第四十話「端から勝ち目のない戦い」
「ほら、だから言わんこっちゃない。とっとと返済に応じてくれたら、痛い目を見ずに済んだのによお」
ジョエルは地面に伏しているアレスに対して、唾を吐きかけるなりそう述べた。
端から勝ち目のない戦いだった。案の定、アレスは戦闘開始直後から、ジョエル含め用心棒3人組に囲まれ、すぐさま形勢不利に陥った。そうして退路をしっかりと断たれてから
アレスはジョエルから軽くジャブなり、膝蹴りなり、往復ビンタをされるなりで、散々になぶられたところで、最後にとどめの腹パンをお見舞いされたのだった。
しかもそれはただの腹パンではない。メリケンサック入りの威力がとてつもなくブーストされた、殺傷力抜群の腹パンだったのだ。
ジョエルら計4名から醸し出されるプレッシャーだけでも、すでに蛇に睨まれた蛙状態となっていたアレス。圧倒的な実力差を前に、ただただ立ちすくむしかなかったアレスに、その渾身の一撃は、十分すぎるほど堪えたと思われる。
「へっ、だから言わんこっちゃない。ステータスオール1のお前ごときが、俺達に勝てると思ってたのか。
これだから雑魚は。少しは現実を見な」
渾身の腹パンをもらった直後から、地面にぶっ倒れていたアレスに、ここぞとばかりにそう吐き捨てるジョエルの取り巻き達。親分たるジョエルが傍に居るのを良いことに、威勢が大変によろしかった。
こういう類の連中は、自分より格上の相手には徹底的にへりくだる姿勢を見せる。しかしその反面、彼らが自身より弱い相手と相対した時は、あからさまに調子に乗り出し、オラつきだすのだ。
まさに下衆の極みといったところだ。
「お前ら。こんな雑魚に、威張り散らしたって仕方ねーだろ。それよりも仕事が先だ」
そんな下衆人間らがギャンギャンと喚き散らしていた所、ジョエルが諫めるようにそう言った。
「しゃーせん、親分」
先程までの威勢はどこへやら。ジョエルの一言で、取り巻き達は噓のようにおとなしくなった。
「お前らいつものあれだ。……やれ」
ジョエルは目で合図をしつつ、取り巻き達に指示を出す。指示を受け取った取り巻き達は、慣れた手つきで各々ジャックナイフを取り出すと、地面に伏しているアレスの元に寄った。
彼らで手分けしてアレスの腕なり身体なりを抑えてから、ナイフの先端でアレスの指先にゆっくりと切れ込みを入れた。
まもなく指先から血が垂れてくると、ジョエルは不敵に笑みを浮かべた。
「よしよし。じゃあ、この誓約書にサインをしてもらうぞ。約束したからには、必ず500万ゼニー返してもらうからな」
ジョエルはアレスにそう語りかけながら、例の誓約書と思しき書類を取り出す。力なく地面に伸びているアレスの指先にさっと、その書類を近づけると、ジョエルは取り巻きのうちの1人に、また次の指示を出した。
「この欄とこの欄に、こいつの名前を書け。……こいつの血でな」
「承知しやした、親分」
取り巻きの1人がそう答えると、アレスの指先を掴み、指定された欄に署名を始めた。アレス本人の意思はそこには全く考慮されていない。完全になされるがままである。
そうして全ての署名が終わり、書類がジョエルの手によって引き上げられた。
「これでもう逃れられないぜ、10日5割から。恨むなら俺じゃなくて、あんたを俺に売ったかつての仲間を恨むんだな」
そう言ってジョエルは、アレスの血で滲んだ借用書を眺めるなり、ケタケタと高笑いを浮かべた。
こうして半ば強引な形で、アレスは借用書にサインさせられてしまったのである。
「……クソ卑怯だぞ、ジョエル」
先ほどの戦いで、生身の人間に対してダガーナイフを使ってでも勝利を収めようとしていたアレスは、そう言った。
「世の中に卑怯もクソもあるかよ。文句があるなら、俺を憎むんじゃなくて、己の弱さを憎め。それが世の摂理ってもんだ。
……はいよ、これが事務所の住所だ。10日後までには、耳揃えて500万持ってくるんだぞ」
ジョエルはメモ用紙を取り出し、軽くペンを走らせる。それからそのメモ用紙を雑に投げ捨てる。
「あばよ。この契約は永遠に有効だからな。……絶対に逃げるんじゃねえぞ」
それだけを言い残し、その場を去ろうとするジョエル。しかしアレスは満身創痍な身体をよじりながら、今まさに去り行こうとするジョエルの背中に向かって、次のように語りかける。
「……待て、勝負は終わってねえ。第二ラウンドだ」
フラフラとよろめきつつも、何とか立ち上がるなり、そう言ったアレス。まだ彼の中では勝負は決していないという認識らしい。
しかしその彼の様子を見たジョエルは、振り返りざまに一笑に付した。まるでお話にならないとでも言いたげな表情で、ジョエルはアレスのすぐそばに寄り、次のような言葉をかけた。
「まあいいから、いいから。もうお前と戦うまでもない。往生際の悪い奴だ。そんなことよりも、まずは色んな人にあたってみろよ。たかだか500万だろ?
