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第三十七話「さらば夢のマイホーム……」

「ううう……世間が憎い。いったい俺がどれだけの思いで、アスピリッサの危機を救ってきたと思ってんだよ。命がけで戦ってきたのに、あんまりだよ」


 アレスは馬車での移動の最中、現実の虚しさに打ちひしがれていた。Sランク冒険者としての肩書がなくなってからの日々が、まさに熾烈を極めていたこともあったのだろう。彼の頬には涙が伝っていた。


 これまで大都会アスピリッサには度々、討伐難易度の高い凶悪な魔獣らの襲撃があった。それらの凶悪な魔獣に対して、ロクに専守防衛できなかったのが、彼にとって憎っきあの保安騎士団である。

 ざっと数千の軍勢をもってしても、魔獣相手に全く歯が立たなかった保安騎士団。そんな不甲斐ない保安騎士団に代わって討伐を買って出たのが、かつて彼が率いていた伝説の冒険者パーティーヒポクラーンである。結果、アレスを含めたわずか4名ばかりの冒険者軍団の活躍もあって、見事に魔獣の撃破に成功したのである。その時のアレスの働きぶりは、まさに伝説の勇者と呼ぶに相応しい働きぶりだった。


 しかし首都防衛のために多大な貢献をしてきたアレスだったが、残念なことに、世間は今回の騒動の一件で厳しい目を向けたのだ。


 それが如実に表れたのが、噴水広場におけるアレス・ゴットバルト像の取り壊しであろう。プぺロス地区の市政は、アレスの中央銀行での暴力沙汰の一件があってから、すぐさま彼の像を取り壊す決定を下した。今まで勇者アレスがあげてきた功績なんて、まるでなかったかのような対応に、当の彼も改めて世間の厳しさと虚しさの数々を感じたに違いなかった。


◇◇◇


「アレス様、着きましたよ。ゴットバルト邸の正面玄関前です」


 夕暮れが迫り、辺りが徐々に暗くなってきた頃。

 そんな折にアレスは、男の御者(運転手)から声を掛けられた。


「あ~い、ご苦労様」


 アレスは気だるそうに返事をする。長時間の移動がよっぽど体に堪えた様子だった。


「御者さん。運賃はいくらだ?」


 そう言うなり、アレスはポケットから札を数枚ほど取り出す。


「お代なら結構ですよ、アレス様」


「へっ? それまたどうして? わざわざ噴水広場から、こんな辺鄙なところまで送迎してもらったっていうのに。いくらなんでも、タダってわけにはいかねえだろ」


 アレスにとって、よっぽど目を疑いたくなる発言だったのだろう。思わず、身を乗り出すように聞き返していた。

 御者はゆっくりと後方の馬車の方に、顔を振り向けるなり次のように答える。


「今までアレス様には、幾度となくこの街を救って頂きました。……噂によると、アレス様は中央銀行の預金口座を抹消されて、今、お金ないんでしょ?」


「あー、まあな。恥ずかしい話だ」


 そう言うなり、ガックリと肩を落とすアレス。血と汗と涙の結晶であった、莫大な討伐成果報酬を何者かの策略によって、全て没収されてしまった彼。

 御者にその話を言わば、蒸し返された形となったためか、アレスはたちまち顔をゆがめだした。彼にとって、よっぽど思い出したくない過去の話だったのだろう。唇を突き出し、まるで酸っぱい物を口にしてしまったような苦悶に満ちた表情を浮かべていた。


「今は大変お困りの時かと思われます。しばらくの間、私がアレス様を送迎する際は、お代は一切いただきません。いつでも何なりと、私を足代わりとして使ってくださいまし」


 御者はそう言うと、深々と頭を下げた。


「お、おう。ありがとな。……気持ちだけ受け取っておくわ。さすがに無賃乗車なんて気が引けるからな」


「いえいえ。遠慮なさらず。何せあなた様は、アスピリッサの英雄なのですから。これぐらいは当然のことです。

 ……わたくしめは、ケイエス馬車のゴンザレスと申します。会社宛てに手紙を送ってくだされば、いつでもあなた様の元に駆け付けますので、何なりと」


 御者のゴンザレスはうやうやしく頭を下げた。

 それから男の御者が馬車の扉を開けると、アレスは地上に降り立った。


「こちらがわたくしめの名刺でございます。馬車の手配の際は、この住所までお手紙をお送りください。よろしくお願いいたします」


 最後に、アレスは御者からそう声をかけられ、その際ついでに名刺まで頂くこととなった。


「これまたご丁寧に。……まさか御者の人から、名刺を貰えるとは。こんな経験、生まれて初めてだ」


 アレスは名刺を受け取った瞬間、思わず腰が低くなっていた。アレスもお返しに、自身の名刺をその御者に手渡したのだった。


 これも一昔前まで田舎住まいだったアレスからしてみれば、大きな心境の変化の1つだった。以前までのアレスは、こうした名刺の受け渡しに関して、至極うがった見方をしていた。名刺交換を通じて、当人同士が心にもないヨイショをして、ひたすらこびへつらう姿。そのように長い物に巻かれるかのような生き様を、アレス本人はみっともないと思っていたのだ。

 しかしアレスが田舎から都会に飛び出し、Sランク冒険者になってからは、それなりに各界の要人と顔を合わせる機会が増えてきた。そうしていくうちに都会のしきたりに段々と慣れ親しんでいき、その結果、自ずとアレス自身の身の振り方も変化していったのだ。


 これまで傍から見て感じてきたことと、実際にその環境に身を置いてから感じたことは全く性質が異なる。単なる観察や聞き知った情報だけでは、容易に理解できない領域も人生の中でたくさんあるのだ。

