杯一杯になっていたから、ついつい俺に対して当たりが強くなってしまったんだろう。
きっとそうに決まってるさ。いくら何でもあの奥さんが、俺のことを嫌ったりするもんか。
……たとえ、銀行構内で暴力沙汰を起こして、牢獄にぶち込まれたことを知っていたとしてもな」
アレスはそういった想いの中、玄関先で目を瞑り、敵感知スキルを発動させた。“敵感知スキル”とは、彼がSランク冒険者時代に地下ダンジョンへ潜った際、頻繁に使用していたスキルの中の1つである。
明かりなしでは足元すらおぼつかない暗闇の中、敵の位置関係やダンジョン内部の様子を把握し、攻略を進めていくためにはなくてはならないスキルだ。
特にダンジョン攻略の際に最も危険とされている要素の1つに、モンスターハウスといったものがある。ダンジョンに潜伏する魔獣一匹一匹が密集し、侵入してきた冒険者に集団で襲い掛かるといった現象のことだ。一歩間違えれば、全滅もあり得る言わば即死級のダンジョントラップと言える物だ。
その他にもダンジョン内で想定される様々な危険を、未然に防ぐために“敵感知スキル”の習得は最早、冒険者にとって必須級なのである。
「どれどれ。どうやら市長は家にいるみたいだな。息子と娘さんらと一緒に遊んでるっぽいな」
敵感知スキルでもって、市長宅の状況把握に努めるアレス。このスキルは暗闇以外にも、遠方からの些細な物音を聞き分けられるだけの性能をも有していた。夜間の襲撃も多い魔獣との戦闘時においては、言わば目の代わりになるほど重要な物である。
「あなた。子供達の相手をしているところ申し訳ないけど、来客よ」
奥さんは1階の広間に向かい、忙しなく子供達の相手をしている市長に話しかけていた。
「んっ? なんだこんな休みの時に。せっかく子供達と遊んでるっていうのに……。誰だ? わざわざ日曜日の昼下がりの時に来よって」
市長は来客と聞いて、機嫌が悪くなっていた。その口調には不快な色が全面に出ていた。
「元ヒポクラーンのアレス・ゴットバルト様よ」
奥さんは市長の顔色を伺いながら、ゆっくりとそう述べた。すると次の瞬間、まるで示し合わせたかのように、広間が静まり返った。
「アレス・ゴットバルトだって? 今更ワシに何の用があるんじゃ。あの疫病神めが」
市長の彼に対する怒りは、計り知れないものとなっていた。フロア中に市長の怒号が鳴り響くと、邸宅内はまさに時間が止まったかのような緊迫なムードが流れた。子供達もその場の空気を敏感に感じ取ったのか、嘘のように押し黙ってしまった。
「お、お会いして話したいことがあるって言ってたわよ。アレスさんが。お話だけでも聞いてみたら?」
奥さんは気まずさを嫌ってか、冷静に言葉を選びながらそう促してみる。
「いい、いい。引き取ってもらいなさい。私が居ることは絶対内密に」
市長は食い気味にそう拒絶した。よっぽどアレスと会うことに嫌悪感がある様子であった。
「……今更、何の用だってんだ。彼のせいで、プぺロス地区の景気は過去最悪だ。疫病神だよ、ありゃ。もう顔も見たくもないね。
何とか上手いこと言って、2度とここには来させないようにしてくれ」
「そうですか。ではアレスさんにはそう伝えておきますね」
「おう、そうしてくれ。ワシももうじき息子と娘達とお出かけする予定なんだ。よろしく頼む」
「わかったわ。そう致します」
市長と奥さんのこの一連のやり取りは、アレスにとって聞くに堪えられない物だった。
面と向かって直接暴言を吐かれるよりも、陰でひそひそ言われることの方がよっぽど心に堪える。本人を前にした時は絶対に言われないような罵詈雑言を、偶然盗み聞いてしまったバツの悪さがそこにはあった。
やがて市長の奥さんが広間から出ると、アレスの居る玄関の方角に歩を進めた。直接、奥さんの口から市長への面会の断りを入れるため、また市長との今後の一切の接触を禁じさせるために。どちらにせよ、彼にとって嬉しくない報告をしに来ることは確実であった。
「お待たせしました、アレス様」
再び玄関から、奥さんが出てくる。
「奥さん。市長はおられましたか?」
敵感知スキルで、奥さんと市長のやり取りの一部始終を聞いていたアレスにとって、この後、奥さんの口から飛び出すことになるであろう言葉は容易に想像がついていた。
きっと彼の心中は怒りに満ちていたはずだ。しかしそれでもなお、彼は一切の感情を悟られぬよう、努めて平静さを装ったのだった。
「あいにく夫は、しばらく公務で家を空けていまして。しばらくはプぺロスに戻らないようです。またプペロスに戻ってきましたら、夫の方からアレス様に手紙を出させるように致しますので、今日のところはどうかお引き取りを」
「わ、わかりました。忙しい折にすみません。ではまた。息子さんと娘さんにもよろしくお伝えください。
失礼致します」
実質の門前払いを喰らったところで、アレスは市長宅を後にした。
“夫が家に戻った暁に改めて手紙を出させる”といった奥さんの言い回し。それは逆にプペロス市長から手紙を貰えなければ、一切面会できないという釘の刺され方であった。
……いったい、市長と面会できる日はいつになるのやら。おそらくそのような日は、今後一生訪れることはないと思われる。
「二度と尋ねてこないでくれって、ひどすぎるぜ市長。疫病神とまで言われてしまってるぐらいだし、関係の修復はもう不可能なんだろうな。所詮、市長との関係性はそのレベルだったということだ。
……どの道、お金は貸してくれそうにないな。ここは潔く諦めるしかない。次、冒険者ギルドに行くとしますか」
奥さん伝てに、市長からの面会謝絶といった強いメッセージを感じさせたところで、アレスはその足で、次の目的地に向かうことにしたのだった。