あんたがこれまでお世話になってきた人達に頭を下げて、お願いしに行ったら、500万ぐらいすぐ出してくれるだろ。
何せ10日もあるんだぜ。こんな良心的な取り立て屋、他にそういないぜ。腐ってもあんたは、元Sランク冒険者のアレス・ゴットバルトだ。それだけの実績があって、知名度がある人なら、少なからずあんたを助けようとしてくれる人は居てるだろ」
やけに早口で捲し立てるようにそう言うと、最後にジョエルはアレスの肩を強くポーンと叩き、激励の意味を込めてか最後に次のことを言った。
「そんなわけで、500万ゼニーよろしく! まとまった金が手に入ったら、そのメモに記された住所にまで来てくれ。
検討を祈る! ちなみに返済が1日でも遅れれば、その日の延滞分だけ、利息が5割増しになっていくからな。
……万が一逃げたとしたら、お前を地の果てまで追いかけるからな。よくよく頭に入れておくように」
最早、アレスに拒否権はなかった。返済を放棄すれば、地の果てまで追いかけられるらしい。ジョエルはアレスに対して、しっかりそう釘を刺したところで、この場を去った。
おそらくジョエルは次の取り立て先に向かったと思われる。きっとその次のターゲットとされている人間も、今のアレスと状況は違えど、きっと悲惨な境遇の中でもがき苦しんでいるに違いない。
「はあー、どうしてこうなった……」
アレスは思わず天を見上げた。ジョエルに言わば罠にはめられた格好で、突如として発生した500万ゼニーの借金。今となっては一文無しとなった彼に、これらの金額はあまりにも重くのしかかっていた。
続いてアレスは、屋敷の方に目をやった。屋敷の家財道具一式は、取り立て屋ジョエルの差し金で、諸々差し押さえられてしまった。いざ屋敷の中に入ろうにも、玄関の取っ手には極太の鉄製の鎖がかけられている始末。ステータスオール1のアレスが、いくら屋敷の中に入ろうと試みたとしても、こじ開けるのは到底無理な状況だった。
ジョエルの先ほどの忠告通り、アレス自身がSランク冒険者時代にお世話になってきた人達に頭を下げて、金の無心をする以外に手段はなさそうであった。
「クソ……。ひとまず頼み込んでみるか。まあ確かにあの取り立て屋が言ってたように、たかだか500万ゼニーだもんな。きっとなんとかなる。
そうだ、俺は腐っても元Sランク冒険者じゃないか。そこら辺に居る並みの冒険者とは訳が違う。恩義に感じてくれた人は、必ず居てるはず。いくら落ちぶれて、オワコンになったとしてもな。
……そうと決まれば、明日の夜明けにここを出発だ。大丈夫だ、きっと上手くいく。これまでずっとそうだったんだから」
アレスは自身に言い聞かせるように、そう呟いた。取り立て屋のジョエルが言っていたように、アレスは腐っても元Sランク冒険者だ。それだけの実績があって、知名度も抜群の人間に手を貸さない人間など、そういないはず。この時の彼は、強くそう信じるほかなかったと思われる。
すでに月は高くのぼり、辺りは漆黒に包まれていた。元来た道を引き返そうにも、とても引き返そうにない状況であった。
「……今日は馬小屋泊まりだな」
そうしてアレスは敷地内にある馬小屋に寝泊まりし、夜の寒さを凌ぐことにしたのであった。