 おそらく当のアレスも都会の環境に身を投じてから、世間の厳しさに触れていった中で、「社会はそうやって回っている」と自分なりに感じた部分があったと思われる。


「けどまあ、俺のことをまだあーやって支持してくれる人も、居るんだな。

 ステータスがオール1になってから、離れていった人があまりにも多すぎて、思わず失念してたけど。

 ……全員が全員、俺の敵ってわけじゃねえんだな」


 御者の人は再び馬に乗り、馬車を走らせた。アレスは馬車の後ろ姿が見えなくなるまで視線を送っていた。

 あの一件があって以来、ついつい忘れがちであった事実。アレスは確かにアスピリッサの英雄として、人々の記憶に残っているようであった。


 ◇◇◇


「実に2週間ぶりの我が家だ。うーむ、こうして見るとやっぱり豪邸だな。トレビアーン」


 思わずアレスの口からトレビアーンという一言が出てくるほど、彼の豪邸はまさに圧巻だった。

 3階建ての黒光りの豪邸は、アレスが約20億ゼニーの大金をはたいて建設したものである。敷地面積は約6万平方メートル。大規模な円形闘技場とほぼ同程度の建造物であり、その部屋数はなんと脅威の100を誇っていた。


 また豪邸周辺は広大な森に囲まれ、さらに湖にも面しているなど自然豊かな地形の中にあった。討伐依頼のない言わばプライベートな時間は、小型の木造船を湖面に走らせ、フィッシングを楽しながら、悠久の時を過ごすこともできる。これがアレスなりの主なオフの楽しみ方でもあった。

 確かにSランク冒険者は多忙を極め、中々心休まる時間がないのが実情ではある。しかしその分、豪邸を建てられるだけのお金といい、広々とした自然の中で悠久の時を過ごせることといい、Sランク冒険者は一般の賃金労働者と比べて、割とワークライフバランスは確立できていると言える。


 またSランク冒険者は有り余ったお金の力でもって、屋敷の掃除を始め、飯の準備、お風呂の用意諸々を全て外注の召使いを雇って代行してもらうこともできた。要するにアレスは家事諸々に時間を取られることが一切なく、その余った時間をフルに活用できるのである。それからその余った時間も、お金の力でより充実に過ごすことが可能だ。一般的な物の言い方で言うと、”可処分時間”というものだ。

 例えば、旅の疲れを癒したいとアレスがそう思った時、自身の屋敷にマッサージ師を呼び寄せ、凝り固まった筋肉をほぐしてもらうことができる。お料理も五つ星シェフを屋敷に常駐させ、毎朝毎晩、塩分濃度の高めの食事を作ってもらうこともできる。そのため、そもそもの話、自炊に時間が割かれることもない。風呂を焚く際に必要な薪集めの作業も、外注の召使いに依頼すれば、わざわざアレスが薪を割りに山奥まで足を運ばなくとも済む。

 そうして召使いが薪集めなどの諸々の家事を代行してくれている間に、当のアレスは湖に出て、呑気にフィッシングしたり、湖に降り立つ白鳥の群れなどをバードウォッチングしたりして、心穏やかに休日をエンジョイできるのだ。


 また田舎に近い郊外の屋敷生活では、都会の喧騒からも離れられ、街中に出てキャーキャーと黄色い声援を浴びられるようなこともない。都会での生活特有の煩わしさを、ここでは一切感じることがないのだ。

 まさにこの豪邸で過ごす時間は、アレスにとって心のオアシスなのであった。目まぐるしい都会では、満足に休息を取ることも叶わず、心を落ち着かせることができない分、ここで過ごす時間は、彼にとっては至福の時と言えた。


「でもこの夢の楽園とも、そろそろお別れか。……悲しいな」


 しかし様々な思い出が詰まっていたこの豪邸とも、アレスが言うように近々お別れしなければならない運命にあった。先日、彼はSランク冒険者を引退したため、大元の収入源を断たれてしまった。さらには頼みの綱であった莫大な貯蓄も、中央銀行側に預金口座の抹消をされため、財産がスッカラカンとなってしまった。

 何しろこの豪邸の維持費は馬鹿にならないレベルだ。不動産税を始め、人頭税など諸々の税金の負担がとてつもなく大きいのだ。

 以前まではSランク冒険者として、報酬単価高めの討伐依頼を数多くこなせていたため、これらの重税も余裕で賄えていたが、収入がなくなった今となっては、それらの税金が重くのしかかっている始末である。


「召使いも一斉解雇しなきゃならんし、悩み事が尽きまへんわ。……とほほ」


 それらの税金以外にも、毎月、屋敷で働く召使い達に支払うお給金の問題もあった。当然ながら20名近く居る召使いに支払えるだけのお金を、今のアレスは全く持ち合わせていなかった。

 要するにこれらの諸々の理由もあり、夢の楽園での生活を維持することは、現実的に困難なのであった。


「最後に執事長にも挨拶しとかねーとな。……今まで嫌な顔、1つもせず、身の回りの世話をやってくれたもんな」


 来月以降のお給金が支払えなくなった事実も、アレスは召使い達のリーダー格である執事長に伝えなければならなかった。実質の解雇通告である。

 執事長に挨拶を済ませた後は、20名近く居る召使い1人1人にアレスは面談をしなければならない。そうして一斉解雇に承諾してもらった後は、屋敷内に現存する金目となるモノを片っ端から売りさばき、身辺整理をしていかなければならなかった。少しでもお金に換えて、今後の彼の生活費の足しにしていく必要性があったのだ。

 ……でなければ明日のパンを買うお金もなくなってしまう。それが現状、彼が置かれている状況なのであった。

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